三十四話「蝗王①」
「で?先輩。これからどうする?」
一番の目標であったミカエルの回収は無事達成できた。
しかしそれは自分にとっての目標だ。
いまここには重要な問題がある。
「法王様を先輩はどうしたい?」
それはアンデットへと変化した法王という問題。
「……」
正直、断言できない。
法王には、恩義はある。
彼の存在は自分にとっても天使たちにとっても大きい。
だが、既にアンデットに変化していた。
助けられる手段があるのなら、助けたい。
それが、イグニスの感想だった。
だがその前に一つ聞くべきことがある。
「ミカエル、ラミエル」
「なに?」
「一つ聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
イグニスの質問は、確認のようなものであった。
「あそこまで変化したアンデットを元に戻したことは?」
「ないですね」
しかしミカエルは、断言する。
そもそもアンデットを元に戻そうとすることが無謀なのだ。
アンデットは、発見次第即座に破壊する。
それが、法王国での決まりでありこの世界の常識だった。
「無理だって先輩。そもそもあそこまでのアンデットは出現したことはない」
「だよな」
「法王様を元に戻したいと思う気持ちはわかります。ですが、もうその猶予はない」
ミカエルは周囲を見渡す。
いまですら、空には多くの蝗が飛んでいる。
今はまだ対処が間に合っているが、時間をかけるほどこちらは疲弊していく。
最終的には、全て食い尽くされるだろう。
「わかってる」
そもそも無理な質問をしたことはわかっている。
元に戻せるのなら、とっくに獣王やシェヘラザードにそれを試している。
アンデット化の解除。
それを手段としてとるのは諦めたほうがいいだろう。
「俺たちでとめよう。これは俺たちの責務だ」
ミカエルとラミエルはその言葉に、頷く。
ただ言葉としての同意はなかった。
「そもそもアンデットとしてここまでの被害をもたらしている。躊躇する理由はない」
「了解。わかったよ」
「はい、私も同意します」
法王を倒すことに関しては、反論はないようだ。
よかった。
「……」
ミカエルは少しなにか言葉に発することをためらっていた。
「どうしたミカエル?」
「いえ……その……」
「思ったことははっきり言った方がいいよー。私がいうのもあれだけど」
ラミエルのことは無視しよう。
「いえ……迷惑をかけてしまって……どうすればいいのか」
ミカエルはとても苦しそうな顔をしていた。
それは、自身の妹ともいえる存在を何度もくるしめてしまった事実。
リリィを殺してしまったという罪悪感。
「私の犯した罪は決して償えるものではない」
正直ここにいるだけでも、心が押しつぶされてしまいそうだった。
「私なんかが言葉を発する価値もないことはわかっています。いまできることは、貴方にひたすら尽くすこと。事態の収拾に尽力すること。そうわかってるのに……わかっているのに」
「……」
「貴方にどう接すればいいのか。わからない」
「今は忘れて」
「え」
ラミエルは、真っすぐそういった。
「そんなことを考える余裕があると思っているの?」
「ラミエル……」
今は、ミカエルを追い詰めたくない。
イグニスはそう思いラミエルを止めようとした。
だけど、彼女の眼はいつもより遥かに真剣さを持っていた。
「あ……」
ミカエルは顔を俯かせる。
事実だった。
当然のことだ。
かつての仲間にそう言われるのも当たり前のことだろう。
ミカエルはそう思った。
「でもさ、貴方はずっと思ってたけど真面目すぎるよ。私は貴方よりずーと長い裏切り者。それも、法王様と手を組んでね」
「それは……貴方たちはアダムの脅威を知っていたのでしょう。だから……裏切るしか方法が……」
「だからなんなの。一番ミカエルが気にしてる先輩の確保作戦にだって進んで協力していた。散々両方の足を引っ張った私のほうが悪質だって」
「……」
ミカエルより、自分の方が悪者だと。
ラミエルはそう主張する。
「でもイグニスは許してくれた。こんな屑の私にも居場所をくれた人なんだ」
彼女は、大きく腕と手を広げる。
ラミエルは笑った。
「先輩のふかーい心に甘えればいいんだよ。真面目に考えるからそうなる。私たちにできることは、もうミカエルがいってるじゃん。ただ尽くす。ただ尽力する。天使としての本懐を全うする。それしかできないし、それしか許されていないんだよ。私たちには」
「……」
「いいじゃん。先輩にだけは、甘えても。そもそも全部アダムのせいだ。私なんかと違って貴方は信じられている。それだけ積み重ねてきた。貴方が心の底から二位の死を望んだなんて誰からも思われてないよ」
「……ラミエル。貴方は……」
「……こんなこと言わせないでよ。私にとっての貴方は、尊敬すべき【天使】の第一位だよ」
ラミエルの言葉を聞いて、ミカエルは涙ぐんでいた。
その言葉を、ラミエルは嫌そうに告げる。
しかしその言葉には照れも入っていた。
きっと彼女の言葉は本心なのだろう。
「ミカエル。俺は、貴方とずっと仲直りしたかった。ずっとお話したかった」
「はい」
先ほど吐いた思いを再び告げる。
しっかりと彼女の胸に届くように。
少しでもミカエルの心を癒すように。
「この先の戦いでリリィが許すかどうかなんて俺にもわからない。でも……戦いが全部終わったらお墓を作ろう。一緒に、償おう」
「わかりました」
ミカエルの眼に、曇りはなかった。
もう大丈夫だ。
きっと、同じことは起こらない。
そう思えた。
「じゃあ、合流しようか」
「合流とは?」
「倒しに行くんだよ。法王様を」
神造兵器バハムートで海を進む。
目標は、ただひとつ。
アンデットへと変化した法王。
蝗の王。
船には既に十分な戦力が乗っていた。
彼らは待っていたのだ。
イグニスがミカエルと共に来ることを。
「仲直りがうまくいったようでなによりだよ」
骨折りは、イグニスに対して話しかける。
「有難う」
「別に感謝されるようなことはしてないぜ。お前のやったことだろ」
そういい、骨折りはイグニスの肩を触る。
「頼りにしてるぜ」
「ああ」
骨折りは、自分が立ち上がることを信じていたのだろう。
絶望から起き上がり、ミカエルと向き合うことを。
「ミカエル様」
「ウリエル……」
ウリエルは、ミカエルと向かい合う。
彼は言葉を選んでいた。
そんな彼にフラーグムは話しかける。
「無理をしなくていいよ。ウリエル」
「フラーグム」
フラーグムは、ミカエルに対して言葉を発する。
それは、辛辣なものであった
「私は、リリィを殺した貴方を絶対に許さない」
「……はい」
その言葉は、鋭かった。
「でも、みんなが貴方を頼りにしている。……これ以上は何も言わない」
「……」
そういい、フラーグムはミカエルの前から去った。
茫然と、ミカエルはフラーグムを見る。
「……彼女は」
「え?」
「彼女は強くなったのですね。私の想像よりずっと」
「はい……」
フラーグムの発した言葉は、当然のものだった。
想像そのままのような。
当然の追求であり、言われるのが当たり前の言葉だった。
だからこそ心に深く突き刺さった。
「私も失礼します」
「ウリエル、少しよろしいですか?」
「はい、なんでしょう」
「貴方は私のことをどう受け止めていますか」
「……」
ウリエルは、その質問に対して少し思案する。
「……貴方の行いは、法王国天使として悪だとは言えない。そう思います。リリィは、第二位は天使の役割を放棄したのですから」
ウリエルは、機兵大国でリリィに対して激怒していた。
それは、天使の役割の放棄という重罪をフラーグムと共に行ったから。
だからこそ、ウリエルはミカエルを問い詰めなかった。
「そして、法王様の指示も神造兵器に関わるものの抹殺。リリィが裏切り者であることを考えれば、貴方の行動は間違っていない。私はそう思います」
それは、【天使】としての回答だった。
組織に反するものを処罰した。
ミカエルの行動は、そういったものであるとウリエルは判断していた。
ウリエルは、それに付け加える。
「貴方がそこまで苦しむほど、思い詰めていたことを私は知らなかった。そのことをわたしは己の恥だと思います」
「貴方には迷惑を……かけましたね」
「いえ、私の役割は第四位であること。常に模範であり、法王国を支える一つの柱であること。迷惑だとは思っていません。いつでも貴方を支えます」
そういい、ウリエルはその場から離れた。
フラーグムを追ったようだった。
「俺もいるよ」
「は……い」
ミカエルは再び涙を流していた。
もっと早く彼らと深く関わればよかった。
もっと深く彼らを知っていれば、また別の未来があったかもしれない。
ミカエルはそう思った。
「イグニス。……貴方にはまた迷惑をかけてしまいますね」
「いいんだよ」
やっと仲直りできたんだ。
迷惑なんて思っていない。
「ミカエル。別に、身内での諍いはお前らで勝手にやってろ。だが、法王に関しては力を貸せよ」
「わかっています。全力であなた方に力を貸すと誓いましょう」
骨折りは、大して気にしてはいないようだ。
まぁ、当たり前だろう。
「対象は?」
「蝗の発生は止まっていない。だが、本体は一切動きがない。魔力の殆どが蝗に使用されていると考えていいだろう」
どうやら、法王は蝗の生成に集中しているようだ。
あれだけの数を生む魔法。
例えアンデットの力があっても、負担は大きいだろう。
「可能性は、二つ。俺たちとの戦闘でその処理ができなくなるか。それとも」
「蝗を生み出してもまだ相手をできる余裕があるか」
「後者なら最悪。ただでさえ、きつい相手が時間制限つきになる」
それはあくまで最悪の想定だ。
「頭の中にいれとけよ。って話だ。別に悲観する必要はない」
骨折りは頭を掻きながらそう言う。
「ウリエルと、ミカエル。この二人は、広範囲の殲滅に適している。そして単騎での性能も上澄みだ。足場が不安定な海上戦でもセーリスクがいればいくらでも足場を作れる」
「……成程」
この場には足手纏いになるような戦力はない。
懸念するべきはアラギのみだ。
「アラギが連れてきてもよかったのか」
骨折りの後ろには、アラギが立っていた。
「……」
「アラギは、神造兵器を理解するためには必要だ。どうしても外せない」
法王との戦闘で、役に立つ瞬間が来るかもしれない。
少なくとも既存の船で蝗の群れをやり過ごすのは無理だ。
「それに、どうせ海洋国も蝗の群れで精いっぱいさ。どこにいようと変わりはない。俺の傍が一番安全だ」
「それもそうだな」
今の海洋国に無事な場所がないというのはその通りだ。
「先輩、みえたよ!」
ラミエルが反応する。
一番索敵に優れているのは彼女だった。
ラミエルの指し示す方角をみた。
「……」
先ほどみた大きな白い蝗たち。
それらが、空を覆うように数多が飛翔していた。
赤い目には、意志は宿っていなかった。
牙は、本能的な恐怖を与えた。
「よし……」
それぞれが、武器に魔力を込める。
戦闘の準備は整っていた。
「覚悟はできているな」
全員が頷いた。
その場にいて、それができていないものはいなかった。
「目標は、蝗のアンデットの討伐!海洋国が滅ぶ前にやるぞ!!」
そう発した瞬間、目の前に白い何かが通った。
「フラーグム……?」
フラーグムが、その場に倒れる。
その腹は、深く抉れていた。
全身が、刃物によって切られていた。
腹はなにかに食い千切られたかのように、無くなっていた。
フラーグムの装備品が、地面に落ちる。
声を上げることなく彼女は船の上に転がった。
蝗と共に敵が飛来する。
アダムの配下。
白い羽を広げ、その天使は翻す。
それは憧憬だった。
自分の人生を数度繰り返しても、たどりつけないものを持つものに嫉妬した。
偽りの自分で、ここに立っている惨めな自分が嫌だった。
だから奪ってやる。
殺して、その革を剝いでやる。
そしてそれを被るんだ。
「はははっあああ」
狂乱し、彼は狂い舞う。
蝗たちの鳴き声は、甲高く悲鳴のように聞こえた。
「サリエル……っ!!!」
蝗と同化したような顔を持った彼はこちらに飛んでくる。
「やった!!やっと手に入れた!これは俺のものだぁ!!!」
彼は、【終末笛】をその手に持っていた。
こちらの最大の切り札を奪われた。
これで強制的な打ち消しという強い手札はなくなった。
「このタイミングか……!」
法王を相手している今、サリエルの相手をする余裕はない。
戦力が不足している。
いま、この場面で誰を出すべきか。
そう思案した一瞬。
直ぐに彼がでた。
「サリエルぅぅう!!!」
ウリエルが激怒の声を上げる。
その顔は、怒りによって酷く歪んでいた。
全員がその声に怯みとめることはできなかった。
「ウリエル!」
「いくなイグニス!!!」
イグニスは、ウリエルを追おうとしていた。
それは悪手だ。
いま、彼女とウリエルの二人が消えるのは痛い。
「……っ」
イグニスもそれは理解している。
即座に足を止めた。
「お前はあいつの実力をわかってるだろ。信じてやれ」
ウリエルとサリエル。
天使同士の戦いが空中で始まった。




