醜怪
アダムは語る。
それは、彼女の心の底にある心情であった。
「ねぇ。シェラザード。僕はもうね気が付いていたんだよ」
「な……」
アダムは、椅子に座り上を見上げていた。
シェヘラザードは痛みに悶えていた。
体に先ほどの氷が纏わりついて、冷たさを感じていたのだ。
アダムはそれを意図的に修復していなかった。
これからの過程で、どうせ治るものだと認識しているからだ。
「君には殺意や執念というものが足りない。最後の最後で躊躇してしまう。君の素敵なところだね。まぁ、理解し難いけど」
「……」
「あはは、そんな目で見るなよ。吐き気がする。同調なんて求めるなよ」
これは二度目。
ひとつは、獣王国での戦い。
飛鷹と、香豚を逃したとき。
あの時は、シェヘラザードも肉体に重度の損傷を負っていた。
それは許そう。
だが、海洋国の【双璧】。
あの二人を討つチャンスを逃したのは惜しい。
自分には関係のないことだが、彼らの戦力を減らすことができれば骨折りを苦しめることができただろうに。
「君は、恐らく最後の死というものを明確に連想しすぎている。自身の魔法の結果、死が生まれ。それによって起きる影響というものを恐れているのだ。だから死を拒絶し反発した。うーん、よくわからないねぇ」
シェヘラザードの魔法の本質は、【拒絶】と【反発】。
空間を【拒絶】し、空間を【反発】させる。
それゆえに、空気や魔法を弾くという効果を生み出していた。
だが【意志】というものは厄介だ。
彼女は敵の死亡すらも【拒絶】していたようだ。
「君の魔法には君の心の意志というものが現れている。君の変化を期待していたが……それは間違いだった。君はいつまでも変わることはなかった。残念だよ」
「あ……あ」
アダムの体から泥が生み出される。
それは生物のように地を這い。
やがてシェヘラザードにたどりついた。
「大地は、地と水が混ざり合い生まれたらしい。生命もその過程でなんて言うけど……じゃあ、僕のこれは一体何なのだろうね。この生命を犯し、生命を汚す【泥】は」
それは変貌の途中であった。
それは肉であった。
「君に聞いてもわからないか。あははっ。くだらないことをしたよ」
臓物や、肉をかたどった何かが、シェヘラザードの体に纏わりついていた。
氷は解けていき、水滴が地面に落ちる。
だがそれには血が混じっていた。
血は、水と混ざっていく。
「っ……!?」
シェヘラザードは血を吐いた。
それには、細かな肉が混じっていた。
なんだこれは。
シェヘラザードはそう思った。
アダムはじっとそれを見つめていた。
「ネイキッドは最初から気が付いていたんだろうね。君の本質というものに。彼は君のことを気遣っていたし。……でもさ、それを無視する僕だと思ったかい?」
「あ、アダム……さ……ま」
目や口から、血が零れていく。
自分は今まさに別の肉体へと変化している最中なのだ。
根底から湧き出る恐怖が収まらなかった。
声が、声がでない。
これは震えて、口が動かない。
「シェヘラザード。僕の傍に寄り添い、物語を紡ぐ役割はもう終わりだ。物語を語るには君はいささか退屈すぎた。興味を失うほどに」
「っ!?」
彼女の肉体を更に変化させていく。
肉体が変化していく音が聞こえる。
その高音は、耳に良くなじんだ。
アダムは笑みを浮かべた。
当たり前のように日常にあるような笑顔で。
この状況において、それは違和であった。
「ねぇ、知っているかい?シェヘラザード、僕の元となった【人間】達はかつて全く別の生物だったんだ」
手元に持っていた本をめくる。
ぺらぺらと紙がめくれる音が聞こえる。
「己の欲に堕ちた【獣】。創世の時代なんてものに僕は微塵も興味はないけど……その過程を穢していくことは楽しいとは思わないかい?」
いままで恐怖や畏怖などいくらでも感じてきた。
それの狂気が自分に向けられる覚悟もいつでもしていた。
それなのに。
それなのに。
目の前の存在を、自分は認識することすらあやふやだった。
此れはなんだ。
自身の精神が摩耗していくのを感じている。
脳味噌が収縮していく。
そんな異物のような感覚。
これは化け物だ。
「あ……っああ」
触れてはいけない深淵に触れていた。
ずっと触れていたはずのそれは、劇物だった。
気付いていた。
でもそれを見ないふりをしていた。
そのつけが来たのだ。
後悔を思う瞬間すらなかった。
「根源など所詮、欲に満ちた獣なのさ。僕はそれを知りたい。君がそれに堕ちていく様をみたい」
変化は最終に向かっていた。
視界がかすれていく。
あれ。
私は一体なにを。
記憶が薄れていく。
今ここはドコ。
これは私の頭の中から。
狂いそうだ。
いやもう既に狂っていた。
「ああああああ」
シェヘラザードはこの時点で意識の殆どを失っていた。
幻聴や幻覚が脳内を襲う。
それは現実には起きていない現象であった。
しかし彼女の精神は崩壊を起こしていた。
彼女は正気を失った。
「ああ、シェヘラザード。君は最高に美しいよ」
それは異形の姿。
アダムはその姿をみて、恍惚とした笑みを浮かべていた。