五話「海運商会①」
セーリスクたちは、海洋国に到着した。
それを認識したのは、到着してからしばらくであった。
海洋国は、海に包まれた大きな国だ。
まずは視覚。
セーリスクの眼には、大きな青い海が映る。
しかしそれは遠く広く大きい海だった。
「おお……」
セーリスクは、思わず感嘆の声を漏らす。
初めてみるその風景は、セーリスクに驚きを与える。
心の底からでた素直な驚きであった。
リリィは、その光景をみて自分たちが海洋国に足を踏み入れていることに気が付いた。
「もう海洋国の土地には、入ったね」
「ここが……」
今この場所から海そのものは、離れている。
しかしそれでもあの場所が海なのだと理解することができた。
それほどまでに、海は広大であった。
独特なにおいが、セーリスクの鼻に届く。
この匂いをなんと形容していいのか。
セーリスクにはよくわからなかった。
リリィは、これを知っているのだろうか。
「なんか……空気が違いますね?」
彼女たちに、その違和感を伝える。
何の話をしているのだろうと、リリィは一瞬考える。
そして数秒の間を置いて、その言葉の意味を理解する。
「空気?あー。セッちゃんは、海とかあまりいったことないのかな?」
「はい」
「海は潮のにおいがするんだ。しない場所もあるらしいけど。まあ、これが海のにおいだよ」
「海のにおい。……なるほど、なれませんね」
「近づけば、もっと濃くなるよ。それにしても五感が強いんだねぇ」
「そうですか?」
「言われてやっと気づいたよー」
正直あまりこの匂いは好きではない。
そう思った。
機兵大国の時もそうだが、自分が知らない土地に踏み入れている感覚。
自分の常識が通じない感覚。
そういったものを一方的に与えられているようで、慣れない。
やはりもう少し土地柄の知識というものを持っておくべきだった。
「……海は初めてです。だから猶更気になるのかも」
獣王国、機兵大国。
そして最後に海洋国。
自分は、外の世界というものを何も知らないんだなと。
そう考えた。
外に再び視線を向けた。
風が、セーリスクを優しくなでた。
「中々国外に行こうなんてならないからね。普通は移動も困難だし」
自分たちは、戦う術を持っているから大丈夫だが普通はそうではない。
武器や技を持たない一般人は、護衛を雇わなくてはいけない。
そして、護衛を雇える人物は少ない。
その護衛が強ければ強いほど高い金が必要になるし、まず見つからない。
シャリテが、イグニスやセーリスクを雇おうとしたのもそれが理由だ。
基本的に強者といわれる人物は、どこかに所属している。
無所属の者は、強くなる知識を蓄える前に死ぬからだ。
「まあ、わざわざ馬車に乗っていこうだなんて金持ちじゃないと……」
「思わないよね。まあ、いまだけはこの風景を楽しもうよ」
「はい。ですね」
自分の住んでいた場所は、豊穣国の中でも海にはなれていた場所だった。
それに風景も違う。
目の前に見える海の風景は、自分には新鮮に感じた。
どこか童心が躍るとでもいうのか。
心の中に楽しさという感情が浮き出ていた。
「……」
勿論フラーグムは、その感情を隠そうともしていない。
眼を輝かせて、外を覗いている。
やっぱりこの人の精神年齢は、少年少女のそれと同等だろう。
なぜだか、尻尾がみえる。
ぶんぶん揺れている気がする。
「あの……フラーグムさん……」
「ンー?」
彼女は一切こちらをみようともしていなかった。
リリィも彼女のこの様子には、苦笑いを浮かべていた。
「えっと……ですね……」
「ンーー?」
「仕事中ですから……いけませんよ?」
「エー!???」
「当たり前でしょう……」
「グムちゃん。今だけは真面目にしないとだめよ?海洋国の任務は、重要なんだから」
「はーイ……」
フラーグムの落胆ぶりは凄かった。
少し可哀そうな気持ちになってくるが、こればかりは仕方がない。
彼女には申し訳ないが、今は任務に集中してもらおう。
「ごめんネ……つい楽しくテ……何も考えずにこれたのは初めてだったかラ」
「うん、いい子いい子。ごめんねセっちゃん」
「いや大丈夫ですが……」
リリィも言っていたが、彼女たちには命の危機が迫っている。
天使たちとの対立。
彼らとの戦闘行為を考えるなら、相手に隙を見せてはいけないのは当然だ。
海洋国の観光なんて余裕はない。
「……」
彼女は、法王国という故郷を捨てた。
そのうえイグニスや、ウリエルという精神的支柱を失った彼女は少し不安定に感じた。
それほどまでに、他者の存在を大きく感じていたのだろう。
天使という圧倒的な存在の中で、彼女の存在は少し幼いというか。
歪な成長をしている。
時々精神が、後退しているとでもいうべきなのか。
そんな風に感じた。
すくなくとも彼の眼にはそう映った。
「気のせいか……」
ぼそっとセーリスクはつぶやいた。
リリィも、フラーグムも少しだけ緊張感が薄れているだけだ。
豊穣国の保護に入れたというのは、それほど彼女たちにとって大きいものだったのだ。
そう思いたい。
今彼女たちの心の中というものは、不安定なのだろう。
だが彼女たちの力が、今後絶対に必要になると自分は考えている。
そして自分自身も自覚している。
自分は、敵のどの人物と戦闘しても勝つことはできない。
いかに二人のどちらかとコンビで敵の戦力を削るか。
それが、自分の生き残る方法だ。
彼女たちには、神経を病まないでほしい。
だがどこまで頼るべきなのか。
判断に迷っていた。
その判断は、セーリスクに一任されていた。
ペトラの言葉と顔を思い返す。
君に任すと。
そんなことを考えていると、リリィは話題を切り替えた。
「それにしても……やっぱりここは美しいねー」
リリィも、フラーグムほどの感情の激しさは見せなくてもやはり心が動かされる何かがあったようだ。
「来た事があるんですか?」
セーリスクは、その言葉に少し好奇心がわいた。
「うん、任務でだけどね。今もほぼ仕事みたいなものだけど……気持ちが違うや」
「……」
過去イグニスもここにいたという。
イグニスの家名としてつけられている【アービル】。
それは、海洋国での家名だという。
もしかしたら、ここにくればイグニスとマールの痕跡がわかるのでは。
そう思った。
「目指している場所は?」
「ああ、どうやら商会みたいです」
海洋国に入った現在。
目指しているのは、今回の任務をするうえで協力する団体であった。
海運商会【エスプランドル】。
海洋国最大の商会の責任者と会話をする予定だ。
その商会の会長は、国をも超える金銀財宝を持つという。
そんな噂までめぐるほど大きな商会だ。
「……【エスプランドル】のことか。海洋国軍隊との連携はどうなったのかな」
リリィは、既にエスプランドルのことを知っているような反応を示す。
フラーグムも、こちらの話に耳を傾けていた。
二人ともその商会に何かしらの関わりがあるのだろうか。
「彼らはアンデットの対応で動けないそうです。詳しい話はあちらで聞くことになっていますが……」
海洋国の軍隊は、大量発生したアンデットの処理に追われていた。
大多数のアンデットの、処理は彼らに任せることになるだろう。
自分たちの仕事は、そこから漏れる少数のアンデットの処理ということになっている。
だが本当は、そうではないだろう。
自分たちが任されようとされているのは、それ以上の存在だ。
「まあ、大方の状況はわかるよ。海洋国は、アンデットではなく。アダム配下の対応ができていないんでしょうね」
彼女は断言しきる。
海洋国という国が、アンデットに対応できないはずはない。
そう考えていた。
「恐らくですが……」
「海洋国の戦力は、随一だ。人手が足りないとは思えない。足りないものを考えるならなんだと思う?」
リリィは、唐突に質問を投げかけた。
その唐突さにセーリスクは、戸惑いつつも答えを返す。
「イグニスさんや、骨折りさんみたいな……圧倒的な個……?」
彼らには、理不尽を覆す理不尽さがあった。
凡人には届かない究極への高みが。
そしてアダムは、部下としてそれをそろえている。
海洋国並びに、他の国々はそれが足りないのだ。
「うん、正解だよ。……【双璧】に頼りすぎたね」
【双璧】と呼ばれる二人が戦線離脱している現状。
海洋国にアダム配下とやりあうことのできる人材がいるとは思えない。
いたとしてもそれは既に殺されているだろう。
生半可な戦力では犠牲を増やすだけ。
それは彼らもわかっている。
だからこそこちらの送る人数の少なさに理解を示したのだから。
リリィもそういったことはわかっていたようだ。
自分が説明をしなくても、彼女はそれ以上に話を理解している。
自分が把握しきれなくなったら、彼女を頼るのも手段のひとつだろう。
「イグちゃんがいない現状。【骨折り】がいたら楽なんだけどなぁ……」
リリィが、現状の悩みを吐露する。
アダムという存在に対応できるのは、自分を加えた五人だとリリィは考えていた。
勿論四人は、法王国上位四人。
ミカエル、リリィ、イグニス、ウリエル。
最後は、骨折り。
「骨折りさんなら大丈夫ですよ。絶対に助けに来ます」
「それならいいんだけどね……」
理想なのは、自分がサポートに入り他の人物で確実にアダムを討つ。
最低でも二人は欲しい。
アダムの配下の介入を考えるのなら、これが理想だろう。
アダムが法王国と関わりを持っているのは、彼が法王国という存在を恐れているから。
戦力がすべて終結した場合彼は勝てないと判断したのだ。
「……」
「?」
リリィは、ちらっとセーリスクのほうを見る。
彼が例外になりえるのか。
それは海洋国の戦いで判明するのかもしれない。
リリィはそう思った。
セーリスクたちの馬車は、さらに進んでいく。
やがて風景は再び変わっていった。
住宅などの建物が目立つようになってきたのだ。
しかし活気は少ない。
いくつかの露天商が見えるが、活力が少ない。
これは、体力的なものではない。
セーリスクは、その光景に見覚えがあった。
「……元気がないナ」
「だね。アンデットの毒が巡ってるというわけでもないし、単純に精神的なものだろう」
「……」
あの時のことを思い出す。
二回目の襲撃を乗り越えたあとの豊穣国がこんな感じだった。
敵に襲われ、疲労して何もできない。
脳が、詰まったような異様な感覚。
彼らはそう言ったものを味わっているのだろう。
「……法王国は……天使はなにをしているんだ……」
疲労しきった男の口から、そんな言葉が漏れる。
「……ごめんネ……」
フラーグムの口からそんな言葉が漏れた。
彼女は、心のなかに罪を感じているようだった。
しかしリリィは割り切っている様子であった。
「気にしないでいいの。ね、セっちゃん。私たちが今から解決するんだから」
「……はい」
今、法王国天使は何をしているのだろうか。
海洋国のアンデット発生の事件を受けても彼らは一切対処する様子をみせないようだ。
「……彼らは何をしているんでしょうか」
「うーん。情報を少しでも手にいれたい。けどそれは無理だろうね」
「無理?」
「うん。情報は一切手に入らないでしょうね。彼らがそういったことに手を抜くとは思えない」
「……」
「それに真っ先にくるとしたらラミちゃんかな。もしも任務に向かわせるなら」
「あいつかよ……」
正直法王国天使と聞いて真っ先に思いつくのはあいつかもしれない。
彼女の索敵範囲、速度は天使の中でも一番だった。
イグニスに狂気的な執着心を持っていた点も含めてセーリスクはあまりよくは思っていなかった。
「彼女を抑えることができたら、法王国という組織の動きはかなり遅れる。いわば、初速の要という存在かな。情報収集も彼女がすることが多いし情報操作もお手の物」
機兵大国以降天使の情報は全く手にはいらなかった。
彼らが意図的にそれらの情報を消しているのか。
そもそも残すようなやり方をしていないのか。
それは自分にはわからない。
ただイグニスの情報も一切わからないというのは、歯がゆかった。
「目立つような痕跡があったならそれは罠だと思っていいよ。そういう時は大体サリエルがいる」
「わかりました」
自分も敵の狡猾さというものを理解してきた。
余程相手の方が上手でなければ騙されないはずだ。
そう考えていた。
「今回の任務私はずっと君の傍にいられないと思う。戦力も不足しているしね。だから海洋国内部で協力関係を結べそうな人を探してほしい」
「わかりました」
確かに、リリィやフラーグム以外の選択肢が取れるならそれも有りなのだろう。
戦力面を考えると不安だが、泣き言を言ってはいられない。
自分が信頼されている証だと考えよう。
「グムちゃんは保留。君の手札はぎりぎりまで隠しておきたい」
「うん。わかったヨ」
リリィの指示にフラーグムは従う。
セーリスクは、リリィの発言に違和感を覚えた。
戦力が足りないといったのは、彼女だ。
動ける人手が多いほうがよいのではないか。
そう思った。
「どうしてですか?【終末笛】は強力です」
「だからこそだよ。能力の打ち消しができるという一点はここぞという場面に取っておきたい。頻繁に使うのもありだ。でも今後の戦いを考えるなら取っておきたいね」
「なるほど」
リリィは、既に自分たちの活躍できる範囲というものをある程度考えているようだ。
彼女は立ち回りというものを重要視しているように見受けられる。
まあ、自分としても何か役割を与えられた方が楽なのだが。
考えるのは性格に合わない。
「グムちゃんと私の能力は、どちらかというと防衛向きなんだ。君のことを大きく頼らせてもらうよ?」
「……頑張ります」
自分の能力は、まだ彼らには足りていない。
それは自覚している。
瞬間的な爆発力が大きいだけだ。
今回の戦いは、それを安定させなければ。
セーリスクは、より一層考えを引き締めた。
彼らは、海運商会【エスプランドル】に到着した。
その建物は、豊穣国では見たことないほどに大きな住居であった。
人が住むには広大すぎる土地。
威厳を表すには、充分すぎた。
「……おぉ」
セーリスクは、やはりこういった場所には慣れない。
精々王城ぐらいしか馴染みがない。
しかしリリィとフラーグムはそこまで驚いていない。
自分が、そういった建物に触れなさ過ぎたせいなのか。
そう思った。
「おい」
「向かいます」
門番が自分たちに近づいてくる。
彼らは、警戒心を見せつつも柔和な態度というものを崩していなかった。
それは決して悪印象を与えるものではなかった。
不審なものに対する警戒を持ちつつ、礼儀を意識している。
そのようなものを感じた。
「ここは、【エスプランドル】商会の本部です。何か身分を証明できるものはありますか」
「はい。これを」
セーリスクは、アーティオから渡された文書を手渡す。
それが、セーリスクの国外での立場を明らかにする唯一のものであった。
兵士は、頭を下げそれを受け取る。
「有難うございます。確認させていただきます」
その兵士は、奥に入っていく。
他の兵士たちは、待機していた。
「エリーダさんが、既にエスプランドルに連絡を送ったといっていました。時間はそれほどかからないでしょう」
「わかったよ」
数分ほど待つと兵士と一緒にメイドが二人出てきた。
髪型は、ボブで二人とも茶髪のような髪型をしていた。
しかしフォルトゥナよりは明るい髪色だ。
「初めまして。お待ちしておりました。豊穣国の皆さま」
「……はい」
何だ。
片方のメイドは普通の女性だ。
だが眼帯をつけている片方のメイドからは、違和感を感じる。
無言で、何を考えているかわからない。
「……どうかしましたか」
「いえ、何でもないです」
「なら、よかったです。すぐに主人の元へと案内します。ついてきてください」