二十三話「法王国第三位③」
ラファエルは剣を構える。
敵対する白い髪の亜人。
その姿がミカエルと同様の容姿を持っていることに警戒を強めた。
なぜ自分は、目の前の敵に親近感を抱いている。
なぜ自分は、敵を目の前にして安心感を抱いているのだろう。
そんな疑問を持つ。
しかしそれらすべてを振り払ってこう考える。
とりあえず切ろうと。
剣を振った。
それは再び空を斬る。
骨折りはその風の斬撃を寸前のところでかわした。
「っ……」
相変わらず凄まじい一撃だ。
今のイグニスは、前回の戦いとは違って天使の力を万全の状態で揮っている。
それに加えて自身の体もアンデットとの親和性が高まっている。
再生能力は、限りなく阻害されるだろう。
先ほど手首の再生がうまくいったのは偶然だ。
自分のことをアンデットだとは認識していなかったのだから。
骨折りは、その剣を彼女に向けて大きく振る。
しかしイグニスはそれを受け流した。
そして手のひらに魔法を展開する。
彼女は詠唱する。
突風の魔法を。
「【ラファーガ・ドロール】」
風の槍が骨折りの体を貫く。
鈍痛が体に響く。
それは体に浸透するような痛み。
再生能力は確実に落ちていた。
内臓に穴が開く。
骨折りの動きがわずかに鈍る。
「とどめ!」
「まあ、待てよ」
しかし炎で、体を燃やす。
天使の力によって、再生を阻害されていた箇所は一気に再生を開始した。
剣と剣が交差する。
「くっ」
力では、骨折りの方が勝っていた。
僅かにだが、ラファエルの体は押される・
ラファエルは、自分の体から汗が垂れるのを感じた。
熱気が、神経をひりつかせる。
本能が目の前の敵の脅威を知らせる。
業火は、燃える。
照らす太陽のように。
「この力に気づいたのは偶然だった」
骨折りが、連続で剣を振る。
ラファエルは受けに徹した。
攻撃に回った瞬間自分が、その剣に弾き飛ばされることを理解していたからだ。
「業火の魔法と、それに抗うアンデットの力。二つの力は相反していた」
更に火力が上がる。
熱が吹き上がる。
「だからこそ考えた。俺は自身の肉体を火にくべた」
肉体が灰となり燃えていく。
そして再生が繰り返される。
業火は身を焼き尽くし、そしてそれを燃料としていた。
自身の身が燃えることを恐れず。
そしてその痛みに悶えることもない。
それは狂気に近しかった。
己の肉体を削ることを骨折りは、喜びと感じてた。
「俺は俺の望む力を手に入れた」
それは、骨折りの覚悟そのものであった。
「【裂空】」
「業火よ」
風の刃は、炎に打ち消される。
再び骨折りは、炎の剣を振る。
一撃でも喰らうことはできない。
自分は悶絶し、気を失いことだろう。
ラファエルはそう考える。
「【風穴】!」
剣に風を纏い突きを放つ。
それは、胴体に大きく穴を開ける痛恨の一撃。
骨折りは、それを剣で受け止める。
「無駄だ」
骨折りの増大したその力にイグニスは耐えきれなかった。
一度後ろに下がる。
業火を纏い、骨折りはラファエルに切りかかる。
金属音が響く。
剣をつたい、熱がラファエルを襲う。
「でもお前は違うだろ。お前は戻れるだろ。イグニス」
「なにを……っ」
骨折りは、業火で体を包んだ。
「全力の魔法を撃て!イグニス!!」
「……!」
彼のやっていること言っていることすべてが理解しがたかった。
しかし体はそれに応じる。
魔力を全身に循環させる。
そして魔法を詠唱する。
「突風よ。爆撃よ。全てを壊し全てを晒せ!【ラファーガ・エスプロシオン】!!」
暴風と、爆撃が骨折りに向かう。
風はうねり、空間をえぐり穿つ。
骨折りは、それに真正面から応じた。
自らの命を一つ燃やす。
今はただ全力で、彼女から正々堂々と打ち勝ちたかった。
それで充分だと自分は思っていた。
馬鹿みたいなやりかただ。
だが、自分はそれを実行したかった。
骨折りはそう思う。
業火が、血液のように体に宿る。
そしてそれは全身に巡り。
細胞の一つ一つを燃やし尽くした。
アンデットの肉体はそれに抗う。
そこには歪な一つの力が生まれた。
骨折りはその摂理を利用していた。
それは、この世の理から逸脱した力。
そのすべてを剣に注ぎ力を込める。
彼は叫ぶ。
目の前のすべてを壊すため。
「業火よ!理想よ!我に捧げよ!【イドラ・アドラティオ】!!」
たった剣ひとつで、その嵐のような暴風は消し飛んだ。
骨折りの腕は、膨張し隆起する。
血管が浮き出て、赤くなっていた。
その場にいた骨折り以外の人物は眼を見開く。
目の前の光景を信じることができなくなっていた。
法王国天使という上位の実力者でさえも。
「ははっ……」
ラファエルはこの状況をもはや楽しんでいた。
お互いの最大威力の魔法を放った。
ここから先は、剣技の腕で決める。
お互いそう理解しあったように、真正面から突き進む。
先に一撃をいれたのは、骨折りであった。
業火を振り回し、ラファエルの鳩尾に一撃。
突きを入れる。
「ぐふっ……」
だが即座に、ラファエルは骨折りの腹を斬る。
「!」
二撃、三撃と骨折りの頬を掠める。
お互い技の鋭さは、衰えていなかった。
「お前のにやけ顔がみえるよ。イグニス」
互いの強さに、惹かれていた。
目の前の強者に喜んでいた。
やはりイグニスは変わらない。
彼女の精神には、戦いを楽しむことがある。
剣を振る。
それを躱す。
互いにそれを繰り返しあった。
骨折りの剣技はさらに早まっていく。
ラファエルの剣はさらに鋭くなっていく。
剣と剣は交差する。
炎と風が、周囲に散っていた。
「だが今回も俺の勝ちだ」
「!」
骨折りの業火は未だに消えていなかった。
炎で、ラファエルの剣を弾き飛ばす。
そしてそのまま、剣をラファエルにぶつけた。
彼女は無防備にその剣の一撃の重さを知った。
体が揺れた。
脳が震える。
地面に転がった。
体を一気に起こし、剣を掴もうとする。
しかしそれは遮られた。
「くっ……」
目の前には骨折りが立っていた。
骨折りは、ラファエルの胸倉を力づくで引っ張る。
そして彼女に怒った。
「思い出せ!!イグニス!!お前の在り方を!お前の過去を!」
「やめ……っ」
「うるせぇ!!」
骨折りは彼女に訴えかける。
「お前はイグニス・アービルだ!!!」
脳が激しく揺れる感覚に襲われる。
感情が揺れ動く。
吐き気が止まらない。
視界がぐらぐらと揺れる。
なぜ自分は、目の前の敵にこんなにも心動かされている。
なぜ思い出さなければいけない。
なぜ自分は泣きそうになっている。
「私は……っ」
「お前は誰だ!!」
骨折りは、イグニスの頭を掴んだ。
そして探り当てる。
【フランベルグ】の洗脳の魔法を。
「初めて試すが。うまくいけよ!!」
業火で、魔法を燃やし尽くす。
イグニスの心の中に過去の記憶があふれだす。
最初に思い出したのは、小さな孤児院であった。
「……ここは?」
子供たちが遊んでいる。
茫然と一人で自身はそこに立っていた。
「そうだ……私は……ここで……」
あの子と出会ったんだ。
でも。
「誰と……?」
あの子とは誰だ。
記憶が霞む。
頭を抱えた。
そんなとき、視線を感じた。
その眼は宝石のように、綺麗だった。
しかし、どこかくすんでいる。
寂しさをもった少女が立っていた。
そしてその子には、獣人の耳と尻尾がついていた。
自分と目が合ったとたん、その子はその場から逃げた。
記憶の中に住んでいる子とその子は同じ気がした。
追いかけなければいけない。
そんな気がした。
「待って……」
彼女を追いかけた。
地面が揺れる。
風景が変わっていた。
そこは、孤児院の中であった。
「ラファエル。どうしたの?」
「えっ?」
ミカエルが自分を心配そうにみている。
「……大丈夫です」
「そう……?」
ミカエルは、扉を開ける。
その先には、孤児院の院長と思われる男性と一人の少女がいた。
その少女は先ほど見た女の子であった。
「院長。その子が例の?」
「ええ。半獣の子です。私らでは対処できないので……」
「そうね……」
その女の子は怯えていた。
それは明確な恐怖だ。
しかし、異様であった。
初対面だからという理由ではなかった。
ラファエルは、その少女の異様さに気が付き彼女の服をめくる。
「あ!!おまちくださ」
「ラファエル?」
「……酷い傷……!!」
「そんな……なんてことを」
その男性を問い詰める。
よくもこんな幼い少女に、こんな仕打ちができたものだ。
そう思い、怒りがたぎる。
「お前がやったのか!?」
「いえ!私では決して……!元からそのような怪我が……!治療を依頼する資金もなく……」
こいつが嘘をついていることは一目でわかる。
この孤児院には元々臭い噂があった。
ラファエルはこの時点で院長に強い憎悪を持っていた。
しかしミカエルの放った言葉は、ラファエルの望むものではなかった。
「保留とします」
「え?」
「半獣の扱いは難しい。確認することはできました。一度法王様の指示を仰ぎましょう」
「……でもっ!」
「落ち着いて。ラファエル。大丈夫よ。優しい貴方は、抱え込んでしまうから。私がなんとかするから……ね?」
ミカエルは感情を乱した自身に、冷静になるよう諭す。
しかし院長の方を向き、冷徹な声で彼に指示を下す。
「院長……【保護】を。お願いしますね?何をいいたいのか。わかりますね?」
「……はっ。はい」
「いきましょう。ラファエル。法王様の許可を取らないと」
「……」
そうだ。
このときはじめて、姉という存在に幻滅した。
また周囲の風景が変わる。
日は既に暮れ、夜であった。
森のなか、男性と少女が歩いていた。
しかし少女には首輪がついていた。
「痛い……痛いっ」
地面を引きずるように、少女は男性に連れられていた。
「もっと……もっと早めに!こうするべきだった!」
ただでさえ【天使】に怪しまれていた。
もう自身の足場は形もない。
これ以上、怪しまれることは避けたい。
「どうせ半獣なんて忌み子なんだ!ひとり消えたってかまいやしない!」
声が届かないよう、さらに奥地を目指す。
少女が暴れるが、男性は彼女の腹に蹴りを入れる。
「……っあ」
「あいつらにはお前が逃げたとでもいっておく。心配しなくていい。だから……!!」
石を彼女の頭にぶつけようとする。
その瞬間、背後に何者かが立つ感覚がした。
呼吸をしようとする。
できない。
「はっ……はっ」
油のような汗をかく。
止まらない寒気。
今自分はどこに立っている。
感覚がなくなっている。
それほどまでに背後に立っている人物の殺意は、強かった。
「それで何をするつもりだ?」
「あ……っあああああ。すみませんすみ……」
目前の死そのものに、彼は恐怖する。
逆らってはいけない存在がすぐそばにいた。
「そうか。お前は屑だったな」
腹から血が漏れていく。
既に剣は胴体を貫いていた。
「どうでもいいだろう?お前の生死なんて」
体を引き裂き、その胴体を足で転ばす。
「……」
少女は声も出せなくなっていた。
当然だ。
自身の目の前で人が死んだのだから。
でも、ラファエルは優しい声で彼女に語る。
「……ごめんね。怖い思いをさせちゃったね」
「……」
少女は、怯えていた。
震えが止まらなくなっていた。
だがラファエルはそんな少女を優しく抱いた。
「大丈夫。もう大丈夫。私が守るから。私が守ってあげる。だから私のことを信じてくれる?」
「……う、ん」
「有難う」
白い仮面を投げ捨てた。
仮面が割れる。
満月の光に反射して、その白い欠片は輝いていた。
イグニスが、法王国三位の座を捨てたのはそんな夜だった。
再び場所は変わっていた。
自身の記憶が明瞭になるのを感じる。
思い出しているんだ。
自分は、過去を追体験している。
この場所は、海洋国でマールと住んでいた場所だ。
「大丈夫かい?イグニス」
「……はい」
目の前の老人が自身にそう問う。
そうだ、自分はイグニス。
それが自分の名前だ。
海を見ながら、彼は絵をかいていた。
「アービルさん」
パイプをふかして、落ち着いている。
その口調に心が安らぐ感覚がした。
潮のにおいが、鼻をくすぐる。
この場所が自分は好きだった。
「ならよかった。突然無口になってしまったからね」
安堵したようにその老人は、イグニスに笑みを向ける。
「あの……」
「なんだい?」
「なんで俺にイグニスという名前をつけたんですか?」
自分の名前の由来を、老人に問う。
「……イグニスという名前にはね。火という意味があるんだ」
「火?」
「ああ、人はね。火を求めるんだ。それも燈となる火を」
「燈……」
「誰もが孤独という寒さに震えている。誰もが照らしてくれる火を求めている。私はね……君が誰か照らす火のような人に成れると思っているんだ」
「……俺がそんな人になれますかね」
「なれるさ」
老人は、イグニスの頭を撫でた。
「辛いときでも、誰かのことを思える君は優しい人だ。私には決して歩くことのできない険しい道だ。それでも私は、君ならずっとそのまま歩いていけると思っている」
彼はイグニスに優しく微笑む。
「思い出すんだ。イグニス。君を待っている人が何人もいる」
「え」
こんなこと記憶の中にない。
思い出のなかで、こんなことを聞いた記憶がない。
「辛いことも、苦しいことも、何度も何度も来る。でもそれでも。私は諦めないでほしいと思う。君がその困難を打ち破ることを願っている」
「……」
なんでそんなことをいうんだ。
自分はこの場所にずっといたい。
離れたくない。
もう頑張りたくない。
「俺は……貴方にずっと謝りたくて。話したくて。つらいことも。全部。貴方に伝えたくて。あのときあのまま……」
「大丈夫。私はずっと君たちのことを信じているよ」
彼は手を振る。
「行ってらっしゃい。イグニス」
「……はい」
あれ。
いまここはどこだ。
目を瞑っていたようだ。
声が聞こえる。
「……グ……ニ……」
「あ……」
これは自分の体か。
とても重い。
疲労感を感じる。
「イグニス!」