十一話「愛の終わり」
盲目の獣人は、地面に伏した。
その体は、脚を残し凍り付き粉々に砕けていた。
再生する余地などない。
その命は、完全に消えていた。
「はぁ……はぁ……」
プラードは息を切らしていた。
彼の体も限界だ。
再生能力が傷に追いついていなかった。
出血が止まらない。
その光景を、セーリスクは茫然とみていた。
「……あ……」
思考が働かない。
脳味噌がから回っているような。
精神的な何かが擦り切れたような。
「セーリスクくん」
「ソムニウムさん……」
「戻れ」
視線を地面に向けると。
そこに【彼女】はいた。
「フォル……すまない……僕が未熟だったせいで……」
「……」
フォルトゥナは、息をしていなかった。
その体は、重要な部位が砕けていた。
息もしていない。
助からない。
それは自明だった。
涙はでなかった。
悲しくないからとかそんな単純な理由ではないことは自分が理解していた。
ただ胸が痛くて、酷い吐き気がした。
「……ごめん」
この感情に言葉は追いつかなかった。
ただでたのは、謝罪の言葉だった。
「巻き込んでごめん……」
自分の判断であれば、引き止めることはできたはず。
彼女の言葉に負けたのだ。
あの時共に戦ったとき、何も言えなかった自分がいた。
そのせいで、彼女は死んだのだ。
「……アーテの元へいこう」
「ペトラ?」
ペトラが、プラードの傷を治しながらそう言った。
「プラード。フォルを。その子を運んで」
「……?ああ」
「……どうするつもりだい?君の考えを聞きたい」
「私は意味のないことをしないよ」
「だからこそ理由を問うんだ。ペトラ。君の感情に彼らを付き合わせるわけにはいかない」
ただ感傷に浸るだけならソムニウムは、それに賛同しなかった。
今は時間が惜しい。
保存だけなら、セーリスクの魔法でも何とでもなるはず。
【運べ】と言う具体的な理由が欲しかった。
「……可能性はあるかもしれない」
「……は?」
ペトラから驚きの言葉が聞こえる。
それは、セーリスクにとって衝撃だった。
「アーティオなら……アーテならできるかもしれないんだ」
「……どういうことだ。ペトラ。説明しなさい」
ソムニウムが、強く問いただす。
その言葉は、明らかに焦っていた。
ソムニウムは、ペトラが何を言おうとしているか。
それをわかっているのだ。
理解し、知っているがゆえに問う。
「君は……何を伝えようとしている。ぺトラ」
はっきりと彼女の意思を知るために。
「……僕は決めたんだ」
「なにを」
「私が、新たな【豊穣の女王】となること」
「……くっ」
「僕が、アーテの力を受け継ぐ。その力を、フォルの蘇生に使うんだ」
「できるのか……そんなことが?」
「嫌だな、君は知っているじゃないか」
「……あ」
覚えている。
かつて獣王国で、ペトラに見せられたもの。
ペトラの心臓に存在していたあの謎の存在。
アーティオに由来するそれは、ペトラがアーティオと深い関係であることを示していた。
「……どういうことだ。ペトラ?なぜ君が」
プラードは、その言葉の意図を理解していなかった。
確かに言っていたこの秘密は、プラードですら知りえるものではないということを。
「もう秘密にする理由はないか」
「……っ!」
ペトラは、ボタンをはずしその胸を露出させる。
前と同じだ。
ペトラの胸には、植物でできた何かが絡まっていた。
恐らく心臓の位置だろう。
知識のないセーリスクからみても、その植物が重大な役割を果たしていることを理解できた。
「驚くから、それやめろ」
前回も凄いいきなり露出された気がする。
お前はいいかもしれないが、こっちの心臓にはよくない。
「いいだろ、今更。それに君は二度目だろ。よかったね。セーリスク。こんな美人の胸が二度もみれて」
「うるさいよ」
「は!?」
「お兄ちゃんは黙って」
関係ないとこで、何かが爆発した。
ゴーレムの顔で、凄まれてもただ困る。
「……アーテに関係するということは、なんとなくわかる。だが一体それはなんなのだ」
プラードは、それをじっと観察する。
アーティオに関係するものだということは、彼にも一目でわかった。
だがそれだけしかわからない。
なぜペトラは、こんなものをアーティオから受け取っているのか。
長い間自分にも秘密にされた理由がわからなかったのだ。
「僕は幼少期。一度死んだ。アーティオに救われたんだ」
胸にある異物を、ペトラは優しくなでる。
その顔には、笑顔があった。
大切な慈しむような顔だった。
「僕は、生まれつき心臓が弱くてね。病弱だったんだ。そう。もうそれは可憐でね。大人しい子なんだよ」
「その説明いるか?」
「いるだろ。え???」
「でも、一度死んだ。確かに死んだ」
ソムニウムも口を開く。
「私は、必死になってありとあらゆる手段を探した。妹を助ける方法はないのかと。もう何でもいい。救えるならどんな手段だって試してやるとね」
「……それが」
「ああ。【神血】。女神とまで称された豊穣の女王デア・アーティオさ。もうそれ以外はアンデットしかみつからなかった。きっとアダムに声をかけられていたら私は全力で協力しただろうね。女王もだからこそ助けたのだろう」
成程、やっとつながった。
ペトラが、【マキア】の名を捨てた理由。
機兵大国を捨て、豊穣国で生きることしか彼女の選択はなかったのだ。
「女王は、ある条件をつけた。豊穣国で生きること。魔道具の知識を与えること」
ソムニウムの言葉が重くなる。
「……デア・アーティオに何かがあった場合。その力を継承すること」
「……!」
「もうこの話でわかるだろう。女王デア・アーティオには二つの力がある」
「継承と……蘇生」
「そうだ。蘇生の力は、アンデット化のせいで不可能であることを危惧すべきだ。だがしかし……」
そう、まだ可能性は残されている。
何かがあった場合。
もしも本当に彼女がそこまで言及したのであれば。
アンデット化した場合の考慮をしていないはずがない。
「なにかあった。そういう彼女が、継承できる手段を残さないはずがない。ペトラはそこに可能性を感じているんだ」
「……ふふ」
ペトラは、胸元を隠す。
「僕は、またアーテと会話ができると思っている。彼女を信じているんだ」
「……」
「いこう、みんな。アーテに会いに行くんだ」
ペトラは、歩く。
まっすぐ歩く。
仕えた主が、意志を失っていないことを信じていた。
全員が、ペトラに追従して王城に入る。
プラードが、フォルトゥナの死体を優しく抱く。
しかしセーリスクはそれを止めた。
「プラードさん」
「どうした?」
「僕に……僕に運ばせてください」
「……ああ」
セーリスクのその言葉に、プラードは優しく応じた。
彼の心の中がいまならわかるような気がした。
セーリスクは、フォルの死体を柔らかく抱いた。
ただ一瞬だけ強く力を入れた。
「……いこう。フォル」
重く、鈍重な扉を開ける。
何度も訪れたはずのどの場所は、いつもより暗い気がした。
その部屋は酷く落ち着いていた。
静かに彼女はそこに座っていた。
ただ自分たちを待っていた。
その女性の外見は大きく成長していた。
豊穣の女王デア・アーティオ。
その女性は、外見にして三十より少し下回る程度まで大きく成長していた。
アーティオは黒い衣を纏い、眼を開く。
「待っていた。よかった間に合って」
「アーテなのか……?」
「そうだ……プラード。この姿は、嫌いか?」
「いや……綺麗だ」
「……ふふ。そうかよかった」
アーティオは優しく笑った。
その顔は、綺麗で誰もが見惚れてしまうようなものだった。
外見は大人なのに、笑顔は恋する少女のようなものだった。
「……なにがあったんだ?」
「アンデットの力が抑えきれなかった。恐らく【豊穣】の力と拮抗している。そのせいか年を取ってしまってな。……馬鹿らしいが、喜んでいる」
「……」
「そうか……私は母に似ていたんだな」
「アーテ……」
その顔には、複雑に様々な感情が入り混じっていた。
後悔と、喜びと、哀しみ。
手に入らなかった過去が、彼女の中で一斉に押し寄せていた。
「アーテ……私は……」
「まだ来るな。プラード」
「……あ」
「……ギリギリなんだ。今の私は、アンデットの力と対抗している。このままでは抑えきれない」
「どうすればいい?」
「……ペトラ。こっちに来れるか」
「……うん」
ペトラは、そのままアーティオの元へと歩く。
ただ真っすぐ彼女を見据えた。
「どうすればいい?」
「今から【豊穣】を全て渡す。この国を頼めるか?」
「……もちろんだよ」
ペトラの顔から涙が零れる。
「……ふふ。泣くな。お前は、賢い子だ。でも優しかった。愚かなとこもあったが。そこがまた愛おしかった」
「……アーテ」
アーティオが、ペトラを優しく抱く。
「うぅ……凄い不思議。アーテが私よりでかい」
「当たり前だ。本当であれば、ここまで成長していたんだから」
「……うん、凄い綺麗。こんなきれいな人みたことがない」
「愛しているぞ。ペトラ。お前ならこの国をより幸せにできる。エリーダにもよろしくな。何よりも賢く誰よりも頼りになったと。伝えてくれ……」
「うん」
ペトラの体が激しく揺れる。
ペトラが気を失った。
【豊穣】の継承が完了したのだ。
「ペトラ!」
「ソムニウム・マキアだな」
「……っ」
「ペトラとお主に、大きな迷惑をかけた。この国の資材は、いくらでも使うがいい。……本当にすまなかった」
「……偉大なる女王よ。ペトラは、私が支えます」
「ああ、頼んだ」
アーティオが、ペトラをソムニウムに渡す。
「これで、私の体を維持するものはなにもない。止めを刺してくれ」
「……アーテ……!」
アーティオのその言葉にプラードは激しく動揺する。
「本当に方法はないのか」
「ない。とっとと殺せ」
「なんで……そんなはっきり……」
「よい」
アーティオは、プラードに優しくキスをする。
そして手を握り、眼を見つめる。
ただ一人の女性として、プラードと向き合った。
「貴方を誰よりも愛していました。この数百年の孤独を癒してくれたのは、プラード。貴方だけ」
「……アーテ……」
「もう満たされた。もう苦しいほど幸せになった……終わり方は、悲しいが。これでいい」
「……アーテ……そんなことを言うな」
「貴方も泣くのか……そうだな。愛というのは、こんなにも苦しいものだ」
そんなことを発するアーティオの眼にも涙が浮かんでいた。
「セーリスク。私を殺せるのは、お前の氷剣だけ」
「!」
「私の胸を貫いてくれ。それで全てが終わる」
「わかりました」
セーリスクもなんとなく察していた。
アンデットである以上、再生できない手段が必要だ。
燃やし尽くす業火か。
全てを凍てつく凍結か。
セーリスクは、その手段を持っていた。
「アーテ!待ってくれ!まだ君を……!」
「プラード!」
「!」
「……最後にかっこいい貴方をみせて」
「……ああ……すまない」
プラ―ドは、立ち上がった。
「セーリスクすまないな。最後にそなたにこんなことを頼んでしまって」
「……気にしないでください。僕もあと少しなので」
「……そうか。無理をさせてしまったな」
「いいえ。己の選択に殉じただけです」
「小僧がかっこつけるな。お前は真っすぐ行きすぎた。鋭く折れるほどまっすぐな」
「そんな優れたものではありませんよ」
「そうだな。愚かだ。生き急ぎすぎた。だが、報われるべきだ」
「え?」
「周囲に恵まれたな。お互い。お前は大事にしろ……」
「……あ」
セーリスクが、氷剣を出してアーティオの胸元に向ける途中。
プラードがその肩を掴んでいた。
「私にもやらせてくれ」
「……プラ―ド」
「私がするべきだった。君を救えなかった」
「……そんなことない。私は充分貴方に救われた。その言葉で満足なんだ。プラード」
「……アーテ……アーテ」
プラードの手が凍りつく。
それでも彼は手を離さなかった。
アーティオの胸に、剣が少しずつ刺さっていく。
そこから彼女の体は凍り付く。
「私は、君を忘れない。いつまでもいつまでも愛し続ける」
「……うん、私も」
豊穣の女王デア・アーティオ。
その最後は、愛を知っていた。




