二十八話「雷撃と恋」
機兵大国のある場所。
イグニスは、ある人物と向き合っていた。
ラミエルだ。
彼女は、イグニスを捕獲するためにここまでやってきた。
普段の私服とは違い、今は法王国の制服を着ている。
顔にも白い仮面をつけていた。
「はぁ……」
「……」
彼女もいつもと違い、剣吞な雰囲気を持っていた。
しかしそれは即座に消える。
彼女は、仮面を外しイグニスに話しかける。
「また会えたね。先輩」
「……ラミエル」
彼女は少し悲しそうな顔をしていた。
イグニスを強制的に捕まえなければいけない状況になったのは、彼女にとっても好ましいものではなかった。
彼女は、イグニスを仲間にすることは望んではいたがイグニスの意見を無視するのは望んではいない。
彼女はあくまでイグニスのことを愛しているのだから。
「先輩の存在は、もうミカエルも知っている。私たちは、先輩の確保を命じられた」
彼女は今の事情を説明する。
イグニスもそれを理解していた。
法王国は自分たちを捕まえることに必死になっていると。
「……むしろ遅すぎるぐらいだろう」
「ははっ。そうだね」
そのことをイグニスは既に考えていた。
遅すぎると。
事実イグニスの正体が露見するのは遅かった。
不思議なぐらいに遅かった。
それには、ラミエルがかかわっていた。
彼女の任務には、偵察も関係している。
情報を操作することが彼女にはできた。
彼女は、イグニスの手助けを自分の都合とはいえしていたのだ。
だからこそここまで発覚することはなかった。
「私があれこれ誤魔化していたしね」
「それは……ありがとう」
イグニスは素直に彼女に感謝を述べた。
彼女のお陰でこの数年間旅ができたといってもいいのかもしれない。
「それは別に大丈夫。法王様も、第三位がぬけたなんて不祥事は公にしたくなかったみたい」
「そうか」
それは納得できる理由だ。
彼女は続けて話す。
それは今の状況に関わるものであった。
「でも、ガブリエルとラグエルがぬけて話が変わった。法王国は今先輩の戦力を一番に欲しがっている」
「……」
イグニスが第三位の立場を捨てたというのは、世間一般にはそれほど広がっていなかった。
表舞台ではないところで、人々を救っていると。
そういった話だけが流布された。
でも今度は違う。
第二位と第五位の同時の離脱によって、法王への不信感は高まっている。
法王国は、ただでさえ豊穣国の女王デア・アーティオの存在によって求心力を失っている。
それなのに、法王国の象徴である天使が三席も空白なのは非常に危険な事態であった。
だからこそ今動いた。
イグニスの居場所をラミエルが知らせた。
ミカエルが動き出す。
そういう状況をつくるために。
そして法王国天使四人の集結という戦力を生み出せた。
「だからこそ、私たちはイグニス・アービルを。法王国第三位【ラファエル】を確保しなければいけないってこと。わかった?先輩」
「なんとかできないのか?」
「もうできないんだよ、先輩。法王国はこれ以上離反者を増やすわけにはいかない」
イグニスはその言葉になにも反論できなくなっていた。
法王国の天使は、民衆を救うことだけを考えなくてはいけない。
そこをぬけだしてマールを救うことだけを考えたのは自分なのだ。
おかしいのは、自分なのだ。
しかしそれでも自分にはまだやるべきことがある。
「ラミエル……そこをどいてくれ。俺はここからでなければ、あの子を救わなければ……」
「……だめだよ、先輩。それだけはだめなんだよ。この指示は絶対。今の私は従うことしかできない」
「……くそっ」
「ごめんね。先輩。私も先輩のお願いごとを叶えてあげたい。でもそれだけはできない」
法王国は既にイグニスを見逃すことはできない。
彼女をこれ以上野放しにすることは、法王国の今後に大きくかかわる。
だからこそ今回において、四人も動員してイグニスの確保を最優先にした。
そのうえ、法王国の兵士は何人かこの状況を見ている。
自分がイグニスを逃したら自分も敵対者であると異端者にされる。
それは好ましいことではなかった。
「頼むっ!私を……逃がしてくれ!君ならそれができるんだ!」
懇願した。
ラミエルの力を頼った。
だが彼女はその声に対して苦々しい顔をする。
自身の心の矛盾というものに苦しんでいた。
イグニスから頼られることがこれ以上なく嬉しいのに。
なぜいまさら私を頼るの。
捨てたのは貴方なのに。
そんな感情が滲んできた。
「ごめんね。先輩。もうやめて。私を頼らないで」
「ああ……ごめん」
「謝らないで」
無理なお願いをしているのは、わかっている。
それに、自分はラミエルからの好意を何度も断り続けてきた。
それなのに、そんな自分が今さらラミエルからの好意を利用するのは不誠実だ。
虫のいい話なのだ。
自分勝手で、自分でも嫌になる。
こんなこと間違っている。
でもそれでもとイグニスは考えていた。
そんなときぽつりと彼女はつぶやく。
「もっと早めに。もっと早く。それを言ってくれたら。なんであの時それを言ってくれなかったの」
「……?」
「私ね。先輩のことが大好きだよ。ずっとずっと忘れない人」
貴方が私を連れて言ってくれなかったときから、私の時間は止まっている。
なんで私を置いていったの。
なんで私を連れて行ってくれなかったの。
それを聞くことができなかった。
聞いてしまったら何もかもが崩れそうで。
それが終わりそうだった。
幸せな時間が壊れそうだった。
貴方は私を救ってくれた。
私は貴方を愛していた。
でも決して私は貴方を救うことはできない。
もう考えるのは疲れたんだ。
「もうね……私は諦めているんだ」
「……」
言葉がでなかった。
彼女の眼からは、涙が零れていた。
「この世界も。こんな自分も。そして先輩を愛すことも」
私は選ばれなかった。
私は先輩に手を取られなかった。
先輩は、私のことなんてどうでもよくて。
初めてあった少女を選びとったんだ。
救われたはずなのに。
愛していたはずなのに。
貴方にならどんなことでもできると思っていたのに。
私は貴方を愛していた。
けれどいつの間にかに見返りを求めていた。
摘まれなかった花は枯れてしまった。
水も与えられず。
思いは、枯れていた。
もうこんなものいらない。
「もう疲れちゃった」
彼女はにこりと笑う。
それは悲しい笑顔だった。
何も声がだせなくなるような。
哀れみすら向けられないそんなひたすらに悲しい笑み。
彼女は笑いながら涙を零していた。
彼女は思う。
貴方が最初からここにいてくれたら。
私の傍にいてくれたなら。
でもそんなことはありえない。
先輩は私より大事なものができたんだ。
幸せだっただろうか。
自分は救われたのだろうか。
それはわからない。
だけど先輩が私を選んでくれたら。
私はどうなっていただろうか。
きっと今とは違うのだろう。
そんなもしもを考えた。
そんなことを考えてしまう。
現実はそんな甘美ではない。
酷く口当たりが悪く苦かった。
「ラミエル……?」
そうはならなかった。
その夢は泡沫だった。
泡のように消えていった。
淡い淡い夢だった。
貴方は私を救わなかった。
私を幸せにしてくれなかった。
ただその事実が心に住んでいた。
けど彼女にはそんなこといえなかった。
大好きだから。
貴方のことを愛していたから。
私がもしも男だったら。
私がもしも彼女みたいな弱弱しい存在だったら。
私がもしも。
辛い。
「せんぱーーい」
手を広げて、彼女を呼ぶ。
心のからの愛が、止まらなかった。
悲しみも、苦しみも。
それらすべてを打ち消す感情があった。
ああ、きっと自分は一生幸せには成れない。
願いが叶うことはない。
「大好きだよ」
「……!?」
彼女の笑みが理解できなかった。
敵意など一切感じなかった。
だがそれでも彼女の周囲の魔力というものは高められていく。
そして魔法は放たれた。
「神の雷霆!!」
雷霆が鳴り響く。
耳に轟音が響いた。
法王国の兵士たちは、戦いに加わることができなかった。
ラミエルの魔法に。
イグニスの魔法に。
二人の戦いに魅了されていた。
体を微塵も動かすことができなくなっていた。
イグニスの前方。
周囲数メートルにわたり雷が降り注ぐ。
イグニスの視界に、数多の雷撃が視認できる。
「っ!」
全身に風の魔法を纏った。
全力の身体強化ではないとこれは躱せないとそう察知したからだ。
この後を考えると、【天使】の能力は使用できない。
魔力を使い切ることはできないからだ。
しかしラミエルは、自分に対して全力で来る。
必ず。
イグニスは、彼女のことを信じていたのだ。
そう来ると。
自分は、速度も火力も剣技も防御も索敵も策略も魔力も全てが二番手だ。
彼女に勝つためには。
同格の天使に勝つためには、全ての分野でぶつかるしか方法はない。
「ラミエルっ!!!」
「先輩!!!」
その場に降り注いだ雷。
体を全力で旋回させ回避する。
高速移動で、ラミエルがこちらに接近する。
彼女もまた魔力で全身を覆っていた。
雷を纏い全速力で接近する。
彼女は、こちらに魔法を使う隙を与えない。
「【雷獣】っ!」
彼女の強烈な蹴りが、イグニスに向かう。
イグニスはそれを自らの剣で弾き返した。
羽に、電撃が纏わりついている。
雷撃の刺激的な音が、イグニスの耳に受動された。
二撃三撃と、ラミエルの蹴りはイグニスに向かってきた。
しかし同様にすべてを弾き返した。
ラミエルの一撃は高速だった。
しかし自らの動体視力と今まで培った経験によりそれに難なく対応する。
息を吐く間すら与えられない。
これが【最速】の亜人の高速戦闘。
「流石……先輩っ」
「おまえもな……」
彼女の能力は応用能力が高すぎる。
攻撃にも追跡にも、索敵にも。
全てに使える万能の魔法。
それがラミエルの持つ雷の魔法。
威力も申し分ない。
一撃でも自分に当たれば、自分は気絶するだろう。
雷の魔法はそれほどの威力を持っていた。
「【雷雨】っ!」
「【ラファーガ・ドロール】!!」
近距離での、魔法の短縮による応酬。
魔力と魔力がぶつかり合い弾け舞う。
魔力は光輝き、様々な色をだし宙に散った。
「【裂空】っ」
「【雷霆】っ!」
空を裂く斬撃と、高威力の電撃がぶつかりあう。
魔力はお互いをお互いで打ち消した。
二人とも一度距離を取り、相手の出方をうかがう。
魔法の威力は五分。
速度では相手の方が上だが、全て打ち消すことができている。
だがこのままでは負ける。
速度では相手の勝ち。
魔力の量も相手が上。
近接戦闘ではこちらが上。
だがそのくらいだ。
逃亡はできない。
希望は、一つの魔法に全力を込めその勢いで相手を気絶させる。
それができたらいい。
「……先輩はいつだって。私の希望なんだ。私の救いなんだ」
「……?」
彼女はなにを言っている。
しかし耳を傾ける何かがあった。
訴えかける感情があった。
「先輩は……こんなところで終わったりしない」
「……っ」
「だよね!先輩っ!先輩はいつだって凄いんだ!」
彼女は混乱しているのだ。
イグニスのことを信じることができなくなっている。
自分が愛していた感情の行き場がわからなくなっているのだ。
「先輩!先輩!大好き!」
「……ああ。俺も……だよ」
ラミエルの頭のなかに、イグニスとの思い出が駆け巡る。
イグニスもまたラミエルとの記憶を脳から掘り出していた。
察する。
次の一撃彼女も全力だ。
彼女の手のひらに、雷霆が宿る。
雷の球のようなものが、彼女の手には溜まっていた。
ひとつ、ふたつ、みっつと溜まっていた。
それが最後には八つになったころ。
彼女は全身に全力の魔力を纏っていた。
球体は、ラミエルの身体を中心に回転していく。
「ここで決める」
「ああ……」
「逃げないでね先輩。しっかり受け止めて」
「ああ」
いつだって。
都合のいい願いを考えた。
いつだって。
そのもしもの夢をつぶやいた。
何でこうなったんだろう。
お互いにそう考えた。
そうはならなかった。
私の願いは。
私の思いは。
叶わなかった。
二人は詠唱を始める。
お互いの考えを理解しようとした。
でもその考えが共通することは一度もなかった。
「突風よ。爆撃よ。全てを壊し全てを晒せ!【ラファーガ・エスプロシオン】!!」
「完全なる雷撃よ!!【ペルフェクタ・トゥエルノ】!」
風の大きな衝撃が、ラミエルを包む。
全身に当たるその風は、防ぐことができなかった。
防御のできなかった風は、ラミエルを強く何度も地面にたたきつけた。
羽根がボロボロだった。
ラミエルは、地面を転がっていく。
その顔は血まみれだった。
骨も何か所も折れている。
腕は、真逆の方向へ曲がっていた。
服は、使い物にならないだろう。
穴がいくつもあいていた。
肋骨が折れている。
咳をするたびに体が痛んだ。
「ははっ」
笑いしかでてこない。
痛みなんてどうでもよかった。
魔法の威力において完成度においてイグニスは圧倒的に彼女に勝っていた。
イグニスは彼女にかけより声をかける。
「頼むラミエル。この場から逃がしてくれ。お前ならそれができる」
彼女に逃亡の手助けをしてもらう。
マールを助け出すため、自分は何だって利用してやる。
たとえ大切なラミエルだって。
今ともかく自分はここから逃げ出さなければいけない。
「あはははっ。やっぱり先輩は凄いや」
彼女は笑う。
そのぼろ雑巾のようになった体で。
「やっぱりぃ……凄いや……」
骨折りですら、自分には本気を出していた。
この人に自分を殺す気なんて微塵もない。
殺意を向けず、本気を出せず。
この人は自分を完封した。
こんな状況なのに、心が鼓動を始めるのを感じた。
やっぱりイグニスは凄い。
嬉しいなあ、そう考えた。
「でもね。先輩」
「?」
「それが命とりなんだよ。先輩の弱点はそれだね」
その瞬間、ラミエルは自分に抱き着いていた。
「え」
動揺し、その時一瞬自分は何もすることができなかった。
無理やりはがすことも、そんな判断力もなくなっていた。
しかしラミエルは続ける。
「言ったでしょ。どんな手を使ってでもって……。私は本気だよ。愛を受け取ってね」
瞬間だが、最大出力の【雷霆】。
イグニスの全身は痛みに包まれた。
防御する間さえ、時間は与えられなかった。
「がはっ……ぁぁ」
痛みでその場に悶絶しそうであった。
ラミエルは既にその場に倒れている。
気を失っているのだろうか。
先ほどの攻撃ですべてを出し尽くしたようだ。
全身の痛みが止まらない。
神経が危険だとアラームを出していた。
膝をつき、その場から動けなくなる。
「動け……動いてくれ……」
その場を這いずり、地面を削る。
服と地面がこすりあう音が聞こえる。
でも体は、うまく前に進まなかった。
セーリスクたちは逃げることができただろうか。
リリィやフラーグムは、つかまっていないだろうか。
そんなことを考えていると。
彼女はいた。
「やっと会えましたね。ラファエル」
「ミカ……エル」
「貴方とずっとお話がしたかった」
絶望と疑問が、イグニスの脳に廻っていく。