三十七話「蝗王②」
蝗は圧縮される。
飛来する翼は押しつぶされ、ただ茫然と蝗は死んでいく。
その眼に意志はなく、仲間たちの死を蝗たちはただ見つめた。
その眼は死を理解できていないのだろう。
ただ真っすぐ飛翔を続ける。
ラミエルは、放電を停止しその攻撃を傍観する。
船は継続し、前に進んでいた。
「うわぁ……楽ちんだねぇ」
蝗たちの崩壊は続いていた。
神造兵器の周囲一帯に、何らかの力が働いているようだった。
「……」
「で?あの子はだれなの?教えないってことはないよね。察しはついているけど、答えが聞きたいなぁ」
ラミエルは、骨折りに対して質問をする。
亡霊である女性は、骨折りの親しい人物であるように感じられた。
そして、骨折りの反応も極端だった。
「……お前に」
「いう義理はないって?えーーー?ここまで協力してるのに、それはないでしょ。少なくとも先輩に話せないっていうのは筋は通らないなぁ。先輩もそうだとは思わない?」
「……イグニス。お前は俺を……」
「もうちょっと味方を信じられない?アダムへの執着が強すぎて、周囲がなにもみえてないんじゃないかな」
「……お前にだけは言われたくねぇよ。だが、その通りだ。俺はお前らのことを信じ切れていないのかもな」
「ちょっと開き直るのやめな?」
骨折りは、自己嫌悪を持った。
ずっとだ。
ずっと仲間たちには嘘をついている。
腹の底から、味方を信じられたことなどない。
自分の中にはアダムを殺すことしかない。
ここまで戦った仲間を信じることが本当に自分にはできないのか。
セーリスクの時のように頼むとすらいえないのか。
骨折りはイグニスの方へ顔を向けた。
イグニスの顔にはためらいがあった。
だが、今は聞くべきだ。
しっかりと骨折りの口から。
「……あの人間が現れてから、明らかにフラーグムの回復が進んだ。それにアラギのこの状態は……」
アラギは、気を失い倒れていた。
セーリスクが、それを介抱する。
原因は明白だ。
神造兵器を使用することで、起こした先ほどの現象。
それによって、精神を摩耗したのだ。
「……」
骨折りは言葉に詰まっていた。
どこから話せばいいのか。
そんな躊躇だった。
話さないという意思は、もう彼にはなかった。
だが、先にイグニスはとあることを伝えた。
それは骨折りにとって衝撃をあたえるものであった。
「……お前の時代の【サリエル】……シオンから話を聞いている。話せるなら話してほしい。俺はお前の口からききたい」
「……!!」
「お前もそんな顔をするんだな。正直その顔がみれただけでも満足だよ」
骨折りの表情が一変する。
それは、恐怖なのか。
怒りなのか。
複雑な感情が入り混じった顔だった。
だが、それは一瞬だった。
「……なんで……いやお前だからこそなのか。シオンはお前に縋ったのか……」
骨折りは、納得したような気持ちで頷いた。
シオンは、イグニスに託したのだ。
イグニスを信じ、骨折りになにかを伝えようとしたのだ。
「アーティオからも話は聞いたのか?」
「いや俺は……」
「シオンだけか。セーリスクは?」
「僕はアーティオ様だけです。そのシオンという人物については知りません」
「わかった」
骨折りは状況を理解し、話を続ける。
「別に、アーティオから話を聞いてるだろうなと思った。だから俺の過去を知っていることは驚きはしねぇよ。でもお前は……シオンを知っているんだな。あいつが名前を教えたんだな」
「ああ」
「あいつは、俺に何かを言っていたか?それは恨み言だっただろう?」
自虐するように、骨折りは話す。
しかしイグニスが聞いた言葉はそんなものではない。
むしろ愛の告白に近しいものだった。
「宿命を終わらせてと」
「……」
「骨折り」
その言葉に骨折りの心は激しく動いていた。
それは、目の前の現実全てを覆されたような空虚。
「その言葉の意味は、お前が一番わかるよな」
想像と違う言葉を与えられた骨折りは、混乱していた。
「……あいつは……俺を恨んでいなかったの……か」
「決してそんなことはなかった」
自分があの時あったシオンは、骨折りを恨んでいる様子など一切なかった。
ただ骨折りが救われることを願っていた。
「そうか……そうなのか」
なにかに救われたような顔を、彼はしていた。
懐かしむような表情で、骨折りは笑っていた。
シオンは骨折りにとって、大きな存在だったのだろう。
眼からはわずかに涙が零れていた。
骨折りの顔は、決意のこもったものへと成る。
その言葉は、骨折りの心の中にあった隙間を確かに埋めた。
「さっきの女性。あの人は」
イグニスは、先ほどの人間の女性が誰なのか理解していた。
だが、骨折りは止めるように手のひらをみせる。
「俺から言わせてくれ」
「……わかった」
「あいつは、【アラギ】。お察しの通りだ。人間たちのリーダー。人間の代表として導いていたのがあいつだ」
それは、いまここにいるアラギと同一の名を持つ存在だった。
そしてその説明に納得もした。
少なくとも数百年前の戦いで、なにかしら重要な存在だったことも。
「アラギと名前と容姿が同じなのは?姉妹……ってわけでもないよな」
双子や姉妹。
同じ人だと言えるほど似ている。
まるでそのままアラギを成長させたような姿だった。
「過去の人間たちは、今じゃ再現もできないような技術を持っていた。ソムニウムが研究していたのもそれだ」
ペトラの兄が研究していた分野は、人間たちの過去の遺物。
魔道具や、神造兵器。
今の時代では生み出すことのできない技術の結晶。
アラギは、その技術の一端らしい。
「全く同一の人物を作り出す技術。そんなものがあったらしい」
「……」
人間たちの技術。
それは、現代の人類のものとは一線を画していた。
想像すらできない。
「アラギが、それだ。理屈はわからんが、二人のアラギは同じよう作られた。あいつは、過去の人間を再現した模倣品なんだ。笑えるよな。俺は過去の未練に縋ってアラギを守り続けていたんだ。同じ名前を付けて必死に守ろうとしてただけなんだよ」
「……」
自らを馬鹿にするかのように、骨折りは自嘲する。
記憶を取り戻した今では、過去自分がしていた行動が馬鹿らしく思えたのだろう。
「俺は、過去の戦いでアダムどころかそれ以外のすべてを殺した。だからこの戦いは再び始まった。アダムがこの世界で再び復活したのは俺のせいなんだ。あいつもまたやり直しを望んだんだろうさ」
「……」
それは骨折りの抱えた罪悪感。
彼は、罪を抱えてこの数百年生きてきた。
いや、意図的に忘れていたのだろう。
壊れないように、記憶を無くして。
「だからこそ俺の死に方は決めている。アダムを殺すこと。ただそれだけなんだ」
骨折りは、拳を強く握った。
そこには、多くの想いがこもっていた。
彼にはもうそれしかないのだ。
執念に近しいそれは、ただの願いだった。
ただその願いは、なにものよりも重かった。
「でもお前からシオンの言葉が聞けておれは救われた」
「お前は……」
「お前ならアラギもマールも救える。なんとなくそんな気がするんだ」
骨折りは確かにわらっていた。
それは、嘘偽りではなく本心からの笑顔だと理解できた。
その時、風が大きく揺れた。
「待っていた」
深くその声が響く。
不快感で、耳を抑えた。
大きな白い翼が、周囲に大きく舞う。
その大きな単眼は、イグニス達をじっと見つめた。
「いつの間にここまで近く!?」
気配など感じなかった。
ラミエルの方へ眼を向ける。
ラミエルは、首を横に振る。
彼女でも検知することはできなかったようだ。
それに神造兵器も、そのアンデットには攻撃をしていない。
なにか仕掛けがあるのか。
「君たちを待っていた」
単眼は中央から、四方に割れていく。
その真ん中には、腰布を纏った男が立っていた。
「法王……!」
その眼は、黒曜石のように黒く。
しかし真ん中はトパーズのような透明さを持っていた。
その体は、白く変質した肌だった。
大理石のように造形物のような白さだった。
異形の体となって、彼はこちらに会話をする。
「神造兵器。私の代で、確認できたのは幸運だった。そして人間の子。先ほどのような現象は何度も起こせるのか?」
ギョロギョロと、彼の周囲には目だけが何個も浮いていた。
白い翼は、法王の背中へと収納されていく。
「法王様。なぜこのようなことをしたのですか」
ミカエルが法王に問う。
彼女にとっても法王がこのような行動を起こしたことは想定外だった。
アダムと手を組むのはまだいい。
だが、アンデットへと変化すればそれはアダムの管理下にあるも同然だ。
「もうこの世界は限界だ」
「え?」
「限界なのだよ。これ以上耐えきれない」
法王の返した答えは、ミカエルにとって意表を突くものだった。
「この先、獣人は必ず魔法に適用し【半獣】となる。亜人の滅びは、いずれ絶対に来る。人間たちと同じように。人間たちを滅ぼした代償が来るのだよ」
「……」
「私のこの策は、亜人という種族の滅亡を防ぐものだ。どうか邪魔しないでほしい」
それは亜人のこの先を憂うものであった。
だが、骨折りはそれに対して文句を返す。
「それがどうして、アンデットと一体化することなんだ?」
「例外があるじゃないか」
法王は、骨折りに対して指をさした。
その唯一の例外。
法王は、それに対して希望を持っていた。
「アンデットを恨む意志によって作られた【天使】達。即ち【天使】はアンデットを浄化させる能力を持つ。相反するそれを両立させたのは、誰だ?」
「……」
「過去の【ミカエル】よ」
かつて、彼はアンデットの力を無理やりわが物とした。
その過程は、意外な場所に変化をもたらしていた。
「体内には、過去の形跡が残存しているはずだ。だからこそ、ここで出会えたのは喜ばしい。私の目的には、お前が必要なのだよ」
「俺の死体が……だろ。だからアダムと手を組んだってことか」
アンデットと天使の二つの能力。
それを組み合わせるのには、【世界の意志】が必要だった。
それはアダムですら、制御できない巨大なものだ。
だからこそ、法王は骨折りを理解することを望んだ。
正確にいえば、骨折りの死体をだが。
「それに例外ならもうひとつある」
「あ?」
「【豊穣の女神】デア・アーティオ。彼女の魔法こそ、限界を超えたものだろう」
「!」
その言葉に、セーリスクが反応をする。
彼は、話を聞いた。
アーティオから直接。
人間が豊穣そのものを操るほどの力。
もし亜人も同じことができるようになるのであれば。
それは、半獣とまた別の種族を生み出すのではないか。
彼は豊穣の力そのものを自らのものにしようとしてるのだ。
「無理だ!そんなこと!」
「試してみればいい」
「……どうする気だ?」
「奪う。跡形もなく。全て私の力にする」
「できると思うのか?」
「アダムと共にならばな。そしてこの力なら」
蝗たちが再び溢れ出る。
無限のように感じるそれは、アーティオと同じものを感じた。
「これをみても、同じことはいえるか?」
法王は、手を差し出す。
かつて部下として仲間だった天使たちに向けて。
「我が愛しき【天使】たちよ。力を貸してくれ。この世界を共に変えよう」
その姿には神々しさがあった。
世界を変えるような神聖さがあった。
民衆を導くようなその光に。
ミカエルは、逆らった。
「貴方を止める。それが私の……【第一位】としての覚悟です」
「そうか、他は?」
イグニスと、ラミエルも否定する。
「理解した」
真顔で、その返答を受け止める。
そこには、哀しみや驚きという感情はなかった。
ただ淡々と、敵を消そうとしていた。
「ならば……全霊で叩き潰す」
「くるぞ」
法王との戦いが始まった。
蝗たちは、神造兵器の周囲に纏わりつくように飛来する。
「【アラギ】!」
神造兵器がそれに呼応する。
蝗たちは圧縮された。
「効果は消えてない!法王だけだ!」
先ほど、法王には通じなかった。
だが、効果はまだ継続しているようだ。
「蝗には通じる!俺たちは本体をたたくぞ!」
蝗が通じない以上、法王もこちらに接近する必要がある。
魔法での打ち合いは、お互いにメリットがない。
法王は、蝗を無駄に消費する。
こちらも、蝗による盾で防がれてしまう。
接近戦で、ケリをつける。
そのために必要なのは自由に動くことのできる空間だ。
「セーリスク!足場を作れ!」
「はい!」
セーリスクは、骨折りの指示に従い即座に船を降りる。
「セーリスク!?」
セーリスクのその突如の行動にイグニスは戸惑いを示す。
イグニスは、これ以上彼が戦うことは望んでいなかった。
だが、それでも彼は前に進み戦いを選んだ。
「僕は大丈夫です!イグニスさん!その二人をお願いします!」
空中で、氷の装備を纏う。
戦闘は連続して行われている。
だが、魔力は底をついていない。
まだいける。
セーリスクの眼には戦意は消えて居ない。
「ラミエル!イグニス!アラギがやられたらおしまいだ!」
「っ!」
「先輩!前でちゃだめだって!私と一緒にいよ!」
「怪我したフラーグムを守る形で神造兵器の中に居ろ!」
神造兵器がアラギに呼応している以上、アラギに損傷を与えるわけにはいかない。
そしてフラーグムの回復にはイグニスが必要だ。
蝗の攻撃に備えて、二人で防御を固めるべきだ。
「ほう、天使ではないのか」
セーリスクを視認し、法王は関心を持つ。
自傷するほどにあふれる魔力。
冷気はこちらまで押し寄せてくる。
この距離ですら、背中に悪寒が走る。
「蝗は無駄だな」
彼相手に、蝗を飛ばしても周囲の冷気で即座に冷却される。
相手の出方を待った方がよさそうだと法王は判断する。
「凍れ……っ!」
海に対して、一気に冷気を放出する。
周囲に広がる海は、凍り付いた。
その場所に、海氷による足場が形成された。
「時期と場所が違えば、天使第二位の素質はあったな。もうその意味はないが」
その才能に、かつての法王国第二位達を想起する。
攻撃性でいけば、リリィを超えているだろう。
それは暴走に近いものだった。
「俺らもいくぞ!」
「はい」
骨折りとミカエルもその場に降りる。
海氷の足場は、厚く安定感があった。
ミカエルは、その氷をみて驚きを持つ。
「ここまでの魔力どうやって……」
セーリスクが天使ではないことに驚きを持つ。
通常の亜人では、これだけの魔法をうみだすことは不可能に近い。
「よう、きたぜ。法王」
骨折りが剣を構える。
ミカエルも同様に、空中に業火の剣を待機させる。
セーリスクは、足場の維持と同時に敵の障壁となる魔法の発動を開始する。
「かつての天使第一位、そして現在の第一位。そして新たな奇才。三者三様。私の憂いは、不要だったのかもしれないな」
「……」
「だが、もう後悔はしない。私は、私だけは先を見続ける」
そこには信念があった。
一人の人物として、何かに賭けている。
そんな強固な思考があった。




