二十六話「過去と情報」
暗闇の町の中。
獣王国のその様子は静寂だ。
起きているものも少なく、光は殆どなかった。
しかし鼠の蚤はこう語る。
「夜行性の種族もいるので、あまり音をたてないように気を付けてくださいね」
「ああ、もちろんだ。わざわざ荒事を起こす気なんてないよ」
「……少し気配を感じるな。隠れよう」
骨折りがそういって近くの物陰に隠れる。
プラードと鼠の蚤もそれに即座に従い隠れた。
骨折りの判断力を信じたのだ。
骨折りの言う通り、衛兵のような人物があくびをしながら道を歩いている。
こちらには一切気付いていない様子だ。
やはり普段そういった不審者がいないのだろう。
全く警戒している様子はなかった。
眠そうな目をして少し寝ぼけている様子だった。
それに酒を呑んでいるのか。
飲酒時独特の匂いがほのかに香ってくる。
「……あれは、香豚の部下ですね」
「あー、なるほど」
なるほど香豚の影響はここまで来ているようだ。
彼が徹底的に油断させたのだろう。
しかし今後も衛兵たちが油断する保証はない。
今回限りの幸運ぐらいに考えた方がよさそうだ。
鼠の蚤は、骨折りの方を向く。
何か話たいことがある様子だった。
「それにしても流石ですね。隠密に関してあなたは私並みにありそうだ」
鼠の蚤は、骨折りの隠密に関して素直に賞賛の声を上げた。
それは嘘偽りなく心からの賞賛だった。
事実隠密を得意とする鼠の蚤から見ても骨折りの気配察知能力や気配の消し方というものは上手かった。
彼は、戦闘力だけの人材だと。
鼠の蚤はそう考えていた。
しかしそれは浅い考えだった。
骨折りは決して実力だけの人物ではない。
判断力や、それに伴った技術。
彼はそういったものを持っている。
「……お前はそもそも認識できない魔法があるだろうが。お前と俺を比べるのはそもそも話が違う」
しかし鼠の蚤の賛辞に骨折りは、異論を持った。
そもそも自身が隠密に長けているのは、あくまで個人だけの行動が多かったからというレベルの話だ。
単体で行動する場面。
どうしても見つかってほしくないことはある。
自分の能力であれば、敵を撃破することも可能だがそういったことは何度もできることではない。
やればやるほど、成功の確率は落ちていく。
だが鼠の蚤の魔法はそれを根底から覆す。
認識できない。
ただそれが隠密行動においてどれほど重要か。
認識阻害の魔法は、恐らくだが格上にも通じる。
魔法を構成する殆どを【認識できない】ということに費やしているのだ。
魔法の内容をひとつのことに集中させる。
それが鼠の蚤の魔法だった。
「……初見でそれを言われたのも初めてです」
鼠の蚤は、あってそれほどもたたない人物に自身の魔法が看破されたのは初めての様子らしかった。
顔は半分隠れているが、目は本当に驚いている様子だ。
大きく開かれていた。
「……一度だけお前と似たような魔法にあってな。見抜けたのは偶然だ」
鼠の蚤の魔法が【認識できない】という効果だったのに気づけたのは本当に偶然だ。
それは以前の経験。
姿を見せない相手に出会ったという経験。
姿を消す魔法。
ネイキッドの魔法と鼠の蚤の魔法は少し似ていた。
しかし方向性が違う。
ネイキッドの魔法は、気配や音。
動いたときにでてくるものを認識できた。
ネイキッドの攻撃にあと少しのところで気が付けたのはそれが理由だ。
しかし鼠の蚤の魔法は、聞こえているし見えているはずなのに【認識できない】。
これは大きな違いだ。
隠密性にどちらかが長けているのか。
それを聞かれたら、鼠の蚤の魔法の方が勝る。
無論戦闘面ではネイキッドだ。
彼は、自身の武器でさえ魔法によって隠していた。
気配を隠すことができていたのは、彼自身の技術によるものだ。
よって彼の魔法は、姿を隠すだけという非常にシンプル。
見えないだけの魔法だ。
自分は知らないが他にもまだ効力という物はあり得るのだろう。
だが鼠の蚤は骨折りの想像とは違った反応を示した。
「【獣殺し】でしょう?」
「知っていたのか」
鼠の蚤から【獣殺し】という単語が出てくる。
【獣殺し】。
それはアダム配下であるネイキッドの異名のはずだ。
骨折りはプラードからそれを教えてもらった。
プラードも少し眉が動く。
そういえば、彼も豊穣国の戦いでネイキッドと戦ったのか。
もしこの場にセーリスクがいたのなら機嫌を悪くしていたことだろう。
それにしてもそれほどまでにネイキッドという男は、獣王国で暴れていたのか。
鼠の蚤はそのまま話を続ける。
「彼の魔法は有名ですよ。獣王国一部に限っての話ですが」
「……一部?」
どうやら彼は局所的に暴れていたようすだった。
まあ、それもそうだろう。
彼が獣王国全体で暴れたら恐らくだが、ほとんどの獣人は死んでいる。
彼に太刀打ちできるのは、獣王国でも少数だろう。
それほどまでに【見えない魔法】は危険だ。
弱点である匂いや音、気配。
そういったものを彼は自前の技術で埋めているのだからなおさらだろう。
だが一部となると、彼の殺人には何かしらの目的があったと考えてよいようだ。
「ネイキッド……【獣殺し】は過去に獣王国のスラム街付近で多くの殺害を行っていた」
「スラム街か……」
獣王国に元々いたという亜人だからスラム街出身なのだろうという軽い推測は心の中に芽生えていた。
しかしなぜそのスラム街で有名になるほどの殺害を重ねたのだろう。
やはりなにかしらの理由はあったのだろうか。
ネイキッドという人物がどのような経緯をたどったのかそれを知る機会はあるのか。
「殺害といっても、亜人には一切手を出さない。だから【獣殺し】」
鼠の蚤がネイキッドの異名の由来を軽く説明する。
なるほど、【獣殺し】。
獣人で彼に勝つことはできないのだろう。
「彼はきっと獣王国での亜人にとっては英雄的な存在だった。その当時は幼かっただろうにな」
プラードは、獣人の立場でありながら彼を英雄と呼んだ。
それは骨折りにとって意外だった。
国を荒らした人物でありながら、一部では愛されていたネイキッドをどう思っているのだろうか。
「英雄ね……」
自ら英雄だと誇る輩には禄な奴がいないが、他者からそう形容されているのなら大したものだ。
まあ、どうせ殺人犯だ。
決して褒めるようなものではない。
少なくとも現時点骨折りはネイキッドに一抹も同情していなかった。
「……この国の亜人が初めに覚える魔法。それはなんだと思いますか?」
突然、鼠の蚤は骨折りに質問を投げかけてきた。
それは、初めに覚える魔法について。
なぜ彼はこんなことをきいてくるのだろうか。
しかしこの会話の中からくると何かしら関係しているものなのだろう。
実際に、鼠の蚤は真剣な顔を崩していなかった。
骨折りは思案する。
亜人の覚える魔法。
それは国によって
豊穣国は、かなり自由だった。
好きな魔法を覚えそれを身に着ける。
生活に役立つような魔法を覚えるようなものもいる。
法皇国は、防御に役立つ魔法を基本的に覚えるはずだ。
記憶の中であやふやだが、それは法皇を守るため。
だからこそ法皇国出身の亜人には独特の雰囲気がある。
では、獣王国はなんなのだろうか。
強さか?
そうして悩む中ひとつの答えをだした。
「……攻撃に関する魔法じゃないのか」
たった買うためには、相手を傷つける魔法が必要だ。
だからこそ相手を直接的に攻撃する魔法が必要だと考えた。
しかし鼠の蚤は即座にそれを否定する。
「違います。自らの存在を目立たなくさせる魔法です」
「……!」
骨折りは少しの間だけ言葉が出なかった。
獣王国の亜人たちがその魔法を選び取る理由を察してしまったから。
「私たち……いや私はそうでもしないと生き残れなかった」
【生き残れなかった】。
彼は、死んだものを知っているということか。
きっと彼の中には現在でも悪い夢がこびりついているのだろう。
そしてそれは今でも離れていない。
彼は、目を瞑り腕を抑えていた。
「そこ……まで……酷いのか?この国の亜人と獣人の境目というものは」
この国の状況という物をはっきりと骨折りはわかっていなかった。
プラードは無言だった。
それが何を意味するのか。
骨折りには全く理解ができなかった。
鼠の蚤は、ちらりとこちらをみる。
骨折りは、骨の仮面をかぶっている。
当然その表情をみることはできなかった。
「興味ありませんね」
「……なぜだ」
骨折りの質問に、鼠の蚤は関心がなさそうに突き放す。
まるで他人事のようだ。
少しの混乱が骨折りを包む。
「差別されたことに苦しんでいるんじゃない。私が。私というものが傷つけられたことに苦しんでいるんだ」
歯と歯が擦れる音が響く。
きっとその隠している口のなかで彼は奥歯を噛み締めていた。
目に殺意が宿る。
彼の中には、どんな過去が血液と共に流れているのか。
骨折りは、それを想像することさえできなかった。
骨折りは過去の自分というものを覚えていない。
いつの間にかに戦場に立っていて、自身が【骨折り】と呼ばれていることを知った。
自分には持っていない過去を持っている鼠の蚤に骨折りはいつものような軽口をたたくことができなかった。
きっと軽い気持ちで触れてほしくないもの。
そんなものを鼠の蚤は吐露していた。
彼がそんなことを吐き出すのは、この戦いが終わったら二度と関わることはないと思っているからなのか。
それとも、戦いに臨む以上この国の亜人の思いの重さを知ってほしいからだろうか。
「……こんなことを話してしまってすみません」
「気にするな」
謝罪を述べる鼠の蚤に対し、プラードは問題ないと声をかける。
プラードは、鼠の蚤の言葉を重く噛み締めていた。
きっと真面目な彼のことだ。
より一層この国を変えなければという気持ちになっていただろう。
そんな中骨折りだけ様子が違った。
骨折りがぼそりと言葉を紡ぐ。
「……きっと」
「……なんですか?」
「きっと俺はこの先ずっとお前のような経験も記憶も味わうことはできない」
「……」
「完全な理解もできないだろう。だがお前を決して笑わない。弱者と侮蔑もしない。今はそれで許してくれないか」
「……今の話は忘れて下さい。私情というものを挟みすぎました」
「ああ、わかった」
なにもしらずこのまま戦い続けるのと、知って理解し合うのか。
どちらかがいいのかなんて知りようがない。
骨折りはそれでもいいかと彼の選ぶことを信じた。
彼は知られたくないのだろう。
これ以上自分自身というものを。
しばらく無言になり、歩き続けた。
幸い、衛兵のような人物とは出会わなかった。
鼠の蚤の魔法の効果で、目立つこともなかった。
道を歩き、また曲がり。
また歩き、また曲がる。
そんなことを繰り返していると、道が段々と入り組んでくる。
「ここからは、少し治安が悪くなります。まあ、スラム街ほどではないですが」
「心配することはない」
「俺らに手を出すのはよっぽどの馬鹿だろ」
「それもそうですね」
道端に、獣人が寝ころんでいる。
酒で酔ったのだろうか顔は真っ赤になっていた。
ぼろぼろになった布切れで寝ている子どもがいる。
夜風に吹かれ、プルプルと震えていた。
豊穣国とは雲泥の差だ。
まあ、ある意味こんなところで寝ていられるのはまだ平和な部類なのだが。
鼠ののみが、こちらを振り返り
「アジトまであと少しです」
「この辺りにあるのだな」
「ええ、あまり衛兵の多いところに作ってもばれてしまいますから」
「銀狼というのはどんなやつなんだ」
実際に会う前に、反乱軍のリーダーというものがどのように思われているのかふと興味がわいてきた。
鼠の蚤が言葉を探りながら、あるひとつの単語を出してくる。
「……一言でいえば、カリスマですね」
「カリスマね……」
カリスマか。
骨折りは頭の中で思考する。
確かにいままでカリスマと呼べる人物に会ったことは少ないのかもしれない。
頭にパッと浮かぶのは数多の強者を従えるアダム。
豊穣国女王である、デア・アーティオ。
二人はカリスマというにふさわしいだろう。
プラードは、王の格を潜在性として持っていると評価できるがデア・アーティオの傍としての経験が長すぎて今のところ二番手といった印象か。
基準は、「為すべきことを為し、未来への理想像を持っている」といったところか。
やはりその点においてもプラードは、父を超えるという為すべきことをつい最近まで意識できていない様子があった。
やはり自分の中ではプラードはカリスマには成り切れていない。
デア・アーティオは国を存続させるといった方面か。
事実多くの国民や、プラード、ペトラという人物を集めている。
そして国を続けてきたという実績もある。
これは並大抵のことでは揺らがないだろう。
対するアダムのカリスマ性には、そこが知れないという部分が大きい。
しかしネイキッドやコ・ゾラ、シェヘラザードといった化け物を集めている。
やはり彼には何かしらあるのだろう。
頭の中に、カリスマという具体性を広げている骨折りに鼠の蚤は続けて説明する。
「ええ、カリスマです。加えて反乱軍というほとんどが獣人が構成された組織でもリーダーを張れるその実力。両者ともに中途半端では務まりませんからね」
「角牛と飛鷹は……二人はその人物の部下だといっていたな」
「はい」
「なるほど、なおさら興味が湧いてきた」
プラードは、元々の友人である二人が部下になっているということに興味を示していた。
「ここがアジトです」
いつの間にかにアジトについていた。
そこには、ただの木の扉がついており、なにかのお店のようだった。
道を歩いている途中で認識阻害をされたのだろうか。
距離の感覚がおかしい。
「バーか?」
「はい、そうですね。元々お店だったのを改良しただけですが」
鼠の蚤が扉を開ける。
そこには、何人かの獣人が睡眠をとっていた。
雑魚寝のような感じだ。
「店としてどうなんだこれ」
「すいません。深夜なんで……」
ただひとり、バーカウンターに立っている人物がいた。
「マスター連れてきました」
「ああ、お帰り、蚤。何か飲むかい?」
「いえ、リーダーに会わないといけないので」
梟の獣人だ。
酒を片手に、その場で休んでいた。
「その二人が、例の人物かい。蚤」
「はい、そうです」
「骨折りだ。よろしく頼む」
「プラードだ。初めましてマスター」
「マスターだなんて言われるような店じゃないよここは」
「いいじゃないですかマスター」
「夜行性の私には、夜は寂しくてね、こうして酒と語らっているわけさ。暇な時があたら来るといい」
マスターと呼ばれる男は、そういって酒をぐいと飲む。
鼠の蚤は、マスターについて説明をする。
「マスターは情報屋なんです。二人のことも詳しく知っていると思いますよ」
「なるほど怖いな」
どうやら彼は情報屋のようだ。
反乱軍に情報を提供しているのがかれなのだろうか。
「流石に獣王の息子に手を出すほど馬鹿ではないよ」
マスターが情報屋だと聞いて、プラードは怖いなとからかった。
しかしマスターは、プラードの情報には手を出していない様子であった。
骨折りは、マスターに自身のことを知っているか質問をしてみる。
「それじゃあ俺のことはどこまで知っているんだ?」
「骨折りね……生憎君のことを知っている人物はほとんどいない」
「ほう……だろうな」
当然の答えだった。
骨折りでさえ、自身がどんな過去をたどったのか不明瞭だった。
「だが知っている書物はある」
「なんだと……それを教えてくれないか」
骨折りにとってある意味予想外な話が出てきた。
マスターは骨折りの情報を持っているというのだ。
それは思ってもみない話だ。
是非聞いてみたい。
そう思った。
しかし違和感がある。
書物とはなんなのだろうか。
「知っている書物?どういうことだ?」
「ふむ……詳しく調べようとは思わなかった。ネタにはならないだろうしね」
「話せ、なんでもいいから」
骨折りは少し焦りが生じる。
なにか自身についてしっていることがあるのならぜひここで知りたい。
骨折りは動揺によって、その手は自身の剣に向けられていた。
マスターは、その様子に怯えず鼠の蚤をちらりと見る。
「蚤。どうする?」
「今は話してください。貴方の命が危ない」
マスターは鼠の蚤に確認をとる。
ここで情報を与えてもいいのかという質問だった。
鼠の蚤が、その内容という物を話すことを推奨する。
いまここで骨折りがキレても厄介だ。
「なるほど……そうしよう。かなり昔の記憶だがいいかね?」
「早く話せ」
「【骨喰らい】という本を探してみるといい。獣王国の古い絵本だ。それに君と共通するような人物の過去が書いてある」
【骨喰らい】。
マスターはその本を話に出した。
しかし骨折りは、その本を一度も聞いたことがない。
もう一度確認をとる。
「【骨喰らい】だな」
「ああ、名前に間違いはないとは思う。だが随分と古い絵本だ。見つかるかも定かではない」
「いや、いい。教えてくれてありがとう」
「私もその絵本が見つかったら教えるよ」
マスターがその情報の元という物を話したおかげでその場はいったん落ち着く。
鼠の蚤は、溜め息をつく。
香豚に続いて、マスターとも争いになるのかと焦ったためだ。
「良かったです。また争いにならなくて」
「私もいざこざという物を好まないし。素直に話してもよかったんだがね。まだリーダーと会っていないものだから迷ってしまったよ」
「それもそうですね。リーダーの前に話を初めてしまった私が悪かったです」
「それなら尚更リーダーに早く顔を合わせなくてはね」
「反乱軍のリーダーはどこに?」
「そこの階段を下りてすぐです」
そこには、地下につながる階段があった。
そこを下りれば、リーダーに会えるのかと息を呑む。
「飛鷹、角牛の二人もそこにいますよ」
「なるほど。楽しみだ」




