二十六話「恐怖」
「地面が!?」
法王国の兵士たちは、その目の前の光景に動揺する。
それほどまでに地面というものは分断されていた。
雪が、その衝撃であたりに散っていく。
「ウリエル」
「はっ」
しかし天使たちは、ひとりも慌てることはなかった。
ミカエルが冷静に、ウリエルに対して指示を出す。
「泥よ。土壌よ。【リームス・テララ】」
ウリエルが魔法を詠唱し、土壁を生成する。
それによって、地面が砕かれたことによって飛んできた破片をガードする。
「点火せよ。【アッケンデーレ】」
周囲一帯の雪がなくなっていく。
ミカエルが自身の魔法によって溶かしていく。
先ほどまで寒かった気候は段々とその熱によって温度が上がっていた。
「こうすれば、地面など気にすることはな……」
「溢れる水。零れる水。満ちて、満ちて氾濫せよ」
リリィの魔法。
それには膨大な魔力が込められていた。
只の魔法ではない。
あたりを埋め尽くすのに充分なほど水を生み出せる。
ミカエルは詠唱によって即座に判断した。
自分の部下に注意を促す。
「……みな回避してください!」
だがそれには遅すぎる。
「【アクア・アバンド・マレ】!」
その場周囲一帯に、水があふれ出てくる。
多くの水は、その場にいた何人かを流していく。
そしてその隙は、セーリスクが魔法を発するのに充分なものだった。
「いまだっ!セーちゃん!」
水を掴む。
水に触れる。
そして目を瞑り、詠唱する。
その場が全て冷気に覆われる想像を明確にする。
「氷結せよ!【コンゲラーティオ】!!」
「氷の魔法っ」
その場のすべての水が凍る。
氷は、その場にいる全ての敵を封鎖した。
セーリスクの魔法というのは、以前よりさらに強化されていた。
それは国宝級の影響もある。
だがそれ以外にもネイキッドとの戦いによって魔力の扱い方のコツというものを学んでいたのだ。
洗練された魔法は、素早さをもって敵に逃げる時間を与えていなかった。
より早く。
より強く。
セーリスクは、自身の格というものをこの一撃で自覚した。
「うわぁぁぁ!!!」
「あああ……」
悲鳴があがる。
人によっては、声を上げる余裕すら与えられていなかった。
法王国の兵士のほとんどは、セーリスクの氷の魔法によって動きを封じられていた。
「よし!ナイス!!やったねセーちゃん!!」
そう思った。
だが四名の動きを止めることは無理だった。
「……あちゃー。やっぱり君たちは無理か」
天使の四名。
彼らは、セーリスクたちの行動を予測し既に回避していた。
氷結の速度は、視認し反射できるようなものではなかったはず。
しかし彼らは、避けていたのだ。
化け物といえるほどの回避能力。
彼らはそれを備えている。
天使の羽によって回避したのだろう。
だが彼らにとってこの動きは想定外だったようだ。
少し動きがぎこちない。
「……まさかその青年がそこまでの力を身に着けているとは……」
ミカエルもこの事態には、驚いていた。
セーリスクという青年がいるのは知っていた。
しかし数か月前までは目立たない平凡な人物だったはずだ。
まさか短期間でここまでの実力を身に付けているとは。
そういった成長率の高い人物は何人か知っているが、ここまではいない。
「ラミエル……?どういうことですか。報告にはありませんでしたよ?」
サリエルが、その情報では知り得なかったことを問い詰める。
しかしラミエルもそれにはどうでもよさそうだ。
「あれぇ!おかしいなぁ!」
「お前は……」
そのような態度をするラミエルに、サリエルは苛つく。
実際彼女は、イグニス以外に関心をもつことはない。
絶対にない。
そういった人格を考慮しても、これは度が過ぎる。
「おかしいなぁ!じゃあないでしょう。偵察と情報収集は貴方の仕事だ。イグニス・アービルの件といい貴方には問い詰める……」
だがラミエルは、そっぽを向いているサリエルの話を聞く気はさらさらない様子だ。
ミカエルもそのことは既に承知しているようで、大した注意はなかった。
だが嫌っている様子も呆れているような様子もなかった。
ミカエルもまたイグニスを捕まえることで必死なのだ。
「いいです。サリエルそのあたりでやめなさい」
「……はっ」
「大事なのは失敗をとがめることではなく今後のこと。ラミエル。失望はしていません。しっかりと役目を果たしなさい」
「はいはーい」
「お前は……っ」
「サリエル。君はそう熱くなるな……。イグニスさん以外に関心をよせないのは昔からだろう」
「ああ……そうですね」
「あの氷の青年。彼も注意ですね」
敵はセーリスクの脅威をしっかりと認識した。
警戒をセーリスクにも向ける。
そしてその薄まった警戒はある隙を生んでいた。
リリィは、そのタイミングをずっと待っていた。
「イグちゃんいまだ!!いっちゃえ!」
「いまですかっ!?」
「ああ。勿論!」
「たくっ」
あの人はいつもこうだ。
計画にないことを乗りでやらせてくる。
しかし天使以外の敵は、全員その動きを拘束することができている。
ミカエルたちも少しの動揺が見られる。
これほど大規模な魔法の組み合わせがあるとは思っていなかったのだろう。
逃げるタイミングはいましかない。
「身体能力……上昇」
風の魔法を全身に纏う。
天使の羽を展開する。
拡張した魔力も、身体能力強化に使う。
体の負担は、大きい。
だがそれでもいまは逃げることが優先だ。
「あとは頼むぞ!みんな!」
「ああ!もちろん!」
「はい!!」
大地を蹴る。
羽根によって飛翔する。
その風は、空気を裂いた。
「ラファエルが逃げましたっ!」
サリエルが、イグニスが逃走したことを確認する。
そしてイグニスを追おうとする。
しかしリリィはそれを妨害した。
「行かせるか」
「二位。邪魔するなっ」
リリィの妨害に対して、サリエルはより怒りを持った。
彼はリリィに対して苛ついているのだ。
その適当な性格。
二位に相応しくない人格。
全てが気に入らなかった。
止めに法王国の離脱だ。
サリエルという人物において彼女は好ましいものではなかった。
「君は最近怖すぎるよ。もっとスマイルスマイル。にー」
「いい加減なことを!言うな!!」
彼の魔法が放たれる。
右手と左手は光を放っていた。
それは、風と炎を混ぜ合わせた熱風であった。
強い魔力と渦が、イグニスに向かって飛んでいく。
「左に炎。右に風。両立するは我が生命【イモータル・ペイン】!」
強き風は、イグニスを襲う。
しかし、リリィはそれを読んでいた。
彼の行動は、読みやすい幼稚なものであった。
「全ては水【オムニス・アクア】」
水の流動体が、リリィの周りに漂う。
流動体は、魚類の生命のように動く。
そしてイグニスを庇い優しく守った。
水は、熱風の温度によって蒸発するがその水蒸気によってまた形を整えた。
「有難う!」
「ちっ!」
「凄い……」
リリィもサリエルも、魔法の熟練度というものが自分とは桁が違う。
これがこの世界の一流なのかという自分の弱さが自覚できるような光景であった。
そしてひとつひとつの魔法の使い方で、自分の目が養われているのが自覚できる。
危機的状況なのに、この光景を見れていることに感謝している自分がいた。
そして、リリィもセーリスクに語り掛ける。
「セーちゃん。この戦いでよく学びなさい。氷は水によってできる。そして水はなによりも自由さ」
「……それは」
彼女は語る。
自身の扱う水の魔法とはなにか。
そしてセーリスクの氷の魔法とはなにか。
両者共通しているのは、水であった。
リリィは、目の前の青年に学びを与えようとしていた。
水は何よりも自由であることを。
氷も自由でなくてはいけない。
彼に足りないのは創造性であった。
水とはなにか。
時には生命の根源となる恵みであり。
時には命を奪う大河となる。
彼女は誰よりも自由であった。
「私がなによりも自由であるように。私の魔法も何よりも自由だ。水はそうではなくてはいけない」
彼女は、セーリスクに魔法の理論というものを感性によって訴えていた。
感覚的なものだが、それはしっかりとした魔法における思考であった。
リリィは感じ取っていたのは、青年は魔法というものを誤解していると。
世界に訴えかける手段である魔法は、自己を理解することによってその幅を広げることができる。
自分という枠を広げなくては魔法は使えない。
この戦いにおいて彼女はセーリスクにそれを教えようとしていた。
「魔法の解釈を広げなさい。そうすれば、貴方はもっと強くなれる」
「……っ!」
この人に魔法を学ぶことで、自分はまた強くなれる。
セーリスクはそう感じた。
「【オムニス・アクア】っ!」
水の弾幕を、天使の四人に対して放つ。
セーリスクもそれに合わせた。
「氷の刃よ!【グラキエース・ラミーナ】!」
水と氷の刃は、四人を襲う。
しかし誰一人防御態勢を取ろうとするものはいなかった。
それはある人物を完璧に信頼していたからだ。
ミカエルはその魔法に対して手を向ける。
彼女は詠唱を始めていた。
「それは闇を照らすもの……」
「ミカちゃんの魔法だ!みんな警戒!」
「【テネブロエ・ウーロ】」
水と氷は、ミカエルの魔法によってぶつかり消滅する。
水蒸気が、空に登っていく。
たとえ二人の魔法であっても、いとも簡単に打ち消された。
セーリスクはミカエルという人物の底知れなさをしった。
「ラミエルいきなさい。貴方の能力なら三位に追いつける」
「了解。待っててねえせんぱーい」
「あっ!」
ミカエルは、ラミエルに指示を出す。
目的は、イグニスの確保。
最速の亜人であり、索敵の能力も兼ね備えている彼女。
イグニスを捕まえることにおいて最適の人材であった。
彼女にはしばらくイグニスと追いかけっこをしてもらおう。
しかしそれはリリィにとって好ましいものではなかった。
「ダメっ!」
リリィは、ラミエルに対し水の魔法を放つ。
高速の水圧。
たとえラミエルでも当たれば、致命傷になりえる。
しかしそれは数秒で蒸発し気体へ変化した。
誰がやったか。
それは明白だ。
「やらせるとでも?」
「ミカちゃん……っ」
ミカエルは、リリィの行動を読んでいた。
彼女にとって最もイグニスを追ってほしくない人物はラミエルだ。
それさえ理解していれば、彼女が魔法を準備しているとき同時に準備ができる。
味方だったからこそ、リリィのやり方というものをミカエルは把握していた。
「貴方の思い通りにはさせない」
「……なんで貴方はっ。イグちゃんを自由にしてあげないのっ!いつだってイグニスイグニスイグニス!貴方にとってイグちゃんはなんなの……」
「……」
リリィからみて、ミカエルという人物はイグニスに固執しすぎている。
一人の個人が、向ける感情としては異常だ。
ラミエルは行きすぎた恋と言われれば納得できる。
だがミカエルの持っているものは、恋や愛と呼べるものではない。
彼女は少し精神というものを病んでいた。
それはイグニスを失ってからだ。
リリィは、彼女にそれを問わなくてはいけなかった。
ミカエルがイグニスのことをどう思っているか。
彼女はリリィの質問に対して答えようとする。
それを待っていた。
「……そんなの決まっているでしょう」
「……なに?」
「彼女は……私の大切な……」
彼女は私の大切な。
……なんだ。
その先の言葉がでなかった。
言葉を飲み込む。
必死に吐こうと。
喉元に意識がいく。
でもでない。
でてこなかった。
脳の酸素が低下するのを感じた。
「……違う」
「どうしたの?大丈夫?」
「ミカエル様?」
部下といいそうになる。
でも違う。
妹なのか?
家族なのか?
友達なのか?
親友なのか?
どれも違うのか。
それすらわからなかった。
自分が彼女のことをどう思っているのか。
彼女が自分のことをどう思っているのか。
「あっ……あっあ」
それが途轍もなく不安で、怖かった。
言葉が喉からでない。
脳味噌が思考を止めた。
不安が恐怖が一気に感情を抑え込んだ。
もう何もない。
自分にはなにもない。
法王国一位の座などかりそめだ。
だって彼女は離れた。
きっとみんなも離れる。
彼女は自分から離れた。
目の前から消えた。
彼女にとって自分はなんだったのか。
聞く余裕すら与えられず。
自分は一人になった。
彼女の成長をずっとみていたかった。
振り返ったら一人だった。
ずっと一緒に歩んでいける。
道が離れても思い出を大切に。
そう思ってた。
でも違った。
大事に育てて、大事に抱えていたそれは空っぽだった。
空洞だけがこちらをみていた。
「わからない……」
「え?」
それはリリィにとって予想外の回答であった。
そのわからないもののためにイグニスは振り回されているのか。
そんなはずがない。
問い詰めようとした。
こればっかりは答えを聞くまで収まらない。
「そんなわけがっ……」
言葉が止まった。
その異様さに自分は気おされた。
今のミカエルは明らかにおかしい。
「ミカエル……?」
彼女は頭を押さえて考え込む。
リリィによって指摘された思考は、ミカエルの脳を汚染していた。
考えが脳の内側へと入り込んでいく。
戦っている場合ではない。
リリィはそう判断した。
このままでは、ミカエルが精神に異常をきたしてしまう。
「わからないっ。わからないっ。わからない!!自分がどう思っているのかっ。彼女がどう思っているのかっ……」
「ミカエル……?」
「もうやめてっ!」
「ミカエルおちつ……」
今は、話し合うべきだ。
彼女の平静を取り戻そうとする。
しかしそうはできなかった。
「もうやめてくださいっ!」
今までの剣のなかで一番の重さ。
ミカエルの剣と自分の剣がぶつかり合う。
「くっ!」
「ガブリエル!!私は貴方を倒し拘束する!」
「いいよ!やってみろよ!ミカちゃん!私も君を正さなければならないっ」
戦いは始まった。
セーリスクとウリエル。
それぞれも剣を握って向かいあう。
「はぁ……ウリエル。ラグエルは頼みますよ。貴方が一番慣れているでしょう?」
「ああ、わかった」
サリエルは、ウリエルにフラーグムの確保を頼んだ。
ウリエルもそれに頷く。
「さあ、ラグエル。こっちにこい」
彼も普段より落ち着きというものを失っていた。
ラグエルはそれに恐怖を持つ。
「やだ!やだ!やダ!ウリエルいつもより怖イ!」
「……すまないな。でも君のことは捕まえなければ……」
その間にセーリスクは入った。
「ダメですよ」
彼女は、豊穣国の利益となる存在だ。
ペトラが頑張った交渉を無駄にするわけにはいかない。
セーリスクは硬い意思で二人の前にでる。
「邪魔をするな。青年。君まで倒さなければならなくなる」
「雑魚なんてほっときましょう。目的はラグエルです」
「僕を見ろ」
ここで自分を省かれるわけにはいかない。
リリィとイグニスが自分に託してくれたことを。
その意味を理解しろ。
「はぁー」
サリエルが深いため息をつく。
いかにも面倒くさそうだ。
「貴方は戦力差というものをわかっていないようですね。貴方がいくら天使相当の力を持っていようが、ラグエルの能力は戦闘向きではない。同時に、ウリエルの戦闘技能は魔法を使わないものだ。ラグエルの国宝級は使えない。ほぼ詰みなんですよ。この状況」
「……」
「わかりますよねぇ」
「生憎わからないな」
「はっ」
くだらないと彼は、心底呆れていた。
「いいです。ウリエル。彼とは私がやります」
「ああ、彼は強いぞ」
「冗談を」
サリエルは武器を取り出した。
それは、チャクラムであった。
「国宝級【月輪ルナ】」
「……!」
やはり彼も持っていた。
国宝級のひとつを。
「現実を知らない阿呆には、現実を叩き込む。それが私の流儀ですので」