十七話「決意」
ウリエルは深く目をつぶった。
彼は決して戦闘を諦めたわけではない。
ただ心を静めるため。
静かに。
淡々と。
目を瞑る。
「……」
剣を強く握る。
怒りが零れる。
それはかみしめた。
決して言葉にしなかった。
深く言葉を飲み込んだ。
彼が何かをこらえているのは、フラーグムにも理解できた。
心がざわついた。
今から彼がどんな言葉を発するのか。
それが想像できなくて怖かった。
だが彼は、フラーグムの想像するようなことは口にはしなかった。
怒りは口にしない。
恨みも持たない。
本心ではないと彼は理解していたから。
自分は彼女を守りたかった。
自分の傍にいてくれれば、いくらでも守ることができる。
なのに、なぜ。
なぜ彼女は外の世界で出ようとする。
なぜ私の傍にいてくれない。
こんなことを考えてしまう自分が苦しかった。
自分の醜いこの本心など。
燃えて消えてしまえばいい。
虚しさだけが心に残る。
「……君とはこんな形で争いたくはなかった。それは本心だ。今さら君の行動の理由など聞きはしない。咎めることも無意味だろう」
「ウリエル……」
「君の覚悟。私にきっと理解することはできない。それは私の未熟さからくるものだ」
「違うよ……君は何モ」
彼の言葉が一つひとつ重くのしかかる。
彼の言葉には思いやりに近しいものがあった。
だが、彼は自身に強制をしなかった。
これからする行動そのものが強制そのものであったから。
「私は、天使第四位【ウリエル】。今からその職務を全うする。第五位【ラグエル】。武器を構えるんだ」
心を殺せ。
彼女の夢を壊す覚悟をしろ。
罰剣に、炎を纏う。
それは、轟々と燃え盛り彼の内面を表しているようであった。
炎が風で揺れる。
彼の体は炎に包まれた。
そして叫ぶ。
「今から戦闘を開始する!目標は、第五位だ!行け!!」
「「はっ!!!」」
法王国の兵士たちが、こちらの船に接近する。
彼らは一様に翼を持っていた。
翼には魔力を纏い飛行を可能としていた。
【天使】とはまた別の機能だ。
天使の羽根は、爆発的に魔力を生み出す炉としての機能を果たしている。
しかし一般的な兵士の羽根は、飛行を能力とする魔道具であった。
彼らは、背中についている魔道具に魔力を込め更に推進する。
「来るぞ!!」
アーガイルが、周囲の人物に呼び掛ける。
船員たちも戦闘の準備は整っていた。
「頭はいねぇ!!俺たちがその分カバーするぞ!!」
「おう!!!」
フエルサが、部下を鼓舞する。
士気は下がっていなかった。
彼らも怯えなど持っていない。
法王国の天使たちが、船に降り立つ。
戦闘が始まった。
真っ先にセーリスクの元へとやってきたのはウリエルであった。
翼による飛行と炎による爆発。
生物に例えることのできない動きであった。
「青年。まずは君からだ」
自分の方が先なのか。
セーリスクはそう考えた。
いや好都合か。
フラーグムでは、ウリエルに勝てない。
アーガイルも彼の能力を考えるなら相性は悪い。
自分が、こいつを倒す。
「こい!!」
「ふっ」
ウリエルは機兵大国の戦闘を深く覚えている。
六位と自分の魔法を真っ向勝負で打ち消した能力。
その底知れなさには恐怖を覚えた。
ウリエルは明確にセーリスクのことを敵だと認識していた。
そして同時にとあることにきがついていた。
それはセーリスク自身が発展途中であること。
彼はまだ進化の途中であることに。
視認して理解した。
機兵大国での戦いから一か月も立っていない。
それなのに、彼の纏う雰囲気がまた変容していることに。
そして本能が脳へ指示をだしていた。
この戦場で真っ先に潰すべきは、【第五位】でもなく【鉄葬】でもない。
死に至るほどの冷気を放つこの青年だと。
「【グラキエース】!!」
氷の刃を、鋭く生成し彼に放つ。
空気の凍る音が耳に響く。
氷の刃が、空を斬る。
霜が点々と宙に浮いていた。
その白い軌跡を断ち切ったのは、火の剣であった。
「【罰剣】!!」
剣の名前を叫ぶ。
炎がさらに燃え上がる。
剣は円を描き、セーリスクの氷の刃を簡単に溶かす。
その温度に、皮膚が焦げるような気持ちがした。
いや実際に皮膚が焦げているのだろう。
「熱い……」
それほどまでに彼の持つ剣は熱を放っていた。
体から零れた汗は即座に蒸発していく。
体のなかの水分が一気に持っていかれそうだ。
「一度経験済みだろう」
「……わかってる」
彼には、氷の刃は通じない。
ならどうするか。
それ以上の冷気で圧倒する。
「なるほど」
周囲の空気が冷えていく。
アーガイルは寒気を感じた。
それは、身体の冷えではない。
死を感じさせるような。
そんな生命の寒さ。
「セーリスク!?」
凍死の魔法。
それは、周囲にいるものの感覚を一瞬だけ奪った。
「氷の王よ!!!」
冷気の塊を自身に纏う。
周囲の熱は、一瞬で消えた。
「【グラキエース・パシレウス】!!」
冷気が全身からほとばしる。
神経が段々と敵にだけ集中していくのを感じ取る。
氷の鎧は、セーリスクに強者としての力を与えていた。
船の一部が凍り付く。
法王国の兵士の足が凍っていた。
周囲を巻き込む形にはなるが、法王国四位に対して出し惜しみはできない。
「……愚直だな。君は」
過去の戦いから理解している。
彼はこの冷気を万全に扱いこなしている。
それは、彼の持っている武器に起因するものだ。
だがそれだけとは思えない。
彼に対しては、自身の【罰剣】で対応可能とはいえ十分に警戒が必要だ。
自分の土の魔法は、彼に通じない。
罰剣に頼り切る形となる。
能力を発動した。
周囲の氷を溶かし、前に進む。
「甘えはない。ここで切る」
彼の剣は振るわれる。
セーリスクも同時に【応剣】を彼の剣にぶつけた。
氷の剣では、能力によって溶かされてしまう。
ここで氷の魔法は使用できない。
剣は重なり合う。
「!」
衝撃は、セーリスクの体に響いていた。
体が一瞬浮いて飛ばされた。
体格の差は数十センチ以上。
体重も十キロ以上の差では収まらないだろう。
体格差負けするのは当然だ。
でもそれでも。
言葉にはださない。
だがこう思った。
重すぎる。
「……」
彼の攻撃は一切やまない。
剣の素早さは当然鋭い。
だがそれ以上にこちらの体の芯を狙ってくる。
一撃一撃が必殺の打感。
その点は、骨折りと似ている。
だが剣の速さに関しては、イグニスに近しい。
彼の剣技は、二人のいいところを取っているようだ。
鋭く、速く。
そして重い。
攻撃が重厚的だ。
自身の感覚を鋭利にとがらせる。
「……っ」
剣を受け止める。
大丈夫だ、応剣フラガが自身に協力しているのを感じる。
直感とフラガの【誘導】。
その二つが組み合わさることにより、通常では成すことのできない防御を可能にしていた。
読み取れ。
彼に狂いはない。
リズムは一定で読みやすい。
自分なら見切ることができるはずだ。
段々と攻撃を見切ることは可能だ。
セーリスクはそう考えた。
「ほう。成程。目がいいだけではないか」
「……」
たった数回。
それだけでもわかった。
この人は、イグニスよりも剣の腕を持っていると。
距離を保ち、彼は語る。
「君の剣の師は……三位ではないな。彼女の剣は感じる。だが、彼女程の繊細さは君には身についていない」
彼はイグニスのことを話していた。
まさに彼の言う通りだ。
自らのイグニスの剣技など身についていない。
彼女の剣により、高みをしった。
だが自分の剣はそれとは違う道をいったようだ。
セーリスクは彼に尋ねる。
「イグニスさんとはどんな関係なんだ?」
「先達……ではわかりにくいか。君たちの感覚でいうなら、尊敬すべき先輩だよ。私は彼女に常に憧れを持っていた」
彼の言葉に虚飾は感じなかった。
皮肉というわけでもなさそうだ。
イグニスは、目の前の彼に実際信頼されていたのだろう。
だからこそ怒りが湧いた。
なぜおまえは彼女の味方ではないのかと。
「成程ね……そんな先輩を洗脳したわけだ」
「……!」
彼は明らかに反応していた。
なにか思うことがある様子だ。
「導く立場として今はどんな気持ちだ?是非教えてくれよ」
「……事実だ。否定はしない。だがそんな暇はあるのか」
応剣が弾き飛ばされる。
手首に強い衝撃を感じた。
「!!」
まずい。
剣だけを狙われた。
自分を守ることだけに必死になりすぎた。
急いでフラガをこちらに呼び寄せる。
「応じろ!!フラ……!」
「技の一部一部をつぎはぎで補っている。君が誰から学び、誰の道筋をたどっているのか。それはしらない。だが君は、それらを纏いすぎた。それ故彼らの本質にまではたどりつけない」
はやい。
応剣をこちらに呼び寄せる前に、接近された。
神経がざわつく。
次の一撃だけは絶対に避けなくては。
氷の壁を急いで生み出そうとする。
「それでは私は勝てないよ」
突如周囲が、炎に覆われた。
視界を防ぐ目的か。
その思考に時間を奪われた。
「氷よ!!!」
冷気で、炎を打ち消す。
後ろへ下がった。
氷の壁を生成し、さらに距離を取る。
「単純さは時に武器となる。強さの押しつけは選択として正しいのだよ」
一撃。
たった一撃。
彼は剣を振り。
氷の壁に大きな穴をあけた。
氷の欠片が、周囲に飛び散る。
そしてその勢いのまま。
セーリスクは弾き飛ばされた。
「セーリスク!!!!」
アーガイルが大声をあげてこちらに近づこうとする。
しかしそれは阻止された。
彼を邪魔する法王国の兵士がいたからだ。
床にたたきつけられた。
そのまま転がり。
頭から出血をしていることを感じ取る。
なんとか持ち直す。
息が乱れる。
疲労感が一気に自身に押し寄せる。
先ほどまで保っていた集中は途切れた。
体が重い。
まるで体力がそのままもっていかれた感覚だ。
氷の壁がなければ胴体が真っ二つにされていた。
そう思ってしまうほどの一撃だった。
「……っ!!」
技量の話ではない。
力技だけでも彼は異常な腕力を持っている。
それは獣人に近しいものだった。
こいつ……マールと同じ半獣なのか。
そう考えてしまうほどに彼の力はすさまじいものであった。
「……すまないな。手加減する猶予はない。三位と親しい仲だったようだが、配慮する気にはならない。彼女はそんな言葉遣いをしないものでな」
「はっ……は」
爆炎がこちらに向かってくる。
彼はさらに追撃を加えようとしていた。
しかしそれは【打ち消される】。
「!」
彼はその動作からぴたりと止まった。
それは強制的なものであった。
彼はその原因を、じっと見つめた。
「セっちゃんをいじめるな!!!」
「……ラグエル」
「……」
涙を零しながら、彼女はウリエルに抵抗していた。
体は震えていた。
「フラーグムさん……」
ウリエルに対して攻撃する。
その覚悟が、フラーグムには決まり切っていなかった。
だが彼女はセーリスクを守るため決心して前にでたのだ。
「……武器を下げろ。ラグエル。君では私の相手はできない」
「……そんなのやってみないとわからない……」
ウリエルは頭を抱えた。
彼もまた苦悩していた。
「……そうだな。やってみないとわからないんだ……でも」
「私強くなったよ?」
声が震える。
ウリエルは、遅く彼女の声に応じる。
まっすぐとこちらを見る彼女の眼に耐えられなかった。
自分たちが何に与しているのか。
ウリエルは、知っていた。
自分たちの過ちも。
法王国はこれからなにを為そうとしているのかも。
「……うん」
「君がいなくても……」
「うん……」
「私一人でも大丈夫だからさ……」
「…………ああ」
「ウリエルお願い。私の……こと……信じてよ。私頑張ってるんだ。私ひとりで頑張れるから……大丈夫だって言ってよ」
その懇願は、フラーグムの心からの願いであった。
君の言葉さえあれば、私は強くなれた気がするんだ。
君の言葉があれば、君にだって立ち向かえる。
だからこそ言葉を願った。
「もういい……それ以上は言わないでくれ」
「ウリエル……!」
「やめてくれ」
私はもう一人で大丈夫だから。
君の力はいらない。
私は一人で戦い抜く。
かつて隣にいた。
愛する人に。
武器を向ける。
「力を貸して……【ニル】!!!」
武器が震える。
終末の笛は、確かの鼓動していた。
持ち主の心に反応していた。
「!」
フラーグムは笛を吹く。
強く魔力と意思を込め。
目の前の敵に向けた。
「【パーガートリ】!!!」
業火の剣を振る。
その衝撃で腕が震えた。
「ラグ……エル?」
「……」
彼女は涙を零していた。
それには強い意思が宿っていた。
敵であれば、倒す。
そんな強い感情が。
いつから君は、そんな強い目をするようになったんだ。
胸の中の何かが震えた。
その現実に、確かに心が怯えていた。
「君は……っ」
私なんかもういらないのではないか。
胸にあった誇りが消えていく。
失いたくなかった誇りが。
残骸を残して崩れていく。
思わず目を奪われた。
その瞬間。
行動がわずかに止まった。
「【グラキエース・ラミーナ】!!!」
「雷霆よ!!!」