十三話「戦への歩み」
目の前に菓子が並ぶ。
それは、彼女の家の執事が用意したものであった。
「お嬢さま……私は」
「いいの。エリカ。貴方は座っていて」
紅茶のにおいが、鼻孔をくすぐった。
しかしセーリスクにとってはそんな状況ではなかった。
クラーロ・アービル。
彼が目の前にいたからだ。
「へー、あの人のこと知ってんだ」
クラーロが、クッキーを口に放りこむ。
彼は、イグニスのことを深刻には受け取っていない様子だった。
「元気か?あの人は」
「あー。彼女とは……」
「元気だよ。あの人は強いから」
はぐらかすリリィに反して、セーリスクは断言する。
彼女ならどのような状況でも強くあれる。
彼女の精神の在り方というものをセーリスクは信頼していたのだ。
だからこそ嘘はついていない。
彼女なら大丈夫だ。
イグニスのことを妄信的に信じていた。
「ふーん」
彼は、何か思うことがあったのだろう。
少し間を置いた。
「ならいいや。……話ぐらいはしたかったけどなぁ」
それは関心や興味がないといった形ではない。
なにかしらイグニスに対して、今も感情を抱いているのだろう。
自分にはそれがわかった。
寂しそうに彼は言葉を発した。
その様子をみて、どこか自分の知らない彼女に触れたような気がした。
当たり前のことだ。
彼女にも誰かと関わった過去があって。
それは自分の知ることのできない部分だってわかっているのに。
なぜか少し寂しく感じた。
「イグニスさんとはどんな関係ですか?」
「あっ!それ私も気になったぁ!」
リリィのテンションがあがった。
彼女の気になるはどうせ色恋沙汰だろうに。
いや自分も同じか。
イグニスとクラーロが、恋人関係ではなかったのかと思ったのだ。
「まぁ、同居人みたいなもんだよ。たまたま出会うことができた親戚ってじいちゃんはいってたけど……」
彼はくすっと笑った。
「まあ、ちげぇよなぁ」
イグニスとマールのことを保護していた人物は、クラーロの祖父らしい。
銀狼も老人といっていたので、彼はその孫なのだろう。
リリィは、彼に質問を投げかける。
それは、彼の祖父を心配するものであった。
「そのおじいさまは?」
「昨年だったかな。あっさり死んだ。老衰だよ」
彼は、戸惑いもなく即答した。
彼の心情というものは、さっぱりしたものであった。
「それはごめんなさい……」
迂闊なことを言ってしまった。
イグニスが過去に関わってた人物と聞いて、まだ生きていると勝手に思ってしまった。
しかしクラーロはそれを問い詰めることはしなかった。
「いい。時の流れさ。イグニスと爺さんは仲がよさそうだったからなぁ……しいていうなら一目会わせてやりたかったなぐらいかな」
それは確かに彼の後悔なのだろう。
表面だけの言葉ではなく、心からそう思っていることがその場の面々には伝わった。
沈黙が少し続いた。
「爺さんはよく人を助けるんだ。お人よしでな。話が好きで、イグニスと海をみながらよく話をしていた」
「……そうですか」
「ハイプをふかしながら絵を描いている爺さんにイグニスはいつも駆け寄るんだ。……あの時は楽しかったなぁ」
彼の頭の中には、過去が浮かんでいた。
それは、彼にとっては消えてしまった過去なのだろう。
彼は、驚くほど素直に自身の心情というものを話していた。
それは、割り切ったからこそ話せるものなのか。
セーリスクには、それがわからなかった。
「ずっとあれが続くと思ってた……ま、イグニスが選んだことだ。離れるな。なんて言えなかったさ」
イグニスは。
マールは。
彼の記憶の一部だったのだ。
クラーロの中には、まだそれが残っている。
彼の中には、何かの風景があるのだ。
その風景は、彼にとって鮮明でいまだに霞んでいない。
聞きたかった。
イグニスがこの土地を離れるとき、どんな気持ちだったのか。
どんな会話をしたのか。
それが知りたかった。
でも言葉はでなかった。
それが触れてはいけないものだと感じたから。
「……」
それでも彼女の歩みを知れた気がした。
「セっちゃん?」
「大丈夫です」
「……知れてよかった。私はそう思えた。私が関わっていない間でも彼女は幸せだったんだと。君もそうなんじゃない?」
「……そうですね。僕もそう思います」
「うん。そうだよね」
「私モっ!」
ショックに思っているわけではない。
ただ憧れの人の過去をしれて嬉しかった。
リリィの言葉を聞いて、猶更そう思った。
「イグニスがいないってことは、マールもいないのか。あの子は元気か。大きくなったかな」
彼は、マールのことを話す。
セーリスクの頭のなかに、マールの姿が浮かんだ。
しかしそれは、幼い姿のままであった。
「ええ……とても賢い子でしたよ」
「だよな」
イグニスと初めて出会った日のことを思い出す。
関わった時間は短かった。
でも、自分はあの少女と話をしたことを覚えている。
自分の過去にも彼女はいる。
あの少女も、ずっと放っておけない。
「妹がな。いるんだ。マールと仲良く遊んでいたよ。……イグニスに伝えてくれないか?」
「なんと伝えれば」
「馬鹿野郎ってな。時々でいいから顔みせに来いよって」
「わかりました。絶対伝えます」
「頼むぜ?」
彼はそう笑った。
彼は、イグニスが法王国天使に捕まっているとはしらない。
マールがアダムの配下になっていることも知らない。
でも知らないままでいい。
自分は、イグニスさんとマールを絶対会わせる。
こんな形で終わっていいはずがない。
彼女たちの幸せを守るんだ。
「この約束絶対忘れないでおこうね。セっちゃん」
「はい」
そしてその一つに、クラーロとの再会という目的も加わったような気がした。
セーリスクの決意はさらに強まった。
「クラーロとの共通の友人がいるのですね?」
ステラは、セーリスクに尋ねる。
会話の中心となっている人物が、重要な人物であると気が付いていたのだ。
そして、この会話を遮ることはできない。
そう考えていた。
「はい。話を逸らしてしまって申し訳ないです」
「いえ、いいのです。共通の親しき友のその会話。それを邪魔するほど私は無粋ではありませんよ。今度私にもその人の話をしてくれますか?」
ステラは、イグニスに関する興味を持ち出していた。
興味津々といったところか。
「いやなんか……恥ずかしいっすね。やめましょう、ステラ嬢」
「えーー」
「えーって……なんか性格変わりました?」
「まあ、いいでしょう」
ステラは、クラーロから話を聞きだすことを諦めていた。
これ以上追求しても野暮だと思ったのだろう。
「クラーロ。また酒に付き合うぜ」
「うるせーな」
アーガイルは、猶更彼のことをいじっていた。
前々から彼のイグニスに対する心情を知っていたのだろうか。
自分もわざわざ聞こうとは思わないが。
「では本題に戻りましょう」
ステラが、会話を当初のものへと戻した。
これ以上、イグニスの話をするのは意味はない。
意味がないというか混乱させるだけだ。
「ロホ、アーガイル。貴方たちはずっとどこにいたのですか?情報が微塵もみつからなかったのですが」
「そうですよ、頭。どこにいたんですか?」
ステラとフエルサが、二人に尋ねる。
彼らの言葉には怒りがこもっていた。
心配からくる怒りだろう。
それも当然だとセーリスクは思った
消息不明で、戦力も足りない。
彼らのなかに信頼関係があるのであれば、怒りを持つのは自然だ。
そのなかで一人だけ目を逸らす人物がいた。
犯人は即座に見つかったようだ。
「クラーロさん?」
「クラーロさん。クラーロ?話をしましょう?」
「怒ってるじゃないですかぁ!」
犯人は即座に見つかったようだ。
クラーロは苦々しい顔をしていた。
もはや涙目だ。
「怒っていませんよ。ただエスプランドルの倉庫には、何の武器があったかなと」
「それって拷問用ですよね」
「……」
ステラは作ったような笑顔を生み出す。
「何で黙るんですか!」
ステラの中には、静かな怒りがこもっていた。
どうやら彼女は彼が二人の所在を教えてくれなかったことに対して相当ご立腹の様子だ。
「だって……死にかけのこいつに懇願されたら断れない……ですよ」
「……アーガイルがお願いしたのですか」
アーガイルが二人の間に入る。
これ以上クラーロが怒られるのを見ていられなかった。
「クラーロのことを怒るなよ、お嬢。情報がどこからか漏れたら即座に襲撃だって可能性もあったんだよ」
「そうだな、あたしらだって死にかけだったんだ。人が出入りしていたらばれちまうって」
「……それはわかっていますが。私のことを……」
もっと信頼してくれていると思った。
オキザの纏っている魔道具により、彼が生存していることはわかり切っていた。
それでも、それでも不安だった。
「それは本当にすまなかった。お嬢。でも必要なことだった。そのおかげで、戦力を国外から呼ぶこともできただろう?」
「……はい」
「すまなかったねぇ……ステラ。あたしらも必死だったんだ」
「わかっていますよ……ただ不安で……」
「ほら、ごめんな。許してくれ」
ロホは、ステラに抱き着いた。
「もう……今度は許しませんからね」
ステラは一応の納得をしたようだ。
それ以上二人を問い詰めるようなことはしなかった。
三人の間には信頼があったのだ。
だからこそステラも必要以上の怒りをもったのだろう。
決してお前を疑ったわけではない。
ロホはそれをステラに伝えたかったのだろう。
「フエルサも心配かけたな。でもあのとき生きていることがわかったらならきっとお前らにもっと迷惑が掛かっていた。そのことを理解してほしい。申し訳ない」
「……アーガイルさんがいうなら」
「フエルサ」
「……頭?」
「あんたになら一時でも、部下を任せられると判断した。大丈夫だっただろ?」
「……有難うございます」
フエルサも軍の所属であるのなら、アンデットとの戦いはしているはず。
それも、長であるロホがいない状態でだ。
最大戦力がいないとき、彼の心の支えというものは乏しかっただろう。
だが、それでも彼はやり遂げたのだ。
ロホの帰還まで。
「……今回の戦い。アダムの目的は何だとも思う?」
アーガイルが、話をする。
それは、エスプランドルが狙われた目的だ。
「……私からいいかな?」
「お願いします」
リリィが、それを語り始める。
「……主要な目的はステラちゃんだと思う」
「当然だな。エスプランドルに戦力が集中していた。豊穣国の戦力がいなかったら明らかにお嬢は死んでいた」
「……」
それは当然の事実だ。
アダムは変化したアンデットの他に、自身の配下を三人を送り込んでいた。
鎖の獣人の姿は見えなかったが、それでも最大の戦力に近い。
半獣の女性、シェヘラザード、黒布の亜人。
それぞれネイキッドとコ・ゾラに代わる人物だと考えていい。
そもそもアンデット化していない時点で、アダムにとっての重要な駒であることが明白だ。
「……タイミングが良かったでいいのか……?」
「……正直タイミングが良すぎると思った。アダムはあえて私たちがいるときに送ったんじゃないかって思ったよ」
「わざわざ?焦ったからとかじゃなくてか?」
アーガイルは、戦力が追加されたからこそこのタイミングで戦いを起こしたのだと思った。
でもそれは違う。
それならもっと早くやる方が合理的だ。
アダムの性格ならもっとわかりやすい言葉がある。
「それだったら、この国に来る直前でもいくらでもやりようがある。私たちがきたから、お嬢様のところに戦力を送ったんだ。……嫌がらせだろうね」
「……なるほど」
「他にも私たちの戦力の判断という部分もあるんだろう。アダムにとってもここ三人の戦力は正確に測れていなかったんだと思う」
「結果それ以上だったからなんとか撃退できた……でいいんだよな。これ以上来ることはないよな」
「来ないことを願うしかないね」
「……」
鎖の獣人のこともある。
それに海洋国は知らないだろうが、天使がアダムと協力に近い状態にある。
このまま追撃もあり得る状況だが。
アダムの次の一手がわからない以上こちらからうってでるなんてことはできない。
沈黙はしばらく続いた。
「大丈夫ですよ。僕も必死に戦います」
セーリスクは、この不穏な空気を勇気づけようとした。
アーガイルはそれをきいて、軽く笑った。
「真面目だな、君は。君がこの国のために戦う義理はない。負けそうになったら、即座に帰国してくれ」
「……」
「そうそう。殿はあたしらでいいんだよ。ろくに戦力を育ててこなかったうちの国がわるいんだからさ」
この世界は、ずっと戦いというものが少なかった。
戦力をそろえようという意識そのものが薄まっていた。
どの国も戦力が足りないのだ。
だからこそ天使という戦力がより際立っている。
「……エスプランドルも戦力がたりなかった。多くのアンデットで押しつぶされた」
「ところで他の者は……?各支部に所属している部下たちは?」
「……俺は詳しく聞いてないです。フエルサ。知っているか?」
「七割が死亡。それ以外は重傷。軽傷や無傷の者はいません」
「……七割も……」
フエルサからの報告を聞いて、ステラは青い顔をする。
海運商会【エスプランドル】は、文字通りの半壊だ。
「……お嬢はいきている。いまはそれでいいです」
「……はい」
「軍はどうなってんだ。フエルサ」
ロホが軍に関することを聞く。
フエルサはそれに答えた。
「今は、エスプランドル崩壊の知らせをきいてそちらの援護に向かってます。救護が主だとは思いますが」
「アンデットの襲撃は?」
「今現在も起きています。ただこちらの戦力も徐々に減らされているので……それに…」
「それに?どうした?」
フエルサはあることを話すことを渋っていた。
それは、ステラのほうを向いて確認していた。
「フエルサ、有難う。私から話します」
彼女はとある話を進める。
「……元々セーリスクさんたちにお話しする予定であったのですが。この国にはとある遺産が残されています」
「遺産?」
「ええ、その名は【神造兵器バハムート】」
「【神造】……?」
神が造る。
言葉の意味がよくわからない。
いつの時代につくられたのものだ。
そもそもどのようなものなのだ。
「海洋国の海には、昔から【人間】の遺産が沈んでいるとされていました。それは船の形として。この大陸を離れようとした船が沈み形を残したもの」
「……」
「それが、一週間前に確かに浮上し始めたのです」
「……成程、明らかにアダムが関わっている。海洋国はそう考えているんだね」
「はい」
【神造兵器バハムート】。
それにいきなり浮上し始めたといっている。
アダムがなにかしらの手を加えたのだろうか。
「もしもそこに何かしらの兵器があるのなら、それはアダムに手に入れさせてはいけない。幸い、浮上しきってはいないのです。出入口も見つかっていない」
「……お話する予定だったというのは」
「……リリィさん、フラーグムさん、セーリスクさんの三人には。その【神造兵器バハムート】の探索をお願いしたいのです」
「……把握しました」
戦力として呼ばれたのは、これも理由か。
たしかにアンデットで対処が精いっぱいの現状、アダムがいるかもしれない場所の探索には戦力は足りないかもしれない。
「あたしはパス。アーガイル。探索はお前に任せる」
「なんでだよ」
「……あたし正直、腹貫かれてから調子がわりい。本調子じゃなくて勝てる戦いじゃないってことぐらいはわかる」
「……お嬢。大丈夫か?」
「ロホにもセーリスクさんたちについてきてもらえば心強いと思ったのですが……こちらにいても心強いことには変わりませんしいいでしょう。アーガイルお願いしますね」
「わかった」
どうやらアーガイルもついてきてくれるようだ。
彼がどこまで強いのか知らないが、自分よりは上なのだろう。
「【神造バハムート】の探索には、軍との協力の上他の商会との連携もあります。ですがそれでも戦力は足りないでしょう。生きて戻ってくださいね」
「勿論だよ、お嬢様。私たちは絶対に死なない」
フラーグムとセーリスクが頷いた。
自分たちには目的がある。
イグニスを取り返す。
それまでは死ねない。
「お話は以上ですっ!あとはお茶を楽しみましょう!」
話は終わった。
今日一日が終わり、次の日がくれば再び戦いの準備へと移るのだろう。
それまで休息だ。
心の中に確かに戦いの覚悟が強まるのを感じた。
自分のなかに戦いの理由が生まれていく。
それは衝動などではなく。
殺意などではなく。
誰かのためにという真っすぐで確固たる理由だった。
強くあろう、誰よりも。
今ここに、剣を持ち並べていることがうれしかった。