四話「過程」
「風景が全然違うな……」
セーリスクは、馬車に乗っていた。
向かう先は、海洋国。
国の大部分が、海に囲まれている国だ。
その国は、貿易や運搬を生業としている商人によって成り立っていた。
商人が国外へ物を運ぶ。
それを護衛する仕事。
海運の仕事。
関所の仕事。
その国は、商人から始まった国。
貿易と交易の国。
それが海洋国。
豊穣国も、食料を海洋国に売ることで国同士のやり取りというものを盛んにしていた。
だが、その海洋国も危険に晒されていた。
アンデットの大量発生。
現状海洋国は、その処理に追われていた。
海洋国で【双璧】と呼ばれる二人。
【酒乱】ロホ・シエンシア。
【鉄葬】アーガイル。
この二人の亜人が海洋国の平穏を守っていた。
はずだった。
しかしその状況は変わった。
自分たちが機兵大国に行っている間に、状況は大きく激変していたのだ。
「そうだ、これを読んでおかないと」
鞄からとある書類を取り出す。
それは、エリーダから渡されたものだった。
いくつかの情報が記載されており、その中には二人のことも書いてあった。
文字を注視する。
そこには、とある二人について書かれている。
それは、今回の任務に関わる重要な人物であった。
「ロホは、国軍の所属。アーガイルは、海洋国最大の商会【エスプランドル】に所属している……か」
セーリスクは渡された資料に目を通す。
情報の他には、今回の要件も書かれていた。
今回の任務も、少数精鋭が基本のようだった。
理由は、いくつもある。
一つは、豊穣国の戦力の不足。
ペトラもフォルトゥナも戦闘を目的として動ける状態ではない。
二人とも、怪我の悪化を避けるべきだ。
そのために、海洋国への派遣は見送られた。
香豚も、防衛を考えるなら必要な人材だ。
プラードという戦力がいたのであれば、アーティオの防衛に意識を裂くこともなかった。
だが彼はもう獣王国を離れることができない。
香豚は、豊穣国防衛軍の中心となっている。
彼という柱は外すことができない。
それに。
「……プラードさんは大丈夫かな」
セーリスクは、獣王となったプラードのことを思い出す。
自分たちが豊穣国を離れた間。
獣王国は、アンデットに襲われた。
大量のアンデットの出現。
プラードも、反乱軍も必死にアンデットの撃退に奔走していた。
そしてそこには、半獣の少女マールもいたという。
「いろいろ考えることがあるな」
イグニスはそもそも行方不明。
骨折りも世界樹の元へと行ってから帰ってこない。
豊穣国の戦力不足という問題は、加速していた。
二つ目の理由。
それは黒布の亜人の存在。
黒布の亜人の能力は、推測だが【模倣】。
多数でいっても、その中に紛れ込む可能性がある。
それに、アダム配下との戦闘を考えるなら少数で連携を取った方が損失が少ない。
それにマールと法王国天使の存在もある。
彼らは生半可な実力では勝つことはできない。
確実に敵の戦力を削るため少数精鋭が合理的だとそう判断された。
戦力に不足を持つ豊穣国はこのままの形を取り続ける様子だ。
自分もそれには異論はない。
そんなことを考えながら、文章を読み続ける。
やがて違和感にぶつかった。
それは、文章の末にあった言葉であった。
「二人は、アンデットに敗北。……だけ?」
だがその二人は、アンデットにより敗北した。
だがそれだけ。
それ以降のものは書かれていない。
死亡とすら書かれていない。
行方不明なのか重傷なのか軽傷なのか。
それもわからない。
「このあやふやさは……」
死亡とは書いていないのだから、生きていると思いたいが。
ともかくこれ以降はかけない理由でもあったのか。
その事情をエリーダが知っているのなら、口頭で伝えそうだが。
ともかくあちらにもこちらにも隠したい理由がある。
察しろということなのか。
「……まあいいか」
その書類をそこらへんに置く。
こういう時は考えすぎないのが一番だ。
黒布の存在もある。
詳細に情報を書くとそこから漏れると判断したのだろう。
今自分ができるのは、海洋国に赴き彼らの力になることだ。
エリーダも、自身の姪がどうなっているのか知らないようだし早めに伝えてあげたい。
【双璧】と呼ばれる彼らの力は、海洋国の復興のために必要だ。
それぞれ組織の中心人物を担っている人材なので、統率が取れなくなってしまう。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
自分の立場は、以前より重くなっている。
そのことをセーリスクは理解していた。
今現在、豊穣国は骨折りとイグニスがいない。
それによってセーリスクが派遣されることになった。
しかしそれでは戦力不足だ。
そう判断されたのか。
自分の他には、ある二人がいた。
顔をあげると彼女はこちらを向いていた。
「資料は読み終わった?」
柔らかい声が、脳に響く。
彼女は優しい声と、その雰囲気でセーリスクの心を穏やかな気持ちにさせていた。
彼女の髪のにおいがほのかに香る。
彼女の長い金色の髪が揺れた。
「ああ……はい」
リリィがこちらの顔を覗き込んでくる。
「そんな真面目そうな顔しないでよ?スマイルスマイルー。笑顔は大事だよ?」
「そうだゾー。セーリスクー」
フラーグムも、セーリスクに笑顔を向けていた。
子供のような笑顔で、八重歯を覗かせている。
リリィとフラーグムは、自分のサポートのために一緒に海洋国に向かってくれている。
それが、豊穣国と協力する最初の仕事であった。
彼女たちも豊穣国に反抗する意思はないので、スムーズに話は進んだ。
天使という戦力を、ここで使うことにしたのだ。
「まぁ、私たちも張り切らせてもらいますっ」
「ますッ」
彼女たちはいつものマイペースな様子を一切崩していなかった。
それを見ていると自分の調子が狂う。
「僕は、どちらか片方がいくのかなと……」
セーリスクは、二人が両方ともついてくるとは思っていなかった。
ついてくるとしても片方だろうと。
しかしそれは違った。
「私もグムちゃんも。両方海洋国に送るとはね」
「ナー」
「ねー」
リリィとフラーグムを海洋国に送る判断をしたのは、ペトラだった。
それに対して、エリーダは危険だと判断したがアーティオが最終的にそれに賛成した。
「……彼女は博打好きのようだ。博打を打ちたくなる気持ちもわかるけどね」
セーリスクはその最後の決断には賛成していた。
ペトラの判断に信頼を置いていたのだ。
それに加えて自身の考察を彼女らに語る。
「まあ、扱い切れないと判断したんでしょう」
「その心は?」
「豊穣国なら王城にいるしかない。法王国天使という戦力を護衛に回すことしか僕たちはできない。そのうえ、確実な居場所がバレていると法王国がどう動くかわかりませんしね」
リリィは、冷静な感情でセーリスクの言葉を聞き続ける。
「……うんうん」
「扱い方が、ほぼ火薬のような存在なら他の場所に投げ込んだほうが得だと考えたんでしょう」
法王国の動きは全く読めない。
イグニスの時と同様に武力行使で来る可能性はあるし、もしも豊穣国での戦闘になった場合今度はアーティオの身が危険だ。
そうなったときのため、アーティオと天使二人の居場所は分けておく方が無難。
尚且つ海洋国には、確実にアダム配下がいる。
戦闘行為になったときには、確実にそこで削る。
少しでもこちらの有利を増やすために二人の手札をここで使う。
天使という戦力は、防衛にも攻撃にも使える。
だがそれは、こちらも痛い目をみるかもしれない諸刃だった。
「火種を起こすなら他所でおこしてくれというのが、正直な感情でしょう」
「厄介者扱いだナ」
「……ごめんなさい」
だが、そうだ。
いくら天使が戦力として強大でも、厄介事には変わりはない。
天使との交戦を考えて行動を起こすべきだろう。
「……ほぅ……セーリスク君も中々かしこくなりましたねぇ」
「なりましタ」
二人とも眼鏡をあげるようなしぐさをして、にやりとこちらを見る。
一体誰の真似をしているのか。
ふざけたことをする彼女に呆れのほうが勝っていた。
「普段そんな口調じゃないでしょう。あなたは……」
こんな真面目な話をしているときでも彼女はふざけている。
マイペースにも程がある。
そう思った。
だが、ふとした拍子に刃物のような鋭さを見せる人だ。
警戒を薄めることはできない。
過去の会話を脳裏に浮かべる。
「えー。私もかっこいい女性になりたいのにー。眼鏡クイってさ!」
あれか。
眼鏡をかけていると賢くなれると思うタイプか。
そういう考えがあるから馬鹿っぽいというのは、黙っておこう。
「リリィは充分かっこいいゾー?」
「えー?ほんとー?グムちゃんもお世辞言っちゃってー」
「今度リリィに似合う眼鏡を探そうヨ」
「ええー!?いいのー?」
「……」
本当に警戒していいんだよな。
警戒心がぶれまくる。
だが自分はペトラにリリィの指示には従うようにと言われている。
そういった意味では、信頼をしなくてはいけないのだが。
自分も彼女の扱いには、迷いが生まれている。
どこまで信じるべきなのか、どこまで信じられていいのか。
彼女との関わりを自分はもっと深く考える必要があるのかもしれない。
そんなことを考えていると。
彼女の眼に一瞬のうちに、鋭さが走る。
「……付け加えるなら、私たちの体は法王国の【知識】そのもの。亜人の力を強化する秘宝が詰まっているだろうね」
「……なにがいいたいんですか」
「法王国が私たちを野放しにしないなんて実感しているだろう。天使との戦闘はそれほどまでに君にとって濃厚だったはずだ」
「……」
頭に思い浮かべたのは、ミカエルのあの姿。
誰よりも美しい姿を持っていた彼女は、誰よりも哀しさを持っていた。
「知識をなによりも重要視する法王国が、知識を漏らす存在を放置するか。答えはノーだ。イグちゃんは例外にすぎない。イグちゃんは、ミカエルとラミエルに愛されていた。ただそれで放置されたからねぇ。いまもどうなっているか……私ですら断言はできない」
イグニスは、ただの例外。
その言葉が重かった。
イグニスは天使の否定などはしていない。
目の前の少女を救おうとしただけ。
しかし二人は、どうだ。
真っ向から、天使ひいては法王国の存在を否定した。
「私たちが絶対に味方にならない。それを法王は既に分かり切っている。そうなったら。私たちは異端者であり、抹殺対象だ。死ぬか生きるか。それすら危うい。拷問もあるかもね。まあいまさらだけど」
その言葉の重さに触れて、セーリスクは何も発することができなかった。
「死ぬ覚悟で私たちはここにいる」
「……そうだネ」
息が浅くなる。
心が乱れる。
そうだ。
忘れていた。
彼女たちの……
「なんてね」
「……はっ」
その場の空気が一変する。
リリィはとても優しい笑顔を浮かべていた。
その顔に偽りはなかった。
「そんな難しい顔しないの」
「え」
「ほら、ペトラちゃんもアホリスクにはあんまり頭を使わせるなー!って言ってたよ」
「……」
「あはは、君やっぱり顔に出るタイプよね」
「セーリスクは私よりわかりやすいゾー」
不服だ。
そこまで馬鹿だと思われているなんて。
「まあ、豊穣国が私たちの扱いに困るっていうのは実際そうよ。ペトラちゃんやイグちゃんは、私たちと接しているからまた別だけど……。内部に【天使】を抱えるなんて厄介事に過ぎないからね」
「……自覚はあるんですね」
「そうだよ」
当たり前かとそう思った。
彼女たちは、自分が思う以上に自分の立場というものを自覚しているようだ。
考えを改める必要があるそう思った。
リリィは、真剣な顔つきでこちらを見る。
「まあ、既に君たちに迷惑をかけてしまっているからね。天使との戦闘も、アダム配下との戦闘も全て私たちのせいだ。私たちは君らに救われた。その恩義は、十分に返すことすらできない大きなものだよ」
「……正直そこまで気にしてはいないんですけどね。僕は」
「……んー」
イグニスが捕まったなら、それを助ければいい。
何を悩むのか。
それが少しわからなかった。
恨むべきは、助けられなかった自分の力だ。
自分が助ければいい。
しかしそう考えこむセーリスクを、リリィはじっと観察をしていた。
そして一言彼に告げる。
「……君は変わっているね」
「は?」
何が言いたいのか一切わからなかった。
今の言葉で、彼女は自分の何を感じ取ったのだろうか。
「君は……なぜ怒らないの?私を問い詰めないの?」
「……」
「もう少し怒りを持っていいものだと私は思うのだけど」
リリィは、セーリスクに何かを語ろうとしていた。
しかしそれは、リリィ自ら口を閉ざした。
何を言いたいのか。
それはわからなかった。
ただそれは悪意によるものではなかった。
気遣いによって、彼女は口を閉ざしている。
それだけはわかった。
「……リリィは、セっちゃんのこと心配しているんだゾ」
「心配?」
「うン。今は、彼女の話をきいてあげテ」
フラーグムが二人の様子をみて、間に入る。
リリィもそれから口を開いた。
「あの場面……君は死んでいてもおかしくなかったんだよ。なぜ恨みをこちらに向けないのかな?」
「それは……」
頭にいくつかの想いが回顧する。
どう伝えるべきなのだろうか。
自分の思考というものがうまくまとまらなかった。
それをリリィは、察したようだ。
「……今、ここでさ。結論を決めさせるつもりはないんだ。ただ胸の片隅においておいて」
「……はい」
「だからさ、私が死ぬ前に教えてよ。君の答えの過程をさ」
「はい」
すぐに答えることのできない自分に、違和感を感じていた。
自分は、あの戦いに満足していた。
充足感というものを感じていたのだ。
だがすぐに乾きがきた。
「いいノ?」
「ああ、彼はまだ戻れる。彼はまだ過程の途中なんだ」
リリィは、彼の危うさに気が付いていた。
ただ変化しつづけている何かが、悪意に転ぶのか善意に進むのか。
それは、セーリスクですらわかり切っていなかった。
どちらにでも振り切れる。
そんな危険な才能を彼は持っていた。
天使二人と戦い合い。
魔力をぶつけ。
それでも生き残った。
自分は、生きるという形で勝ったのだ。
まだ次がある。
それでいい。
そう思っていた。
あの戦いのきっかけとなった二人には、何の感情も抱いていなかった。
それは怒りすらも。
ただひとつの物事のかけらだと。
きっかけにすぎない些末なことだと。
そう認識していたのだ。
でも死んでいたら。
その先は、何もない。
何もない真っ暗だ。
でもそれでいいのだと。
戦いという狂気を飲み込むことができるなら。
過去に結論をつけたはずだ。
その瞬間、ネイキッドとの最初の戦いを思い出す。
あの時に思い出したのは。
あの子の顔。
「……それはやっぱりいやだな……」
自分はまた大切な感情を忘れていた。
胸に空いたなにかを埋めてくれるのは、いつだって彼女だった。
死ぬ気になるのはいい。
だが死ぬ気はない。
セーリスクにとって自己とこの世を繋いてくれる人は、たった一人だった。
「……また会いたいなぁ」
心の居場所はいつだって一つだった。
馬車は先に進んでいく。
セーリスクたちは、海洋国に近づいていた。