二十一話「触れ合い」
骨折りのセーリスクに対する修業はそれほど長くはなかった。
精々1週間弱といったところだろうか。
なぜなら、獣王国への潜伏のため豊穣国を離れなければいけなかったからだ。
今現在、いつ獣王国が攻めてくるか不明瞭だ。
プラードの情報もあるが、それも明確ではない。
やはり早めに獣王国に侵入した方がメリットを得られると考えているのだろう。
「ねえ、骨折りさんは今日もお仕事なの?」
「そうだよ。かまってやれなくてごめんな」
「ううん……」
今自分は、人間の少女であるアラギの護衛のようなことをしていた。
まあ、この部屋まで外敵が及ぶことはないのでほぼ子供の面倒をみるようなものだろうか。
アラギは、骨折りのことを心配していた。
この様子をみるとどこにでもいるような普通の少女のようだ。
しかし外見は明らかに【亜人】や【獣人】と違う。
自分と同じく豊穣国に入った日数が少ないアラギはあまり信頼できる人物がいないようだ。
彼女のことを知っているのは、セーリスクを除いたいつものメンバーだろうか。
いやひとりエリーダの部下である蛇の獣人が面倒を手伝っているという話を聞いた。
ともかく現在主要なメンバーになる予定であるセーリスクですら知らないのだから、人間の少女というのはかなり機密な情報のようだ。
関わっている人物が少ない。
そのうえ信頼できるのが骨折りのみなのだ。
この少女は少し孤独というものを感じているのかもしれない。
骨折りの話では、アダムはこの人間の少女も狙っているという話をしていた。
この世界における【人間】は滅んだ。
やはりアダムは同種であるアラギを狙うことが主な目的なのだろうか。
いや、そうであればアダムはもっと早めに全力を出しているはずだ。
つまりこの国が【人間の少女】を所持しているメリットがなにかある?
それとも【人間の少女】に付随した別のところにメリットがあるのか?
この国にきてから戦いに臨む中で疑問は尽きない。
だれか正答というものを教えてほしいものだ。
アラギの年齢は、マールと同じぐらいだろうか。
あまり背丈は高くはなかった。
マールより少し小さいといった印象を受けるといった感じだ。
女王アーティオの一時的な部下になってからアラギとはあったがあまり会話ができていない。
まあ、獣王国の侵略もあったのだから仕方がないのだけどやはり会話ができないと好奇心や興味といったものはわくものだ。
この部屋に別の人物はいないし、なにか会話のきっかけで質問をだしてみようか。
そんなことを考えアラギの方を見てみると、警戒心なくイグニスの方を向いていた。
手を振ってみると手を振り返す。
ウィンクしてみると慣れない感じで不格好なウィンクを返してくる。
あれ?
幼児かな??
幼い子がまるで大人の真似をするように、アラギは自身の行動というものを真似てくる。
やはりこの子は外見より精神が未発達のようだ。
「なあ、アラギ」
「うん、なあに?」
少し宙に浮いているというかふわふわしたような子だ。
花が空を舞っている幻覚が見える。
マールとは違って意思表示なんかも薄いかもしれない。
「君は、昔のことをどれくらい覚えているんだい?」
「ええとね……」
アラギの幼少期の記憶などが気になった。
自分の知っている範囲では、彼女は獣王国の牢屋に捕らえられていたはず。
しかしそれ以前は?
人間の少女を産んだ人物。
そしてそれを匿っていた人物が存在しなくてはおかしい。
やはりアラギという人物は、マールとどこか共通点が多すぎる。
そしてこの国にきた当初言われた多眼の竜の言葉。
マールとアラギは自分が会わせなければいけない。
一体彼女たちを会わせると何が起こるのか。
それは自分にはわからない。
「あ……そうだ」
「なにか思い出したのか?」
しかしその言葉を遮る人物が、部屋のなかに飛び込んできた。
「はーーい、ストップ!!」
「おお……!ペトラか」
ペトラは、お菓子とティーポットを持ちこの部屋に入ってきた。
そのコップには湯気が立っており、先ほど入れたばかりだということが視覚で伝えてくる。
「お話するならさ。ご一緒にお菓子でもどう?」
「お菓子!」
お菓子という単語をきいて、アラギはイグニスの元を離れる。
それほどにお菓子が嬉しかったようだ。
「はい、アラギちゃんには特別なお菓子を用意したよ」
「ありがとう」
「どういたしまして。なんてね」
感謝を述べたアラギにペトラはその頭をなでる。
しかしイグニスただひとりだけがその場で顔をゆがめた。
なんだろう。
ペトラが割って入ってきたタイミングには違和感を覚えた。
気のせいか?
いや決して気のせいではない。
こいつは邪魔をしてきた。
「どうしたんだい。イグニス」
「ああ……なんでもないよ」
にこりとペトラが笑う。
彼女のいつも通りの笑顔だが、なぜか気持ち悪さを感じた。
その目は笑っていない。
いやここで突っ込むのはやめておこう。
下手に疑われてもこちらの損だ。
「ああ、そうそうイグニス。そろそろ交代の時間だ。次はボクがこの子の面倒をみるよ」
「もうそんな時間か」
時計を見てみると、ペトラとの交代の時間が近くなっていた。
思ったより、時間の流れが早かったようだ。
「セーリスクの様子でもみたらどうだい?彼はまた骨折りと修行をしているよ」
「そうか、見てみるよ。有難う」
イグニスはその部屋から離れて、骨折りとセーリスク。
その二人がいる訓練場へと足を運ぶことにした。
骨折りは、セーリスクのことを心配していた。
それは彼の現状の課題のこと。
このままでは彼を生かし、この国に帰らせることができないのでは。
そういった一抹の不安がよぎっていた。
骨折りがどこまでセーリスクを心配しているのかはわからないが、イグニス自身はそのような感情を持っていた。
二人は、倒れているセーリスクの前で彼について話をする。
「イグニスか。様子を見に来たのか?」
「ああ、そうだよ」
「アラギは大丈夫か?」
「うん、いつも通りの感じだよ」
「そうか、いつもより短いから気になってな」
「ペトラがお菓子を持ってきてね」
「なるほど」
くくと骨折りが笑う。
骨折りはアラギのこととなると、いつもより感情が豊かに感じられた。
二人はいつものように会話をする。
それはぼろぼろになっているセーリスクのことを意に介していない様子だった。
セーリスクはこの短期間ですらぼろぼろの布切れのようになっている。
ぼろぼろといっても、死にかけているというわけではない。
疲労感や、激しい骨折りとの修行の中で地面に伏しているだけだ。
「イグニスさん。僕頑張っていますよ……」
「ああ、そうだな。耐えているお前はすごいよ……」
瀕死の状態で言われても説得力しかないのけれどここは何も言わないでおこう。
彼は必死になって骨折りの修業に耐えていた。
しかし骨折りとセーリスクでは、身体能力の違いはそれほどない。
体力には限度がある。
鍛えても、それにはある一定のものがある。
ではどこで差がつくのだろうか。
それはきっと簡単には説明できないだろう。
精神的なものかもしれない。
肉体的なものかもしれない。
はたまた個人の肉体に宿る才能というものかもしれない。
それを簡単に説明してしまったら努力しているすべての人への無礼だ。
ではなぜセーリスクは、ここまで疲労しているのだろうか。
それは骨折りとセーリスクの経験の差としかいいようがない。
骨折りは、セーリスクの体にたたきつけているのだ。
攻撃の反射というものを。
彼は、骨折りの攻撃に慣れてはいない。
まあ、そもそも慣れられるものではないのだが。
骨折りが、セーリスクにむけて剣をふる。
セーリスクがそれをよける。
その繰り返し。
だがその繰り返しでさえ、セーリスクに多大な疲労感を与えていた。
セーリスクは、ただ訓練として向かい合っている骨折りに対して恐怖を感じていた。
その強さの深さに、得体のしれなさに恐怖を感じていた。
わからない。
ただその剣を振る行為。
その行動に恐怖を感じることが。
骨折りの攻撃一撃一撃には命を奪う【必殺】のようなものが宿っている。
それは、かわすだけでも精神をすり減らされるようなやすりのようなもの。
きっとセーリスクに骨折り以上の体力があったとしても、骨折りはセーリスクを追い詰めるだろう。
骨折りの剣にはそんな威圧感がある。
セーリスクには真剣の戦闘経験の勘はまだ宿っていない。
だからこそ必要以上に精神が減らされてしまうというのもあるのかもしれない。
もしも彼には何かしらのセンスがあったとしても、今の状態では宝の持ち腐れだ。
少なくとも、本気を出していない骨折りの攻撃に慣れる必要がある。
しかしこの修行で経験を積み、戦いの中で生き残ることができたのなら彼は才能を開花させることができるかもしれない。
きっと彼なら此の後の修業も耐えてくれる。
希望的観測だ。
脳裏に焼き付いたセーリスクのやけに高い悲鳴が聞こえてくる。
ごめん、無理そうな気がしてきた。
目の前の光景をみてそう感じる。
心の中でセーリスクに精一杯の謝罪をする。
だがこれは彼が乗り越えなければいけないことだ。
自分が止める訳にはいかない。
「何寝ているんだ。セーリスク。時間は足りないんだからな」
「はい……!」
骨折りは、自身の方に剣を担ぎセーリスクを睨みつける。
セーリスクはこれ以上休むことは不可能だと判断し起き上がった。
目は死んでいない。
彼は、骨折りの修業にもいまだ諦めていなかった。
そしてそんな彼の様子をみて骨折りは笑っているように感じた。
骨折りは楽しんでいるようだ。
なんだかんだ骨折りはセーリスクを弟子にできたことに不快感を持っていない様であった。
彼とセーリスクの人格的な相性はそれほど悪くはないようだった。
少なくともセーリスクは、強さを持っている人物に対しては敬意を払う傾向がある。
コ・ゾラだったりネイキッドだったりと例外はあるが、それはその例外が基本的に悪だからだ。
骨折りも人格に偏りはあるが、それは悪と断言できるほどのものではない。
だからこそセーリスクはおとなしく彼に師事しているのだろう。
骨折りは、セーリスクに向けて剣をふる。
そしてセーリスクもその動作をみて剣で受け止めた。
両者の動きが止まる。
いや、骨折りと違ってセーリスクは腕の痛みで顔をゆがめていた。
しかし剣は折れていない。
骨折りがそこまで手加減しているのだろうか。
セーリスクも力づくで骨折りの剣を押しのけ。
剣を横なぎに払う。
しかしセーリスクの剣は骨折りには通じない。
また一連の流れが終わり、骨折りの剣が止まる。
それは、一つの合図だった。
もう一旦休憩だという合図だった。
それを知っているセーリスクは地面に倒れこむ。
「よし、休憩だ。休め」
「終わった……」
「お疲れ様」
「ありがとうございます。イグニスさん」
小さな水筒をセーリスクに渡す。
彼は、助かったと安堵の表情を隠すことなくその水筒の中身を飲み干した。
おいしそうに飲みきった彼は一息ついてイグニスに話をする。
「イグニスさん……」
「なんだ?」
「……とても申しわけないのですけど」
彼はとても伝えにくそうな顔をして、その言葉をだすことを嫌がっていた。
しかしイグニスは瞬時に察し、セーリスクに笑顔をみせる。
「ああ、わかったよ。じゃあまた話そうな」
「イグニス、すまないな」
「気にするなよ、骨折り。俺も技は知られたくないしな」
時々彼は、自分に対して修行をみないでくれと言ってくるときがある。
そういったときは、骨折りと自身の技について話しているようだが少し寂しい気分になる。
イグニスは、訓練場から出ていき骨折りとセーリスクを置いて訓練場から離れた。
この世界では、普通技を隠すのが当たり前だ。
それは、味方に知られている方のデメリットの方が大きいからだ。
彼が自分以外から積極的に学ぼうとしているのは喜ばしい。
だがセーリスクはこの国でできた友人の一人でもある。
そういう意味では、やはり彼が自分以外と話しているのは寂しい。
「そうだ、ライラックに会いに行こうかな」
王宮から離れたお店で売っていた蜂蜜のクッキーを食べながら思案する。
そう感じたときは、大抵ライラックと話している。
彼女の休憩中を見計らってお店に突撃していく。
店の店主は、イグニスが来たことには少しぎょっとしていたがセーリスクがいないことには安心していた。
まだ精神が安定していないライラックと会わせたくないのだろう。
店主に注文を頼みながら席に座る。
ライラックは、イグニスに対し満面の笑みで接客する。
セーリスクと喧嘩のような状態になっても来てくれることが嬉しいようだ。
ライラックはセーリスクのことを気にしていた。
「イグニスさんは、セーリスク君といまどんなお話をするんですか」
「……やっぱりセーリスクのことまだ気にしているのか」
「そうですよ。私から好きになっておいて、私から振ったんですから……」
「別にあいつは振られたとも悲観していなかったよ。ライラックを安心させることのできない自分が情けないってさ」
「……そんなことないのに」
会いたがってはいたが、自分は否定をした。
そのことを酷く気にしていた。
自分は、そんなに気にすることではないと伝えた。
だがそういったことは他人から言われて治るようなものではない。
案外これぐらいの距離がちょうどいいのかもしれない。
「あいつは今の自分にできることを努力しているよ」
努力とは戦いに臨むための実力磨きだった。
しかしそんなことを努力するセーリスクの気持ちはあまり伝わっていない様子だった。
「……戦いってどんな気持ちなんですか」
「そうだな……」
イグニスは頭の中に浮かんだ言葉を並べる。
狂気。
混乱。
恐怖。
怯え。
そういった感情が並んでいくのが戦いだと思う。
「少なくとも、いい物ではないよ。辛いことの方が多いと思う」
「じゃあ、なんでセーリスク君は……そんなこと言っちゃいけませんよね。彼だってこの国を守ろうとして戦っているんだから」
自身の戦闘経験のほとんどは法皇国にいたときのものだ。
プラードや、骨折りより自身の経験は実践に基づいてはいない。
よって戦場の経験が多くあるかと言われたらそれは否だろう。
自分の今の能力があるのは
自分が【天使】の能力を使えることも大きいし、才能に基づいた努力ができる環境が大きかったというだけだろう。
自分も最近になってよく考える。
もし法皇国にはいかず、【天使】にはならなかった時の別の自分を。
ライラックのように戦いを知らない。
無垢でおとなしい少女だったのだろうか。
優しい両親に囲まれ、幸せな日々を送れたのだろうか。
戦いも血にまみれることも知らずに平穏で穏やかなそんな日々を。
ライラックのように憧れの男性に恋する日もあったのだろう。
そんな自分は戦いというものを拒絶し、否定していただろう。
でもそうはならなかった。
自らは剣を持ち、国のための象徴となった。
【もしも】あった未来は少なくとも今の【イグニス・アービル】ではないだろう。
「私は今でも、そんなものほかの人に任せればいいと思ってしまうんです」
「……」
「その感情は酷いですか?私はこの国よりこの場所よりセーリスク君のことが大切なんです」
「酷くないよ。当たり前のことだ」
「別に貴方じゃなくてもいいじゃないって。考えてしまうのです」
「うん」
「あの時止めておけばって後悔したくない。彼に顔を見せるのが怖いんです」
紫髪の少女は、自分の心の内を吐露する。
それは正真正銘彼女の本心だっただろう。