二十一話「分岐点」
彼は、暖房の入った部屋にイグニス達を入れた。
温かい飲み物や、食べ物は充実していた。
もてなしは盛大だ。
「さて、ペトラ。一番最初と話が違うのは一体どういう事情なんだい?」
「一番最初……」
「……?」
彼は、ペトラに質問をしていた。
彼にとってあることは疑問であったのだ。
「四人と聞いていた」
「……っ」
そう、最初とは人数が違う。
ペトラを含めて四人。
四人がこの場所に来るはずだった。
「これでは……カップの数が合わないだろう?」
「……っ」
疑っているわけではない。
怒っているわけでもない。
ただ彼にとって疑問だったのだ。
あと二人。
その二人はなぜ加わっているのだろうかと。
リリィとフラーグムの顔が少し硬くなる。
「お兄ちゃん……それは……」
「容姿もすべて聞いている。知らないのは、そこの二人。君たちだ」
ソムニウムは、リリィとフラーグムをじっと見る。
黒髪の女性。
イグニス。
茶髪と白髪の青年。
セーリスクとフォルトゥナ。
この三人のことは聞いていた。
名前も情報もある程度手に入れている。
しかし後の二人は誰だ。
ペトラからも説明がされていない謎の二人組。
疑うには十分であった。
「少し事情が変わったんだお兄ちゃん」
「……その事情とは私に話せるものなのかい?愛しき妹よ」
話せるものだ。
しかしそのためには、彼女たちの立場を説明しなくてはいけない。
それは彼女たち二人から説明するものだ。
ペトラは、リリィをちらりとみる。
リリィもそれに頷く。
「……私から事情を説明させてください」
ソムニウムは、少し顔をしかめるが即座に納得したようだ。
「君には聞いてないが……いいよ。許そう」
「……私は、法王国二位の立場を保持していたものです」
「ほう。【ガブリエル】がなぜここに?君は法王国の鉄壁の守りのはずだが」
彼は少し意外そうな顔をしていた。
それも当然のことだ。
法王国の鉄壁の守り。
リリィは、法王国ではそう称されていた。
彼女の守りを破れるものはいないと。
しかしその守りは、法王国を離れている。
一体どういうことなのか。
ソムニウムは訝しんでいた。
「私は……法王国天使の座を捨てました」
「ほう。中々興味深い話だ。で?残念ながら……それは求めていることではない。なぜここにいる?」
「貴方に尋ねたいことがあります」
「なぜ??私が?君のために応えなければいけない?意味が……わからないのだが」
「……」
彼の言うことは当たり前だ。
ソムニウムが、リリィの質問に対して答える義理はない。
それは彼の仕事でもないし、義務でもない。
しかし彼女は不躾にも聞くのだ。
ソムニウムの拒否は当たり前のことであった。
「ペトラ……ちゃんと交渉をしたからです」
彼は首をかしげる。
なぜペトラは法王国二位と交渉をしている。
リリィは彼女に何かしらのメリットを与えたのか。
「なぜペトラと?」
そう疑問に思った。
ソムニウムは、ペトラに顔の向きを変えた。
「……どういうことだい。ペトラ?お兄ちゃんは、怒らないから言ってごらん」
「彼女は、豊穣国のために手を貸してくれる。その代わりにお兄ちゃんに会う権利が欲しいと彼女は言ったんだ」
少しの沈黙が続く。
そうして、ソムニウムは言葉を発した。
そう、彼女とペトラは交渉をした。
力と情報を与える代わりにソムニウムに会わせてくれと。
その交渉がなければ、彼女は今ここにいないだろう。
「なるほど、力を貸す代わりに私に質問をする時間を与えてくれと」
ポリポリと彼は頭を掻く。
彼は少し面倒くさそうだ。
実際快くは思っていないだろう。
教えることに彼自身のメリットはほぼないだろう。
それでも迎え入れているのは、ペトラと一緒にいたからだ。
「そうだよ」
「有難う教えてくれて。けどもう少し早めに教えてほしかったな。お兄ちゃんは」
困り顔で、ソムニウムはペトラに対し笑う。
彼としても事前にその話をされている方がありがたかったのだ。
ペトラもそのことは申し訳なく思っている様子で、謝罪をする。
「ごめんね……」
「大丈夫だよ!!!お兄ちゃん怒ってないから!!」
本当に大丈夫なんだろうけど、妹に優しくしているときの彼は疑わしくなってしまう。
ソムニウムはリリィに視線を移す。
「ともかく今すぐに追放するような意思は現時点ではない。安心してくれ」
「……ありがとう」
リリィとソムニウムの仲たがいというのはなさそうだ。
やはりペトラが認めたという点が大きいのだろう。
彼がペトラを信じているからこそ、ここに連れてきたという判断も信じているのだろう。
あくまでリリィ自身を彼は信じていない。
そして彼は、フラーグムを見る。
「ふむ……ではそこにいるお嬢さんも同格の天使かな。察するに法王国五位?」
「そうだヨ」
「……君も正直印象とは異なるな」
「それは……褒めてル?」
彼は、フラーグムの正体を容易に言い当てる。
それは彼の推察力によるものなのか。
ともかく容姿などの何かしらの情報を既に彼は得ていたのだろう。
「法王国の七大天使。その内の三人がここに勢ぞろいとは圧巻じゃあないか。童心のように心がおどってきたよ」
「イグニスさんのことも……知っていたんですね」
「ああ、勿論。……セーリスクくん。君のこともペトラから話を聞いているよ。今回はそれが本題だしね」
「……」
セーリスクが驚きを持つ。
イグニスの本当の正体まで知っているとは思っていなかったのだ。
イグニスのほうをばっと振り返った。
しかしイグニスは、今よりもっと前に彼が自身の正体に気が付いていることを知っている。
それどころか豊穣国に入ってすぐのころからも自分は監視されていたのだろう。
その話は、銀狼から聞いていた。
「ごめん……。お兄ちゃんには君達のことを伝えてしまったんだ」
「僕はいい。だがイグニスさんのことは言うべきでは……」
なるほど、彼はペトラからも情報を得ていた様子だ。
最も近くにいる人物から情報を得たほうが確実だとも考えたのだろう。
しかし別に彼はペトラから話を聞かなくても十分な情報を得る機会があったはず。
ペトラから聞いたというのをとりあえずのごまかしにするためと考えた方が自然だ。
「いや、わかっている。大丈夫だ」
「……?」
銀狼は、機兵大国のスパイであった。
それを知っているのは自分だけだ。
彼が、命じられた指示は自分とマールの確保。
ペトラが話してなくてもどうせある程度の情報は彼は保持している。
賢者と呼ばれるほどの頭脳。
情報戦において何歩も彼は先を行っているはずだ。
「それではあなたに聞いてもよろしいですか?」
リリィは彼に問う。
それは、私に貴方の情報をくれるかという意味であった。
ソムニウムも、それに頷く。
今度は拒否ではなく、明確な同意であった。
「ああ。ペトラとそういう話をしたのなら大丈夫だ。ペトラも納得しているのだろう」
「うん」
ぺトラも、リリィとフラーグムという二人の戦力が手に入るなら満足だ。
彼女たちは情報も与えてくれるだろう。
それならメリットは充分だ。
「ならわかった。妹を信じよう。そして妹の要望に応えてくれた恩義は果たさなければならない」
彼は義理堅い性格のようだ。
妹と約束をしたといっても自分には関わりのない話だ。
彼がペトラの願いを聞き入れる必要ははない。
しかし彼女たちがペトラの役に立つのならと彼は話しを聞いている。
「では、法王国二位。君は私に何を問う?」
「……天使の作り方です」
「【天使】の作り方……ね。君がそれを問うのかい?」
意味ありげな笑みで、彼はリリィを見つめた。
彼は、やはり法王国の天使の作り方を知っていたのだ。
そして、リリィが知らないことにくだらなさを感じている様子であった。
「はい……」
「なるほどなるほど。興味深い事象だ。まさか二位の座に就くものですら知らないとは、今代の法王は中々の秘密主義者のようだ」
「そうなのカー?」
「ええ……法王様はなにもおしえてくれなかったわね……」
どうやらリリィは、法王国のトップにも話はしていたようだ。
しかしその答えは、何もなかったのだろう。
だからこそこの場所にいるともいえる。
「さて、口頭で説明しようか」
ソムニウムは説明を始める。
「国宝級というものを知っているかい?」
「ああ……」
国宝級は、大きな魔力や強大な能力を兼ね備えた武器だ。
武器自身が持ち主を選ぶ。
意思を持った武器といえるだろう。
それはラミエル以外の六人の天使は持っている。
フラーグムとリリィは現時点でも所有しているだろう。
「国宝級は、才あるものがごく稀にたどり着ける境地といえるだろう。それはなぜか。ペトラ。知っているかい?」
「国宝級は……【遺された】ものだから。命を懸けてつくるものだから」
「そうだね、【残された】ではない【遺された】ものだ」
国宝級は意思を持つ。
その武器は、元々の武器と最初の持ち主の魔力や魂が深く混じり合うからだ。
だからこそ国宝級は滅多に生まれない。
作り出すには強者の死が必須だからだ。
「才を持つものが全力をだし死に限りなく近づいたとき。【世界の意思】はそれに応える。魔法は。魔力は。その者の持つ意思に応じてくれるんだ」
「【世界の意思】はそこにも関わりを持つのか」
「ああ、そうさ。【世界の意思】はこの世界の末端。意思と意思が触れることでこの世界の理をかえるのさ」
どうやら、【世界の意思】と【国宝級】には繋がりがあるようだ。
それは少し想定外だった。
【終末笛】のように理を無視したような能力を持つ国宝級もあるが、それにはそんな理由があったなんて。
「そうして【国宝級】は生まれる。生んだ主の死と共に」
「……」
「天使の羽。あれは、国宝級を背中に着けているようなものだ。膨大な魔力の増幅器官であり貯蓄器官。ならその国宝級相当の器官などどうやって作るんだい」
「……まさか」
リリィはここで何かに気が付いた様子だ。
セーリスクもペトラも何か覚えがありそうだ。
そしてイグニス自身も嫌な予感がしていた。
「国宝級と同等の能力。そんな能力を持つものなどめったに生まれない。なら法王国は、どうやって生み出したと思う?」
彼はにこっと笑った。
そのあとに続いた言葉は、三人に落胆を与えた。
「信者をアンデットにしたんだ。限りなく死に近づかせ、限りなく魔力を増幅させる。意思を、感情を。【世界の意思】に触れさせるために……」
国宝級と似たようなものを作るために。
法王国はあえてその状況を意図的に作ったのだ。
法王国に尽くそうとするものをアンデットにすることによって。
「そうして生まれた【天使の羽根】。死に近づいた羽根を。才能を持つ亜人たちに持たせる。それが法王国の考えた。天使の作り方だ」
「そんな……まさか」
リリィは、言葉を失っていた。
フラーグムも青い顔をしてソムニウムを見つめていた。
震えながら彼女は声を出す。
「……そ、それは本当なのカ……?」
「そうだ。法王国は古来からアンデットを既に利用していたのさ」
「……」
骨折りの力が、アンデットと似ていた時点で感づいていた。
骨折りは恐らく【ミカエル】と縁の近しいものだ。
そして彼は獣王との闘いで【天使】の力を使っていた。
しかし生命を破壊する【天使】と再生の【アンデット】。
この二つの力が、両立するのはなぜだ。
その答えは単純だ。
由来が同じなのだ。
「とんだ張りぼての羽根だ。与えられたのは天からではない。地に伏した死肉からだ。天に向かって飛んだら溶けて消えるほど醜い……そんな翼だ」
くだらないと彼は吐き捨てる。
彼自身この製法を好ましく思っていないのだろう。
その場の空気が一段と重くなるのを感じ取った。
「……だから。天使はアンデットに強い耐性を持っているのかい」
「そりゃそうさ。君たちがアンデットから与えられた力で戦っているんだ。耐性なんてついて当然だ」
「そうか……」
天使がアンデットに対し、強い攻撃性や耐久能力を持つのは由来があった。
その理由に対し、三人は心のどこかに痛みを持った。
自分たちの持っている力は、そのようなものだったのかという悲しみであった。
「……リリィ」
「なんだい。ペトラちゃん」
「これで約束は果たせたかい?」
「うん。私の望むものではなかった。……けど得たいものは得ることができた。満足だ」
どうやらこれでリリィの成すべきことは完了したようだ。
【天使の製造法】。
それがリリィが機兵大国で得たい情報であった。
しかしソムニウムはあることを尋ねる。
「さて、法王国二位。君はこの情報で何を望んでいる?」
「気づいていたんですね」
「当然。君が、法王国で協力者を集って何かをしようとしているということはしっている」
「どういうことだ?リリィ」
イグニスは、リリィに質問する。
彼女は、この情報になにをしようとしているのか。
それには即座に答えた。
「法王国【天使】という存在の解体」
「……えっ」
「既存の体系では、法王国がこれ以上幸福になることは無理だ。イグちゃんが数年前に離脱したように綻びがでる」
「ふむふむ……なるほど。ともかく君は今の法王国をよくは思っていないんだね」
「はい」
リリィは、頷いた。
やはり彼女と法王国の決別というのは確実なものだろう。
「私の立場では公に協力できることも少ない。だがペトラならできるはずだ。当面は、彼女と連携していてくれないか?」
「わかりました」
「ペトラもわかったかい?」
「うん」
リリィの話は終わった。
次は、自分たちの番だ。
「ひとつ聞きたいことがある」
イグニスは、ソムニウムに質問を投げかける。
「なんだい?イグニス・アービル。法王国の元天使よ」
「……貴方は意地悪だな」
わざわざその名前を出すこともないだろう。
嫌なところをつつかれている気分だ。
「はははすまない。揶揄いすぎたようだ」
彼はそう愉快そうに笑う。
「彼は、決戦の前に私に情報を送ってくれた。死んだのは……予想外だった」
「……っ」
彼とは、銀狼のことだ。
やはり彼とソムニウムは明確に繋がりを持っていた。
それに彼は、獣王との闘いの前にソムニウムへと情報を送っていたようだ。
「さあ?君は何が聞きたい?多眼の竜か?半獣か?それとも……世界の意思か?」
「……やっぱり貴方も」
彼は、知っている。
この世界のことを。
人間によって憎まれたこの世界のことを。
自分は彼から知識を得なければいけない。
体のどこかが熱くなるのを感じた。
イグニスは体を彼に近づける。
しかし彼は手でイグニスを制す。
「僕はまだ【世界の意思】に触れていない。そこは安心していい」
触れていない?
ではなぜ彼はそこまでこの世界について詳しいのか。
どうやって【人間】の技術を解明しているのか。
「ペトラ、すまない。ここからイグニス君とは別行動だ」
「……どういうこと、お兄ちゃん」
ソムニウムは、鍵を出した。
それは古いつくりの金色の鍵であった。
「この奥に、鍵をさせる場所がある。そこに【彼女】はいる」
そういって、彼は部屋の奥を指さした。
その時、肌の神経が灼けるような感覚がした。
これは人生の分岐だ。
分岐点なのだと、本能が告げていた。
ここから先、何かが確実に変わる。
セーリスクたちの姿が目に映る。
「【彼女】はきっと君の知りたいことを全て教えてくれる」
彼は、意思の宿った眼でイグニスを見つめた。