三十二話「虚空の再来」
セーリスクは、戦場へと足を運んでいた。
大地を踏みしめ、前に前に進む。
その先は、蝗たちに阻まれていた。
「【グラキエース】!!!」
空中の水分を凝結させる。
その固定された氷は、剣へと形を成していく。
「【ラミーナ】!!!」
そして一気に放出する。
十数本の剣は、敵に命中していく。
白い蝗たちは、地面に落ちその姿を消滅させていく。
「……」
氷の義腕へと変化した自らの左腕を凝視する。
違和感がない。
ただそれが違和感だった。
恐ろしいほどに自分に馴染んでいる。
それは元々、自分の一部だったかのように体が拒否していない。
「魔法……そのものに……」
それは骨折りの発した言葉だった。
いままでも、魔法を学ぶ機会は幾度もあった。
一番記憶に残っているものは、リリィの魔法だった。
「どうすればいいんだ。これ以上。この先に……」
彼女の魔法のイメージは、今でも脳内に鮮明に残っている。
機兵大国と海洋国の戦い。
彼女の戦い方を自分は忘れることはないだろう。
「リリィさん……」
当然、彼女が死んでしまったことは悲しい。
胸のどこかに、空白ができたようなそんな気持ちだ。
でもきっと自分はそれを心から悲しむことはできない。
あの場所が、あの時間が幸福だと感じても。
僕は心から苦しむことはできない。
自分は彼女が死んだことに哀しんでいるんじゃない。
悲しむことができていないことを苦しんでいる。
薄情だな、お前は。
結局は他人の目を気にしているだけじゃないか。
「どうしました?セーリスクさん」
「大丈夫だよ、フォル」
後ろでは、フォルが蝗の敵襲に備えていた。
獣王国からの援軍。
フォルトゥナは、それに加わっていた。
「頼りにしているよ。フォル」
そう彼に笑いかける。
しかし、いつもと違うことにフォルトゥナは気づいたようであった。
「あ……」
「?」
「リリィさんのこと……聞きました。でも自分のことを責めないでください……戦胃の中では仕方のないことです……」
「……有難う」
違うんだ。
そう言えない自分が、酷く気持ちわるかった。
なにを今更、善人ぶっているんだ。
「……それでずっと聞きたかったんです」
「ん?」
「その腕はどうしたんですか?」
「……あ」
どう誤魔化したものか。
流石に自分の命が残り僅かだなんて言うわけにもいかない。
知っているのは、神造兵器の中にいた人物だけだ。
彼にその事実をつたえることはできない。
言葉は足りないが、聞かれていることだけ答えよう。
「……強い敵がいて。そいつに……取られちゃったんだ」
そう答えるしかない。
ないものはないのだから。
部位の欠損は気になるだろうけど、誤魔化すしか方法はないだろう。
「でも気にしないでくれ。全然腕は動くからさ」
そういって、セーリスクは腕を何度も回す。
彼に、腕は心配することはないと。
そう伝える気持ちで、動かした。
「……」
その返答に、フォルトゥナはショックを受けたような顔をしていた。
「……貴方は……気にしていないんですね」
「……え」
彼の表情が徐々に変わる。
セーリスクにとっては、それは予想外だった。
「貴方はどれだけの人を、悲しませるんですか」
それは苦々しい顔だった。
セーリスクのことを理解しきれない。
彼の顔からはそんなことが読み取れた。
「どうしたんだ?フォ……」
「なんでもっと自分のことを大事にしない」
「あ……」
「なんで平然としていられるんですか?貴方は腕を丸ごと失ったんですよ!?」
自分は既にズレていた。
気にしないだろう。
そんなことを思っている時点で自分の頭は少しおかしかったのだ。
「ごめんな……フォル」
「謝らないでください」
「……っ」
「謝っても貴方の行動は、きっと変わらない」
フォルトゥナはそう断言する。
セーリスクの眼をじっと見つめて。
その視線に、セーリスクは息を呑んだ。
それは優しさと同時に鋭さを持っていた。
「貴方の眼は、また変わった」
「……あっ」
地面に落ちた砕けたガラスが目にはいる。
そこには、酷く鋭くなった自分の目が映っていた。
そしてそれと同時にとある人物が笑ってこちらをみていた。
ネイキッドだった。
それは当然幻覚だ。
「私はそれがとても悲しい」
だが、その指摘はセーリスクにネイキッドのことを思い出させた。
フォルトゥナの顔に視線を戻す。
「……フォル……」
汗が一粒滲みでていた。
それは、静かに地面に落ちる。
その沈黙は、セーリスクに更なる緊張を与えた。
「僕は間違っているのか。ただ……ただ必死に抗った。ただそれだけなのに……っ。君は僕のことを否定するのか」
いままでの戦いを必死に生き抜いた。
共に歩んできた者たちは、自分よりも戦いを生き抜いた猛者だった。
だからこそそれについていくために、抗った。
お前は間違っていると。
セーリスクは、フォルから責め立てられるような気持ちになった。
「いえ、そんなことはないです」
「え?」
それは想定とは違う言葉だった。
「私は、貴方のことが好きなんです。貴方のその意志を尊敬しています」
「なら……」
それはフォルトゥナの真正面な告白だった。
だが彼は苦しさも吐露する。
「でも。だからこそこれ以上見て居られない」
「っ……」
「今までの戦いで、どれほど傷ついてきましたか?どれほど死にかけましたか。普通だったらその時点でもう前に進めない。貴方は私の憧れです。でも今の姿は……とても励ますことはできない」
右目は、凍り付き変色した。
左腕は、欠損し氷で補っている。
皮膚は雷で火傷し、葉脈のような傷跡が這うように伸びている。
腹には縫った跡が。
他にもまだまだ傷跡がある。
魔法が万能とはいえ、完全に治しきれる治癒能力はない。
前に進めば、進むほど己の体が醜くなる。
そんな自分を、イグニス達は。
何よりライラックはどう思うのだろうか。
共に戦うことのできる仲間だと思っていた。
でもそんな仲間にそう思われるほど、自分の今の姿は見苦しかったのか。
そう思ってしまった。
「違うんだ……フォル。聞いてくれ」
「……いまは、アンデットを倒すことに集中しましょう」
フォルは、剣を構えセーリスクの前に進む。
「大丈夫です。これが終わればまた落ち着いて……」
そんな言葉を発したとき、衝撃と地響きがその場に広がる。
「きゃっ……」
「フォル!下がれ!」
「はいっ」
数歩後ろに下がる。
警戒する。
未知の敵に、武器を構えた。
「……なんだ?」
ぶちっと。
潰れる音がする。
蝗の一部がこちらに飛来した。
その生物の一歩は大地を砕いた。
欠片が、周囲に散らばる。
その生物の鼓動はセーリスクの心臓を強く揺らした。
「はっ……は」
お前は。
お前は。
二度と会えないと思っていた。
そいつは、イグニスとの戦いで死亡したはずだったから。
しかし現実は違う。
彼は目の前で、大地を闊歩する。
空気が震える。
振動が伝播する。
肌の一つ一つが繊細に揺れた。
「お前は……っ」
それは、蜥蜴の獣人。
強い腐臭と、毒の匂いをまき散らし彼は堂々と大地を踏みしめる。
その力強い足は、大地を砕き。
拳は、目の前に見える全てを破壊する。
その牙は、その爪は見るものを威圧する。
「コ・ゾラ!!!なんでお前が!!!」
毒の獣人コ・ゾラ。
かつてイグニスと殺し合いをした獣人が目の前にいた。
しかし目の中にはかつて存在した狂気はなかった。
呑み込まれるような空虚だ。
見ればわかる。
アダムによってアンデット化したのだ。
「毒の蜥蜴……?」
フォルが、警戒心を高める。
コ・ゾラは咆哮する。
それは感情がこもっているのか定かではなかった。
知性もなく、感情もなく。
ただ生物としての叫び。
その叫びで、再び空気は揺れる。
彼はこちらを認識したようだ。
「フォル!!」
「はい!!」
コ・ゾラは、表皮や口から毒の霧を放出する。
前はそんな技を使わなかった。
「!」
知らない。
以前は使う必要がなかったのか。
フォルに指示をだす。
「フォルトゥナ!!風の魔法で、毒を散らしてくれ!」
「了解です!!」
フォルトゥナが、手のひらに風の魔力を展開する。
「絶対吸う……」
そうセーリスクが、忠告しようとした瞬間。
敵の拳は、フォルトゥナの顔前に迫っていた。
「【グラキエース】!!!!」
「……えっ」
氷壁と、拳がぶつかり合う。
氷は砕け、宙に舞う。
砕氷の音は、高くその場に響いていた。
しかしまだ終わっていない。
コ・ゾラはまだフォルトゥナのことを狙っていた。
「下がれ!!」
「はっ」
鼻先に、拳がかする。
風圧で、フォルトゥナの髪が揺れた。
尻尾による追撃。
フォルトゥナの腹部に、コ・ゾラの攻撃が命中する。
「ごふっぅ……」
鳩尾が深く沈む。
歪な骨折音が、耳に響く。
瓦礫に、身体をたたきつけられた。
「フォル!!」
フォルトゥナは立ち上がっていた。
「だ、いじょうぶ……です」
気を遣う余裕はない。
視線を逸らしたその瞬間、コ・ゾラの拳はすぐ後ろに迫っていた。
氷剣で、拳を防ぐ。
その一撃で、剣は折れた。
「くっ……」
後ろに下がり、手元に剣を再び生成する。
しかしそれも再び折られた。
「ちっ……相変わらずの拳だな。嫌になる」
相変わらず破壊力は凄まじい。
でもそれは以前より劣化している。
特に攻撃の精度。
ブレが生じているせいで、威力が低下している。
本来の一撃であれば、先ほどの攻撃でフォルは戦線離脱していたはず。
幸い、フォルトゥナは立ち上がれる程度の体力は残っている。
自分は、目の前のコ・ゾラに集中するべきだ。
「【グラキエース・ラミーナ】」
空中の水分を凝結させる。
そして一気に放出する。
コ・ゾラを含め、その周囲が凍りつく。
その場所に大きな氷塊ができた。
「流石!」
「まだだ!」
氷に閉じ込められたコ・ゾラは即座に氷を砕き外へでる。
それは獣のように。
おおきく息を荒し、氷を踏む。
そこには、かつての武人の姿など欠片もなかった。
「悪趣味だな」
少なくとも見ていて気持ちのいいものではない。
「ケリをつけよう。コ・ゾラ。ここで終わらせる」
コ・ゾラは動きだす。
「っ……!」
「来ます」
強く拳を地面にたたきつける。
地面が砕ける。
岩石や、砂埃が周囲に舞う。
宙に浮いた岩石を、コ・ゾラはその拳で打ち出した。
剣で、それらを切り落とす。
「【ラファーガ】!!」
フォルトゥナが、突風の魔法により岩石を吹き飛ばした。
岩石は、周囲の瓦礫たちにぶつかっていく。
セーリスクは、自身の体の奥底にイメージする。
それは永久の冬。
終わることのない氷や、雪が訪れるような冷気。
血液を凍らせるようなそんな寒さを。
体の中に、展開する。
「全て凍れ!【オムニス・ゲロ】!」
冷気が、コ・ゾラを覆う。
コ・ゾラの表皮は凍っていく。
その鋭さを持った鱗は、先端から氷のように変化していく。
だがコ・ゾラの歩みは止まらない。
獣の叫びをあげ、前に進む。
「隙だらけですよ」
フォルトゥナは、冷気をうけ怯んだコ・ゾラの動きを見逃さない。
「狙い撃つは王の心臓。【オブリーディオ・レウス・コル】」
コ・ゾラの心臓は、フォルトゥナの剣によって貫かれる。
認識阻害の一撃。
防御は不可能だった。
だが、コ・ゾラはまだ止まらない。
腕を振り回し、暴れだす。
「ぐっ……」
「もう充分だ!フォル!!」
「……はい!」
コ・ゾラの周囲に多くの氷剣が出現する。
それは【不可視】の魔法。
解除されその剣は、コ・ゾラの心臓を狙い撃つ。
それはかつての仇敵の技。
フォルトゥナの力を借り、再現する。
「【ギムレス・パシレウス】!!」
だが怪物がそこにいた。
その剣を視認し、コ・ゾラに接近するまで十数センチも距離はなかったはず。
それなのに、意識のないはずの彼は全てに反射をする。
「化け物かよ……」
弾く。
弾く。
氷の剣は、確かに腕や胴体に突き刺さっている。
だが、それはわずか数本。
その殆どを彼は、弾いた。
表皮は、凍り付きた。
胴体や、腕には、氷の剣が突き刺さっている。
アンデットとなった彼の耐久性は、異常そのものであった。
殺すには、肉体そのものを砕くしかない。
ならば。
「もっと……もっと」
氷へと変化した左腕に魔力を集中させる。
彼を確実に倒すにはこれしかない。
冷気を凝縮した左腕で、触れる。
「……」
一歩一歩彼に近づく。
コ・ゾラも、その気配に気が付いたようだ。
セーリスクの左腕に纏わりつく死の気配に。
コ・ゾラは拳を構える。
足を踏み出す度に、彼の間合いに入っていくことを自覚する。
先に攻撃を繰り出したのは、コ・ゾラだった。
その高速の打撃は、視認できるものではなかった。
だが、セーリスクはそれを顔の間際でかわす。
左腕を、彼の胴体にぶつけようとする。
「……っ!」
彼の尾が、セーリスクの顔面に命中した。
セーリスクはその尾を冷気で粉砕する。
だが威力は消えない。
体が宙にうき、少し吹き飛ばされる。
「……はっ……【グラキエース】!!」
氷の刃を、コ・ゾラに射出する。
コ・ゾラはそれらすべてを視認し全て拳で砕いた。
「【骨折り】!!」
氷剣で繰り出したその一撃は、コ・ゾラの丸太のような剛腕により難なく防がれる。
一撃二撃。
コ・ゾラの攻撃により、セーリスクの胴体が激しく揺れる。
「ぐぅ……は」
片腕、必殺の準備は済んでいた。
毒鼓一打。
彼の致命的な一撃が、セーリスクに放たれる寸前。
「彼の邪魔はさせない」
コ・ゾラの首元に、フォルトゥナの刃が突き刺さっていた。
それは明らかな隙だった。
「離れろフォル!!!」
「はいっ」
コ・ゾラの胴体に触れる。
「【オムニス・ゲロ】!!」
全身全霊の冷気。
自らも凍らせるその氷の魔力を前面に開放する。
コ・ゾラは、凍り付いた。
氷像となったそれは、いとも簡単に崩れ落ちる。
「はっ……は」
体が灼ける。
その低温は、セーリスクの体内を再び脅威に脅かす。
コ・ゾラとの戦いによっての緊張感。
セーリスクの体は、より限界に近づいていた。
セーリスクは、地面に座る。
「セーリスクさん!また無理をしてっ」
フォルトゥナは、セーリスクを心配してかけよった。
「大丈夫だ……」
「明らかに大丈夫じゃないじゃないですか」
「ほんとだよ……」
フォルの眼からは、涙が零れていた。
「私はいつでも貴方の後ろで貴方を手伝います。だからもっと見てくださいよ……もっと私のことを……心の中にいれてくださいよ……」
「うん……」
「なんで……幸せになろうとしない?なんで私に幸せを考えさせてくれた貴方が。なんでそれを忘れてるんですか!」
アダムを倒した後の自分が想像できない。
戦いがなくなった後の自分が。
自分が死んだあと、みんながどんな顔するのか。
それを。
それを。
忘れていた。




