三十一話「空虚」
「剣を抜きなさい。ラファエル」
「……ああ!くそっ!」
イグニスとミカエルは、向かい合う。
イグニスは、電撃によって麻痺したからだを無理やり起こす。
風の魔法によって身体能力を強化した。
イグニスとミカエル。
二人の剣は重なり合った。
体が痛すぎて、視界がぶれる。
力が入っている感覚がしない。
リリィは、フラーグムは。
皆はどうなった。
剣に集中できずにそんな疑問が湧いてくる。
「ラミエルは……そこで寝ていますか」
血まみれの姿になったラミエルをミカエルは視認する。
治療も時間がかかるだろう。
魔力も、体力も使い果たしていた。
「……そこまでやるとは意外でした」
ラミエルの今の姿に、ミカエルは驚きを持っていた。
イグニスがラミエルに勝つのは想定内だ。
しかしここまで激しい損傷を負うことになるとは考えていなかった。
それほどまでに両者必死だったということか。
「なにが……貴方を。なにが貴方を豊穣国に帰らせたいと思うのですか」
「……」
ミカエルは内心で衝撃を受けていた。
そこまであの場所にかえりたくないのか。
あの故郷を醜いと考えていたのか。
質問は心に浮かんでいた。
だが目の前の彼女に問い詰めることはできなかった。
答えを聞いてしまったら、その答えによって心が砕けそうだった。
「俺だってこんなことは……やりたくなかった」
「ですよね」
剣と剣が交差する。
ミカエルは、剣に炎を纏っていた。
剣を振るたびに、火の粉が散る。
「普段の貴方であれば、私は敵わない。ですが」
「ぐっ」
「今の貴方なら話は別だ」
ラミエルは、最後の最後に嫌なことをやってくれた。
ラミエルの瞬間的な雷撃。
魔力によって打ち消すことができたが、体への負荷が消えない。
常におもりをもって戦っているような気持ちだ。
剣を振るたびに痛みが脳裏を走る。
「私は。貴方を法王国に連れて帰る」
ミカエルは、自身の武器に魔力を込める。
強い魔力が収束し、武器に集まっていた。
そしてミカエルはその武器の名前を告げた。
「【神剣フランベルジュ】」
空中に炎が発生する。
炎を形成した灯篭が、ミカエルを包み込んだ。
火は、周囲を包み込んだ。
「お互い手加減などできないはずです。そうでしょう?」
場は整った。
法王国第一位としての責務を果たす。
疑いも、疑問ももういらない。
自分の立場を。
自分の成すべきことを理解し。
それに励む。
それが自分の存在価値だ。
「私は!法王国第一位【ミカエル】。剣を構えなさい!」
「……っ」
言葉がでなかった。
自分がどんな自己主張をしようと彼女は引き止めてくる。
貴方の居場所はここだといわんばかりに。
彼女に逢えてうれしかった。
けどそんな感情より先に憎さがきた。
邪魔するなと。
私を放してくれと。
身勝手だ。
貴方は狡くて身勝手だと。
そういいたかった。
自分の立場の正当性を利用するな。
でもどんなに憎く思っても、どんなに恨めしく思っても。
彼女に対する愛情や信頼が口を閉ざしていた。
「ラファエル!」
彼女はイグニスを真っすぐ見つめる。
自分の役割と居場所をじっと見ていた。
眼はこちらを見ていても、心は自分のことなんかちっとも見てくれない。
お願い。
話を聞いてよ。
「あああああ!」
怒りと嬉しさと、何なのかわからない感情が、イグニスの心の中心に渦巻いた。
戦いは再び始まった。
「闇を照らせ【テネブロイ・ウーロ】!」
「突風よ!【ラファーガ・ドロール】!」
彼女の発射された魔法を突風により打ち返す。
炎は風によって消えた。
突風と炎がぶつかり合う。
イグニスとミカエルは徐々に接近していた。
イグニスは、目の前の敵に対し【裂空】を出す。
「裂空!」
「裂け。【フランベルジュ】」
彼女が言葉を発したと同時に、イグニスの【裂空】は打ち消される。
そして胴体には、炎で焼かれた怪我があった。
服が、斬撃によって切られていた。
「……っ」
「見ることのできない斬撃。避けるのは難しいでしょう」
【神剣フランベルジュ】。
その能力は、火炎の生成。
願った場所に、自由に炎を生成できる。
これによって、ミカエルはイグニスをけん制することに成功していた。
炎の斬撃が、イグニスを襲う。
イグニスは、そのすべてを剣によって防いでいた。
「……まだだ」
まだだ。
自分は、あの場所に帰る。
豊穣国に帰って、またマールと一緒に。
「まだだ!」
剣を振る。
一心不乱に。
イグニスの高速の剣技をミカエルは見切ることができなかった。
腕や、脚に損傷が増えていく。
しかし重要な部分は、何とか防いでいる。
「【ラファーガ・ドロール】!」
「くっ……」
突風によって、ミカエルの胴体には切り傷が入る。
ミカエルも、魔力の限界は近いようだ。
疲労が垣間見える。
強力な魔法をそれほど放ってこないのだ。
自分も、ラミエルとの戦闘で長時間の戦闘は避けたい。
そろそろ決着をつけるべきだ。
そう考えていると、彼女は声をかけてきた。
「そんなに……あの国がいやなのですか」
「……」
「そんなにあのばしょに。帰りたくない……?」
ミカエルにとって、イグニスという人物は不透明であった。
唐突に故郷と教えを捨てた。
連絡も一度もくれたことはなかった。
自分のことを好いてくれたことなど一度もなかったのではないか。
あの過去は、全て欺瞞で張りぼてだったのではないか。
ミカエルの心はそれに包まれていた。
「貴方にとって……私は……」
一体どんな存在。
そんなことを聞こうとした。
もしかしたら望んだ答えが聞けるかもしれない。
そんな一抹の希望にかけた。
だがそれには言葉が遅かった。
「……なんで。私を自由にしてくれない。なんで私を離してくれないんだ……」
「……え」
それは心からの叫び。
イグニスは自身の本心を彼女に訴えかえていた。
ミカエルの動きが止まる。
イグニスの言葉に心が動揺していた。
やめて。
それ以上言わないでと。
とめたかった。
でもとめれない。
自分にはその価値はない。
遮ることなどできない。
そう思った。
「いつだって貴方はそうだ!」
想ってもいない言葉が口からあふれていく。
もう彼女からは離されたかった。
でも違う。
いつだって貴方のことを信頼していた。
いつだって貴方の傍にいたかった。
姉のように思っていた。
貴方と似ているといわれることが何よりもうれしかった。
貴方と隣で戦い合えることが幸せだった。
一度だけでもお姉ちゃんと呼んでみたかった。
「貴方なんて嫌いだ!」
「そんな……そんな」
想ってもない言葉が漏れていく。
すれ違いは、決定的だった。
「……私のことが嫌いならもっと早く言ってよ……!」
「……あっ」
言ってはいけないことを言ってしまった。
謝ろうとした。
でもそこから先はもうおしまいだった。
「ずっとずっとそんなこと思ってたならっ……私の思いは!」
「違うんだ!ミカっ……」
全部無意味だった。
自分が、彼女のために考えていた全ては自分の考えすぎで。
最初から自分は嫌われていたのだ。
そう思うと何もかもがどうでもよく思えた。
「……【神剣】」
ミカエルは、自身の剣に魔力を込めた。
狙いはひとつ。
斬撃は、イグニスの胸元を深く斬っていた。
出血が止まらない。
鼓動と同時に、血液は脈を打つ。
炎が、イグニスの肌を強く焼いた。
手のひらは血液まみれになっていた。
命を失う限度に接していた。
「え」
痛みで意識が遠のいていく。
声すら出すことができなかった。
そのダメージの大きさに、イグニスは気を失いそうになる。
何とか、意識を保つ。
その場に倒れこんだ。
腕に力を入れるが、力が入らない。
立ち上がることはできない。
「……こんなことを本当はしたくなかった」
彼女は、剣を抜いた。
そして魔力を込める。
その剣に炎が宿る。
光を放つ。
「でもしょうがないんだ。貴方が……もう私のことが嫌いだから」
そしてイグニスの体に異変が起こった。
記憶が。
思い出が溶けていく。
言葉で言い表すことのできないそんな不思議な気持ち。
「私は……私は……」
誰だ。
自分は。
思い出せ。
思い出せない。
歯ぎしりをした。
奥歯の感覚がなくなるくらい歯をかみしめた。
遠のいていく。
海の底のように。
グラスのなかの氷が解けていくように。
自我が失われていく。
「嫌だ……」
記憶がなくなっていく。
思い出が。
全てが。
欠けていく。
溶けていく。
無くなっていく。
私は。
私は。
誰だ。
「そう貴方は……」
「嫌だ……嫌だ……」
泣いて否定した。
「やめて……それだけは……」
涙が零れていく。
その場から離れようとする。
しかし体に力は入らなかった。
失いたくない。
あの記憶を。
友達との思い出を。
マールを。
忘れたくない。
涙が零れていた。
でもミカエルは、その剣を持つ手を緩めることはなかった。
「お願い」
お願いします。
これだけは。
そう神に願った。
でも運命はそれを許さなかった。
セーリスク。
ペトラ。
フォルトゥナ。
骨折り。
プラード。
……マール。
助けて。
彼らとの思い出が、記憶が走馬灯のように走り抜けていく。
だが、ミカエルは一切の躊躇を持たなかった。
「法王国天使第三位」
ミカエルは、仮面を取った。
その眼と。
その透き通った赤い目と目があった。
その眼から目を離すことができなかった。
そして彼女は告げる。
過去の自身の名前を。
はっきりと。
自身に刻むように。
眼を見開きこう発した。
「ラファエル」
【神剣フランベルジュ】。
その能力は二つ。
一つ目。
炎を空間上に振るだけで出現させる。
そして二つ目。
それには、異質な能力があった。
それは記憶を焼き尽くす。
そして記憶を焼き付ける。
纏めて【強制催眠】。
都合のいい記憶のみを残すことのできる能力であった。
「ああああああ!!!!」
脳が焦げる。
目に焼き付けられる。
思い出が。
過去を。
埋め尽くした。
イグニス・アービルは消え去った。
絶叫が、その場に響いた。
「が……っああ」
そうしてラファエルは、気を失った。
体力と思考の限界であった。
全身の力を失い、地面に倒れる。
ミカエルは、それを抱え抱きこむ。
「……ラファエルを確保しました。退却します」
周囲の兵士たちに、そう告げた。
そしてもうひとり背後の人物に話をする。
「もう眼は覚めているでしょう。一緒に帰りますよ」
ラミエルは、その場に立っていた。
先ほど失っていた意識は既に戻っていた。
「先輩……」
ラミエルは、イグニスの心配をしていた。
そのとき見たイグニスは過去の悩みなどなにもないように、穏やかな顔で眠っている。
正直ラミエルもこの方法だけは避けたかった。
でも今はもう方法を選ぶ余裕なんてない。
「今回は……力を借りたけど。これで最後だからね」
そうミカエルのことを睨んだ。
イグニスのことを連れて帰ることのできなかった自分を恨みながら。
イグニスは、自分ではない別の何かを選びとったのだ。
だからこの結末になったことを恨んではいない。
ただ自分が苦しかった。
「……目的が一致しただけです」
「そうだね……」
ラファエルは確保した。
これで法王国の目標は達成することができた。
ラグエルとガブリエルはきっと逃げている。
ガブリエルのことを決して過小評価しない。
また別の機会で確保すればいい。
ラファエルがいる以上それはいつでもできる。
なによりミカエルはラファエルに固執していた。
なぜ自分を離れたのかと。
自分自身を常に疑い、摩耗していた。
「……ああ……よかった」
安堵した。
心の中の穴がやっと埋まった気持ちだ。
大好きなあなたがついにかえってきた。
言葉が漏れていた。
きっと貴方は疲れているんだ。
ラファエルに対しそう思った。
普段の自分では、あり得ないほどに感情が零れていた。
それは、何よりの安心であった。
貴方がいれば、きっとすべてがうまくいく。
貴方がいれば、最初から元通りになる。
「おかえり、ラファエル……」
おかえり、私の可愛い大事な妹。
ミカエルは、涙を零した。
再び否定される恐怖に怯えながら。




