五話「盲目の獣人③」
体の隅々が破壊される音が、脳内に響いた。
フォルトゥナは、既に生命を失っていた。
フォルトゥナが最後に視線を向けていたのは、セーリスクだった。
その眼の光は、悲しく消えた。
「ぅうぅうううう……」
地面を掘る。
強く握る。
爪から血があふれた。
頭の中には、様々な感情が交じり合った。
「……大事なものだったのか?なら、前にだすことなく大事にとっておけばよいものを」
鎖がほどける。
フォルトゥナの身体は、そのまま倒れていった。
四肢は変形し、原型は失われていた。
「くだらない。戦士として未熟すぎる。なぜこんなものをここに連れてきた」
フォルトゥナの顔は、綺麗だった。
眠っている。
そう思えるほどに、綺麗に死んでいた。
「……あ」
思考が失われていく。
抜け落ちて。
なにもなくなった。
心の底が黒く濁っていくような。
「中々いい顔をするじゃないか」
それは、怒りではない。
哀しみでもない。
なにもない。
ただの虚無だ。
表現できないような敵意が、セーリスクの中に溢れた。
「せ……セーリスク」
ペトラは、セーリスクの顔をみて怯える。
小動物のように。
捕食される寸前の顔をしていた。
「……」
いま、自分がどんな顔をしているのか。
わからない。
ただ、根底には芽生えたことのない感情があった。
リリィのときですらこうはならなかった。
でも今は違う。
「それこそ、戦士の相だ。友を失い、仲間を失い。貴様はどのような感情を持つ?」
「は?」
顔がひりつく。
硬直して、張りつくような感覚だ。
頭蓋の奥が、鋭く尖って痛みが止まらない。
吐きそうだ。
「いい」
「……」
「くだらないことを言うなよ」
こいつはなぜこんな理解できないことを語る。
この感覚が不快でたまらなかった。
でも一つ決めたことがある。
「もういい!」
冷気が暴発する。
肩甲骨からは、氷の柱が突出していた。
足元からは、冷気が零れ地面が凍りついていく。
「お前は殺す」
顔の一部が、凍り付いて感覚を失っていた。
眼も、これまで以上に冴えていた。
氷に変換された片腕は、剣と一体化していた。
未来も、今もどうでもいい。
ただこいつを殺したい。
魔力の流れは、さらに活発化していく。
「氷の剣よ!!!」
空中の水分が凝結していく。
氷の剣は、高速で形成されていく。
それは百を超える数だった。
その圧を感じ取っても、獣人は落ち着きをみせた。
「……さっきもいっただろう!お前のあいてをする暇はない!!!」
鎖が、頭上を舞う。
片腕を廻し、鎖が風を斬る。
盲目の獣人は、再び咆哮した。
「【王者の咆哮】!!!!!!」
咆哮の衝撃波が、氷の刃とぶつかりあう。
先を走っていた数十の剣が砕け散った。
だが、ある一言で咆哮は消えた。
「【凍結】せよ」
「っ!!!」
空気が一気に凍りつく。
冷気と咆哮の衝撃波が、ぶつかり合った。
「……なっ」
まるで自分の体のように、魔法は動いた。
世界が、自分とひとつになったかのように脳で描いた通りその魔法は必中していく。
「ぐっ……!」
獣人の体に、氷の刃はぶつかり合う。
万里鎖による防御でも、それは防ぎきれなかった。
腕や、胴に突き刺さり血が零れる。
「凍れ」
突き刺さった氷の剣は、さらに冷気を放出する。
獣人は確かに、自らの動きに鈍りを感じ取る。
この氷の存在そのものが、自らの動きを縛る。
冷気が圧倒的で、それに浸食されているのだ。
「だが……っ。いい!」
盲目の獣人は笑った。
高揚していた。
かつてここまで、魔法と一体化した亜人はいただろうか。
いや、いない。
「命を削り、全てをささげるその姿。お前ほどの強敵はいない」
冷気が、こちらまで押し寄せてくる。
その冷気ですら、この体を凍らせた。
嬉しい誤算だ。
強敵は二人いた。
盲目の獣人は、これまでにないほど感情を高ぶらせていた。
「最高だ!!」
鎖が高速で、放たれた。
セーリスクの腕が鎖とぶつかり弾ける。
胴の一部も、鎖とぶつかり合い出血した。
「っ……」
氷により再び生み出す。
魔力が尽きることさえなければ、この腕は消えない。
失った肉片も、氷により補填していく。
戦えば戦うほど、自らの体が氷に代わっていくことを自覚する。
「ははっ……まるでアンデットだな」
その異様な姿を、盲目の獣人は不死だと表現した。
「お前を殺せるならなんでもいい!」
氷の剣に変容した腕を、盲目の獣人に切りつける。
彼の腕に深く突き刺さった。
「……!!!」
振り払う。
セーリスクも、盲目の獣人から距離をとった。
「【グラキエース】!!!」
「【万里鎖】」
発射された氷の剣は、全て鎖によって弾かれた。
「意味なく攻撃をするな」
「……っ」
「いい眼だ……だが」
視線を別のほうへと向ける。
「お前もそれでいいのか?」
こちらに攻撃を向けている獣王に。
「いいはずがないっ!」
その眼はまだ死んでいなかった。
打撃が走る。
プラードの攻撃が、盲目の獣人の胴体に突き刺さる。
「……!」
攻撃がさらにスピードを上げる。
先ほどとは別物だ。
プラードも同様に覚悟を決めたようだ。
「合わせろ!セーリスクっ!」
「はいっ!!」
二人で、盲目の獣人を襲う。
双方向。
まったく逆の位置。
獣人は鎖を振り回した。
「【周破】!!!!」
辺り一帯の瓦礫が、さらに崩壊する。
しかし彼らはその、鎖の回転から目をそらさず見極めた。
回避。
回避。
回避。
連続する鎖の攻撃。
接近すればするほど、その鎖の勢いは増していった。
だが、それでも二人は前に進んだ。
先に攻撃を繰り出したのは、盲目の獣人だった。
「【波打ち】!!!!」
地面を砕く。
足元が崩れた。
視界が一気に、見えなくなく。
土煙は、周囲の視線を失わせた。
「【星降り】!!!」
次に、彼は鎖を宙に放り投げる。
空中から、鎖は標的関係なしに勢いをつけて落ちる。
上を見た。
回転する鎖と、落下する鎖。
回避はできない。
どちらかは、耐えなくてはいけない。
「くっ……」
腕や、脚。
それぞれの部位に、鎖が貫通した。
「まずはお前だ」
セーリスクの腕に、万里鎖が巻き取られる。
一気に接近させられた。
足元に、氷の盾を作り出す。
しかし獣人の笑みによりそれは無意味だと悟った。
「【撃一打】っ!」
鳩尾に、彼の一撃が当たる。
内臓が崩れるような感覚がした。
「……!」
血を吐く。
体内の内容物がすべてあふれるような気分だ。
吹き飛び、地面に転がる。
鎖は、勢いをつけセーリスクを追った。
「とどめぇ!」
「【ゴーレム】っ……!」
「!」
セーリスクの眼のまえに、ゴーレムが出現した。
ゴーレムは、鎖によって破壊される。
「ちっ……!」
盲目の獣人は、ペトラに殺意を向ける。
「邪魔するなといったは……」
プラードの蹴りが、盲目の獣人の顔面に当たる。
「くっ……」
「よそ見をするな」
盲目の獣人の体が揺れる。
今の攻撃には油断していたようだ。
「なるほど。いい一撃だ。だがまだ!足りん!!!!」
爪を、プラードにたたきつける。
だが、プラードはそれを耐えた。
「足りんなら。いくらでも叩きつけてやる!!!」
握力で、爪を砕いた。
「!」
「【天恵】!!!」
顔面に再び拳による一撃を与えた。
「セーリスクっ!」
ペトラは、即座にセーリスクの元へと向かった。
彼の損傷を回復させるためだ。
しかしそれは無意味だった。
「……え?」
セーリスクの腹には大きな風穴が開いていた。
ペトラは、それを見て固まる。
「嘘だ……ぅ……え?私はまた……ま」
脳が混乱する。
アーティオを失って。
フォルトゥナも死んで。
今度は、セーリスクも。
また失うのか。
喪失感が、心の底からあふれ出す。
また何もできない。
無力さは、ペトラに何度でも叩きつけられた。
自分の無価値さが耐えきれなかった。
「っぃ……ま助けるっ!僕ならっ……できるからっ」
それでもこらえた。
目の前の命を失わないために。
再び失敗しないために。
「……ははっ」
「え?」
そんなペトラをみて、セーリスクは笑っていた。
ペトラには、その現状が理解できなかった。
「な、なんで笑っているんだ!君はっ……君は死ぬんだぞ」
こんな状況から救える手段なんてない。
精々数分間寿命を延ばす程度だ。
だが、それでも彼は嗤っていた。
「……もうさ。人であることは捨てた」
「あ」
腹の穴は埋まっていく。
氷が、中心に集まるように。
肉はない。
血も、零れていない。
その時点で理解すべきだったのだ。
彼は、もうすでに人であることをやめていたことに。
「君は……なんだ?」
「セーリスクだよ。お前の知っているただのセーリスクだよ」
彼は立ち上がった。
砕けた腕を拾い、再び肩につなげる。
肩は氷に変化して、腕と連結した。
「僕は……君も失うのか……?」
「そんなことない。僕が一方的に離れただけだ」
「……同じじゃないか……っ」
なんでだ。
どうしてこうなる。
みんなどうして身勝手に先にいくんだ。
「お前は生きろよ。ペトラ」
「あっ……」
「……まぁ、お前との時間。楽しかったよ」
「いま……そんなこと言うなよぉ……」
行くな。
そう思っても。
言葉がでなかった。
短い期間だった。
楽しい時間だった。
これから先。
それはもっと楽しくなっていくはずだ。
そう思っていたのに。
そんな未来は確実に消えていた。
「やめろ……やめてくれよ……っ」
そんな時、頭にある人物が思い浮かんだ。
彼ならなんとかできるのだろうか。
できるのだろう。
いつでも自分の味方になってくれた彼なら。
そう思い、頼りたかった。
いつも頼れる自分の一番尊敬する人を。
「お兄ちゃん……っ」
涙が零れた。
そしてそれは通じた。
「呼んだかい?ペトラ」
機械の声が、耳元に聞こえる。
それは、既に死んだはずの者の声だった。
「……お、お兄ちゃん……?」
「ああ、君の頼れるお兄ちゃんさ」
「なんで?どうして生きているの?」
「お兄ちゃんだからさ」
その意味の分からない返答に、笑ってしまいそうになる。
「なんだよ……それ。意味わからないよ。お兄ちゃん」
「意味なんてないよ、君の為ならなんでもできる。それだけだよ。お兄ちゃんだからね」
「……まだ意味わからないけど」
涙は止まっていた。
「有難う。来てくれたんだね」
「ああ、君を置いて死ぬなんてありえないよ」




