三十五話「末路」
遠い遠い夢を見た。
それはどこかで見たことのあるような海であった。
波の音が聞こえる。
微かに聞こえる潮騒は穏やかで、心を癒した。
波は砂とぶつかり、白く泡立っていく。
砂を、歩いていくと地面は少し沈んだ。
湿気が足を包む。
淡紅色の花たちは、自分をどこかへ導くかのように立っている。
白い砂浜を、少女は駆けた。
欠けている思い出を取り戻すように。
自分の心が大事に抱えている何かに触れるために。
その花は、ラッパのようにかわいらしく咲いていた。
まるで天に演奏するかのように、その花は綺麗に咲いていた。
その花のすぐそばに彼女はいた。
女性の眼は、深い海のように綺麗に輝いていた。
その眼の瞳孔は、星のように光を持っていた。
潮風に吹かれ、女性の金の髪は揺れている。
少女はその光景をみて、おとぎ話のような人魚は彼女のことをいうのだろう。
そう思った。
女性は、脚で水を子供のようにぴちゃぴちゃと蹴って遊んでいた。
「リリィ?」
イチゴのように頬を紅くした少女は、親友と出会った。
ウリエルは、剣を振る。
怒りのままに。
殺意を込めて、敵に向ける。
「サリエルぅ!」
かつて仲間だったはずの誰かに向けて。
熱をもった刃が、空を駆る。
ノーフェイスは、サリエルの姿に変化し魔法を行使する。
その顔の一部は、蝗へと変異していた。
それは異形の姿だった。
「もうとっくに聞いているんだろう。俺はサリエルじゃない!」
手のひらに、焔と暴風を纏う。
「【デュオ・アニマ】!!!」
熱風が、ウリエルを覆う。
「お前の力も俺のものにしてやるよ!」
歪な笑顔で、彼は嗤う。
ウリエルはその熱風を剣によって割く。
ウリエルの皮膚は、焼けていた。
「……っ!」
火力が強い。
サリエルであったときより、威力が上がっている。
ラグエルを襲ったときもそうだ。
あれほどの速度は持っていなかった。
警戒心が蝗たちに向いていたとはいえ、七位やイグニスが気づけないのはおかしい。
彼の身体的能力が異常なほど上昇しているのだ。
「あははぁ……いいだろぉ。これ」
彼は、強く顔を掻く。
そこからは血が零れていた。
そして修復していく。
その姿は率直に気持ち悪かった。
「案外なれると気持ちがいいもんだよ」
腕も、虫のように変異している。
爪は鋭く、獣のようだ。
「月輪ルナ」
その腕で、サリエルの国宝級を操る。
「強制開放」
【月輪ルナ】の能力が開放される。
無数の斬撃。
視認できないほどの、数多の残影が宙を舞う。
だがその攻略法をウリエルは知っていた。
「あれ?」
その中央へ、ウリエルは飛び込んでいく。
ウリエルは、その国宝級の対処法を知っていた。
「そうか、当然だよな。お前は知っているのか」
「……っ」
「そんなに深い仲だったのに……俺には気づけなかっただなんてとんだお笑いだなぁ!第四位!!」
「……!!!!」
サリエルの腕は、獣のような剛腕に変化していく。
怒りで動きが鈍った。
その一瞬の隙を突かれた。
胴体が、その拳で撃たれる。
鎧が砕ける音がした。
「ぐっふぅ……」
内臓まで衝撃が走る。
体が弾き飛ばされた。
翼での制御は、間に合わない。
空中で、胴体が暴れる。
「まだ【月輪】の攻撃は終わっていないぞ!!!お前に耐えきれるか!?」
月輪の斬撃が、全身を切り刻む。
鎧が瓦解していく。
甲高い金属音が、その空に広がっていく。
鎧がひとつひとつ、海へと落下していく。
「……」
全身のあらゆるところから血が零れた。
額からあふれた血が目に入る。
視界が赤くなる。
ノーフェイスは、笑みを広げる。
「諦めろよ。俺の一部となれ、ウリエル」
圧勝だ。
そう思った。
ウリエルと、ラグエルの力を手に入れ。
自分はより強くなる。
そして。
「まだだ……」
「あ?」
「託された……許された……気づけなかった……!!!」
この戦いを託された。
海洋国を襲ったことを許された。
サリエルがとっくの昔に別人であることに気が付けなけなかった。
なにより自分が一番許せないのは。
「そして……彼女を傷つけたお前を絶対に許しはしない……!」
愛する愛しい存在を傷つけたお前を許せない。
情けない。
己が一番許せない。
このまま引き下がれるか。
このまま愚かにも負けていられるか。
愚かで惨めな、馬鹿な俺にはなれない。
歯を食いしばる。
ここで耐えねば、俺の生涯の価値などどこにもない。
ここに勝つことで、俺のいままで生きた価値は生まれる。
「勝負だ。ここで、お前を殺す」
何年も降り続けた相棒を、強く握り敵を見据える。
ノーフェイスの表情が変わる。
「ああ、お前らはなぜそんなに気高くいられる」
「……」
「お前らはな。世界に愛されている。常人では手に入らない強さ、立場、全てを持っているんだ。この世界でお前らに勝る強さを持つものなど数少ないだろう。アダムの強さを知っている俺が保証するよ」
彼の周囲に、黒い魔力が舞う。
「でも、だから、だからこそ。俺はそんなお前らが憎くて憎くってたまらない」
世界の意志は、彼にも力を貸していた。
それは、百の貌を持つ男。
「だから俺が奪うのも当然だろう!!!!」
「狂人の戯言に付き合うつもりはない」
ノーフェイスが熱風を放つ。
ウリエルはそれを回避した。
魔法の一撃も喰らうことはできない。
今の自分では耐えきれることはできない。
なにより一番懸念すべきは、【終末笛】の一撃。
彼が他者の国宝級を扱うことができるのなら、それだけで決着は決まる。
ウリエルの身体は破壊され、戦闘は不可能に近くなる。
「【罰剣】!!」
ウリエルの体が炎に包まれる。
高速の剣を、ノーフェイスの胴体に切りつける。
「……ふっ……」
しかしその斬撃はいとも簡単に無効化された。
斬ったはずの胴体は即座に、再生を続けていた。
「なぁ、俺の今の姿を見てどう思う?」
「……」
「とっくの昔に、元の自分など失った。誇れる自分などどこにもない。過去も、自分もないそれが俺なんだ。ノーフェイスなんだ」
それはアンデットのようであった。
他者の姿に成り代わり、その他者の姿すら歪に変えるその姿。
こいつを人といえるのか。
怪物に近しい在り様であった。
「サリエルはどうなったと思う?」
「……どうした」
ノーフェイスは喜々として、その過程を話す。
まるで勲章を誇るかのように、ウリエルにその体を見せた。
「後ろからずぶぅううと刺したさ。拘束の魔眼を扱うやつとまともにやり合う理由はない。助けて助けて縋ったらあいつはいとも簡単に後ろをみせた」
途中で、知らない女性の顔に変化をしながらサリエルを語る。
そのしぐさに対し、苛立ちが募る。
だが、ウリエルはそれを抑えた。
「サリエルを狙った理由はなんだ」
「なぁ?お前ら気が付けなかったんだよなぁ?今更そんなこときにしてどうすんだ?謝るのか?いいぜ?謝りな?その相手ぐらいにはなってやるぜ?」
「……」
「黙るの?つまんね」
「信じていたんだ。彼は私の親友だった。変化があったのも、何かしらの理由があるのだろうと。触れず。……信じて関わっていなかった」
「言いわけお疲れ様。残念ながらーー。あいつはどこかの土に、還ってる。探してみたら骨のひとつぐらいはみつかるかもね」
「言いわけなのは、理解している。果たすべき責務を私はなにも全うできていない。だからいま、ここでその罪を濯ぐ」
躊躇する理由はない。
こいつは断罪するべき悪だ。
そう理解できた。
「ここから私がするのは、天使としての立場ではない。たんなる私刑だ」
「そう?」
ノーフェイスの腕が、固く硬質化していく。
「なら、付き合ってやるよ」
拳によって、剣が払われた。
固い。
罰剣の一撃が通らない。
獣人の体毛以上だろう。
「それだけじゃない」
炎と風の槍が、ウリエルの足を焼いて貫く。
「……!」
「お前は、俺に勝てるのか」
肩に、鋭く変化した爪が突き刺さる。
それをへし折った。
「舐めるな。この程度できくか」
罰剣が、ノーフェイスの胴体を貫通する。
「それが……」
「終わると思うか」
そのまま、押す。
背から、焔を噴出する。
海に撃ち落とす。
「最大出力だ」
「は?」
「罪を燃やせ!【罰剣】!!!」
高温に変化した剣は、その身を深く燃やす。
海が、蒸発していく。
その場所の水分が全て消えていく。
肉が燃えていく音が、その場に聞こえる。
「……戻れ」
【罰剣】に命じ、手元に剣を手に入れる。
しかし、敵はまだ生きている。
「これでも死なないか」
「あああぅううううううう」
ノーフェイスの身体はより異形に近づいていく。
右腕だけが、獣のような大きさを持ち。
顔の半分は、蝗。
そのほかの身体も混ざり合ったような形をしている。
彼自身が制御しきれていないのだ。
それを補うように身体の再生は続いていく。
「神よ、なぜこれほどまでの試練を彼に与えた」
それは生命といえる形をしていない。
生命を模倣しようともがいているだけだ。
ただ生命を維持しようと苦しんでいるのだ。
これが止めることが自分の試練だということか。
それならば望むところだ。
絶対にイグニス達の元へといかせない。
「罰剣よ。力を貸してくれ」
焔を纏い、剣を振る。
「俺を哀れむな!!そんな目で見るなぁ!!!」
ノーフェイスは腕を振る。
それだけで高速の肉片が、此方に飛来してくる。
罰剣の能力により、それらを熱で溶かす。
更に接近する。
もう迷いはない。
友がよぎることはない。
ノーフェイスの腕を切り落とす。
「ううううう」
更に胴体を斬ろうと剣を振る。
だがもう切ったはずの腕の再生は終わっていた。
腕に弾かれた。
「……っ」
幸い剣での防御は間に合った。
「俺を哀れむな!馬鹿にするな!俺を見下すな!!」
「被害妄想が過ぎるな。付き合いきれん」
ノーフェイスの身体は変形していく。
「また変形か……っ」
その顔は山羊のように、肌は青黒く。
背中には蝙蝠のような漆黒の羽根が、生えていく。
それは、悪意のようだった。
本人の意志すら塗りかえて、その身体は変化を加速させていく。
「……っ!」
その漆黒の羽根を羽ばたかせて、ノーフェイスはウリエルに身体をぶつける。
爪と牙が、ウリエルの剣と重なり合う。
剛腕が、ウリエルの肩に打撃を与える。
「……はっ!?」
肩が外れた。
腕の感覚がなくなる。
半身の力がだらりとぬける。
不味い。
「俺を!!!憐れむなぁ!!!」
その拳は、ウリエルの鳩尾に深く入り込む。
意識が飛ぶ。
「あ……っ……」
全身が貫かれたような衝撃が、走った。
翼は力を失い、海に落ちていく。
大きな衝撃で、水飛沫は宙に浮く。
水面から、敵の顔が見える。
なんだ。
お前は。
何だその顔は。
ああ、腹立たしい。
ウリエルはそう感じる。
怒りと共に、全身の熱が吹き上がる。
純白の翼が大きく炎を上げていく。
意識が消えかけた。
それがなんだ。
耐えればいい。
「……なんだ……?」
周囲の海水を、全て水蒸気に変えていく。
怒りを力に変えろ。
水は、ウリエルの周りから存在しなくなっていく。
「理解してくれと願う感情とは反面に。発するその言葉はなんだ」
「は……」
「全てを突き放し、理解を拒絶したのはお前だろう?」
「やめろ」
「今までの他者のやさしさに感謝するんだな。私はお前のすべてを否定する」
ノーフェイスの爪の一撃が頭上に振る。
ウリエルはそれらすべてを切り落とした。
腹に、剣の一撃を叩き込む。
遥か空に、身体が浮いた。
天使の羽根を全て燃やす。
その火は、空を飛翔するために使われた。
「他者に執着し、おのれを貫くことができなかった時点でお前の負けだ」
罰剣に業火が宿る。
熱を集中させる。
その勢いをただ叩きつける。
「ぐぅぅぅうううう!」
ノーフェイスは、その体でその一撃を受け止めた。
「沈めぇ!!!!」
ウリエルは振り下ろす。
それは、全てを断つ一撃。
ノーフェイスの全身は半分になった。
体を再生しようとした。
燃えて、つながらない。
「……は」
空から、海へ。
海は割れた。
海底へ、その体は落ちていった。
海に飲まれていく。
「……」
ああ、まぶしいな。
なぜこんなに心地よいのだろう。
海の底に沈んでいく。
肉体が崩れていく。
今だけは、恨みも全て忘れることができる。
これで終わることができる。
これで諦めることができた。
「サリエル。仇はとったぞ」




