十五話「君のための言葉②」
「ライラック……」
「……」
セーリスクは、店の奥に向かいライラックを呼ぶ。
そこには、うずくまり泣いているライラックの姿がいた。
顔を抑え、涙を流している。
店の店主が、背中をなでて心配していた。
店主は、ライラックに声をかける。
それは、ライラックの感情に対するものだった。
「どうしたんだい……?」
「だいじょう……ぶです。大丈夫だから……」
しかしその声は、酷く弱っていた。
とても大丈夫とは思えないものだった。
セーリスクも、店主も同じように心配する。
しかし店主は、セーリスクの顔をみてその表情は一変する。
その顔は怒気に包まれていた。
セーリスクはその怒りの内容を瞬時に把握し、甘んじて受け入れることにした。
「おい、あんた……セーリスクっていったね」
彼女は怒る。
それは心からライラックのことを心配しているからこその行動だった。
そしてセーリスクもそれを察していた。
「はい」
「どんな事情があるか知らねえが、ここまでこの子がそうなるってことはそういう意味だろ」
その女性は、セーリスクのことを深くはしらない。
ただライラックが、好きになるほどの男性がいて。
彼女が深くその男性のことを思っていたことを知っている。
彼女がその男性のことを話す度に、頬を赤く桃のように色を変えることを知っている。
そのことにより考えたのだ。
目の前の男性こそ、その人物だと。
だからこそ怒りたかった。
事情はしらない。
ただ娘のようにかわいがっているライラックという少女を泣かせたのが許せなかった。
店主は、セーリスクの胸倉を掴み目をそらすことなく真っすぐに見つめ伝える。
それは心からの言葉だった。
「男がね!一度でも惚れたならその女泣かすんじゃないよ!!」
「……はい」
その激情は、店主の経験からくるものだろうか。
ともかくその声は、真剣だった。
誤魔化しなど一切ない。
ただ、自身の考える言葉。
それを目の前の青年につたえようと必死だった。
「若いうちには、あたしらの理解できないことぐらいぽんぽんと出てくるよ。……でも、……でもこの子を泣かせてしまうのは少し違うんじゃないかい」
「……」
「泣かせるならうれし泣きにさせな。みっともない……」
店主は、セーリスクに怒りを向けるのをやめ胸倉から手を放す。
なにもいうことができなかった。
確かにそうだ。
自然と彼女ならば。
ライラックであれば、自分のこれからの行動を最終的に理解してくれると勘違いしていた。
しかしその過程のことを一切考えていなかった。
彼女が最終的に理解してくれたとしても、それは納得ではない。
それを自分はわかっていなかったのだ。
そんな自分が恥ずかしい。
「……少し時間をやるよ。奥で話してきな」
店主は、二人の今の状況が不味いと考え話し合うように指示をする。
それにはきっと二人ならわかりあえるはずだという淡い願望も含まれていた。
セーリスクとライラック。
二人は、無言でうなずき店主に指示された部屋で話し合うことにした。
ほんの少しばかりの空白によってライラックは落ち着いたようだ。
「ごめんね、いまは大丈夫。もう落ち着いた」
その手には、コップがあり温かいはちみつ湯のようなものが入っていた。
ライラックはそれを少しづつ呑んでいた。
泣いたことにより、目は少し腫れていた。
だがもう涙は出ていなかった。
確かに落ち着いたというのは事実のようだ。
セーリスクは言葉に迷う。
どうやって伝えればいいのか悩んでいた。
「あの……ライラック……」
「……ううん。謝らないで」
「でも……」
しかし彼女は、否定する。
それには、彼女自身にもセーリスクには伝えていない感情があったのだ。
「違うんだ……私から話させて」
「うん」
彼女の静かな決意を悟り、セーリスクはその言葉を聞くことにした。
「私ね、あなたが怪我をしたことに本当に心配になったんだ。でも少しだけ違った」
「うん…‥」
「私ね、あなたが怪我すればもう戦いに行かないでいいんだと思った。いかなければ、どんな短い時間だってあなたと傍にいれる。きっとそれはあなたの怪我から生まれた結果でも私にとっては幸せなんだって。……でもそんなことを考えた自分のことが嫌になってしまったんだ」
彼女は語る。
それは彼女にとっての罪悪感だった。
彼女は、きっと怪我だらけになったというセーリスクの知らせを聞いて
心の奥底では安心してしまったのだろう。
だがそれを彼女は罪に感じた。
「それでもそんな醜いことに悩んだのに、結局結果は違った。セーリスク君が。貴方がまた戦いにいってしまうことをあなた自身が望んでいる」
その言葉を一言一言絞り出す度に、彼女の目からは涙がこぼれていた。
「あなたのことが好きなのに、あなたが決めた決断のことを酷く嫌って悲しんでいる自分がいるんだ。それが本当に嫌なんだ。なんでだろう。言葉で説明したいのに……涙の方が先に出てしまうんだ」
「……」
「嫌だよね。嫌いだよね。セーリスク君はさ、こんな泣いてしまう女性なんて……」
「違うんだ。違うんだ……ライラック」
「だって、あなたが好きなのは、イグニスさんみたいに……自分で運命とかそういったあやふやなものまで自分の力で切り拓いてしまうような人。私じゃないんだよ……」
セーリスクはその言葉に何もいうことができなかった。
確かに自分が、イグニスに惚れていたのは事実だ。
しかしそれは強さという物の憧れに近い。
セーリスクはそういったものを上手く説明できなかった。
ライラックに言い訳したくなかったというのもあるが。
だがライラックは苦しんでいる。
それは好きな相手を救う強さを自分自身が持っていないことを自覚してしまったから。
ライラックもまたイグニスという存在に憧れを持っていたのだ。
きっと彼女のように強くあれば、セーリスクの目を惹ける。
そんな感情が渦巻いていた。
現実の自分は、戦いや強さといったものからははるかに遠かった。
ただ平穏な日々を精いっぱい生きるので必死だった。
「イグニスさんみたいに、あの人みたいに強ければ。私はきっとあなたのことを守れた。でも現実の私はそんな力なんて持っていない。……私がみたいのは。私が見たいのは、当たり前のように傍で助けてくれる君なんだ……」
ただ悲しかった。
豊穣国との戦いがなければ、目の前の人物は戦いに行くこともなかった。
平穏な日々で愛する人がそばにいて、それを愛しく愛でられる。
そんな未来をライラックは望んでいたというのに。
きっと海洋国にいったというシャリテの手を借りれば、この国でなくてもそういった日々を送れる。
だがセーリスクは、それを断った。
その時点でライラックの思考は酷く痛んでいたのだ。
「私、君のことが大好きだよ。……心から大好き。本当に好き。それでもだめなの?戦いにいってしまうの?私のことが嫌いだから?」
「……ライラック。僕は君のことが好きだよ。戦いで死にかけた時、君のことを考えた。だから……僕の恋人になってくれませんか」
「ごめんね。君の言葉。本当にうれしい。……でも今聞きたくなかったよ……もしそれがやさしさなら。ううん……中途半端な優しさなんて要らない」
「……うん。そうだよね。君ならそういうと思った……」
セーリスクはわかっていた。
きっと自分が本当にライラックのことを愛し、大事にしているのなら。
即座にこの国を離れるのが正答なのだ。
しかし自分はそういった行動をとろうとは思わなかった。
それは、ライラックより願ってしまったものがあるからだ。
「きっとセーリスク君は、優しんだ。そして本当に強いんだ。だからあなたはきっと多くの人を守ろうとするんだね」
「違うんだ、僕は優しくなんか……本当は……本当は」
言えない。
この子だけには絶対に。
自分が他人を狂わすほどの強さに焦がれていることに。
理不尽を覆すほどの強さに焦がれた。
平穏を乱すほどの強さを願った。
だけど彼女にそれを伝えることは絶対にできない。
彼女のことをすでに大切に思っているから。
「私もね、きっと君なら多くのひとを守れる強さを持っていると思っているよ。けど……」
私だけのことを守ってほしいんだ。
それだけでいい。
それだけで私は幸せなんだ。
そんなありきたりな言葉すら彼女は吐くことができなかった。