二十三話「侵入①」
それは森の近く。
獣たちが眠り、静まった夜。
夜行性の動物たちは動き出し、活動を再開する。
そんなところにひとつぽつんと馬車が存在していた。
深夜ということもあって、その場所に馬車があるのは少し不思議に感じられた。
しかし馬車は存在する。
なぜその場所に馬車はあるのか。
理由は、簡単だ。
馬車に乗っている人物は、獣王国に非合法に侵入しようとしていた。
その馬車には、三人乗っている。
まず馬車を操縦している一人の獣人。
その獣人は、熊の姿を持っている。
商人のような恰好をしていた。
馬車には、二人。
荷台にのっており、姿は見えない。
しかし両者が強者の威風という物を纏っていた。
かなりの手練れだ。
そう感じられるものであった。
荷台にのったプラードと骨折りは、辺りを見渡す。
「周囲に人物は見えるか?」
「いいや、見えない」
「動物の気配は?」
「感じないな。むしろ私に距離をとっているように感じる」
「そりゃそうだろ」
獣人と獣は、近しい。
姿形が酷似しているものは、親しくなりやすいという特性もある。
しかしプラードの場合は、違った。
この近辺に、猫科の動物たちが生息していないのもある。
だがほとんどは、プラードのことを警戒し威嚇することもなく去っていった。
恐れているのだ。
獣の王の系譜を。
獣たちはプラードのことを警戒していた。
骨折りも、プラードもそれをわかっている。
プラードは気まずそうにし、骨折りはそれをからかった。
しかし、馬を操っている獣人にはそのことを一切理解することができなかった。
二人は一体何の話をしているのだろうと感じていた。
豊穣国で店を営んでいるその獣人は、突如王宮に呼び出された。
なにやらある二人の人物を獣王国近辺まで運びたいというのだ。
なぜそんなことを自分に頼んでくるのかと最初は理解できなかった。
最初は断ろうとした。
しかし話を聞く中で、これが重大なことであること。
そして断ると後々自分にも豊穣国に住んでいるほかの者たちも負担がかかると知った。
今になって後悔とため息が出てしまう。
なぜ自分なのか。
豊穣国においてきた家族の顔が思い浮かんでくる。
しかし自分は今現在、この二人の運び手となっている。
最後の決め手になったのは、プラードという人物の影響だった。
元々獣王国に住んでいた熊の獣人は、プラードという人物を知っていた。
そして同時に尊敬という物を抱いていた。
これは同種族間におけるリーダーへの尊敬に近いのだが、少し違った。
自分は、プラードという王が獣王国を変えてくれることに期待していたのだ。
商人として自分は凡庸だった。
しかしそんな凡庸な目からみても、プラードという人物はそういった未来を見せてくれた。
そんな人物がいまになって目の前にいる。
そのうえ頼んでくるのだ。
獣王国に運んでくれと。
不思議なものだが、縁という物を感じた。
その願いを自分は断ることができなかったのだ。
「私が運べるのはここまでです」
熊の獣人は、完璧に馬車を止めた。
二人をここで下ろすつもりのようだ。
その顔は、毛でおおわれた顔面が冷や汗でびっしょりと濡れていた。
それは、体の奥底から湧いてくる恐怖からくるものだった。
「いいや、充分だ。気にするな。……ここまで運んでくれて有難う」
「そ、そんな。貴方様が感謝を述べる必要など」
熊の獣人が、プラードに語る。
その顔は、不安や焦り。
焦燥感に近いもので精一杯だった。
それを察し、プラードは労いの言葉をかける。
これ以上この人物をこの先へ進ませるのは無理だと判断したのだ。
骨折りとプラードは顔を見合わせその獣人を心配する。
骨折りは、その獣人に問いかける。
「不安か?」
「いえ……そんなことはないです」
熊の獣人は、最初は気さくで豪快な性格に見受けられた。
しかしその様子は、豊穣国を離れるほどに悪化していった。
二人もその様子をずっとみていた。
そして心配していた。
彼の本能が告げているのだ。
今、あの国に近づくとまずいと。
近づくたびにこれ以上はダメだと本能が訴えかけてくる。
確かにいまこの場所でおろすのは何の問題もない。
自分の記憶の中では、獣王国とそれほど遠くない。
しかし潜みながらこれ以上あの国に近づくこともできたはずだ。
でもそれはできなかった。
自分の本能がとめてくる。
「獣王国まであとどれくらいだ?」
骨折りは率直に現時点の位置と獣王国との距離を尋ねた。
以前自分が侵入したときはこのような道は使わなかった。
距離感もあやふやになっていたため尋ねたのだ。
「この森を抜ければ、すぐのはずです。お二人であればそう負担に感じる距離ではないかと……」
熊の獣人は事実を吐いていた。
これは嘘ではない。
このまま進んで森を抜ければ獣王国は本当に近い。
その獣人の言葉を疑うことはなかった。
骨折りとプラードは話をする。
「だとよ、プラード。お前はどこまで覚えている」
「完璧とはいえないが……そうだな。確かにここは獣王国の近くだ」
プラード自身の記憶に間違いがなければ、ここから獣王国は十何キロもはなれていないはずだ。
かなり近い。
加えて今の場所は獣人の目でも目視できない位置にある。
偶然だが運んでくれた商人と別れるにはちょうどいい場所かもしれない。
「私もここで降りることを勧める。ここは都合がいい」
「……あー。いいんじゃないか。ここまで近づけたら十分目的は果たせると思う」
骨折りとプラードの結論は一致していた。
骨折りとしては、これ以上近づけたほうが嬉しかった。
だがこれ以上商人を疲弊させる理由はない。
「なるほど、わかった。商人にはそう伝えよう」
骨折りとの会話を終え、暗い顔をしている商人に声をかける。
「大丈夫か?」
「……プラード様。お気遣いを有難うございます。その言葉が嬉しいです」
「これを飲め。完璧とは言わないが、少しはその症状がよくなるはずだ」
プラードは、熊の獣人に薬を手渡した。
エリーダに貰った滋養薬のようなものだ。
獣人は、頭をさげその薬を受け取る。
商人は、体調の悪そうな顔をしていた。
これ以上近づくのは、商人の精神衛生上にもよろしくないだろう。
なによりこれ以上近づいてさらに体調が悪化した。
そのうえ、獣王国の兵士にばれたなんてことがあったら大変だ。
やはり商人とはここで一度別れたほうがいいだろう。
「私たちは、ここで降りる」
「……私は十分に役目を果たせたでしょうか?」
ここで降りるという言葉をきいて熊の獣人は複雑な顔をしていた。
それは、ここから離れられるという歓喜とプラードの願いを叶えることができたのだろうかという不安だろう。
そういったふたつの感情が混ざっていた。
「そう怯えるな。大丈夫だ。貴方は、私の願いを必要以上にかなえてくれた」
「そんな……有難いお言葉を」
「すぐに豊穣国に向かうんだ。私たちを気にする必要はない」
「……はい」
二人は荷台から降りる。
馬車は、二人を下ろして豊穣国の方角へ向かっていった。
「気配はないな」
「ああ、大丈夫だ。だがしばらくここにいよう。彼が襲われるのは避けたい」
これ以上商人を付き合わせる訳にはいかなかった。
なにより襲われることを最も避けたい。
道中、獣王国の兵士がいなかったのは幸運かもしれない。
二人は今後の行動方針を話し合う。
「さて、これからどうする」
骨折りは、プラードに質問をした。
獣王国の中に入るには、この二人ではすでに顔が割れている。
素直に真っすぐに行くなんて方法がとれるはずがなかった。
まず骨折りはお尋ねものだし、プラードはこの国の王子だ。
よっぽどの変装をしなければ、即座にばれることだろう。
それに感覚の鋭い獣人であれば、亜人より見破ることが可能かもしれない。
「……獣王国の城壁数キロまでには入りたいが、警備のほとんどは獣人だ。夜目が効く可能性がたかい」
「なるほどねえ……どうやって近づいたものか」
骨折りは、そう思案する。
ただ安直に獣王国に忍びこんでも、ばれてしまうだろう。
いや、闇夜に紛れてとりあえず城壁付近まで近づいてみるか?
とれない手段ではないはずだ。
しかしこれは警備の穴に依存する。
暗闇における視力がプラード以上にある獣人が警備にいたらどうする。
そうなれば、一方的にばれてしまう。
そういった事態は避けたい。
「骨折り、お前が以前侵入したときどのように進んだ?」
プラードは、骨折りに問う。
以前侵入したときというのは、人間の少女誘拐の件だろう。
今回、骨折りがプラードについていくこととなったのは実力的なものもある。
しかし別のことで上げるとするならば、獣王国への侵入という大きな経験があるからだ。
彼ならば、なにかいい案がでるかもしれない。
骨折りの答えは、プラードの望むものではなかった。
「俺一人でいくのと、お前もついていく。このふたつではとれる手段はまだ別になる。あまりお勧めはしないな」
「……少なくとも今取れる手段ではないということか」
「ああ、それもそうだ。それに俺が侵入したときと完全に同じとはいえない。かなり変わっていると断言できる」
骨折りは、獣王国が豊穣国を攻めるときのやり口。
熊の獣人の異様な焦り。
そしてなにより自分自身の培われた勘。
これらを総合してそのような結果を導きだしていた。
「なるほどな……」
そしてプラードもそれを疑うことはなかった。
骨折りの経験を信じているのもあるが、それ以外にも理由は存在していた。
獣王国の警戒度は変わっている。
骨折りはそういった。
それは、ただ単に骨折りに侵入されたという事実だけではないだろう。
ここまで運んでくれた熊の獣人はなにかに異様に警戒していた。
それは、彼にとって言葉では説明できないなにかだったかもしれない。
しかし二人は、その内容をなにか。
ある程度知っていた。
「手紙の内容は嘘ではないということだな」
「……ああ、そうだ」
プラードは、獣王国へ攻める時の計画を立てる時ある人物と連絡を取っていた。
それは、獣王国に潜んでいる【反乱因子】との連絡。
彼は、公共の物以外での連絡手段を独立して確保していた。
それによって、プラードは獣王国の現状を知ることができた。
ここまで、進むことができたのも彼によってどの場所の警戒が薄いかを知ることができたからだ。
そして手紙には、他にも書いてあることがあった。
それは、獣王国はかなり危機的な状況にあるということ。
「手紙の送り主はかなり焦っている様子だったんだな?」
「直ちに来てほしいと書いてあった。薬物や、犯罪。獣王国の一部分でそういったものが広がり始めている。これ以上悪化した場合この先の動きが読むことは不可能に近いと」
プラードと、手紙の主は獣王国の現状において危機感を抱いていた。
彼の手紙の内容は、詳細には記されていなかった。
細かいところは、プラード自身の目で確認してほしい。
そういったものも同時に書かれていた。
しかし大事なところはしっかりと書かれていた。
獣王が表立っての行動を控えてきた。
兵士たちの人材不足。
王家の求心力の失いかた。
そういった情報はしっかりと伝えてくれた。
プラードは尚更自分は獣王国に行かなければならないのだとそういった決意が固まっていた。
「……ところでさ。迎えとかはこないのか」
プラードとやり取りしていた獣人は、かなりのリスクを負っていたはずだ。
それが獣王国に侵入するという段階であとは頑張ってくれと手放すはずがない。
さきほどは、侵入すると話をした。
だが正直、獣人の警戒網を抜けれるとは思えない。
そもそも今回の目的は、獣王の殺害だ。
王宮から離れた場所で兵士に見つかってしまったら獣王の警戒心は高まってしまう。
「ふむ……手紙が奪われたときのことも考えて具体的な場所、時間は記されていなかった。ただ向かってくれれば大丈夫だと」
「獣王国には、ペトラのような感知にたけた亜人がいないだろう。どうするんだ」
「しばらく様子をみよう。最悪手を借りることなく侵入しなければな」
「まじかよ……」
そうはいっても骨折りはそれほど悲観していなかった。
自分ひとりであれば、時間はそれなりにかかるが確実に侵入できる。
そしてプラードも隠密などは不得手だが器用で聡明な人物だ。
注意点さえ教えれば自分の後についてきてくれることだろう。
まあ、そのでかい図体では心配だが。
「もう少し待とう」
「いいのか?」
「ああ、少しぐらいなら計画に影響はない」
プラードは待つという選択肢を選んだ。
もとよりこの二人であれば、時間は問題にならない。
そういった判断であった。
長い時間は使うことはできないが、少しだけであれば大丈夫だ。
その少しの間に、獣王国にいるこちらの味方が発見してくれれば。
プラードとの手紙のやり取りをしていた人物が接触してくる可能性は捨てきれない。
今、ここを離れることで生まれる時間的なメリットよりもそちらを優先したかった。
十五分ほど経った。
そして、その希望通り一人の男が二人に接触してきた。
「間に合ったようでなによりです。今お時間よろしいですかね」
「……誰だ」