四十五話「獣王ベヒモス③」
「姿を現せ。裸の王よ。【ギムレス・パシレウス】」
空中に短剣が突如として姿を現す。
短剣は高速で、獣王を狙っていた。
「……!」
しかし獣王は、まだそれには気が付いていない。
イグニスしかそれに気が付いていない。
短剣は獣王の不意をついていた。
短剣は、獣王を狙いその肉体を貫いた。
腕から血があふれ、止まらない。
体には何個も風穴があいていた。
「!!?」
獣王は、その想定していない攻撃によりその場から離れようとする。
アンデットには痛みはないはず。
そういった行動をとってしまうのは、しみついた癖か。
「いまだ……!」
ともかくその行動はイグニスにとってありがたいものであった。
その瞬間、獣王の手と牙が緩んだ。
剣を振るだけの余力ならある。
イグニスの決意というものは揺らいでいなかった。
「空を裂け!【裂空】!」
今なら魔法を放てる。
そう思えるほどの隙が生まれた。
獣王の力が弱った隙に、剣に魔法を込めた。
その剣を大きく獣王に振る。
全身を躍動させ、この瞬間における渾身を込めた。
その技の名前は【裂空】。
再び獣王の肉体を欠損させる結果を生んだ。
更なる大きなけがにより、獣王の動きは鈍る。
血液が噴出する。
ただでさえ、骨が大きく露出していた獣王はさらに怪我を広げることとなった。
これで死なないのだから大したものだ。
「はあ……はあ……」
危なかった。
あやうく死にかけた。
息切れが止まらなかった。
精神的疲労も大きくなっていた。
命を救ってくれたのは誰だろうか。
そんな疑問が頭に浮かぶ。
しかし結論は即座にでていた。
「あいつ……しかいないか」
もうひとり戦力となる亜人がいた。
だがこちら側の戦力ではない。
なぜ彼は自分を助けてくれたのだろうか。
イグニスは、不可視の魔法の使い手を知っていた。
知ってはいたが、あったことはなかった。
「……まさかお前に救われるなんてな」
「貸しひとつだ。風使い」
その男は笑う。
にやにやと、不敵な笑みを隠さなかった。
「最悪の貸しだよ。今すぐ返却したい」
命を救われたはずなのに、最悪の気分だった。
セーリスクに救われたのなら感涙だったのに。
「そう嫌がるなよ」
彼はまだ笑みというものを保持していた。
イグニスはそれに対し不機嫌になる。
「ちっ」
「お前とは話すのは初めてだな?」
「ああ」
「まあ、仲よくしようぜ?」
後ろには彼が立っていた。
やぼったい蓬髪の男。
その肉体は筋肉により激しい隆起を持っていた。
このような戦場にも関わらず、その男は、自身の肉体を守る鎧というものを纏っていなかった。
ただ腰には、多くの短剣が装備されている。
裸の兵隊。
アダムの配下のひとりネイキッド。
彼は笑っていた。
顔つきは気楽そうで、苛つくような笑みを浮かべていた。
彼は一体ここになにをしにきたのだろうか。
「お前……セーリスクはどうした」
イグニスは心の中に懸念している事項について質問を投げる。
それはセーリスクのことであった。
セーリスクは、敵であるネイキッドのことを激しく敵視していた。
彼はネイキッドのことをライバルだと思っている。
そう思っていいほどの感情だった。
そうして彼は、ネイキッドに戦いを挑むために自分たちと別れた。
セーリスクのあの時の表情がいまでも頭に思い浮かぶ。
しかし今はどうだ。
「……」
彼は目の前にいて、セーリスクはここにはいない。
彼は死んだのだろうか。
返答次第では、先ほどの恩を仇で返すこともいとわない。
彼はしばらく無言だった。
しかしそれは無視ではなかった。
なんと返答しようか迷っている。
そのような表情を浮かべていた。
しばらくして言葉をひねり出した。
「……お前はさ、あいつがそんな軽く死ぬ奴だとでも思ってるわけ?」
違う。
そんなことは思っていない。
だが心配しているのだ。
彼は死ぬまで戦う。
だからこそ心配していた。
「大丈夫。奴は生きている。安心しろよ」
ネイキッドの体を見た。
その体は無傷であった。
一切の損傷なく、一切の負傷はない。
セーリスクは、彼に全く歯がたたなかったのだろうか。
彼の決意というものは無意味だったのか。
そういう思いが湧いてきた。
その時、イグニスはあることに気が付いた。
それはイグニスにとって大きな驚きをもたらすものであった。
「……お前っ!」
「ああ……そういうことね。俺の体は気にするなよ。これは……俺への罰さ」
「ちっ」
「怒るなよ。そんなことより、話は終わりだ。お前もちったあ休めたろ?」
ネイキッドが指をさす。
その指した先にいたのはもちろん獣王だ。
獣王は、その削り切られた肉体を再び元の形に復元しようとしていた。
それに気が付いたイグニスは、魔法の詠唱をしようとする。
「……!ラファ……!」
しかしネイキッドがそれを遮った。
手で、前に進もうとするイグニスの体を止める。
「無駄だ、やめとけ」
「……ああ」
先ほどの魔法で損傷させることができたのは片方のみ。
つまりもう片方はほとんど原型というものを保っていた。
「既に【咆哮】の準備をしている」
原型を保っている方の頭。
そいつは【王者の咆哮】の予備動作に入っていた。
眼はみえないが、頭はこちらを向いている。
これでは、魔法を打ったとしてもそれは無駄になる。
今この状況で、無駄撃ちはしたくはない。
獣王の再生能力は、アンデットとしても異常な速度であった。
ミカエルがこの場にいないのが惜しい。
彼女がいれば、先ほどの一撃で燃やすことができた。
だが魔法の得意不得意というものは今さらだ。
風の魔法で、獣王の肉体をえぐることができるという確証は持てた。
問題はいつそれを使うかだ。
そんな時、起き上がるものがいた。
「すまない、イグニス……遅れた」
「おせーよ、バカ」
プラードが起きていた。
頭からは、大きく出血していた。
その純白の毛皮は、血で赤く染まる。
しかしその眼の意思というものは一切の揺らぎを持っていなかった。
先ほど母親と父親があんなことになったのに大したものだ。
「よう、王子様。寝坊してたのかい?」
ネイキッドが軽い様子で手を振った。
プラードが、ネイキッドのことを強く睨む。
「獣殺し……今さらとやかく言うつもりはない。イグニスを救ってくれたこと感謝しよう」
「そりゃ、どーも」
「だがひとつだけ聞かせてもらおう」
「なんだ?」
「お前はここに何を成しにきた」
「……そんなの決まってる。獣王を殺しに来たんだよ」
「それならいい」
「はっ」
なぜ彼は今さらになって、アダムに逆らうのか。
イグニスにはそれが一切わからなかった。
しかしプラードはすんなりと納得していた。
「骨折りは?」
ネイキッドは、この場にいないもう一人の人物の状況を聞く。
「様子がおかしいんだ」
「は?」
後ろを振り返ると、鼠の蚤が骨折りのことを介抱していた。
しかし骨折りは頭を押さえ何かしら考え込んでいる。
「頭が……頭が壊れそうだ」
本当に調子が悪そうだ。
その声は掠れがすれだった。
桂馬戦で、肉体にダメージが行きすぎたか。
「おいおい、まじかよ。あいつ頼りにしようとおもったのに」
「……どうやらそんなに都合よくいかないようだぞ」
プラードとネイキッドは焦っていた。
接近戦において、この場で一番の希望が最悪のコンデションだ。
獣王と一時的でも対等に張り合ったイグニスの体力も多いとはいえない。
しかしそれでも獣王の肉体の再生というものは終わっていた。
「……イグニス。魔力はあとどれぐらいだ?」
「期待するなよ。肉体を吹き飛ばすので殆ど使ってしまったんだ」
「わかった。把握しておこう」
【岡目八目】と【天使】の力。
この二つは途轍もなく燃費が悪い。
掛け合わせるとなおさらだ。
現状も【天使】の力を維持するので精いっぱいだ。
解除したいがこの力がなくては獣王の攻撃は躱せない。
「おい!!大丈夫かよ?!!」
ネイキッドがイグニスの現状に対し、文句を言う。
よくもこんな傷だらけの相手にいえるものだ。
「うるせえな!!!?」
「はーー?てめえが役立たずなのがわりいんだろ!」
こんな状況で、喧嘩をすることのできる余裕をもつ二人にプラードは大きくため息を吐く。
この場で指示を出せるのは自分だけのようだ。
そう思った。
「獣殺し」
「おう?」
「お前には余力はあるのか」
「ああ、大丈夫さ。ピンピンしてら」
「そうか、ならちょうどいい。イグニスの分まで働いてもらうぞ」
「足引っ張ってんじゃねーぞ、風使い」
「おまえさあ……!余裕ありすぎだろ」
どうやらプラードには何かしらの考えがあるようだ。
ネイキッドに指示を与える。
「前は私がでる。後ろから頼むぞ。タイミングが合えば接近戦も頼む」
「おうよ」
ネイキッドを最大限生かす。
それしかこの場の活路は見いだせない。
「イグニス。君は後ろで魔法によるカバーを頼む。その状態で決して前にでるな」
「わかっている」
イグニスへの指示も理解できるものであった。
イグニスの怪我もいまは大きい。
これ以上の身体の損害を負わないためにも後ろから魔法を放つ役が最適に思えた。
「骨折りが復帰するまで時間を稼ぐぞ!」
「「ああ!!」」
イグニスとネイキッドの掛け声が重なる。
お互いやる気は十分だ。
骨折りが復帰すれば、再び前を彼に任せられる。
そのうえ獣王を倒すことのできる可能性というものも違う。
再生が終わった獣王がこちらにやってくる。
その肉体は、ほぼ万全であった。
「いやになってくるよ」
「いや、十分だ。再生といっても限度があるはず」
獣王の体力は、何個も瓶があるものだと考えればいい。
ひとつは割った。
問題はその瓶が何個あるか。
「獣王よ……貴方はもう死んだ」
「……」
プラードは届くはずのない言葉を獣王にぶつけた。
それはもうすでに【獣王】ではない。
しかし語った。
「その道を開けろ。貴方はもう去るべきだ」
獣王が咆哮する。
血管が隆起し、その肉体と神経には万力がこもっていることが理解できた。
凄まじい風圧が、イグニス達を襲う。
「プラード……」
「大丈夫だ」
プラードも同じように【王者の咆哮】を放った。
咆哮と咆哮がぶつかりその場には、異様な感覚が広がった。
まるで、皮膚の薄皮一枚がびりびりと焼かれるような感覚。
それが獣人同士の語り合いのようだ。
「いくぞ!」
プラードが、獣王に対し飛び込んでいく。
拳が何度も何度もプラードに向けられた。
プラードはそれを躱した。
しかし最後の一撃のみが、命中する。
プラードは倒れなかった。
逆に腕をつかみ返す。
「こんなもの折れてしまえ!!」
腕に渾身の力をいれた。
その瞬間、獣王の腕が折れた。
そのまま獣王に対し、蹴りを加える。
プラードは獣王の右腕を決して離さなかった。
獣王の胸骨、あばら骨。
バキバキと不愉快な音をして折れた。
「喰らえ!!【天恵】」
拳に魔力を込める。
その剛力と、魔力によってその技は破壊力を生む。
プラードの拳と、獣王の肉体。
その両方は激しい音を鳴らしぶつかった。
しかし獣王。
その腕の再生を既に終え、その腕で受け止めていた。
それどころか【天恵】を喰らってもなお、異常な硬さを持っていた。
「再生が……終わって」
先ほど腕を折って、この攻撃までの時間差はそれほどなかった。
だが再生は既に終わっている。
アンデットの恐ろしさというものを再認識した。
大技を繰り出し、隙だらけのプラードに獣王は攻撃を向ける。
「俺を忘れんなよ」
ネイキッドは、魔法を放つ。
【ギムレス・パシレウス】。
多くの短剣が、再び獣王を包んだ。
しかしそれは視認できない。
先ほどと同じように、何本かの短剣が獣王の肉体を貫通する。
血液が身体があふれ出る。
「今のうちだ。離れろ!」
「有難い!」
プラードの頭の中にはある一つの疑問が生まれていた。
「【王者の咆哮】を使わない……?」
獣王は気が付いていないのだ。
ネイキッドの魔法の発生を予期できない。
見えない攻撃。
普通であれば、魔法による攻撃を疑う。
だからこそそんな時に【王者の咆哮】を使う。
これによって、魔法というものは乱れる。
だが獣王はそれをネイキッドに対し一切使ってこないのだ。
「これは嬉しい誤算だな。魔法の通じないはずのお前らにはこれが通じるのか」
寒気がした。
ネイキッドの魔法というものは、獣王の感知能力すら上回るほどに魔法の技量をあげていたのか。
【威力】でも【精度】でもない。
【不可視】という性能。
それは【認識】の部分にまで及んでいた。
「獣殺しか……」
獣人の天敵。
獣殺しと呼ばれる男。
ネイキッドはいまこの瞬間になって完成していた。
「はは、楽しいぜ!!」
ネイキッドは笑う。
この状況を明らかに楽しんでいた。
「【ギムレス・パシレウス】!!」
再び、魔法を発生させる。
短剣が、獣王に向かっていく。
しかし先ほどの獣王とはまた違う。
短剣は再び刺さった。
しかしそれは一部だけだ。
獣王は、【王者の咆哮】なしで腕をふり足で蹴りその大多数を弾いて見せた。
「適応が早いな。それでこそだ」
恐らく勘のみで殆どの短剣に反応してみせた。
その原因を探る。
そしてみつけた。
無防備にこちらに向かう亜人を。
獣王はその気配に気がつき、構える。
「こっちは苦手だがしゃーない」
その両手には短剣を所持する。
魔法により姿を消す。
「!?」
獣王は警戒する。
先ほどと同じことが起こる。
そう思ったからだ。
そしてその直後、獣王は咆哮を放とうとした。
しかしそれは当然のように遮られた。
「お前の行動なんてお見通しだ」
ネイキッドは深く深く喉元に、短剣を貫いていた。
「で、これも釣りだ。とっときな」
獣王の背後からも、【ギムレス・パシレウス】による発射能力で短剣を射出する。
二つの首を貫いた。
いまこの瞬間声帯はやられ息を吐くことすらままならないだろう。
最大のチャンスだった。
「いまだ、王子!やっちまえ」
ネイキッドは指示をだす。
いまこのタイミングでしか獣王を倒す瞬間など存在しない。
そう思った。
プラードもそう察する。
「イグニス!タイミングを合わせろ!」
「ああ!!」
イグニスもこの瞬間を待っていた。
二人が与えてくれた時間。
その時間で可能な最大限の魔力を紡いだ。
「【天恵】!!」
「暴風よ!!槍となり敵を貫け!【ランサ・ウルカーン】」
プラードが胴体を貫通させれるほど強力な一撃を放つ。
イグニスも、暴風を槍に形成し獣王に標準を合わせた。
最高のタイミングと、最適な攻撃。
その二つ。
獣王の身体は凄まじい勢いで吹き飛ばされる。
その場の床と壁は崩れ大きな音をだす。
少しの間、静寂が続いた。
獣王は起き上がってこない。
「……」
「勝ったのか……?」
「皆さん……っ!」
イグニスと、プラードとネイキッド。
この三人は無言だった。
鼠の蚤だけが喜んでいた。