二十四話「虚空に①」
イグニスはためらっていなかった。
その腐肉を切ることを。
彼女は迷わず断ち切っていた。
風を纏ったその剣は、多くのアンデットを両断している。
腐肉とその者が纏っていた鎧が崩れる音がその場に広がっている。
聞きなれないその音は、不快を生んでいた。
だがイグニスはその音に集中を途切れていなかった。
ひとつひとつ切るたびに、イグニスは苛立ちを持っていた。
しかしそれに反し目の前の男は随分と愉快そうだ。
コ・ゾラは大きく笑う。
「ははっ。ためらわないその姿勢。素晴らしいな。友よ!」
その声は歓喜にふるえていた。
偽りひとつないその感情。
心からの感嘆が、イグニスの心をさらにイラつかせる。
「なんなんだ。なんなんだお前は」
「どうでもいいではないか。拙僧のことなど」
周囲にアンデットがいなくなって、イグニスはコ・ゾラに尋ねる。
しかしコ・ゾラは愉悦に満ちた表情で顎に手を当てていた。
その愉悦は彼に思考の時間を与えていた。
その思考は彼にとって甘美だったようだ。
彼は言う。
「そこまでの剣技どこで得たのか。興味深いことはいくらでもある」
「……」
イグニスは剣を向ける。
彼が自分に興味を向けていることなどどうでもいい。
「……だがいまは拳で語ろう。友よ」
こいつは心から戦いというものを楽しんでいる。
そもそも語る気など一切ないというのにこいつは何をいっているのだろうと
イグニスは思う。
そして同時にイグニスは敵のことを深く観察した。
以前と変わりないその鍛えられえた筋肉。
獣人としてみても彼の肉体は異常なほど練り上げられていた。
その拳は。その腕は、亜人など簡単にねじ伏せるだろう。
そしてアンデットの死体もほとんどのものが一撃で殺された痕跡があった。
イグニスはゾラの装備品にも注目した。
コ・ゾラは、前回とは違い拳に装備品のようなものをつけていた。
以前イグニスとの戦いで自身の強固な鱗が破られただろうか。
前回より装備品につつまれているように思えた。
前回も皮膚を切り裂くことは難しかったがこれではより難易度は上がるだろう。
そして主砲であるその拳には、魔法道具のような謎の石が埋め込まれていた。
一体あれはなんなのだろうか。
警戒はするが、情報がなくては対処もしずらい。
イグニスはゾラの攻撃を回避する。
装備品をつけてはいるが、その速度は依然変わりない。
コ・ゾラは、自身の傀儡であるはずのアンデットを気にせず殴りかかってくる。
イグニスはそれを回避するが、回避したことによって付近にいたアンデットはその攻撃によってぐしゃりと歪な音を立て潰れた。
「やはり早いな。だが焦りが見えるぞ」
コ・ゾラは、アンデットに襲う指示を出す。
判断する脳もないが、アンデットはゾラの指示に従いイグニスにとびかかる。
だがそのアンデットには生前蓄えたであろう剣の技術、
武道の心得など一切なく容易に見切れるものだった。
剣を使い、舞うように首を切る。
しかしその隙を狙って飛び掛かり殴るコ・ゾラ。
その拳を視認するだけで全身の毛が逆立つ気がした。
「突風よ。【ラファーガ】」
風の魔法を使い、その反動によって後ろに回避する。
イグニスに当たらなかった拳は、大きく地面を砕き割る。
「ああ、よい!友よ」
獣人は笑う。
その顔はどこまでもにやけていた。
自分の認めた強者がどこまで戦えるのか。
どこまで抗えるのか。
それを楽しんでいるのだ。
あくまでその手段が戦いだけだったという物だ。
だが一つ解せない。
「……お前は意外とそういう手段を使うんだな」
イグニスは、そういった手段を使わないと感じていた。
自らの拳で、自らの愉悦を勝ち取る。
前回の引きかたからそんな信条を感じ取っていた。
「幻滅したか友よ?」
「いいや、文句はないさ。……腹は立つけどな」
アンデットになるのは、死者に向けての最大限の侮辱だ。
こいつにとって、アンデットとはどういったものなのか。
だが今更だ。
自分は何体もアンデットを殺してきた。
それによる被害も何個も知っている。
今更ゾラがそんなことをしても責める気はない。
疑問には思うが。
しかしゾラは、ハアとため息をつく。
自分のやっている行いには爽快感がないようだ。
「殺すことは、最上の救いだ。だがアンデットにするのはそれに反する。友よ。せめて友である汝が死んだときは、アンデットにすることなく殺そう」
ゾラは、自分の信念を包み隠すことなく話す。
その内容はくるっていた。
だが狂気であり、強固でもある。
狂いながらその本質はとても硬かった。
「生憎だけどそれは遠慮しようかな」
イグニスは剣を構える。
コ・ゾラも同じように相対し、拳を構える。
何人もの自分がいた。
それは人格としてではない。
立場の話だ。
法皇国としての自分。
ミカエルと関わるときの自分。
マールと一緒にいたときの自分。
全部違う【自分】だった。
だが今いるのは、そんな自分ではない。
これは武人としての自分。
法皇国をでて、旅をする中で手に入れた自分。
殺すことに快楽はいらない。
ただ強い敵と戦い。
それを打ち払う。
「じゃあ、いこうか」
「ああ、来い!友よ。存分に殺し合おう」
イグニスは静かに風を纏った。
風の魔法はイグニスの体を強化し、加速させる。
「突風の痛みよ。【ラファーガ・ドロール】」
イグニスは、加速したその体で魔法の詠唱を開始する。
使いなれたその魔法は、すぐに形を成す。
槍となった風は、コ・ゾラに襲い掛かった。
コ・ゾラは、初めて見るそれを観察するように迎えうった。
よけることなく、コ・ゾラはその体で受け止める。
しかしその肉体は、抉れる。
鎧を着ていた部分も、いくつかはじけ飛んだ。
だがコ・ゾラは動揺することなく自身の怪我を確認する。
「初めて見るものだな。なぜ前回は魔法を使わなかった」
「あの時は、使えない事情があったんでな。手を抜いたわけじゃない」
「それならいい。友よ」
真正面からの正拳突き、裏拳。
そして尻尾による攻撃。
連撃がイグニスを襲う。
しかし加速された体では、その攻撃は当たらない。
後ろに回避し、斜めに切りかかる。
だが深くはない。
かすり傷をいれ後ろに下がる。
コ・ゾラの攻撃は一撃でも当たったら状況がひっくり返される。
そんな威圧感を持っていた。




