九話「青い空、私は一人で①」
「マール……」
淡い夢から、醒めた後。
イグニスは、あの少女の名前を呼んだ。
薄く目を開ける。
視界は霞んでいた。
しっかりと目を開けた。
自分は、地面の上に転がっていた。
「……ここは?」
イグニスは、転移の魔道具により皆とは別の場所に移動していた。
周囲を見渡した。
「……っ!」
少し頭痛がする。
けど大したものではない。
「大丈夫……」
自分にそう言い聞かせた。
魔道具で、転移させられたところまでは覚えている。
恐らくだが、アダムの作戦だろう。
「あれは、ペトラのものではないんだろう」
ペトラの驚く顔がみえた。
彼女の作成した魔道具ではなかったのだ。
セーリスクたちは、大丈夫だろうか。
「……あ」
一人になったと考えた途端、一気に疲労が押し寄せた。
右足が、立てないほどに震える。
細かく揺れていた。
全身が、痛い。
関節や節々に鈍い痛みが走る。
眼が痙攣している感覚がした。
ひくひくっと、右唇が動く。
「ちぃ……っ」
足で抑えても、その震えは収まらなかった。
「ただの震えだ」
ふとすぐ傍にあるガラスで、自身の顔をみた。
「……ふ」
酷い顔だ。
こんなところまできてしまった。
マールを探し求めて、ここまできたのだ。
あの夢の中の自分は。
こんな顔をしていなかっただろう。
髪もぼさぼさで、肌はくすんで。
その眼はあの頃とまるで違っていた。
マールに何も言えなくなってしまうな。
心の中に、虚しさが残る。
「ははっ……」
何も出ないような笑い。
このまま努力しても、意味はないのではないか。
そんな虚無だった。
そう思うと途端に、脚が鉛に変わったようだった。
ただ君に会いたいだけなのに。
なぜこんなにも苦難は襲う。
「いい気にするな」
涙をぬぐった。
あと少しだ。
あと少しであの子に会える。
そんなことを思えば、こんな疲労だって。
前に進んだ。
「……!」
そこには、アラギが倒れていた。
「大丈夫か!アラギ!」
「……う、ううん?」
アラギは目を覚ました。
転移の衝撃で、気を失っていたようだ。
幼い体であるアラギにとっては負担が大きかったようだ。
「……そこまで移動した気はしない。どこだここは」
王城からそれほど離れているとは思えない。
豊穣国内部なのは、確実だ。
ツタで覆われている。
「おねぇさん?」
「……っ。……意識がはっきりしたか?……水でも飲むかな?」
「うん……」
アラギは頷く。
イグニスも、それに応じて水筒を手渡した。
アラギは、素直にその水を飲んでいく。
じっと、アラギを観察する。
症状はそれほど重くなさそうだ。
体温も異常を感じない。
直ぐに徒歩で移動できるだろう。
自身の体も、触診する。
痛みはない。
意識の混濁も、自覚できるものではない。
外部の精神汚染はないと考えていいだろう。
まぁ、もっとも自覚できないほど悪化していたら意味はないのだが。
「……おかしいな」
なんとなく見慣れて居そうで、やはりどこか違和感がある。
どんな感覚を味わった。
「見たことがあるはずなんだけどなぁ……」
頭のなかで、突っかかったような。
最後の最後が、うまく出ない。
「ツタが多すぎてわからない」
記憶力は、そんな悪いとは思ってないんだけど。
中々思い出せない。
「ま、いいか」
王城という大体の目安は、ついている。
あれだけでかいのだ。
嫌でも目立つ。
「アラギ、動けるか」
「うん、大丈夫」
「そうか、よかった。つらくなったらすぐいえよ。骨折りの元へ向かわなきゃ」
「骨折りさんの……!うん!」
やはりこの子にとって、骨折りの存在は大きいものだ。
骨折りという単語を出したら、明らかに元気になった。
少しその道を歩いた。
「……」
敵の気配を感じない。
気配を消しているからというわけでもなさそうだ。
「アダムの配下が、あの獣人と亜人だけなら話は早いんだが……」
「おねぇさん……」
「どうしたんだい?アラギ」
「また声が聞こえる……」
「声が……?」
神造兵器の時と同じだ。
「【マコト】か!」
アラギに、【アラギ・マコト】の意思が入り込もうとしている。
だが、彼女と話して悪意はないことは知っている。
マコトは、何を伝えようとしているのか。
それが知りたかった。
「……彼女は、なんて言っている?」
「おねぇさんに伝えたいことがあるみたい」
海洋国のように、身体の紋章が青く光っている。
入れ替わりたいのだろう。
イグニス自身も、マコトの話を聞きたいと考えていた。
ちょうどいいタイミングだろう。
アラギに頼む。
「……変わることはできるか。頼む」
「うん……」
アラギから、完全に目の光が消えた。
「……」
そして一瞬で、知性ある瞳に変わる。
これだけで、人格の変容が感じ取れた。
イグニスは、彼女に確認する。
「……【マコト】か?」
「うん、時間がない」
「え?」
彼女は、焦っていた。
「あの子がきた。警戒を」
「!」
その一言で、理解できた。
あの子とは、マールのことだと。
「マール!!!」
振り返ると、その女性はそこに立っていた。
髪は、短く中性的。
ただ鋭い切れ目で、穏やかな雰囲気はなかった。
ただ顔のつくりは、マールそのものだった。
マールをそのまま成長させたような。
綺麗な美しい女性だった。
「あ……」
マールだ。
マールが、すぐ目の前にいる。
その感動で、何も言えなくなった。
姿かたちが変容していても、近しいそれに涙を堪えることはできなかった。
「イグニスさん……あの子は……」
【違う】。
そういいたいんだろう。
肉体の入れ物は、マールでも。
中に入っている魂は、数百年前のアラギと争った半獣だ。
でも違う。
私にとっては、あの子のままなのだ。
「マール……お家に帰ろう。私は、それだけで……」
声を零した。
それしか出なかった。
君と一緒にあの場所に戻りたいんだ。
「……」
あの光景を、また見たいんだよ。
「こっちにこないで」
彼女は、拒否をする。
「……あ……ああ」
心の中をぐさぐさ刺されているような気持ちだ。
マールの顔で、そういったことを言われると酷く胸が痛い。
「イグニスさん、まともに受け止めないで。あの子の顔をみてショックを受ける気持ちはわかるけれど……」
「……ごめん……」
マコトから忠告されてしまった。
なんかこっちも複雑だ。
大人なマールと、大人なアラギ。
実にややこしい。
「なんなの貴方は?」
不愉快そうに、マールはイグニスに尋ねた。
ごくりと息を呑んだ。
ここで伝える言葉を間違えたら、マールと一生会えない。
そんな気がした。
「マール。私は君のことをこの世界で一番大事に思ってる。君を取り戻しにきたんだ。一緒に帰ろう」
「……」
マールは、じっとイグニスの顔を見つめた。
なにか思案しているようすだった。
「そう……不愉快」
突風が、吹き荒れる。
地面が、砕かれた。
だが、イグニスとマコトの二人には命中しなかった。
わざと外したのだ。
自分たちに向けられた不快感。
マールは、イグニスのことを激しく嫌っていた。
「この子のことを大事に思うというくせに。……そんな貴方は。いままでなにをしていたの?」
「……っ」
何も言えない。
彼女の言う通りだ。
今までの時間。
マールを助けようとするなかで、かなりの時間をかけてしまっていた。
中に入っている半獣からすると、そんな感想にもなるだろう。
「イグニスさんは、その子のために頑張ってきたんだ。決して助ける意志がなかったわけじゃあ……」
「マコト」
「!」
半獣は、マコトの名前を呼ぶ。
目の前の少女に入っているのが、数百年前の人物と同一だと理解していたのだ。
「マコト。貴方も人のことをいえるの?」
「……」
「数百年もたって、やっていることがそれ?私と変わらない」
じっと睨み、半獣はマコトを睨みつける。
「私に説教するつもり?この数百年で何を学んだの?」
「はっきり言うけど、君とは違う」
「そう?同じ体を使って。私より悪質に感じるけれど」
「それでも、この子の意思を尊重しているよ」
「言ってなよ」
半獣の魔力が高まる。
筋肉が怒張した。
重心を低くし、太ももを力強く踏ん張る。
「私が勝つことで、アダムは半獣の未来を約束するといった」
「アダムの言うことをまともに受け取るのか?」
「……もちろんやつは信用できない」
マールは、槍を強く握る。
その手は震えていた。
「私は、一度死んだ。もう手段は選んでられない」
その眼は、決意であふれていた。
過去の敗北者。
骨折りたちと同一の歪みを抱えていた。
「【世界の意志】は、働いていないんだよ!?」
「なに?まだ世界の意志を信じているの?あれは、別に願望器ではない」
「!」
別に願望器ではない。
その言葉がやけにひっかかった。
目の前にいるこの彼女は、世界の意志の存在を明確に理解しているのか。
「会話もめんどくさい……っ」
「私は、もう一度君と話したいんだよ。ヴィティス!!」
「貴方が私の名を呼ぶな!!!!」
激昂を、マコトにぶつける。
「もう一遍死になよ!そしたらその頭も柔らかくなるんじゃない!?」
「やめて!」
鋭く槍の一撃が、放たれる。
その閃光は鋭く。
音速に近しい速度を持っていた。
激しい衝撃波と共に、その点はマコトの首元を狙っていた。
「!!」
だが、イグニスはその攻撃を受け止めた。
もういい。
マールの顔でも、こいつは敵だ。
「マコト。下がってろ」
イグニスの眼光が鋭くなる。
明確な敵意を半獣に向けた。
「……っ!ちぃ!」
「こいつは、私が倒すべきなんだ」
覚悟は決まっている。
覚悟が揺らいだ自分が情けない。
マールを奪ったこいつを許すわけにはいかない。
「最初からわかってただろ」
後ろに下がったアラギが、あることをつたえる。
「イグニスさん。この子の体はまだ未成熟。私の能力も、万全には使えない」
それは理解している。
アラギの【拒絶】の能力が目覚めたのも偶然だったのだろう。
なにより、アラギ本体の体が十歳にも満たない子供なのは事実だ。
いくらマコトの意思が入ってるからといって、ここで戦わせるわけにはいかない。
「……ああ。理解している。下がってろ」
元から戦わせるつもりはなかった。
「だけど一度だけ。一度だけ全力で【拒絶】の力を使う。その一度で、マールちゃんを引き戻して」
「……!わかった」
まず、この敵を弱らせること。
それが先だ。
体力が万全の状態で、マールがこの女性に抗えるとは思えない。
勝機は二つ。
ひとつは、マコトの【拒絶】の力。
そして二つ目は。
「なに?貴方から先に死にたいの?」
「……死ぬつもりはない。マールを取り戻すまでな」
「しつこいね。その名前の子は、私が奪った。もう戻ることはない」
「……これをみても、同じことはいえるか?」
イグニスは、剣を取り出した。
紅く、焔のような揺らぎを持つ。
その剣を。
半獣は知っていた。
「その剣は……っ」
「力を貸せ。【フランベルグ】」
「【フランベルグ】!なぜ貴方が持っている!?」
神剣【フランベルグ】。
ミカエルの使っていた剣。
その能力は火炎の発生と、記憶の改ざん。
こいつなら、マールの記憶を再び思い出せる。
機兵大国では、こいつには嫌な思いをさせられた。
自分だって記憶を焼き尽くされたのだから。
だが、今なら利用できる。
マールの記憶を取り戻せるのでは。
そう思いついた。
「私にやったことを、もう一度やってみせろ」
イグニスの周囲から、焔があふれていた。
【フランベルグ】は、イグニスを一時的な主として認めていた。
「【裂空】!!!!」
イグニスがフランベルグを振る。
炎と共に、旋風が巻き起こる。
「……!」
熱風をものともせず、半獣はイグニスに突進する。
その皮膚は焦げ付いていた。
「少しは痛がれよ」
フランベルグの能力を開放する。
半獣の皮膚が、熱線によりさらに刻まれた。
「痛くないこんなの」
剣と槍が交差する。
その場に金属音が響いた。
剣から熱が伝播する。
しかしそのことにも、半獣は動じなかった。
イグニスには当然半獣との戦闘経験はない。
だが理解する。
耐久力が獣人以上であること。
亜人とは別の括りであることを。




