二十五話「香豚という男」
扉は開けられた。
ぎぃと、地面と扉が擦れ合う音がする。
その扉は、獣王国とその外の境界線になっていた。
一歩踏み出せば、そこは獣王国だ。
「ここから先は、獣王国です。覚悟はできていますか?」
「今更だな」
鼠の蚤の後を追い、扉の中へと入る。
その足にためらいはなかった。
中は物置小屋のようで、薄暗かった。
少しばかリ埃くさい。
鼻の奥にそういった匂いがつんとくる。
ひとつのたいまつが、その部屋を照らす。
しかし光は足りず薄暗い。
部屋にはいると一人の人物がそこに立っていた。
さきほど、鼠の蚤と合言葉を交わした人物だろうか。
「初めまして。プラード様。そして骨折り殿」
豚の獣人が声をかける。
その厳格な声は、その声の主の勤勉さを表していた。
そこには、獣王国の兵士がひとり立っていた。
鉄の鎧は、熟練の鍛冶屋がつくったものだろう。
決して見栄えだけのものではない。
そのものの実力が認められたからこそ身に着けているものであった。
「二人の猛き武勇。こちらにも届いております」
その豚の獣人は、身長はプラードに勝るほどあった。
筋肉量も相当だろう。
武人と呼ぶにふさわしい。
そんな外見であった。
武器に柳葉刀をもったその獣人は、決意のともった眼光で二人を見つめる。
「鼠。ここまでの案内ご苦労。銀狼殿のところまで連れていくのだろう」
「ああ、この二人は大事な客人です。リーダーのところまで何もなく無事に連れて行かなければならない」
銀狼。
狼の名前を関するその人物は、【反乱軍】のリーダーなのだろうか。
骨折りは、プラードにその人物について質問を投げてみた。
「プラード。銀狼という人物を知っているか?」
しかし骨折りの意に反しプラードはその人物を知らないようであった。
言葉に詰まり。
返答が鈍る。
少なくとも彼が獣王国にいたとき有名な人物ではなかったのだろう。
「……いやすまない。その名前を私は知らない。少なくとも現在の【反乱軍】の中で私が知っているのは、二人だけだ」
「二人というのは?」
プラードは、その二人を頼ることで獣王国の侵入の糸口をつかんだ。
しかしその二人よりも上の人物がいるようだった。
話を聞いていたようで、その豚の獣人は答えを返す。
「骨折りさんがいう二人というのは反乱軍における重要な位置を担っている方です」
「【反乱軍】のリーダーである銀狼殿には二人の護衛がついている。まあ、組織における大幹部だな」
「その二人が元獣王国の軍に所属していた二人なんです」
「……名前を飛鷹。角牛。二人とも優秀な兵士だった」
「まあ、今はお尋ねものですけどね。貴方と同じだ」
「……やめろよ」
鼠の蚤は、骨折りを見てくる。
実際骨折りは、現在の獣王国で大罪人だ。
獣王国は、人間という種族を憎んでいる。
それが生きて実在していたのだ。
それを逃がした骨折りの罪は重い。
鼠の蚤も、同様に骨折りのことを大きな犯罪を犯したものだと認識しているようであった。
「……そこのお前」
「俺か?香豚と呼んでくれ」
「ああ……香豚。お前随分と詳しいじゃないか」
「……それは賞賛と受け取ってもよい物なのか?骨折り殿」
「賞賛に受け取れるなら随分と都合のよい耳をしているんだな。羨ましいよ」
「……あ?」
「ちょっ……香豚」
鼠の蚤は、焦って止めに入る。
ここで喧嘩になられても困るし、骨折りが反乱軍の一員と喧嘩になったとなればリーダーに面目が立たない。
なにより面倒くさい!
「随分と癒着しているんだな。よくそれで誤魔化せたものだ」
この豚の獣人は、現在獣王国という組織に潜みながらも反乱軍の手伝いをしているということだ。
それも多額の賄賂を受け取って。
裏切者は再び裏切る。
そんな可能性を骨折りは避けたかった。
「金を受け取ったのは事実。しかし金がなくてはごまかせない目もあった。いまさら綺麗ごとを吐くつもりはない。俺も金が必要なんだ」
香豚は大きくため息を吐く。
自分の内心を吐露したかったような。
そんな気持ちが感じられるため息だった。
香豚が言いたいことはこうだ。
自分は金を確かに受け取った。
胸の奥にもしまった。
しかしその受け取った理由は、自分が為す行動を確実にするためだという。
「……ということは渡した人物は他にいると」
彼の言うことが事実であれば、彼は見張り番にうまく金を渡したらしい。
香豚が満足しつつ、他の者に渡せる分の金となると相当の金を渡したのではないか。
そんな疑問もわいてきた。
「‥‥…ああ、程よく分配した。怪しい鼠の蚤より俺から交友関係の要点である人物に渡せばよい。そちらの方が確実に誤魔化せる」
確かに、ただの兵士が鼠の蚤より直接そんな大金渡されたら、自分は一体なにに巻き込まれるんだという不安の方が勝ってしまうだろう。
そしてそんな不安から口外してしまう危険性も増えてしまう。
つまりこの人物は、反乱軍とのある程度のかかわりを持っており、同時に獣王国兵士の信頼を保っている。
そんな中間的な立場。
そしてなにより金の扱いをわかっているという三つの重要な点を満たしている人物だったということか。
他にも条件はあったかもしれない。
しかし香豚がそれを満たしている稀有な人材には変わりない。
「私は下手に見張り番と接触するわけにもいきませんし。彼の方が渡すべき人物を知っている」
「なるほど」
鼠の蚤は、香豚に賄賂のすべてを渡した様子であった。
香豚は既に【反乱軍】との信頼関係ができている。
香豚に渡した方が獣王国侵入が確実だと。
鼠の蚤も、先ほど話にでた反乱軍のリーダー銀狼もそう思っているということだ。
「今日はこれで飯に行ってくれ。酒でものんでくれ。今日に限ってくるはずがない。そんなことを言えば彼らは、すぐ隙を晒した。時間がわからなくても日さえ確定すればあとは楽だ。今いる見張り番も経験が浅いものがくるよう調整した」
真面目で無骨な顔つきをしていて、なかなか策略ということを上手くやっている。
普段も兵士からの信頼を集めているだろうに。
いま、自分たちが平然と話して居られるということは一切誰にもばれていない。
そういうことだ。
そして香豚は焦っていない。
きっとバレる余地もないだろう。
「すまなかったな、香豚。お前を疑ったこと謝罪する」
「……気にするな。必要なことなんだろう。お前の生き方では」
骨折りと香豚は、握手を交わす。
休戦協定だ。
香豚が、反乱軍にとって有用な人物でありこの先に必要になると骨折りは判断した。
彼のように、自分なりの正義を通している相手というのと自分は相性が悪いのか。
イグニスを思い出しながら、骨折りはそんなことを考える。
「……賄賂渡してうまくここに入れたのはいいんだがこれからどうする?」
侵入を容易にできたのはこちらにとってとても有難かった。
しかしそれから先の計画というものを、プラードと反乱軍は共有することができていなかった。
鼠の蚤は、銀狼というリーダーに会わせるつもりのようだ。
そこからさきに進んで理解したいものだが。
「まずは、近くのアジトまで行きましょう」
「アジト?」
なるほど、どうやらここら辺にアジトがあるようだった。
そこが本部なのだろうか。
いままでよくばれなかったものだ。
「ええ、リーダーがこの日のために待っています。それから計画を立てて王都近くまで行きましょう」
元々、プラードと骨折りの合流する日は決まっていた。
そんな今日のためにあちら側のリーダーは待ち構えてくれているようだ。
相手をこれ以上待たせるわけにはいかない。
早めに向かった方がいいのだろう。
「そうか。なら早くいかなくてはな」
「まずは、反乱軍との合流だな」
いよいよ本格的にことが運んできた。
豊穣国からの戦力は、イグニスとセーリスクというふたりしか見込めない。
イグニスに限っていえば
その戦力は自分たちと同じく一騎当千といっても過言ではない。
しかしたとえ其の駒が強くとも、心苦しいものだ。
獣王国王城での戦いを起こすためには多少なりとも物量が必要だ。
暗殺となっても、獣王の懐刀との戦いは避けられない。
しかもアダムは確実に控えているだろう。
その時のアンデットとの戦い。
反乱軍にはそこの抑えを任せたいという狙いもあった。
反乱軍とはなかよくできるとよいのだが。
「香豚。君はどうするんだ」
鼠の蚤が、香豚に対し問いかける。
そうだ、確かにこれから彼はどうするのだろうか。
いやいきなり消えられても不審に思われるだろうし残るのだろうか。
そんなことを骨折りは考えた。
「私は、太陽が出てしばらくまでいなければいけない」
「ですよね」
やはり彼は、まだ仕事が残っているようであった。
仕事が終わった後で、反乱軍と合流するのだろう。
「じゃあ、仕事が終わったらいつものアジトへ」
「ああ、わかった。仕事が終わったらすぐに向かう」
香豚もイグニスに及ばずとも優れた強者だ。
程よく【獣のアンデット】に勝てるぐらいだろうか。
二体相手では彼も苦しいかもしれない。
それでも、豊穣国の兵士数十人には勝る実力ということ。
獣のアンデットというのはそれほどまでに強大なのだから。
反乱軍に彼ぐらいの強者がいるなら獣王国兵士との戦いなら安心して任せることができる。
そういった保証が、最初から得ることができたのが一番嬉しいかもしれない。
反して、あまり評価しづらいのは鼠の蚤だった。
丁寧な口調。
やわらかい物腰。
そしてそれを裏切るように時々目から飛び出してくるあの眼光。
彼の育ったスラムという環境が影響しているのかもしれないが、あそこまでずれが生じているとまた面倒くさいし違和感を感じる。
しかし彼は見抜かれているというということがわかっているせいか少しリラックスしているような気もする。
彼が完璧に気を許す瞬間はくるのだろうか。
現在の評価では、イグニス、香豚、セーリスク、鼠の蚤の順番で強いのか。
ここに銀郎、飛鷹や角牛が加わるとなると兵士の中に強い人材がいても立ち向かえるかもしれない。
念のため、先ほど話に出た二人の強さというものをきいてみよう。
「なあ、飛鷹と角牛っていうのはどれくらい強いんだ?」
「すまない。私も実際に会ったわけではないしな。どれほど実力を蓄えているのか把握できていないんだ」
「そりゃそうか」
どうやらプラードは、反乱軍の戦力を把握できていないようであった。
きけなかったのは残念だが、それでもいい。
実際にあって確認できれば即座に判断することができるだろう。
そんなことを考えていると話を聞いていた鼠の蚤が会話に入ってきた。
「そこにいる香豚より強いですよ彼らは」
「ほう……」
「今も戦いのため鍛えているのだな……」
感慨にふけるようにプラードがつぶやく。
その二人との過去の思い出を回想しているのだろうか。
「……俺の方がこれから強くなる」
「成長期遅すぎませんか。横に伸びてますよ」
「うるせえ、必要経費だ」
元々の戦力として期待できていた飛鷹と角牛はかなり強いようであった。
香豚より強いとなるとペトラくらいか?
いや戦いが盛んにおこなわれていた獣王国での強者ということであれば、
イグニスを例に挙げた方がいいかもしれない。
流石に【天使】には勝てないだろうが。
香豚もある程度の実力は持っているはずなのに、それよりも強いとなると中々に反乱軍の戦力というものは安定しているのかもしれない。
こうしてみると豊穣国の戦力が悲しいものだ。
めぼしい戦力は他国の者しかない。
最もあの環境は、奪い合う必要がなく戦いの実力など生きているなかでほとんど必要ないのだが。
戦いというものに慣れてきているセーリスクの方が少し感覚がずれている。
「手紙ではどんな感じだったんだ?」
「……どんな感じとは?」
「あー。友人関係としてかな?」
プラードとその二人は、どのような関係なのだろう。
そんなことが純粋に頭のなかに思い浮かんでくる。
彼らとプラードはどのような経験を通じて友人になったのだろうか。
そんなことに好奇心が向いたのだ。
「まあ、兄に近い感覚だな」
「兄?お前には兄はいなかったはずだが……」
「私には実際の兄はいなかった……だが少し年上の彼らには、それが少しかわいそうにみえてしまったんだろうな」
「優しいんだな」
「訓練の合間に遊んでくれたんだ。その時の団長に怒られもしたがな」
なるほど、誰にもかまってもらえていない幼少期のプラード。
そんな彼を癒してくれたのはその二人だったのだろう。
しかも彼は、豊穣国の移住で人生の大半を豊穣国で過ごしている。
長期間会えなかった兄のような存在に会えることが嬉しいという気持ちもある。
きっと彼の胸の内を考えるとこういったところか。
自分に一つ言えることがあるならこんな形ではないほうがよかったのにと思う。
「飛鷹は、とても賢く丁寧に優しく私に接してくれる存在だった。角牛は、とても頼りがいのある人物でな。どんな時奪って私を励ましてくれた」
「……きっとお前にとっての支えだったんだろうな」
「……そうだな。彼らは私にとって支えだった。今こうして会えることを喜んでいる」
「状況は喜ばしくはないが、今は素直に喜ぼう」
「ああ、有難う」
「気にするな、お前によって大事な友なんだろう」
そんな二人の会話を香豚と鼠の蚤は気まずそうに聞いていた。
その違和感に気付き骨折りは、二人に質問をする。
「どうしたんだ二人とも。なにか今の会話におかしいところでもあったか?」
なにかあったのだろうか。
それとも【骨折り】である自分が王子であるプラードとここまで仲良くしていることに違和感を覚えたのか。
「いや……そのぉ。とても言いづらいんですが…」
鼠の蚤はなにかをはっきりと言えずにいた。
ともかく少し焦っていた。
「飛鷹と角牛になにかあったのか……?」
「いや、なにもないんですけど……あったといえばあったというか」
どういうことだ?
鼠の蚤は何を言いたいのだろうか。
「蚤。それは私たちから話すことではない」
「香豚……」
香豚が、話を遮った。
どうやら香豚としてはその内容は自分の口から出したくないことのようだ。
「プラード殿。実際に彼らに会って判断してくれ。生憎俺たちは彼らの過去の姿というものを深くは知らない。故に断言できないこともある」
確かに反乱軍に入ってから、幹部であるその二人と関わった香豚や鼠の蚤よりプラードの方が彼らの人物というものを深く知っているだろう。
香豚は、それを考慮したのだ。
もしかしたら、今の彼らの姿にプラードは違和感を感じないだろう。
そんなことに期待を寄せたのだ。
「なるほど……確かにそうだな」
「はい、だからこそ。貴方の目と口で彼らと語らうことを選んでほしいのです。隔たれた年月は、親睦を深めるきっかけとなるでしょう」