二十二話「正史」
「……ここは本当に家の中なのか?」
先ほどの家は、レンガ造りのような形をしていた。
しかし今は違う。
今は、金属的なものが多く見られた。
初めて見るようなものだ。
まるで未来からそのまま持ってきたような。
そんな時、前から声をかけられた。
「お久しぶりです」
「お前は多眼の……竜なのか……?」
「はい」
目の前にいた女性は、白い服を着ていた。
清く、汚れが微塵もない。
そんな印象を受けるような服だ。
彼女は、顔を布によって隠していた。
肌は、一切晒されていない。
手ですら、手袋によって隠されていた。
多眼の竜は、イグニスを呼んでいた。
彼女の人の姿は初めて見る。
なおかつ目の前の彼女が、多眼の竜であると認識していなかった。
だが本能が告げていた。
目の前のこいつだと。
彼女はぽつんとそこに立っていた。
何もない場所で。
空白のような真っ白な場所で。
まるでその空間だけが独立しているような感覚を覚えた。
なんだここはと思った。
「……一体どこなんだ。ここは」
「……この場所は私の影響を受けて変質しています」
「変質?」
「この空間だけは、誰の干渉も受けることはできない。【多眼の竜】だけがこの場所に干渉することができます」
「……?お前が多眼の竜ではないのか」
「私は……少し違います。自ら望んでこの状態にいるので」
どういうことだと思った。
しかし思い当たることがひとつある。
それは銀狼の言葉。
きっと多眼の竜は、いくつも肉体を持つのだ。
その中で、意識というのが分かれているのではないか。
そういった推測であった。
「俺が……この場所にいることを許されているのは」
「はい、あくまで私の意思です。【多眼の竜】は貴方自身に関心を持つことはないでしょう」
眼の前の彼女と、【多眼の竜】は明確な意思がそれぞれにある様子だ。
「……俺が豊穣国に入るとき。貴方は予言を告げた。それは貴方の意思か?」
「はい。私の意思です」
「……なるほど」
彼女は、かなり明確な自意識を持っているようだ。
いままで見た多眼の竜は、大きな存在の集合体という認識を持っていた。
だが彼女と話していると、一人の人物と相対しているような気分であった。
どこにでもいるような女性。
プレッシャーや圧が一切ない。
「説明をする前にある事実について話をしましょう」
「ある事実?」
「【骨折り】の中身です」
「……っ!教えてくれ」
まさか思ってもいないところで、彼の正体を知ることができた。
多眼の竜は、骨折りのことについて話そうとしていた。
その事実は、イグニスが心の中で感じていた違和感を解消した。
「彼の正体は、過去の法王国一位【ミカエル】」
「やっぱり……そうなのか」
察しはついていた。
あの強力な業火の魔法。
そして白髪と赤い目。
今のミカエルとは何かしらの血のつながりがあるのだろう。
きっと骨折りは、今の【ミカエル】の祖先なのだ。
今まで生きていたのもアンデットの鎧による効果なのだろう。
そして一切わからない出自。
当然だ。
彼は既に死んだとされている人物なのだから。
そんな時ふと思った。
ではなぜ彼は、その当時から今まで生きているのだろうかと。
そんなことを考えたとき。
彼女はまた口を開く。
「そしてもうひとつ正体について貴方が知るべきことがあります」
「?」
一体なんのことだろうか。
イグニスには全く見当もつかなかった。
「私は……私の名前は」
多眼の竜の肉体は、変異した。
多眼の竜から霧がでる。
そして少しの時間の後その霧は晴れた。
緑の髪の女性が、その場に現れる。
右目はただれていた。
そしてそのただれた顔にはいくつかの小さな眼がでていた。
密集するように生えたその眼は、イグニスに少しばかりの恐怖を与えた。
集合体を苦手とするものは、嫌悪感を持つことだろう。
しかし即座にその眼は閉じた。
怪我をのぞけば、綺麗な美しい顔であった。
彼女は少しの静寂の後口を開ける。
「……過去の名前は【サリエル】」
「……!!」
イグニスはその名前に驚く。
彼女は今のサリエルではない。
数世代前……いや百年単位で昔の【サリエル】だ。
だがイグニスはその女性のことを知らなかった。
骨折りと同様に、彼女の顔は今までの歴史で隠されていたのだ。
「数百年前の戦い。ミカエル……現代の骨折りと共に戦った法王国第六位です」
そう彼女は語った。
数百年前の戦いと聞き、イグニスは驚きを持つ。
「数百年前の戦い……?」
「ええ……人間が滅ぶきっかけとなった戦いです」
「アンデットが生まれたときの……?」
「ええ」
何と彼女は、人間とそれ以外の種族が争った時代の天使だというのだ。
「今この体は、多眼竜の意識から借りています。体を借りている……そういった方が正確でしょう」
「体を借りている……?」
どういうことが彼女自身が多眼竜ではないのか。
それともまた別の何かを暗示しているのか。
ともかくイグニスは彼女の話を理解することができなかった。
「貴方には多くの情報を与えなければいけない。これは私の不都合から生まれたものです」
そういって彼女は語りだした。
「多眼竜は、今までの長い歴史で私に力を貸すために多くの力を割いてしまった。そのせいで未来視が不安定になってしまった。そのためにアダムにアンデットへと変化させられたのです」
多眼竜もこの世界の理を塗り替えるようなそんな存在だと思っていた。
しかし違ったのだ。
それでも彼女は弱体化していたのか。
そうイグニスは理解した。
弱体化していたからこそアダムによってアンデットに変えられた。
彼女は本来アンデットに変化できる存在ではないのだ
「多眼の竜は……貴方に力を貸していた?」
「はい。私は、彼女の時間と力を奪ってしまった。彼女はこの世界を守る存在だったのに」
悔やむように、彼女は話しをする。
彼女と、多眼の竜には一体どんな関係があったのだろう。
少なくとも、多眼の竜が力を貸してもよいと考えるだけのなにかがあったのだろう。
「アンデットにされた。それゆえ干渉ができなかった……これは私のせいなのです。多眼の竜は……本来そんな低俗なものに堕ちるものではないのに」
「……銀狼がいっていた。多眼竜はまだ生きているの意味はこれか」
多眼の竜は、世界を監視するようなそんな存在なのだろう。
世界の監視者だ。
そんな存在がアンデットに変化するとは余程のイレギュラーなのだろう。
「ええ……私……いや多眼竜にはいくつも本体があります。私もその一部にすぎません」
「……多眼竜とはいったいなんなんだ」
「……魔眼は知っていますね?」
「ああ」
知っていて当然だ。
【サリエル】は魔眼を持った天使。
歴代の【サリエル】は、同じような能力を保持しているだろう。
そしてセーリスクも同じ状態なのだから、
「多眼竜はそれを持っているもの。または、その眼。それらを素材として肉体をつなぎ合わせた生物です」
「……!?」
イグニスは言葉がでなかった。
本能がその言葉の意味を想像させなかった。
想像できたがその光景を脳が拒否した。
「どういうことなんだ……」
「私もよくは聞くことができませんでした。彼女も言葉を濁してましたから」
多眼の竜ですら、規格外なのにそれを生み出した存在がいるだと。
イグニスは混乱した。
一体何の話をしているのだ。
「【世界の意思】は未来を不安に思っていました」
「……」
「そして考えたのです。未来を見ることのできる魔眼。そこに多くの眼。多くの魔力。多くの存在。多くの意思。掛け合わせたら……より遠くの未来がみることができるのではないかと」
「そんな……あり得ない」
「……ですが誕生したのです。【多眼】の竜という存在は」
イグニスは、言葉がでなかった。
アンデットを生み出した存在は、それ以上のものを自らの手で生み出していた。
その現実がありえなかった。
そうして考えたのだ。
天使の羽も……同じようなものではないのかと。
「貴方は……なぜそんな存在と一体化しているんだ」
「私は……あの戦いのあと懇願したのです。多眼の竜に」
「なにを……?」
「私に未来を見せてくれと。アダムが死ぬ未来を。あの人が……あの人の未来が願いが叶うようにと」
彼女の眼には過去が浮かんでいた。
その顔は悲しみに包まれていた。
あんなことをしなければよかったという後悔もあるのだろう。
彼女はぼそりと語った。
「そして私は多眼の竜の一部となった。その願いをかなえるために」
その女性の体の女性からは、歪な生物のような何かがはみ出していた。
眼もいくつか見える。
ともかく亜人の体の原型を保っていないことは容易に想像できた。
「私の体はもう離れることはできないでしょう。今後数百……いや数千や永遠かもしれない」
「なんで……そこまでしてかなえたいものは一体なんだ」
「私が願うのはただ一つ。あの人の願いが叶うこと……アダムの死です」
「……」
言葉がでなかった。
彼女は執着しているのだ。
死んでも死にきれないとはこのことだろう。
きっと彼女は死の間際に願ってしまったのだ。
強く強く。
何度も何度も。
そして数百年の時を超え。
彼女は今ここにいる。
「そして未来は……歪んでしまった。私の身勝手な願いによって」
「歪んだ……?」
未来が歪んだとはどういうことなのだろう。
イグニスは再び疑問を持った。
「本来この戦い。始まるのは十年後でした」
「十年後……」
アダムが豊穣国に宣戦布告するのはもっとおそかったということか。
「ええ。貴方は、マールと出会うことはありません。アラギも骨折りと出会うことはないでしょう」
「マールと……?」
マールと出会えなかった運命。
そんなことを考えると背筋に寒気が走った。
マールがあのまま?
そんなことがあっていいはずがない。
「十年時がたちます。成長し、大人となったマールとアラギ。その二人は争うのです。
【世界の意思】の代行者として、この世界を変化させるため」
マールとアラギは対の存在なのだ。
同じく亜人でも、獣人でもない存在として。
亜人と獣人どちらでもないもの【人間】。
亜人と獣人どちらでもあるもの【半獣】。
そんな二人が争い求める世界とはいったいなんなのだろうか。
「アダムに反抗し、ミカエルと共に戦い。そして平和を生み出した者ピースメイカー。アダムと手を組み、世界を滅ぼせず平和を維持したものピースキーパー。それが個の世界における彼女たちの役割」
「そんな……役目なんて……」
知りたくない。
だって【私】の知っているマールは。
笑顔が素敵で、食べるのがすきで一緒に本をよんで……そんな。
そんな普通の。
知らない、目の前の人物は一体だれを語っている。
記憶の中の風景が少しずつかけていくようなそんな気持ちがした。
あの子の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「貴方が理解を拒むのも当然です。今の【ピースキーパー】にはそんな兆候はなかった。しかし未来はそうではない。彼女はアダムを手を組もうとする」
「あ……っああ」
脳が理解を拒んでいた。
そんなことを知りたくなかった。
この先マールを救っても、彼女の本質はアダムを手を組み世界を変える存在と言われているようで。
「……他の存在についても語りましょう」
「……うん」
彼女は意図的に話題を変えてくれたようだ。
その心遣いがありがたかった。
「セーリスクは本来英雄となる存在でした。生まれなおしたアダムを打倒し、世界を救うもの。ですが、それにはあと十年程時間が必要なのです」
「セーリスクが……?」
「はい」
どうやらセーリスクは、今の骨折りの代わりになれるような人物らしい。
未来では彼は、もっと強くなっているのだ。
それを聞いてすこし嬉しくなった。
「彼は、その十年後の力に追いつくため適応しようとしているのです。今の体で十年後の実力にしようと」
「でも……それじゃあ体が」
「はい。もちません。それについては何かしらの形で運命が補完される。アダムを倒すときセーリスクは関わるでしょう」
どうやら本来の未来で、アダムを倒す存在であるセーリスクは今の未来でもその際に関わるようだ。
目の前のサリエルは、骨折りがアダムを倒すことを望んでいるようだから骨折りが手を貸す形になるのか、
「骨折り、そしてイグニス。貴方の存在で世界が変わった。未来は現在進行形で移り変わっています。【多眼の竜】と同化している私ですら、理解が追い付かないぐらいに」
「世界が……今も変化している?」
「そうです」
彼女は頷いた。
彼女自身もいままで干渉することができず困っていたのだろう。
「一つ言えるのは……今この世界は、十年後に追いついていない。マールもアラギも十年後大人となったとき争いあうはずがそれに間に合わず子供の姿のままです」
「そうだな……」
本来の歴史では、アラギとマールはもっと大人の姿のはずだ。
しかし二人とも子供のまま。
彼女たちはどうやって世界を変えるほどの争いを起こすのだろう。
それが予測できなかった。
「世界の意思……そして外界の神はお互い理解したのです。意図的に歴史をゆがめている存在がいると」
「……それがお前か」
「ええ……私はこの未来を決して変えない。あの人が……【ミカエル】の願望が叶う未来を。神にすら渡さない」
彼女はかみしめる。
拳を握り、未来を睨む。
骨折りのいない未来を彼女は望んでいなかった。
過去の【ミカエル】がアダムを倒す未来こそが彼女の望むものであった。




