三十二話「彼女の存在」
ペトラとソムニウムは、四人を待っていた。
待っている人物というのは、当然イグニス達のことだ。
「……遅い」
しかし戦闘行為にしては長すぎる。
これ以上長引くのであれば、もうペトラを先に豊穣国へ帰したい。
ソムニウムにとって、最重要事項はペトラだった。
ペトラさえ無事であれば、どうでもいい。
彼はそう言った考えを持っていた。
「ペトラ。ここにも法王国の兵士が来るかもしれない。離れよう」
「まだみんなが来てない!やだ!」
今、ここには法王国の兵士はいない。
だが、イグニス達の戦闘行為が終了したらこちらに向かってくる可能性はある。
イグニス達と行動を共にしていたペトラが、変な疑いをかけられるかもしれない。
確保されるということは、自分の存在がある限りないだろう。
しかし法王国の接触があるかもしれないというだけでもソムニウムにとっては許しがたいことであった。
「これ以上は……私がいくべきか?」
ペトラを一人にすることもできない。
しかしペトラの願いをかなえることもできないのも悔しい。
ゴーレムを生成することもできるが、自分が指示をださなくては天使相手では数秒と持たない。
そんなことを考えていると、彼らはきた。
「ペトラさんっ!早く!出ましょう」
「フォル!」
ペトラの顔が一気に明るくなる。
だがそれは一瞬のことであった。
「ペトラ……すまない」
「……?」
リリィがこちらに対して謝罪をする。
どういうことだと。
ペトラは考えた。
そして気が付いた。
イグニスの姿が見えないと。
「リリィはいる。フラーグムもいる……イグニスはっ!」
「……イグニス・アービルはこないか」
ソムニウムは、イグニスの姿が見えないことに対して残念そうな顔をする。
彼女は天使の攻撃に対して逃げ切ることができなかったのだろうか。
「なんで!イグニスはなんでこないの!」
「ぺトちゃん頼む。今は逃げることに専念しよう。私たちは、ミカエルを抑えることができなかった」
「……っ」
悔しかった。
その戦闘行為に加わることのできない自分が。
どのような経緯をもって、イグニスはここに来ていないのか。
それを知ることができず、関わることもできなかった自分が憎かった。
「ペトラ。今は、豊穣国に帰りなさい。イグニス・アービルとの合流は、時間をかけてするべき事項だ」
「……はい」
ソムニウムの意見に対してペトラは反論することができなかった。
即座に観察しただけでも、フラーグム以外の三人は傷だらけだ。
魔力も限界に近い。
この状況でイグニスの捜索に赴き、天使との接敵をした場合損害はこれ以上になる。
今はイグニスを信じることしかできないのだ。
「お兄ちゃんは?」
「私はこの都市を離れることはできない。天使がここで戦闘を行ったことに対しても追及しなくてはいけないしね」
ソムニウムが、ペトラについていくことはできない。
彼はこの都市の管理者でもある。
それに、法王国がこの都市に戦力を投与したことに対しての責任を問い詰める必要が彼にはあった。
「……そう」
「元気でな。ペトラ。お兄ちゃんはいつだって応援しているよ」
「わかってるよ」
彼は腕を広げてペトラと向かい合った。
反抗することなく、ペトラは兄の抱擁を受け入れた。
そこには、邪な感情などなかった。
家族という親愛の情によって生まれた行動であることをペトラは感じ取っていたのだ。
このまま元天使である二人と一緒に兄といることはできない。
即急に豊穣国に帰る必要があった。
「みんな……この国からでよう。今後の方針はそれで決めるべきだ」
「はい」
「……そうだね」
ソムニウムは彼らを見送った。
ペトラたちは、魔動車に乗ることで移動を開始する。
機兵大国に入国したときによった都市にはいけない。
法王国の兵士が待っているかもしれない。
ひたすら南に向かい、獣王国か豊穣国の一部に入る。
計画としてはその予定だ。
「リリィ。イグニスはどうするつもりだ」
ペトラは、魔法道具に魔力を込めながらリリィに話をする。
それは、イグニスに関することだ。
イグニスとは結局合流できていない。
ペトラは、イグニスのことをそれほど心配していた。
彼女の人格を含めて彼女の能力というものを高く評価していたからこそだ。
彼女であれば、法王国に確保されても何かしらの行動を起こす。
そういった信頼というものをイグニスに対して持っていた。
「イグちゃんを待つことは得策ではない」
「……」
「そのことはわかるよね」
「ああ」
イグニスを待つことによって生まれる不利益は大きい。
自身がとらえられる可能性だってある。
それに、リリィとフラーグムは確実に行動を制限される。
今後の戦いにおける協力を見込むことはできないだろう。
それに、法王国の威光は薄れてもこの世界における天使の権力は大きい。
世界の敵であるアンデットの最大の天敵。
それが天使。
法王国そのものに対して信頼を置いていないものでも、天使という存在を頼ろうとするものは多い。
その存在に疑いをかけられている。
その負担を、セーリスクとフォルトゥナにかけたくない。
なによりこれ以上の行動は、アーティオにどんな影響があるかわからない。
総合して、ペトラもイグニスを待つことに対してメリットを感じていなかった。
「それにラミちゃんがこっちにきたら確実に捕まる。逃げれる。逃げれない。そういった話じゃない。絶対に。確実に。こちらは捕まる」
「……わかってるよ。わかってるけど」
彼女の言葉には圧があった。
それほどまでにラミエルの追跡能力を高く評価していたのだ。
【神の雷霆】の能力。
雷の魔法は、それほどの力を持っていた。
「加えて私たちは、後手に回っている。その現状を覆すことはできない。危険だ」
フォルトゥナは思わず息を呑む。
彼女はセーリスクの戦闘を思い出していた。
自分は一切混ざることができなかった
それは、セーリスクと法王国天使二人との戦い。
セーリスクの膨大な魔力であっても、彼らは対応していた。
彼らも魔法においてセーリスクに後れをとっていたが、それは彼らが魔法を専門とするものではなかったからだ。
そのことだけは、フォルトゥナでさえわかった。
「いまこの程度で済んでいること。それだけでも幸運なんだ」
「……っ」
イグニスとなんとか合流して。
そのあとはどうする。
こちらが不利になるだけだ。
大事なのは損失を抑えること。
そのことにおいて、ペトラとリリィの意見は一致していた。
「今は態勢を整えて、イグちゃんを取り戻すべきだ。情報が足りない」
「……それには同意だ。だが」
「だが?」
その意見に対して反論することはない。
イグニスを放置し国外にでることは、確定だ。
今はイグニスを信じよう。
「……不安定要素が多すぎる。いまここで、四人の内一人でも来たら終わるぞ……」
ペトラは頭を抱えた。
リリィもセーリスクも体力を消費している。
フラーグムには、国宝級の使用だけに集中してほしい。
どうするべきだ。
「私がなにかできませんか」
「えっと……そうだね」
フォルトゥナが、二人に自分ができることがあるかと質問を投げかける。
しかしその疑問に対して二人は苦い顔をする。
悩ましいといった感情であった。
「フォルくんには本当じゃあ……偵察をお願いしたいけど……」
「ここで、フォルの魔力を消費したくない。ただでさえ抜けるときに消費させたんだ。今は休んでくれ」
「……は、はい」
「フォルは休むんだゾ」
ラミエルが、いまどのような状態なのか。
そもそもイグニスが戦闘しているのか。
それすらこの場にいる人物は把握しきれていなかった。
明らかに情報というものは不足している。
フォルトゥナに探らせるという手段もあるが、その場合後々手数が不足する。
行動として選べる手段は限られていた。
天使は通常でさえ高い機動力を誇る。
いまこちらにだれか向かっている可能性だってある。
今何が起きているかわからない。
だからこそあらゆることを思案するべきだ。
「イグニスは今どんな状態になっていると推測できる?」
「最悪なのは、天使四人全員を相手にしていることだね。イグちゃんならそんな状況でも逃げることができると思うけど……」
「……」
「それは本当ですか……?」
フォルトゥナとペトラは、お互いに顔を見合わせた。
イグニスなら四人相手でも逃げ切れる。
同格の天使にすらそんな評価を下される。
そんなイグニスというものが二人にとって計り知れなかったからだ。
「イグニスは凄いんダ」
「それは重々わかってたつもりだけど」
「うん。イグちゃんならそれができるよ。天使四人同時に相手が」
イグニスの戦闘技能は高すぎる。
加えて魔法の熟練度もだ。
全てが合理的で、そこには理屈があり芸術的な美しさがあった。
素人からみても常人がたどり着ける境地ではないと理解することができた。
まあ、いま目の前で寝ているアホはそこを目指しているそうだが。
「……懸念点としては、ラミちゃんとミカちゃんなんだよね」
「その二人がどうしたの?」
「イグニスは優しすぎるからナー」
「あっ」
二人が言いたいことが何となく伝わってきた。
優しい。
それは一般的には、良い意味だ。
しかしそれは別の意味も持っている。
甘さだ。
「……ほら。私は彼女のこと変わったって言ったよね」
「ああー」
「確かに言ってましたね」
「性格もさ、昔よりまた優しくなってたんだ。彼女は……優しすぎるから法王国を抜けたんだけどね」
眼を伏せて彼女は語る。
きっと彼女の頭のなかには、過去のイグニスが写っているのだろう。
ペトラもフォルトゥナもイグニスの心の優しさというものに触れた。
人柄というものを好ましく思っていたのは事実だ。
「イグちゃんってとても優しいからさ。味方相手だと全力を出せないんだ。勿論全力をださなくても彼女は勝てる。でもさ……」
「……だけどあっちは必死だ」
「そう。きっとラミちゃんもミカちゃんも全力でイグちゃんを取り戻そうとする」
イグニスが、天使相手に全力をだせなくても。
法王国天使は、全力で彼女を確保しようとする。
イグニスは本来処罰されるべき人物だ。
いきてさえあれば、どんな状態であったってかまわない。
今まで放置されていたのは、彼女の人望というものが大きかったのだろう。
だが今回だけは本気だった。
天使四人が同時に襲ってきた。
天使たちが今回においてイグニス相手に手を抜くなどあり得ない。
「なんで……イグニスさんは彼女たちにあんな固執されるんですか」
イグニスは、ラミエルにもミカエルにも少し歪な感情というものを向けられていた。
フォルトゥナはそう言ったものを感じとっていた。
「……イグニスはね。本当優しいんだ」
「うん」
「彼女は私たちに居場所を与えてくれた。感情を与えてくれた」
その言葉は、決して冗談で言っているものではなかった。
フラーグムもリリィの発した言葉に対して真剣な顔で頷いていた。
二人の持っているイグニスに対する感情も生半可なものではなかった。
彼女たちも深くイグニスという人物に救われたのだろう。
それが、その言葉だけで察することができた。
それほどまでに彼女の言葉は重さというものを持っていた。
「天使というものはさ、もっと無機物でなくてはいけない。感情を排除し、理屈で動く。それが天使のあるべき姿」
人々を救う。
知識を与える。
アンデットを祓う。
それが、天使という存在の意義。
それだけが生きる価値。
本来であれば、それを捨てたイグニスに生きる価値はない。
しかしイグニスは、肯定されていた。
新たな存在として。
「そうだね。僕も君たちはもっと怖いものだと思っていた。イグニスのことも本当はもっと疑っていた」
ペトラの法王国天使の認識はリリィの言う言葉通りであった。
世間一般的なものもそうなのだろう。
生物としての感情を捨てるべき存在。
それが天使であった。
天の使いに成らなくてはいけない。
それが、彼らの持つ存在意義。
「でも違うんだね。イグニスが。イグニスが特別だったんだ。君たちにとって。僕たちにとっても」
「……うん。そうだね。私の性格も、グムちゃんの性格もきっと昔に近いもの。本来過去に捨てたものだったんだ」
「でも……イグニスがそれを思い出させてくれタ」
「組織という集団行動において自我というものは実に厄介だ。一つの感情で集団を乱してしまう」
「うん」
法王国は、感情というものを好んでいなかった。
それは判断を鈍らせる。
それは時に、知識すらも惑わせる。
感情という情報を省き、正確に正しく伝えること。
それこそが、彼らに求められた役割だったからこそ彼らは嫌った。
「でも彼女と関わっているとどこかしら思い出してしまうんだ。私たちはなにになりたかったんだろうって」
「……」
彼らは、自分の存在意義を見失ってしまった。
そんな時にイグニスがいた。
彼らにとっての柱はイグニスだったのだ。
「天使における集団のリーダーは、ミカエルだ。けど違う。中心にいたのは。今の世代の天使というものを成り立たせてくれたのはイグニスだったんだ」
そしてそんなイグニスがいなくなったからこそ、天使という組織は崩壊したのだ。
戻りかけていた感情は中途半端に成り立ってしまった。
未熟な器は、再び亀裂を生んでしまった。
それが今回のようなミカエルとラミエルの異変なのだろう。
「君たちは……イグニスに依存しすぎた。彼女がかわいそうだ」
ペトラは、率直に感じ取ったことを口に発する。
それは事実であった。
リリィもそれを否定することはできなかった。
「ははっ……ぐうの音もでないね」
そんなとき、セーリスクは眼を覚ました。
「……いたっ」
ウリエルに斬られた傷を抑えながら、体を起こす。
痛みは、ある。
だが傷は深くないことを自覚する。
視認してそれを確認する。
魔力の欠乏が大きい。
魔力が切れたあとは、フォルトゥナに助けてもらった瞬間まで覚えがある。
「どうなった……?」
短い時間ながらも、彼は気絶していた。
周囲の状況を把握しきれていない。
頭がいたい。
「いてっ……」
魔力を使いすぎた。
「セーリスクさんっ」
フォルトゥナが、彼を心配して声をかける。
意識は朦朧としていないことに、ペトラとリリィは安心していた。
気絶による影響はそれほど大きくないようだ。
一時的に体力を消費していただけだろう。
「フォル……負担をかけたな」
セーリスクは、フォルトゥナに謝罪をする。
最後の瞬間、フォルトゥナに助けられた。
あのまま、戦闘行為を行っていてもウリエルの国宝級に完封された。
あの状態で、逃げることができたのは、フォルトゥナのお陰だ。
フォルトゥナの魔法を、天使側は正確に把握していなかった。
情報が不足するなかで、数人の損害を与えたのだ。
相手側は警戒により撤退するしかない。
「いや、違います。私はあなたに救われたんです。気を落とさないでください」
「それでもな……最後は情けない」
セーリスクは、先ほどの戦を思い出す。
ウリエルとサリエル。
その二人の魔法に自分は打ち勝っていた。
尚且つ、ウリエルには国宝級の能力まで開放させた。
それでも勝てなかったのはなぜか。
敵の圧倒的な戦闘経験の差だ。
どこまで魔法を使えば、魔力が切れるのか。
それを見切られていたのだ。
だから相手もそこまで積極的に攻めることなく、魔力切れを待つことができた。
リリィの水の魔法を凍結させた時点で、恐らくそれは狙われていたのだろう。
それすら気がつけずに、魔法を連発したのはこちらの判断不足だ。
「気を落とすことはないナ。天使二人と魔法を打ち合って、魔力を保てる方がおかしいゾ」
フラーグムは、そうセーリスクを励ました。
そもそも魔法を打ち合える時点で、ある程度の技量を持っていると判断していい。
そのうえ、今回は一対一の対決ではなかった。
頭のなかに考慮する要素が多すぎたのだ。
「セー君には、頼りすぎちゃったね。本当にごめんね」
リリィはセーリスクに謝罪をする。
自分もミカエルを抑えることに必死だった。
だがそれでも、彼に負担をかけたのは事実だ。
「いえ、僕が強ければうまくいった。貴方も気にしすぎないでください」
「……」
ウリエルは、フラーグムを動かないことを条件に自身も動かないでいた。
そしてサリエルも、本気ではなかった。
こちらは時間稼ぎに必死だったが、相手は自由に動けたうえでこちらに乗ってくれたのだ。
イグニスさえ確保できれば、こちらの士気は落ちるとわかっていたから。
イグニスとリリィ。
その二人に頼りすぎたことがこちらの敗北の原因なのだ。
「イグニスさんは……無理だったんですね」
こちらの状況はほぼ撤退に近かった。
あの状態では、イグニスの援護に向かうこともできない。
そしていまこの場にイグニスがいないことですべてを察した。
「イグちゃんは……あのまま帰ってこなかった」
リリィは頭を下げる。
そして言葉をつづけた。
「今回の事態を引き起こしたのは、私たちのせいだ。私たちがぬけたせいで、法王国はイグニスの確保に真剣に取り込む事態となってしまった」
「……今更でしょ。遅かれ早かれ君はこの事態が起こることを理解していた」
「そうだね。わかったうえで、私は君たちと一緒にいた」
「開き直るなよ」
「二人ともやめてください……よ」
「フォルいまはだめだ」
ペトラの指摘をリリィは、肯定した。
彼女はわかっていたのだ。
天使複数人が、こちらに向かってくることを。
しかしそれにはあまりに時間が早すぎた。
普段の法王国では、もっと遅れるものだと彼女は認識していた。
だがミカエルは本気だった。
彼女はずっと待っていたのだ。
イグニスを取り戻してもいいといわれる瞬間を。
その熱意を見誤っていた。
加えてウリエルのラグエルに対する感情。
そういったものを計り切れていなかったことも。
リリィのミスだろう。
「この失敗は絶対に取り返す。私は命に代えてでも彼女を君たちの元へと返すよ」
「命をかけられても困るんだけどね」
「……ごめんね……」
「ペトラ……」
「……ちっ」
ふんとペトラは、リリィに顔をそむける。
セーリスクも、それを注意しようとしたができない。
イグニスを失うという結果を生み出したのは、確実に彼女たちのせいだ。
それを理解しているからこそ、セーリスクはペトラのことを強く咎めることができなかった。




