十五話「徒花」
海には水であふれている。
自分であれば、海を渡ることも可能だ。
ここが、中間点。
「彼女は来るかな……」
リリィはとある人物が、来ることを願っていた。
その人物と再び会話することを願っていたからだ。
そう考えているとき、ある人物がこちらに歩みよってきた。
法王国の白装束。
仮面をつけたその人物は、美しい白髪であった。
そしてその容姿を、リリィは何度も近くでみてきた。
いつも隣にいるのは、彼女であった。
「ミカちゃん……来たんだね」
彼女が来ることは、わかりきっていた。
だからこそ、自分はひとりでここを守ることを選んだ。
船の上で、他の皆を守りながら彼女と戦える自信はない。
ここでなら、程よく周囲の水を利用しながら戦える。
守るべき人物もいない。
場は悪くない。
彼女との戦闘を遮るものはないだろう。
「ねぇ……なんで」
「……え?」
ミカエルは、リリィに尋ねる。
それは、心から漏れたような言葉であった。
「……なぜ?貴方はここにいてしまうのですか」
「どういうことだい?」
彼女の言っている意図がわからない。
彼女の声は、普段とは全くの別物だった。
「法王様から、指示がありました」
「なんと?」
「神造兵器に関わるものの抹消」
「……は?戦争でも始める気か?」
「……ええ、そうです。法王様は、この世界の……浄化を……望んでいるそうです」
思わず強く舌打ちをしそうになる。
法王は一体いつからここまで愚かになった。
これ以上他の国を荒らしてみろ。
アダムに漁夫の利を取られるだけだぞ。
「法王様と話をさせろ。ミカちゃん」
「それは無理です……よ」
「君たちは何も思わないのか!?おかしいとは!」
「……思っている。けど……法王様がいうなら……それが正しい」
「ああ、そうかい。君がそこまで馬鹿だなんて思わなかった」
「あ……待って」
ここで、ミカエルが味方にならないのなら今後彼らに期待することは無理だ。
思想の価値観が合わない。
最後までこちらに来ることはないだろう。
「ウリちゃんはどうした」
「五位の確保にいきました」
「……だろうね」
正直これは予想どおりか。
ウリエルが、ラグエルに執着することは予想ずみだ。
彼が少しでもフラーグムに心動かされてくれればとは思うが、それも難しいだろう。
「第二位……なぜです。なぜ私を……私たちを裏切ったのですか?」
またこの話か。
機兵大国で、ケリがついたと思っていた。
「ふん。今さらだろ。イグちゃんにもそうやって同情を誘ったのか?イグちゃんは。三位はどこだ」
「あ……っ」
「?」
その時、場の空気が変わった。
彼女の様子が一変した。
「違うの……違うの」
「……っ?」
リリィは即座に感じ取った。
誰だ。
こいつは。
そこまで思った。
精神の悪化がここまで進んでいたのか。
リリィはそれを理解した。
誰も精神的負担をカバーするものがいなかったのか。
「ラファエルは……ラファエルじゃなかったんだ。私はそんなことすら気が付かないで……」
「ミカちゃん?」
「私はもう疲れたんだ。……もう嫌だ。私はどこで間違えた」
「……どうしたんだい。ミカちゃん」
明らかに様子がおかしい。
彼女に対する違和感がある。
彼女は自身の苦悩を語る。
それは、リリィにとって当然の内容であった。
「ラファエルは前のように戻った。でもそれは彼女の意志じゃない。私が無理やり……私が願ったから彼女はああなったんだ。決して彼女の願望じゃない。そんなことも私は気づかないでずっと。ずっと……」
「……嘆いたって変わらないだろう。歪になったのは君のせいだ」
これで確実に、理解した。
ミカエルは、イグニスのことを洗脳し過去の状態に戻した。
でもそれは、ミカエルの望んだ形ではなかったのだろう。
イグニスは、旅を経たことでいろいろな変化を得ていた。
それを強制的に戻したのだ。
内面に異常が起きていてもおかしくない。
不味い。
セーリスクたちの方にいくべきか。
だが、この状態のミカエルをここに放置できない。
最悪この辺り一面を火にするぞ。
「どうすればよかったの。私が……前のラファエルを取り戻しても違うの。同じようで全く違った。前の彼女ではなかった」
「イグちゃんは君の望む人形ではない。歪に歪めたのは君自身だろう。なぜ君が嘆いている。なぜイグニスを大事にしなかった君が、彼女に大事にされようとしてるんだ?」
思わず怒りが漏れてしまう。
今更何を嘆いているのだろう。
本気でそう思った。
柄にもなく苛ついてしまった。
ミカエルは、それに怯える。
「ねぇ……どうすればよかったの。ガブリエル」
「私はその名は捨てた。ずっと変わることができていないのは君だ」
「……」
「君だけが変わることができていない。付き合いきれないよ。話は終わりだ」
ミカエルだけが変わることができていない。
イグニスが法王国からでた日から。
彼女はあの日のことを忘れることができていないのだ。
それほどまでにイグニスの存在は、彼女にとって大きい物だったのだろう。
だが、それを完全に擁護する気は自分にはない。
彼女は固執しすぎたのだ。
イグニスが、彼女にとって変えられないものであることはわかっている。
それでも変えられるものを見つけるべきだった。
そうでもしないと、彼女の精神は安定しなかった。
配慮しきれなかった自分も悪いが、これ以上彼女の味方になる気はない。
「貴方もラグエルも、私から離れていった。ウリエルもサリエルも様子がおかしいの」
そうだね。
みんな、少しずつ変わっている。
歯車はとっくの昔に狂っていたのに。
ミカエルだけが、今狂ったと思い続けている。
そんな彼女が哀れに思えてきた。
一人で、孤独で。
哀れだ。
なぜ誰も彼女を救ってやらなかった。
いや自分もか。
少し嫌になった。
「みんなみんな私から離れていく。私だけ置いていかれるんだ。どうして?私は……頑張ったのに」
彼女にとって法王国天使一位という座は重すぎたのだろう。
重責と圧力に負け、彼女の精神は限界に達していた。
自分はなんと声をかけるべきだろうか。
「全部全部全部。私のせいなの?」
「全部が全部君のせいじゃないよ。でも君のせいもある。いくらでも変えられるチャンスはあった」
「わかってる……っ」
「これ以上の話はやめよう。私は彼らの帰りを待ってる。私はここで立っているだけだ。邪魔をしないでくれ。君はそれを見ているだけで充分じゃないか」
剣が抜かれた。
再びその場の空気が変わるのを感じ取った。
リリィも自身の剣に触れた。
敵意が、首元に触った気がする。
「なんのつもりだい?ミカちゃん」
「ここから離れてください。そうすれば、私は……」
「殺さずに済む?他者に行動を求めるなよ、ミカちゃん。殺そうとする君が悪い」
きっぱりと言い放つ。
同情してはいけない。
彼女の根幹を治さなくてはいけない。
自分は、彼女に打ち勝つ。
精神をねじ伏せる。
「……グムちゃんと私を殺すことにはなんのためらいはないだろう?」
「……違う。ウリエルも確保だけに専念しようといっていた」
「君は?君はどうしたい?」
「……私は、法王国の意志に……」
「君は誰だ!!法王国天使第一位ミカエルか!?君は誰で!何がしたい!!はっきりしろよ!」
「私は……っ!私は……!」
でない。
言葉が。
私は誰。
私は何をするべき。
でも。
自分は一体何者なんだ。
なにがしたかった。
自分はイグニスと。
でも。
みんなと仲直りしたくて。
離れたくない。
離したくない。
でも。
自分は。
でもでもでもでもでも。
怖い。
思考が交互に入れ替わる。
何をするべきなのか、何がしたいのか。
自分はどの立場にいればいいのか。
それらがひっくり返って入れ替わって。
もう嫌だ。
「……ミカエルです。法王国の第一位。法王国の意志は……私の……意志。これは……決して変わらない……もの」
根底にあるものは変わらなかった。
変えられなかった。
二十年以上積み上げたものは、否定できなかった。
到底ひっくり返すことのできないものであった。
心の底に染み付いたそれを。
自分は裏切ることができないのだと。
ミカエルはその時気が付いた。
「……っっっ!!」
そしてリリィは、その答えを聞いたとき絶望した。
長年友人で、戦友だと思っていた人物に。
怒りを通り越して悲しみを覚えた。
なにもでなかった。
ああ、もう分かり合えないんだと。
そう思った。
リリィはこの時点で諦めてしまったのだ。
彼女を理解することを。
「そうか。じゃあ……君とは敵だね。ミカちゃん」
「……お願い。聞いて」
「だめだ。私には私の意志がある」
「なんで」
「君たちは間違っている。……いつだって」
「違う……ちがう」
「今度は私の番だ。剣を持て、ミカエル。私は君の敵だ」
「……う……ああああああ」
剣が重なる。
「……っ!」
流石に、精神が乱れた程度で彼女の底にある技術というものは変わらないか。
剣技において、自分とミカエルの技量は変わらない。
差をつけるなら。
「【オムニス・アクア】!」
魔法しかない。
水量で圧倒する。
「うっ……」
水球をいくつもミカエルに向かって放つ。
しかし、それは蒸発した。
一度下がる。
火が、ミカエルの周りを巡回していた。
「……まともな勝負なら君には勝てない」
本来自分の本領は一対一ではない。
多人数戦闘において、防御や回復をするのが自分の役割だ。
だがミカエルは違う。
剣技で劣っていても、その魔法で圧倒する。
高火力で全てを燃やし殲滅する。
それがミカエルの【業火】の魔法。
火力勝負では歯が立たないのが当然だ。
自分の強みは、水の汎用性。
攻撃にも防御にも、味方の援護も全てをこなすことのできる魔法。
火力方面に関しては、水圧で押すか水で切断するのがせいぜいだ。
「どうするかな……」
唯一つけることがあるなら今のミカエルの精神だ。
彼女は限界ぎりぎりだ。
戦闘が長く続けるとは思えない。
逃げるのも手段としてはありだ。
いま勝てなくても、セーリスクたちが帰還するまでここはほおっておけばいい。
いくら荒らされようが、多少の損害は受け入れるべきだ。
でも。
今ここで、ミカエルと真正面戦うことができなければきっと彼女は一生迷い続ける。
私はいまここで、彼女に勝つべきなんだ。
それは今しかない。
今しかないんだ。
「やってみようか!」
自らの魔法を攻撃に全て変換する。
流れる水は、生命のように。
この魔法が、希望になるように。
「希望よ。海よ。我に力を。【ステラ・マリス】」
海そのものに魔力を込める。
水を操ることに集中する。
水流を一本にし、槍のように鋭く。
圧力で敵を押しつぶす。
ミカエルは、自身の業火の魔法が推し負けるのを感じた。
即座に回避に移る。
「させないよ……っ」
覆うように、水はミカエルを包囲する。
どんなに逃げても、水はミカエルを追尾していた。
逃げるミカエルと追うリリィの魔法。
しかし最後は捕まってしまう。
水の流れと、ミカエルの体がぶつかり合った。
いくつか水が蒸発していく。
「ぐっううう!」
水圧にはじき返され、ミカエルは地面に転がっていく。
肌が擦り切れ、皮膚が破れる。
仮面が剥がれた。
彼女はまだ立ち上がれていない。
その途中だ。
いまだ。
隙はいましかない。
「【オムニス・アクア】!!」
更に彼女に水をたたきつける。
彼女はさらに地面を転がる。
加えて水弾と、水の刃をミカエルに向けて放つ。
いくつかは、剣で切られたが水刃がミカエルの顔に命中する。
血がにじみ出る。
水弾も、ミカエルの足に命中した。
呻き声が、微かに聞こえる。
ミカエルの鋭い視線がこちらに感じる。
その瞬間、肌に突き刺さるような何かを感じた。
その場の温度が上がっていくような感覚。
これからだ。
剣を思わず強く握る。
「【業火】よ!」
「……っ!」
猛烈に蒸気が上に昇る。
熱気が、こちらまで感じ取れる。
いくら覆っても消えない熱。
水を彼女に押し付ける。
精神的に弱っていても彼女は変わらなかった。
存在そのものが大きく感じるほどの、魔法の威力。
法王国一位は伊達ではない。
「囲え……っ!」
更に水に魔力を込める。
しかしそれでも。
水はどんどん減少していく。
ダメだ。
強力すぎる。
「我、掲げるは炎の剣。【フランマ・グラディウス】!!」
五本の剣が、ミカエルのあたりに浮く。
その剣は、炎によって形成されていた。
高速で、その剣は発射されていく。
ダメだ。
見切れない。
体に炎の剣が突き刺さる。
「あああああっ!」
いたいなんてものじゃない。
突き刺さった剣より、その纏った火のほうが痛い。
熱が、肉を焦がしていく。
水で自身の体を包まなくては。
そんな暇はなかった。
ミカエルは、羽根を広げこちらに急接近してくる。
「今っ!」
あっというまに近づかれた。
突き放さなくては。
「不滅の剣よ!!」
「ああああ!!」
金色に輝くリリィの剣と、炎を纏ったミカエルの剣がぶつかり合う。
蒸気が、周囲を包む。
剣と剣のすれる金属音が聞こえる。
大丈夫だ。
この剣なら溶かされない。
力づくで押し返す。
「ガブリエル!!」
「ミカちゃん!!」
最後は意地のぶつかり合いであった。
何度剣をふれるか。
どこに剣を振るか。
そんなこと考える余裕などなかった。
剣が何度もぶつかり合い。
剣が肉に触れ、削れた。
「【オムニス・アクア】!」
「【テネブロイ・ウーロ】!!」
水と炎がぶつかりあう。
水蒸気があたりに散っていく。
最後に命運を分けたのは、自力の差であった。
「水がっ!」
魔法のそのものの技量。
リリィは、そこでは押し勝つことはできなかった。
彼女が勝利を求めるなら、海の水を利用することを最後まで忘れてはいけなかった。
自らが魔法で生み出した水は、蒸発していき消えていった。
火が自身の体を焼くのを感じる。
痛い。
でもそんな感覚も消えていった。
「ああああ!!」
腕があがらない。
ミカエルの剣が、もうすぐそこまで来ているのに。
剣を振れない。
そう思った瞬間。
腹が裂かれた。
「くっ……!!」
まだ。
まだ戦える。
だが、それは無理であった。
ミカエルの周囲に浮かんでいた炎の剣は、リリィの胴体を更に狙っていた。
まだあったのか。
リリィはそう思った。
「【フランマ・グラディウス】……っ!」
胴体に五本の剣が突き刺さる。
頭が真っ白になる。
その時明瞭に意識した。
自らの死を。
リリィは、その場に倒れた。
「はぁ……はぁっ……」
息が乱れる。
リリィとの戦闘は、それほどまでに精神を摩耗していた。
そして気が付いた。
「あれ……っ?」
ミカエルは膝をついた。
その顔には、絶望があふれていた。
殺意とはまた別の感情だった。
それなのに、彼女は人を殺していた。
動揺と、混乱が彼女の胸を埋め尽くしていた。
そしてその先の行動は、後悔であった。
「あっ……あ、ああ。違う。違う。私はそんなつもりじゃ……待って待って……?」
自分の胴体と、脚が離れているのが見える。
体は、真っ二つに分かれているのが理解できた。
「……そっかぁ……」
死が目の前に近づいていく。
過去の出来事が、走馬灯のように走り抜けていく。
自分は今から死ぬんだ。
意識が遠ざかる。
彼女は茫然とこちらをみていた。
手のこびりついた手をみて、怯えていた。
「あれ……落ちない……」
何度も何度も血には触れてきた。
「落ちない……?」
なれているはずだ。
慣れているはずなのに、その経験は初めてのように感じた。
「おぶ……っ」
胃液を吐きそうになる。
強烈な吐き気だ。
「おぇぇ……」
吐いた。
ともに戦いあった親友の血は自分の手に溢れている。
その事実が耐えきれなかった。
心が耐えきることができなかった。
脳が理解を拒んでいた。
「あっ……あっああ」
「……」
言葉を発するだけの体力は体に残っていなかった。
最後に彼女に謝罪をしたかったが、それもできない。
目の前が霞んでいく。
何も見えなくなっていく。
頭にイグニスのことが思い浮かぶ。
大丈夫。
君はいつだって私たちを照らしてくれた。
君こそが光で、紡いでいくべき火だったんだ。
だから私がいなくても。
もう大丈夫だよね。
君にはもう充分な仲間がいるんだ。
セーリスク君。
フラーグム。
みんな、ごめんね。
また話したいな。
もっとおいしいものを食べて。
色んな風景をみて。
楽しいことをもっと。
あれ。
なんで、私。
こんなこと考えているんだろう。
死ぬのか。
私。
そうか。
死にたくないのか。
私は。
死にたくないなぁ。
嫌だなぁ。
「ああ……」
嗚咽が漏れる。
「あああ??」
絶望が零れる。
「だめっ……だめっ……だめ!!」
回復魔法をつかった。
でもそれでも体はつながらない。
触っても、触っても。
決して断たれた肉体は元には戻らない。
触れることができたのは一部だけであった。
肉片が交じり合う音が聞こえた。
動揺し、何度もつかんだ。
生肉の感触と血の温かさが、ミカエルの神経に通じる。
そのたびに、喉の奥から何かがあふれる気持ちになった。
「おえっ……ぉぉ。おおおぶ」
こんなこと初めてだ。
初めて体験する感情に脳は揺らされていた。
それは悪い方に。
「……」
君とはこんな結末にはなりたくなかった。
でもしょうがないよ。
立場も選ぶものも違った。
「嫌だっ!嫌だ……!」
だからしょうがないんだ。
私は、これで終わりだから。
「ああああああああ」
リリィは静かに眠った。
後悔と決別の果てに。
残ったのは、ただ一人の絶望であった。
「私は……っ!!」
脳の何かが、弾けた。
「私は……?」
それは、一人の人が壊れるときであった。
それはもう咲かない花。




