二十二話「法王国第三位②」
彼女の気配はいつもと違った。
まるで空っぽのように感じた。
存在自体が希薄で、いつもの圧は感じない。
「イグニスさん!」
セーリスクは思わず言葉を漏らす。
それは、彼女に会えた再会の喜びであった。
「イグニス……?」
「……っ」
彼女は自身の名前を憶えていないようすだ。
やはり彼女は、法王国に何かしらの手段を取られた。
これは虚言や嘘の類ではないだろう。
明らかに記憶そのものが消えているような発言だ。
彼女は骨折りのことをじっと見ていた。
「アンデット……?」
骨折りの肉体の再生を確認しているようだ。
失った右手からは、新たに肉体が生えていた。
セーリスクもその光景をみて、眼を見開く。
こうしてみるのは初めてだ。
骨折りがアンデットに近しいものであることは理解していたが、こうして目の前でそれをみると嫌悪感に近しいものが湧いてくる。
「……アラギ下がっていてくれ」
「うん」
「……」
ラミエルが、静かにアラギを狙う。
しかしラファエルはそれをいさめた。
「だめ。……ラミエル。相手は女の子」
「……はい」
アラギへの攻撃はないと考えていいだろう。
ラミエルは、イグニスの言葉には反論することはない。
そしてイグニスも幼い少女を攻撃するようなことはしない。
「ラミエル。イグニスに【フランベルグ】を使ったな」
「……」
「何とか言えよ」
骨折りの問いに、ラミエルは無言だった。
答える気はないらしい。
「フランベルグ?」
セーリスクは骨折りに聞く。
【フランベルグ】とはなんだろうか。
骨折りはそれに答えた。
「……国宝級【神剣フランベルグ】。能力は記憶の改ざん。イグニスの記憶が消えているのはそれが理由だ。所有者は、今のミカエルか」
リリィが話していたことはこれかと納得した。
彼女は【フランベルグ】のことを知っていたのだ。
国法級の能力による洗脳。
どうやって解除するべきか。
いや、確保しなくては話にならない。
「ラミエル。あのアンデットはなに?知り合いなのかな?」
「違うよ。敵だよ」
「……そう。会話をしていたのはなに」
「……」
ラファエルは、いたって冷静にラミエルに質問をする。
過去のことは記憶にない様子だ。
「覚えてないのか?俺たちのことも?」
「ええ……ごめんなさいね。貴方達の記憶は私にはないわ」
彼女はきっぱりと断言する。
口調までまるっきり以前とは違う。
「……ベースは、法王国にいたときの記憶か?」
「別人ですね」
これで理解した。
イグニスは、強制的に過去の記憶に戻されている。
法王国を出てからの数年間。
マールと共にいた時間を失っている。
だが。
その子のことは絶対に覚えてもらわないと困る。
「マールのことも忘れたんですか貴方は!」
マールのことを忘れただなんていわせない。
自分のことはいくら忘れてもそれでいい。
でも彼女は。
マールのことだけは忘れてはいけない。
彼女に問い詰める。
その言葉を聞いたとき、彼女の様子は変化していた。
「……まー……ル……?」
「!」
記憶の違和感が彼女にはある様子だ。
「いや……その言葉は。聞き覚えが……」
彼女は頭を抱える。
脳裏に浮かんだのは、幼い少女の姿。
しかしその姿は、亜人とは違う。
半獣の少女。
その子は、自身におねぇちゃんと笑いかける。
胸が痛い。
苦しい。
自分の記憶を占有するはずの空間がなくなっていた。
白い仮面からは涙が零れていた。
「脳が……痛い。思い出せない……なんで?嫌だ。私はあの子を……」
救わなきゃ。
助けなきゃ。
誰を。
そう自分自身に問いかける。
それでも、心の中にある虚空は何も答えない。
イグニスは、脳の痛みに苦しんでいた。
記憶の齟齬が存在するのだろう。
「……ごめん。ごめんよ。先輩」
後悔をつぶやくように、ラミエルは彼女に言葉を漏らしていた。
骨折りは、舌打ちをする。
「それが、【フランベルグ】の能力だ。お前らが消した記憶がどれだけイグニスによって重要だったか。わかるか?」
「……そんなの!思い知ってるよ!!」
骨折りは、ラミエルに問い詰める。
イグニスにとってその記憶は大事なものだったはずだ。
しかし彼女たちはそれを踏みにじった。
「なら洗脳を解け!!ミカエルはどこだ!!」
「五月蠅い!!」
大声をあげ怒りを向ける骨折りに対し、ラミエルは叫ぶ。
「わかってる!!もうわかってるんだよ!!」
涙を零しながら。
彼女は訴える。
「先輩にとって誰が一番大事か!自分がそれになれないことも!!もうとっくに思い知ってる!!」
「……」
「でもね!法王国には先輩が必要なんだよ!!法王国天使第三位ラファエルが!!これ以上先輩の不在は許されない!アダムがいる以上、先輩をあいつと戦わせるわけにはいかない!これでいいんだ!」
ラミエルは、大声で叫ぶ。
声がかすれるほどに。
おおきく息切れをする。
そして息を吸った。
「私は先輩にとって過去になった。それはわかってる。理解してる。でも諦めきれない。私もみんなも望んでいる。だからこれで……いいんだ。正しいんだ」
セーリスクと、骨折りは剣を握る。
無自覚に力が入った。
なんて身勝手で。
なんて我儘な言い分だ。
「これ以上聞いてられない」
「お前の言い分にはもう飽きてるんだよ」
ラミエルは、言葉を詰まらせた。
彼らの怒りを正当だと認めていたのだ。
「……っ。だからなんだ……!お前には……」
「ラミエル。お前は間違えているよ。それはイグニスの幸せではない」
「……ああ」
「そいつは法王国第三位じゃないんだ。そいつはな。イグニス・アービルだ。わかったら……そいつを渡せ!!」
骨折りは、ラミエルに向かい接近し剣を振る。
「っ!」
しかし、それを阻んだのはラファエルであった。
骨折りの剣と、彼女の剣が重なる。
火花が散った。
「邪魔するな!お前のためだ!」
「駄目だ……この子も守らなきゃ……」
「……ちっ」
それはラファエルの切実な心の漏れであった。
彼女にとっては、ラミエルも守る対象に入っていたのだ。
「せ……んぱい?」
ラミエルはその光景を信じられないように見ていた。
先ほどまで、彼女は乱心だったはず。
それでも、体が動くほどに自分の存在は彼女の心に残っていたのだ。
その事実に猶更心が痛んだ。
「……お前はよぉ!」
イグニスとしての、本心か。
ラミエルという人物をイグニスは好いていた。
彼女の好意に応えることのできない自分を申し訳なく思っていた。
そして言葉に出せなくても、イグニスはラミエルのことを親友だと思っていた。
それは幼い過去の記憶からそう思っていた。
「ごめん……先輩」
ラミエルは罪から涙を零す。
自分の知らないところで、二人には固い絆があるのだろう。
だからこそ、記憶の欠けている現状でもイグニスはラミエルを守る。
骨折りは、ラファエルに対して蹴りをいれる。
骨折りは怒っていた。
彼女の阿保さ加減に。
「くっ!」
「あれこれ背負いすぎた!お前は!」
なぜすべてを守ろうとする。
なぜすべての友を優しく守る。
なぜおまえは、自分を優先しない。
「……何の話……?」
「いいから黙ってろ!」
骨折りは、魔法を詠唱する。
その愚かで愚直な慈悲を。
俺が壊す。
壊してやる。
「全てを破壊せよ!【ぺルド・フランマ】!」
炎が、漏れる。
業火が、燃え盛る。
怒りと共にそれは吐き出された。
「付き合ってもらうぞ!イグニス!俺の怒りに!」
彼の言葉に困惑した。
彼の言葉の意味が全く理解ができなかった。
それでも。
体は勝手に剣を握っていた。
「……」
なんでだろうか。
意味は考えなかった。
「舞いなさい。【風剣】ウェンティ」
ラファエルも自身の持つ剣に、魔力を込めた。
戦わなければいけない。
本能がそう訴えかけていた。
天使の羽が広がる。
しかしそれは漆黒の羽根であった。
ラファエルの周囲に暴風が舞う。
風は、ラファエルの背中を押していた。
「っ!!!」
羽根を開き、風を推進力にして進む。
その剣は、骨折りの剣と再びぶつかり合った。
「はは!お前とはもう一度戦いたかったんだよ!」
炎を纏った剣と、風を舞わせる剣。
二人の周囲には、荒れ狂う炎が散っていた。
その光景をみて、ラミエルは立ち上がる。
愛しのあの人の役に立つため。
彼女は、魔法を放つ。
「先輩……」
しかし、魔法を手のひらに開放した瞬間。
敵意を感じた。
「立ち上がるな。ラミエル」
それは、セーリスクによるものであった。
「……」
獣王国で初めて会ったとき。
彼のことは、雑魚同然だと思っていた。
自身の足元以下の存在。
眼中になかった。
そういった感想が正しいだろう。
しかし今はどうだ。
この短い期間の間で。
彼は何度も戦闘を重ねた。
たとえその強者と渡り合えなくても。
彼はその強者との戦いを生き残ることで経験を蓄積した。
彼は、あと一歩でこちら側に踏み入れようとしているのだ。
「邪魔をするな」
「いやだね……」
正直、ラファエルの戦闘を見ているだけで精いっぱいだ。
でも素直に彼の言うことを聞くのも癪だ。
「先輩が戦うなら、私も戦う。どうせ私には、洗脳の解除なんてできないしね」
「開き直るなよ」
「ははっ」
正直これはただの嫌がらせだ。
アダムの言うことを聞いたから、彼と戦うのではない。
セーリスクという一人の存在に無性に腹が立つ。
だから私は、彼と戦う。
先輩が、骨折りから自分を守った瞬間。
心の中にある自分がどこか救われた。
それは、一ミリにも満たない自分だった。
でも、私は嬉しいと思ってしまった。
彼女の中に自分はいたのだ。
「私は、法王国第七位。【神の雷霆】ラミエル」
雷霆を自身に纏う。
全力からは程遠い。
しかし、今なら。
本気でやれそうだ。
「ここからはアダム配下としてではない。私個人として戦う」
「……!」
ラミエルの顔は、晴れやかでありどこか覚悟を決めたようすだ。
雷の魔法。
その極意は、自身が雷と成ること。
「最後に付き合ってもらうよ」
雷が走る。
「氷よ!!」
氷によって壁を張る。
雷が衝突する。
それは全て弾き飛ばされた。
宙に、氷の欠片は散っていった。
「先輩!」
ラファエルは、骨折りから距離を取りラミエルに傍による。
ラミエルの体力の消耗を考えたからだ。
セーリスクは、魔法を詠唱する。
応剣の能力を使用した。
「氷の剣よ!【グラキエース・ラミーナ】!」
氷の剣は、ラミエルを狙う。
「雷霆よ」
体に雷を纏う。
ラミエルは、宙を舞い旋回しこちらに突進する。
しかしそれを骨折りは、隙だととらえた。
「【ぺルド・フランマ】!」
業火の魔法を、弾として発射する。
火球が、ラミエルを襲う。
「させない」
ラファエルは、骨折りの魔法を一刀両断した。
熱風がこちらまで押し寄せた。
「イグニスさんっ」
自分はここまでつよくなりました。
貴方に一番見てもらいたかった。
セーリスクはそう考える。
だからこそ、セーリスクは彼女にこの魔法をたたきつける。
「姿を現せ氷の王よ!【グラキエース・パシレウス】!」
冷気がその場に広がる。
霜が全身に走った。
「!」
ラファエルは体感する。
この冷気を受けるのは不味い。
そう考えた。
回避しようとする。
しかし、その場には障害物はない。
そしてセーリスクは放つ。
前方数メートル。
「全て凍れ。【オムニス・ゲロ】」
冷気を放出する。
自分の前方がすべて凍り付いた。
しかしラファエルは、魔法を詠唱せずただ立っていた。
「なにを……っ」
「空を裂け」
そして剣を振る。
その流れは、美しく。
そして鋭かった。
「裂空」
空気ごとその場を切り裂く。
ラファエルのその剣は、セーリスクの冷気を断っていた。
「当然か」
思い上がりすぎたようだ。
あの人には、自分の魔法はまだ未熟のようだ。
もう一度ラファエルは剣を振る。
風を切る斬撃。
今度は自分を狙ったものだった。
セーリスクはその攻撃をじっと見据える。
今の自分ならいける。
直感で、タイミングを合わせる。
逃げるな。
打ち勝て。
「【骨折り】!」
応剣フラガにより、ラファエルの風の刃を切り裂く。
骨を折るほどの一撃は、その魔法に打ち勝った。
「!」
今の自分ではイグニスさんには勝てない。
それは理解できる。
しかし彼女の一部である魔法に打ち勝てたのは、なによりも嬉しかった。
「【グラキエース・ラミーナ】!」
氷の剣を両手に握る。
しかしそれでもまだ足りない。
宙に、五本の剣を生成する。
応剣フラガによる魔法の誘導。
能力を開放することにより、七本の剣を操ることに成功していた。
彼は冷気を纏い、氷の装備を身に着けそして、多くの剣を扱う。
数秒ごとにその氷剣は増えていく。
セーリスクは更なる覚醒を遂げる。
それは、イグニスによる憧れからきた妄信であった。
己が憧れに追いつけるという幻想。
だがそれは確実に彼の力に変化していた。
憧れに成れるという意思が、彼を後押ししていた。
その冷気はさらに洗練された。
「それがどうしたぁ!」
ラミエルは、雷を纏いこちらに襲い掛かる。
雷速による攻撃。
それは音を激しく鳴らし、燦然と輝いていた。
セーリスクは臆することなく進む。
先ほどと同じだ。
だが今度は違う。
「それはもう見切った」
たった一本。
それだけで充分であった。
狙いを定め、ラミエルが通過する場所を予測する。
そして放つ。
「氷の刃よ」
その氷剣は発射された。
「なっ!」
ラミエルの雷撃と、氷の剣は衝突し合う。
そして威力は相殺され。
弾ける。
ラミエルは、雷の速度を失った。
セーリスクはそれを見逃さなかった。
ラミエルに接近する。
「来るな!」
電撃を、彼に向けて放つ。
しかしそれは、彼の付近に浮いている剣によって弾かれた。
氷の剣による、全自動の防御。
雷の速度を、その剣は受け止めていた。
渾身の力を、剣に込める。
イメージするのは、ウリエル。
彼の剛剣であった。
二刀の剣は接着し、大剣へと変化する。
そしてたたきつける。
再び彼の技を。
「【骨折り】!!!」
「ぐっ……は」
その剣は、顔面に命中する。
ラミエルは、翼の制御を失う。
地面にたたきつけられた。
血を吐き、ラミエルは地面に這いつくばる。
頭からは、出血していた。
脳震盪を起こす。
ラミエルは、目の前の光景が揺れていることを自覚する。
そして屈辱であった。
万全ではないとはいえ、セーリスクに読み合いで負けたことに。
「くそっ……」
最大限の魔力を振り絞る。
これで魔法をだせるのは最後だ。
しかし、ラファエルはそれをよしとはしなかった。
「もうやめて。ラミエル」
ラファエルは、ラミエルの前に立つ。
彼女は、ラミエルを休ませることを選んだ。
「えっ……」
「大丈夫」
「……うん。わかったよ」
ラミエルも、ラファエルの言葉を優先するようだ。
大人しくその場に座った。
「よくやったな、セーリスク」
ラミエルの魔法は弱っていても厄介だ。
骨折りは、セーリスクがそんな彼女を打倒したことを喜んでいた。
「お前はみていてくれ。こいつは俺が倒す」
「……」
ラファエルと骨折りの戦いが始まる。