記憶
神経が灼ける感覚がする。
鉄のにおいが、鼻を通る。
脳が混乱していた。
いま、誰が目の前にいる。
いま、自分はなにをしている。
それすら定かではなくなっていた。
それすら理解できないほどに体は痛みを覚えていた。
「が……あっ」
もはや声をだす力すら存在しない。
全身の痛みが、動きを押さえつける。
動くなと感覚が訴える。
しかし動くしかない。
地面と対峙し、力いっぱいおした。
でもそれでも体は動かない。
苛つき。
怒り。
「あ……ダム」
顔を上げた。
そこには、【彼】がいた。
アダム。
人間によって作られた歪な存在。
アンデットと魔法と精霊の力。
それらすべてを組み合わせて作られた彼は、この世界で異常な力を持っていた。
それはこの世界を壊すようなもの。
あらゆる憎悪が、彼に向けられた。
自分は負けた。
アダムに負けたんだ。
「ははぁ、汚い顔だなぁ」
彼の笑っている顔が見える。
その顔にさらに恨みを持った。
さっきまで自分は、骨喰という男と戦っていた。
再生能力をもつ骨喰は、何度も何度も殺すことでやっととどめを刺すことができた。
骨喰と戦ったことで、自分の肉体は限度に近かった。
サリエルも同様だろう。
再生を繰り返す彼には、再生速度以上の攻撃を繰り出すしか勝つ方法はなかった。
当然それには、多くの魔力を消費することとなった。
「はっ」
そして気が付く。
骨喰の肉体が、あたり一帯に散っているのが見える。
そして彼の身に着けていた鎧も転がっている。
先ほど倒した彼は、鎧が一部欠けていた。
それを見ているとあることを想いついた。
それは、彼の鎧の能力を使うこと。
あれを使えば、まだアダムに勝てるかもしれない。
そう思い、地面を這いずった。
「彼には手を出させない!」
サリエルが、そういいアダムの目の前にでる。
緑髪の彼女は自分がこれ以上傷つかないように庇っていた。
彼女は自分を守ることで必死でこちらに気が付いていない。
「諦めろよ、サリエル。ミカエルは限界だよ」
「……黙れっ!アダム!お前の話なんて聞きたくない!」
アダムは、余裕を持っていた。
これから立て直すことは無理だ。
彼はそう言いたげだった。
しかしサリエルも諦めてはいなかった。
涙を流しながら、アダムに大声を出した。
「……彼だけは絶対に守る!」
「はぁ、くだらないねぇ」
アダムは、面倒くさそうだった。
彼は一切の損傷を持っていなかった。
それもそうだ。
彼は、骨喰らいと自分たちの戦闘が終わるのを待っていたのだから。
万全の状態でこちらに勝負を挑んできた。
こちらが準備している状況では勝てないと。
そう判断したのだろう。
狡猾にこちらの首元を狙っていた。
「……まあ、どちらにせよだ。君たちはここで潰す」
一体何の希望を持っているのだろうか。
そう彼は、思案する。
アダムは冷めた目でそれを見ていた。
「この状況で、君たちが無事平穏に勝てる手段は……ない」
身体に魔力を込め、肉体が変貌していく。
腕が歪な形に成形されていた。
「サリエル……時間を稼いでくれ」
「……え?」
頭のなかに、この場を逆転させる方法をミカエルは思いついていた。
しかしそれをするには、少しの時間が必要だ。
サリエルにはそれがなんなのか理解ができていなかった。
その疑問をミカエルにぶつける。
「何をするつもり……?」
しかしそんな悠長に話している時間はない。
「早く!説明する時間はない!ともかく頼む!」
「わかったっ」
サリエルは、魔力を目に込めた。
眼の色が、鮮やかに変化していく。
その瞬間、自分の体が制限されるのをアダムは感じた。
魔力によって拘束されているのだ。
困惑することはなかった。
自分はその正体をしっているのだから。
「拘束の魔眼か……」
アダムは、身体に力をいれる。
肉体を変形させ、膨張させるがそれでも破れない。
「うん、これは無理だねぇ。今は、我慢するか。退屈しのぎにはなるだろう」
しかしその力が、変化する様子はない。
たとえ破ることができたとしても、自分の体にはなにかしらの制限を賭けられるだろう。
まるで超硬度の金属かなにかで縛られているようだ。
それに魔眼は、魔法と同じくこの世界の理を変える能力だ。
下手に干渉しないほうがいい。
彼はそう判断した。
「魔眼の影響は計り知れない。下手な魔法より遥かに強力だ。確かにこれでは僕も動けない。でも君も……だろう?」
「はぁ……あぁ」
「無理するなよ。サリエル。君の大事な大事な矮小な存在は、今も頑張っているけど……それは無意味だ」
体力が急速に消耗していく感覚を覚える。
頭痛が止まらない。
現時点でたった数秒。
それなのに、アダムを拘束することを体が耐えきれていなかった。
眼から、血液が零れた。
鼻からもぽつぽつと血液を感じる。
アダムという存在の力が強すぎる。
能力とアダムの魔力が反発しあっているのだ。
その負担は、自身の眼に掛かっていた。
だがここで能力を解除したら、ミカエルが死んでしまう。
それは嫌だ。
絶対に嫌だ。
「惨めで、愚かで、みっともないな。とっとと諦めればいいのに……薄汚い」
動けないからだで、アダムはそれを見ていた。
ミカエルが体を震えさせて、立ち上がろうとしていた。
「無駄だ。君がなにをしようとしているのか。それの結末は知っている」
ミカエルはその声を無視した。
無視して、骨喰らいの体をつかみ取ろうとしている。
「どうせ、骨喰らいの能力を使おうとしているのだろう」
ミカエルのひらめきというものをアダムは知っている。
だがそれはできない。
アンデットと天使の力は、かみ合わない。
相性が最悪なのだ。
彼自身の体が崩壊する。
天使とアンデットの組み合わせをアダムは既に試していた。
「ミカエルさん!サリエルさん!」
「よそ見している余裕はあるの?」
「きゃっ」
人間の女性が、半獣の女性の攻撃を防ぐ。
人間は、能力による壁を作ることで半獣の攻撃を反射していた。
しかし半獣の力は、強くその壁にはヒビが入っている。
衝撃波だけが、人間を襲った。
「ねぇ。なんで!なぜ貴方はこの世界を憎むの?」
人間は、半獣に問う。
この世界を壊そうとする理由を。
世界の意思により力を与えられた二人は、世界を変える力を持っていた。
しかし目の前の彼女はこの世界を変えることなく壊そうとしていたのだ。
「私にはわからない。この世界を憎まない理由を」
彼女は、殺意を込めてその彼女の質問に返答した。
のうのうと生きている彼女を許すことができなかった。
「……わかんないよっ!」
そう言い放つ彼女に、半獣は舌打ちをした。
どうでもよかった。
「この世界はね……もう終わってるの」
「なら私がこの世界を変えるよ!変えて見せる!」
彼女の眼のなかの希望は、いまだ潰えていなかった。
だめだ。
こういった手合いとは、話が合った試しがない。
暴力で口を閉じさせよう。
「なら私がこの世界を終わらせる」
半獣の女性は、人間に苛つきを持っていた。
人間という種族の代表として戦っている彼女にはわからない。
所詮彼女も選ばれた側なのだ。
半獣の自分は、這いずってここまできた。
どんな手段も使ってやると。
全てを睨みつけて、いままで勝ってきた。
だからこれを最後にする。
彼女を殺し、人間を滅ぼす。
「あああああ!!!」
そういった憎悪を、槍に全て込めた。
人間の女性の盾の魔法とぶつかりあう。
アダムの耳に彼女たちの戦闘の音が聞こえる。
体が拘束されるなか、口だけは動いた。
「彼女たちの戦闘もあと少しで終わる。それでやっと自分のひいては君たちの役目は終わりだ。どちらかが死に、どちらかが生き残る」
「……っ」
拘束が弾かれていく。
抵抗しようと、眼のなかの魔力を強める。
しかしそれでも抑えきれない。
アダムの中にある力は、段々と強まっていた。
「生き残った側が世界を変えるんだ。【世界の意思】に触れることができる。世界を変える力を手にする。君たちはもう用済みなんだよ」
眼が、ぽんと音をたて弾けた。
内部の圧力に耐えきれなくなったのだ。
魔力が暴発し、自身の体を破壊してしまった。
アダムの体は、もう抑えきれない。
痛い。
脳味噌がぐるぐるとかき回されているみたいだ。
「ああああ……!」
アダムが、そんなことはわかりきっていたといわんばかりに鼻で笑い馬鹿にする。
「滑稽だね」
拘束の能力は、解除させた。
アダムは、リラックスした面持ちでこちらに歩みをすすめてくる。
「あっちも最終局面だ」
アダムは現状を冷静に観察する。
人間と半獣の戦いは、あと少しで終わる。
そしてきっと半獣が勝つだろう。
防戦一方の人間では、彼女に勝つことができない。
ミカエルは、骨喰らいの鎧を身に着けてから一歩も動けていない。
もうそろそろ体の崩壊が始まるだろう。
「……君の遊びにこれ以上付き合う暇はないんだよね」
「……」
サリエルはまだ諦めていなかった。
ミカエルの体に近寄り、彼を守る。
最後だけは。
せめて最後だけ彼の傍にいたかった。
「まだ守ろうとするのかい?それはもう亡骸だ」
だがミカエルはまだ死んでいなかった。
苦しみのなかで、新たな境地に近づいていた。
「ミカエル?」
その瞬間なにかに達した。
【世界の意思】に触れた。
そこは不思議な場所だった。
何もない世界。
地平線だけが目の前にある。
広く浅く海が広がっていた。
ただ茫然と自分はそこにたっていた。
自分の体を見る。
体の傷は全て治っていた。
「なんだ……?」
誰か立っている。
誰なのか空っぽになった頭でじっと見つめた。
そしてそれを理解しようとしたとき。
自分が触れていけないものに触れたと自覚した。
ミカエルには周囲の音それらすべてが聞こえていなかった。
心の中にあるのは、悪化した膿だけであった。
憎い。
眼前の全てが憎い。
この憎しみはどこから湧く。
ああ、世界か。
この世界が悪いのだ。
この世界を変えれば、自分は救われる。
なら抗おう。
全て潰そう。
周囲にどす黒い魔力が渦巻いた。
アンデットの黒い魔力と、自らの体から生まれた業火の魔法。
それら二つが重なりあい、そして。
「ミカエル!」
そこから先の記憶はない。
覚えていない。
虚ろで、本当の記憶なのか定かではないのだ。
それが、過去の記憶。
【ミカエル】としての最後の記憶。
忘れていた過去を自分は全て思い出したのだ。