六話「心の病巣」
「……朝だ」
セーリスクは目を覚ましていた。
体の痛みというものは治まっていなかった。
「またか」
魔法の暴走による、体の損傷。
それには随分なれたものだ。
ペトラに預けられた制御用の魔法道具。
その効力は発揮できたのだろうか。
まあ、詳しいことは自分にはわからない。
これは、深く眠りにつきすぎたことによる疲労感か。
ネイキッドの攻撃によるものか、自分自身による魔法か。
それとも単純な疲労感なのか。
ともかくその判断というものは自分にはできなかった。
なにより最大の違和感というものがあった。
「目が……見えないのか?」
それは片目の違和感。
視界がぼやけているのだ。
光が入っていることは認識できている。
だがぼやける。
眼の不調。
遠近感がうまくつかむことができなかった。
これはどのような症状に陥っているのか、セーリスクには理解ができなかった。
原因は一体なんだろうか。
そんな時、起きているセーリスクに声をかけるものがいた。
「やあ、セーリスク?起きたのかい」
「ペトラ」
ぺトラだった。
どういうことだ。
なぜこの場に彼女がいる。
戦いはどのような状態になった。
そのようなものですらセーリスクは知らなかった。
躊躇なく自身のことを呼び捨てするセーリスクに彼女は呆れを持つ。
「ペトラさんだろう?全く……よかった安心したよ」
ペトラは、セーリスクがこのように話せる状態まで回復していることに安堵していた。
彼女はセーリスクのことを心配していたのだ。
「この僕が、付きっ切りで看病してやったんだ。感謝しなよ」
「……ああ、有難う」
どうやら彼女は、自分に対して世話をしてくれた様子だ。
迷惑をかけてしまったなとセーリスクは感じた。
しかしそんなことより気になることがセーリスクにはあったのだ。
「戦いはどうなった……?僕はまた負けたのか?」
焦りが頭には存在していた。
自身の敗北というものが、どれほど影響したのか。
それが単純に気になったのだ。
「ああ……そうだよ。随分とボロボロになったじゃないか」
「くそっ……!」
怒りが頭に達する。
強く掛け布団をたたいた。
また負けた。
イグニス達の役に立てなかった。
そういう理由もあるが、そんなことは頭の片隅にしか存在しなかった。
ただ許せなかったのだ。
自身があの男に負けたという事実が度し難かった。
敗北が許せなかった。
前回と全く変わらないではないか。
致命傷を負わせる手前までは届くのだ。
だがその先に行けない。
どれほど自身の心のうちにある醜いどす黒い感情と向き合ってもそれは届かない。
心の中の自分が、自分のことを酷く見下しているようなイメージにとらわれた。
「またかっ!またなのか僕は……!」
頭の中に、あの時の戦いがよみがえる。
それは寝ている間で、何度も繰り返し見た夢だった。
何度も繰り返されるその瞬間は、倒れている自分が写っていた。
敗北の原因はなんだ。
あの男の最大の武器というものを自身は潰すことができた。
だがそんなことは一切関係ない。
ネイキッドは、あえて自分の戦い方に合わせてくれたのだ。
ただ彼が楽しみたいだけで自分に戦いの愉悦を求めた。
それなのに、また負けた。
歩調を合わせてくれている彼に並ぶことすらかなわない。
ただひたすらに弱いのだ。
自分というものは。
その敗北感が屈辱だった。
誇りや、劣等感というそんな生半可なものではない。
ただあの男に負けることが何よりも悔しかった。
髪の毛を強く引っ張った。
自傷したい気分に駆られる。
頭皮が強く揺れる。
毛髪のいくつかが、切れる音がした。
歯が砕かれるほどに強く顎に力をいれた。
「おいおい、やめろよ。君のそんな姿なんて見たくもない」
「……ああ、すまない」
ペトラがセーリスクの行為というものを咎める。
事実、見ていてあまり好ましいものではなかった。
心の中がざわざわとしたのだ。
普段なら無関心で、どうとも思わなかった。
だがセーリスクのその姿を見ているとつらいと感じた。
同時にセーリスクも配慮が足りなかったと後悔する。
ペトラはいつも以上に、自分のことを心配している様子であった。
それは不思議であった。
だが、流石の彼女も病人に強く当たることはないだろう。
その程度にしか考えを持っていなかった。
「まあ、君が敗北して焦る気持ちはわかる。実際ぎりぎりだったというしね」
「……そうか。いやそうだな」
ネイキッドとの戦闘では、角牛と自分がやられた。
この時点で、ネイキッドを抑えることのできる駒というものはいないのだ。
反乱軍の一般的な戦士も獣人だ。
ネイキッドとは相性が悪すぎる。
彼は、獣王が死んだ時点で撤退したのだろうか。
「まずは落ち着きなよ。今は無事なんだ。しっかり体を休めてほしいな」
「……ああ」
彼女は、セーリスクに水を手渡す。
その時やっと体が脱水状態に陥っていることにセーリスクは気が付いた。
「有難う」
彼は、一口水を飲んだ。
うまいと感じた。
だが即座に彼の感情というものは、前の戦いの思考へと移っていた。
「……」
ペトラは、じっとその様子の彼を見ていた。
プラードからある程度の情報はもらっていた。
それによって、俯瞰的に場面というものを想像することができたのだ。
事実、ネイキッドというアダムの配下が獣王戦時に味方になっていなければイグニスとプラードは死んでいたことだろう。
だがペトラはそのネイキッドが味方になったということを大きく疑問視していた。
なぜアダム配下であるはずの彼は、獣王を殺す一手を担ったのか。
それはセーリスクとの戦闘の中で、なにかしら彼のなかで気づきというものがあったのではないか。
そしてそれがセーリスクがネイキッドによって殺されなかった理由。
生かした理由ではないか。
そう思案したのだ。
「ねえ、セーリスク」
彼女はセーリスクに話しかける。
それは好奇心であった。
彼の内包している精神のあり方。
それに興味を持ったのだ。
同時に違和感を持ったのだ。
「なんだ?」
「ネイキッドと呼ばれる男。そいつが君をここまで追い詰めたのだろう?」
「……そうだ。やつは……逃げたのか?」
それは、セーリスクにとっての強い願望であった。
彼なら生きているはず。
生きていないはずがない。
生きていれば、まだやつを殺すことのできるチャンスはある。
まだ実力を磨くことのできる時間はあるはず。
そう思っていた。
そう願っていたのだ。
「いや……死んだんだ」
その一言は、酷く重石のように自分にのしかかった。
死んだ?
奴が死んだ?
コ・ゾラのように殺されたのか。
また僕は敵に追いつくことはできなかったのか。
あの時と同じ感覚がフラッシュバックする。
どんよりと重い感覚。
深海の底にいるような圧迫感と寒さ。
それは、セーリスクの心身に異物を与えていた。
ペトラはその状態のセーリスクに気が付いていた。
「……?セーリスク?顔が怖いよ?」
「……誰が……?誰がやつを殺したんだ?骨折りさんか?イグニスさんか」
声が震える。
その現実を受け入れることはできなかった。
「いや、違うんだ」
「違う?どういうことだ?」
「ネイキッドは……プラード達と共にアンデット化した獣王と戦ってそして……死んだ……らしい」
ペトラもその現場を明瞭に知っているわけではない。
イグニス達から話を聞いただけだ。
ただ目にしていない現実を、この状態のセーリスクに伝えるのはいささか気が引けた。
「ネイキッドが……?」
「僕も詳しくは知らないよ。だけどイグニスや骨折りの野郎がいうからさ……」
それは、自分にとって予想外の答えだった。
あのネイキッドが。というのが自分の感情だった。
疑問が頭にふつふつと湧いて出てくる。
「なぜだ?なぜあいつが獣王を倒す必要があるんだ」
「……うん。あいつはアダム配下のはずだ。アダムにとってこれは計算通りなのか。そうだとしてもネイキッドという駒を失うのは痛いはず」
合理的ではなかった。
そして彼の立場から考えてもあり得ないことであった。
「まさか……その場の感情で?」
彼は、性格や顔に似合わず存外熱い男であった。
セーリスクとの戦闘に付き合ったのも、彼なりのプラードやけじめというものを優先したからだ。
性根から冷酷な男がそんなことするはずがない。
「さあね……コ・ゾラといい、シェヘラザードといい。僕らはあまりにも敵の気持ちというものを知ることはできない」
彼にも、自分たちの知ることのできない何かがあったということか。
だが自分にはそれは許せないことであった。
どうせなら彼には、汚く惨めに死んでほしかった。
誰かを救うため。
そんな陳腐な理由で彼は死んだのか。
いや、違うものであってほしい。
自分のために汚れた強さのため、戦闘のために死んでほしかった。
それはセーリスクの歪んだ願望であった。
ネイキッドはそうあるべきだ。
そういった歪な感情であった。
彼はどうあがこうが悪人だ。
正義とは言い難い。
だがどうしてだろうか。
なぜだろう。
これは自分の直感のせいか。
彼はどこか満足して逝った。
そんな気持ちがするのは。
「くそっ……」
彼と自分は同類だった。
どちらも強さに渇望した。
どちらも持っていないものに苦しんだ。
その同類の死を羨ましいと。
たどり着いていない分際で、思ってしまったのだ。
「……君は随分と変わり者みたいだね」
ペトラは今になってようやく気が付いた。
いや、むしろ彼女だけといえるだろう。
彼女の聡さだけが、セーリスクの闇に触れた。
「……何の話だ」
「……なんでもないさ」
彼女はセーリスクの歪みというものに気が付いていた。
いや気が付いたばかりというべきか。
彼のもつ渇望。
その一端に触れていたのだ。
彼女の持つ洞察力では、それに気が付くのも時間の問題であった。
そして彼女は気が付いた。
自分はこの歪みというものを酷く気に入っていることに。
「……まあ、僕も君にできる限りの手伝いをするよ」
「……本当か」
この男をより強くしたい。
そんな願望が。
そんな好奇心が。
生まれ育っていた。
「ああ、僕なら君の体の補助もできる」
「確かにな」
「ところでさ、それ……どうしたの?」
自身の体には、ペトラが預けてくれた魔法道具がくっついていた。
その表面はずたぼろでかなりの損傷が加わっていた。
だが、この魔法道具が自身の命を救ってくれたのをセーリスクは知っていた。
「……その魔法道具は君のためだけに作った」
「うん」
「君は知っているよね。その道具は、君の魔力を制御するためにあると」
「……」
あの時、ペトラが自分の体を調べたとき彼女は言っていた。
不細工だと。
体の中に糸があるとしよう。
それがズタズタになっている。
自分の体を抽象的に表すとそんな形なのだ。
そして、それは当然通常ではありえないのだ。
生きていることさえ歪。
そのような状態に自分はなっていた。
「なぜそこまで使った。……君は死ぬつもりかい?」
「……」
その問いに、セーリスクは答えられなかった。
生きるよりも、死ぬことよりの優先すべきことがその場にあった。
何を捨ててもいい。
こいつには勝ちたい。
そう思えた。
ネイキッドにはそう思えるだけの価値があった。
「違う」
生きるために抗った。
こいつを殺して、そして前に進む。
その覚悟で、自分は魔法を放ったのだ。
「ならいい」
彼女のその顔はいろんな感情が入り混じっていた。
その中には当然、彼はもう止められないのだろう。
そのようなあきらめの感情も入っていた。
「……だけど無理をしないでおくれ。それだけがボクの願いだよ」
彼には既に親しい仲の女性がいることは知っている。
これ以上深くかかわりあうのは、自分の中のプライドが許さなかった。
だからこそ、別の方面で彼を支えたい。
そんなことを想ったのだ。
しかしその様子のペトラをセーリスクは不思議に思った。
「なんで……そんなことをいうんだ」
「なんで……って」
「わからないんだ。僕には。なぜ君はそんなことを言うんだ。君はそんな性格だとは思えなかったが」
いつもの彼女ではない。
彼は素直にそう思えた。
どこかしら棘がない。
そのように感じた。
「……」
それは事実だ。
自分がこんな感情をもつだなんて、ペトラは微塵も思っていなかった。
こっちが聞きたい。
でもその理由をペトラは気が付いていた。
「……なら君にだけは教えてあげる」
その時、ペトラはネクタイを外しシャツのボタンを外した。
「なっ……いきなり何をっ!」
セーリスクは反射的に目を隠した。
素直に恥ずかしく思ったのだ。
「何を照れてるんだい。君にはそんな感情をもっていないよ」
「……そういう問題でもないだろ」
「まあ、目を開けなよ。こっちを見て」
ペトラの指示を聞くことにした。
「胸元を見て」
「……なんだこれは」
それは、セーリスクにとって予想外のものであった。
なんと形容すればいいのか。
彼にはそれがわからなかった。
「これがボクの……今の生きる理由。似ているのさ。君とボクは」
彼女は淡々と、なにの感情も持たない顔でそう告げた。
セーリスクはそれをどう受け止めればいいのか。
その感情の処理に戸惑った。