二十四話「侵入②」
闇夜の陰から、その間を裂くように一人の男が会話に入ってくる。
その男は、亜人だった。
その眼光は鋭く、闇の中でもきらりと光を放っていた。
少なくとも堅気ではない。
意図的に近づいてきた怪しい人物。
気配は通常より薄い。
その匂いは、体臭など一切感じず土臭かった。
さっきまでどこかに潜んでいたのだろうか。
薄汚れた鼠色のローブを羽織っており、フードを被っていた。
口には、黒色のマスクをかけておりその顔面の半分は見えなかった。
短髪でその茶髪は汚れている。
少しばかり衛生的とはいえないような容姿であった。
「動くな」
骨折りは、この人物から強者の威風という物を感じなかった。
どちらかというとこの人物は隠密にたけたものだ。
そう感じていた。
しかしここで、接触してきたのはなにかの理由があってのことだろう。
骨折りは、警戒しつつ武器を向ける。
この状態のまま会話を進めるためだ。
その亜人は、手をあげ武器をもっていないことをアピールしつつ後ろに下がる。
「武器をおさげください。敵ではありません」
その人物は、こちらに敵意を持っていなかった。
しかし身元を知らない以上警戒を解くわけにはいかない。
骨折りは、そのまま武器を向ける。
「……プラードお前の知り合いか」
骨折りは、その人物を知らなかった。
少しばかり警戒する。
しかし殺意や攻撃などの気配は一切感じない。
プラードの知り合いかと尋ねる。
「……あ」
プラードは、記憶を探った。
そしてその記憶の中には、プラードとその亜人が望む答えが潜んでいた。
「そうです、プラード様。この紋章に見覚えがあるでしょう」
その亜人の来ていたローブには、目立たない紋章のような縫いがあった。
目を凝らさなければ、見えないものだ。
きっと見覚えのあるものでなければ咄嗟に反応できないもの。
知っているものでしか気づけない仕組みがそこにはあった。
「骨折り。こいつは【反乱軍】の一員だ。私たちを迎えに来てくれたんだ」
「……なるほど。武器を向けてしまってすまないな」
骨折りは、さきほどまで武器を向けていたことをその獣人に謝罪する。
しかしそこまで気にしていない様子だった。
「気にしないで下さい。紋章のことを教えたのはプラード様だけですから」
確かに手紙の内容を骨折りは詳しくは知らない。
手紙を読んだプラードから話をきいただけだ。
その獣人は自身の自己紹介を始める。
「鼠の蚤。それ私の名前です。名前だけでも憶えて下されば」
「鼠の……蚤?」
「ええ、鼠の蚤です」
その亜人は奇妙な名前を持っていた。
いや骨折りという自分の名前もおかしいといえる部類なのだが。
しかしその男は、自分の名前に一抹の疑問も持っていなかった。
「また独特な名前だな」
「スラム街出身か?」
「……?」
どうやらプラードはその名前の由来に心当たりがあるらしかった。
プラードは、当然だが獣王国の慣習に詳しい。
なにか自身の知らない名前の付け方があるのだろうか。
そんな考えが骨折りの頭に広がる。
「……骨折りに説明するか。獣王国にはスラム街が残念ながら存在する」
「ああ、それは知っている」
「まあ、衛生状態もそれほどよくはない。完璧な食事も当然求めることはできないだろう。そんなこともあって、子供には名前をつけることが少ないんだ。亜人ならなおさらな」
獣王国は、弱肉強食の面が少し強い。
弱いものは、隅へ隅へと強く押されていく。
その中でも、亜人の立場はかなり弱い。
亜人が生まれてくることが少ないものあるが、獣人の国の中で亜人というものは弱すぎた。
それに亜人は、魔法というものを扱えるが外見が少し【人間】に似ている。
そんなこともあって、【人間もどき】としていじめられるのだ。
「そうです、そうです。懐かしいですね」
鼠の蚤は、過去を懐かしく思い出し相槌をうつ。
「名前を持たずにある程度成長した子供は、働くために名前を求める。大体は、自身の特長である獣の名前とあとひとつ付け加えた名前だな」
「それで……鼠の蚤か」
なるほど。
これは一種の獣王国に存在する慣習のようだ。
最も文句をつけるつもりはないが、違和感を覚える。
鼠はまだわかる。
獣王国の中に、鼠の獣人がいたのだろう。
それでも蚤というのはどうなのだろうか。
感染症の媒介となるその虫は、あまりスラムではいい印象を持たれないのではないだろうか。
「ええ、そうです。蚤。私らしい名前でしょう?」
しかし彼は、自身の名前をそれに決めた。
私らしいか…‥。
いやなにも言わないことにしよう。
鼠の蚤は、なにかを伝えるため、それか獣王国の侵入を手伝うためにここにやってきたのだ。
話を進めなければ、彼の仕事が無意味になる。
「鼠よ。反乱軍のもとへ連れて行ってくれないか。私たちは、やるべきことがあるんだ」
「お二人とも、少し話をしましょう。それからです」
どうやら鼠の蚤には、獣王国の侵入の前に二人に伝えたい情報があるようだった。
情報は多いほうが、有利にことを運ぶことができる。
二人は、その話を聞くことにした。
「お二人はどこまで獣王国の現状を?」
「私は手紙で呼んだ程度だ」
「俺は数か月前までの状況を」
二人の獣王国の認識には、差異があった。
鼠の蚤はそれを察する。
そうして考えた。
この二人には、自分の知っている獣王国の現状を伝える必要があると。
「そうですか、ならせっかくですし一からお話しましょう」
知っていることは、共有したほうがよい。
鼠の蚤は、獣王国の現状を話だした。
「獣王国の経済状況はかなり悪化しています。元々、豊穣国との商売ができなくなった時点でそれはわかりきっていたのですがね」
「それはこちらからもわかっている。獣王国は農業には弱かったはずだ。だからこそ豊穣国との強いつながりを求めた」
もともとプラードが豊穣国に定住することになった理由はそれだ。
豊穣国との強いつながりで、獣王国の食料を安定させる。
農業に強くはない獣王国がとれる方法は、他国に頼ることだった。
「いま、どうやって食料を調達しているんだ?」
「第二の豊穣国になろうとしている周辺の小さな国との交易ですかね。それでも豊穣国にもたらされていたものを埋めるほどではないようですが」
「食料不足か……」
「元々、貧富の差が激しい国ではあるんですがね。それが激しくなっています」
「ほかの問題は?」
「薬物ですかね。あとそれに伴う犯罪組織の増加。ですが犯罪組織は、こちらで統率することができています」
【反乱軍】では、獣王国での犯罪組織を統率していた。
そもそも【反乱軍】が国の黒い部分に近いならず者の集まりであり、実力の高いもので構成されている。
獣王国の軍ともよい勝負をできる。
そういったものたちだ。
それによって犯罪組織を統率できていた。
実力に素直に従う獣人たちでは、尚更うまくいっていた。
「なるほど。だが犯罪組織は、獣王殺害後に荒れそうだな」
「……あの国の犯罪組織なんてたかが知れている」
「確かにあなた方の実力であれば、即座に鎮圧することが可能ですね。大丈夫ですよ。我々のリーダーが後のことを考えています」
鼠の蚤は、くすりと笑う。
獣王国の犯罪組織で、高い実力をもったものは少ない。
技術や技を継承する術をもっていないからだ。
ふたりであれば、容易に壊滅することができるだろうと蚤は判断した。
しかし潰して跡形もなく消してしまうのはもったいない。
鼠の蚤の上にいる人物はそのことを既に考えているようでもあった。
しかしプラードは、他のことを考えていた。
「薬物の詳細を聞きたい。それを根絶やしにすることはできるか?」
それは薬についてだ。
やはり薬物の流通はあまり好ましくない。
根絶やしにする方法。
それを【反乱軍】は知っているのだろうか。
「いいえできないでしょう」
「なぜだ?」
「まず、薬の詳細を話しましょう」
そういって鼠の蚤は、薬について話だした。
「獣王国内には、【永銀片】。永遠の永に銀とかいて永銀という薬が出回っています」
「……麻薬か?」
「かなり中毒症状の高い毒ですね。一、二回ではそう悪化することもないんですが。回数を重ねれば、重ねるほど虜になってやめれない」
「なぜそんな毒が?」
「……犯罪組織に属していない一人の商人が、かなり売りさばいたみたいで。国の方でも規制が行われなかったのもあり、スラム街の方にはかなり広まっています」
「国が規制しなかったのか……あまりよい状態ではないのだな」
「上の方々でそれを不死の薬だなんだといって、止めたくはないようなんです」
「まあ、ありがちな話だな。止める前に広くわたりすぎた。もう止めることはできないな」
「……多分ですけどあれ、アンデットになる薬だと私は思います」
「アンデットになる薬だと……?」
「なぜ、そんな突飛な話になるんだ?ほかにも原因はあるかもしれない」
「兵士にもあれを愛用する馬鹿はいるんですよ。そいつをたどってみたら……」
「アンデットになっていたというわけか……」
「……プラード」
「ああ、確定だ」
恐らくだが、アダムは【大量】にアンデットを生成する方法を持っていない。
もし生成するとしても、それは薬など手間をかけて。
それも薬が体に馴染むほどの長い時間をかけて。
アダムはこの国と豊穣国を巨大な実験場にしようとしているのだ。
豊穣国王城に攻めてきた浮浪者のような獣人は、薬物漬けにされていたという。
そして同じくアンデットへと変化していた。
恐らくだが、その獣人が使っていた薬と【永銀片】は同一のものだ。
「鼠。できれば現物が欲しい。手に入れることはできるか?」
「時間さえあれば」
「よし。手に入れた後は、ペトラに解析してもらおう」
「……ほかに気になる情報は?」
「獣王はいまどうしている」
「あなた様なら理由は知っていると思うのですが……やはり顔を一切出しませんね。情報がなさ過ぎて怪しいぐらいです」
プラードなら知っているというのはあれのことだろう。
獣王の精神不安。
その原因は、プラードの母。
つまり獣王の妻のことだ。
「母の事か……」
「ええ。これは毎年のことですからね」
「なんとも言えないな。父には頼れるような精神的支柱は少なかった」
「……」
その言葉に対して、鼠の蚤は何も言わなかった。
ただ眼だけは静かにプラードを睨みつけていた。
彼の言いたいことはきっとこれだろう。
「いい迷惑だ」と。
いやきっと獣王国の国民の一部分はそういった感情をもっている。
「おい。話はこれで一旦終わりにしよう」
「そうですね。私としても一通り話は終わったと思います」
情報だけきいて侵入が失敗したというのは笑い話にもならない。
鼠の蚤についていって獣王国に入りたいのだが。
「そうだな、鼠の蚤頼む」
「ええ、これがリーダーが私に頼んだ仕事ですから」
鼠の蚤は、フードを深くかぶりなおす。
そして周囲を見渡した。
誰かがいないかの確認だ。
「ついてきてください」
そうして、鼠は森のほうへこっそりと入っていった。
二人も、それを追うように森へ入る。
鼠の蚤という人物は、足音ひとつたてないような人物だった。
たとえ走りのなかで、木の枝を踏んでも。
服に葉っぱがかすっても。
なぜかその音が聞こえない。
いや認識できないといった方が正しいのだろうか。
恐らくだが、きっと彼になにか話をされても今の自分では聞くことができない。
しばらくするうちにこれが彼の魔法だと気付いた。
認識阻害だとでもいうのだろうか。
聞こえるし、見えるというのに脳がその現象を認識してくれない。
まるで何者かに阻まれるように。
そしてそれが彼の魔法だなとしばらくたって気付いた。
魔法というには、あまりに小さい作用。
自分の本能が防いでくれないというのが最も厄介だという印象を受けた。
彼自身が意図的に魔法を緩めてくれているのだろう。
姿を追うことはできた。
しかしそれ以外ができない。
彼の足音、服のずれるおと、関節や筋肉の動き。
それを認識し、理解することができない。
そして同様のことがプラードにも感じられた。
きっと彼が自分をいれた三人に同じ魔法を働きかけてくれているのだ。
しばらくすると、あっちから話しかけてきた。
「入口まであと少しです」
「どうやって入るんだ」
「すでに兵士を買収しています。見張りにさえ見つからなければどうとでも」
「見張りは全員買収しなかったんだな」
「いくら一人ひとりが安くても馬鹿にはなりませんから。それに、あなたたちがいつどこでいるのかわからなかった。現実的ではない。それだったらひとりふたりに莫大な金を積んだほうがいい」
「随分と慣れているな」
「この計画は私の魔法が前提ですし、ある程度の上手くいく保証があったので」
確かに彼の魔法であれば、見張り番に見つかる可能性は低い。
さきほど自分たちの場所までくることができたのも彼の魔法だからこそできたことだろう。
「ここです」
鼠の蚤が指さしたそこには、小さな木の扉があった。
屈まないと入れないような小さめの扉だ。
雨や風にさらされたせいか少し劣化が進んでいた。
錆や、苔が所々に見受けられる。
「普段はここを荷物の受け渡しの入り口に使っています」
「なるほど」
鼠の蚤は、城壁にある小さな扉にノックをする。
「魔法を解きます。これからは大きな音を立てないように」
「……誰だ」
「私です。蚤です」
「合言葉をいえ」
「窮鼠猫を噛む」
「……よし入れ」