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白秋   作者: Kakka
1/1

前編

 1  月兎


 スピーカーから流れる激しい出囃子と拍手の音、笑い声の残響音がまだ残っている。何百人という観衆は、ステージ上に視線を向けている。祈るように見ている人、見守るように見ている人、十人の審査員は、市場で鮮度の良い野菜を買う時の様な顔をする者や隣と喫煙所で談笑するかのように、にこやかな笑みを浮かべている者もいた。その表情は千差万別であった。

ピンッと張った緊張感はまるでギターの一弦だった。会場を支配しているのは、司会者の二人でも、十人の審査員でも、八組の選ばれし演者達でもなく、それだった。そしてそんな喧騒とは無縁の舞台裏のステージ入場口裏に二人の男が立っていた。先程のコンビとは打って変わって、表情は生きていた。さっきはひどかったな、と舞台裏の管理、設営担当をしている男は思った。大会発足時からここ周りを担当しているからだろうか。少しづつではあるが、優勝、及び、結果を残すコンビが分かるようになった。彼らは、今まで見てきた中で一番舞台裏で笑っていた。ふつうあそこは、しっかりとネタを覚えているか最終チェックをする場であるのに、彼らは学校の休み時間にバカ話をしているかのようであった。緊張と言う高波を彼らは、やすやすと飛び越えたのか。すごい奴らがいるものだ。と男は、驚くと同時に、期待と好奇心で胸が高鳴った。あいつらのネタはどんなだろうか。そう思った。それと同時に出囃子のボリュームがすこし下がったことに気付いた。それはステージ入場口を開けという合図であった。そして遠くにいるスタッフが頭の上で丸を作った。男は開ける指示をしたときに彼らが目に映った。扉が少しずつ開こうとしたとき、彼らは何故か右手で握手をしていた。握手するコンビも初めてだなと思った。そして扉の隙間がどんどんと大きくなっていき、差し込む光の量が大きくなっていった。そして彼らは背筋を伸ばし、光の中へ消えていった。

    

 2  くだらないの中に


 八時四十五分のチャイムが鳴り始めると同時に、朝野光は自分のクラスのドアを開けた。その日はとても晴れていて少し彼は汗ばんでいた。何人かの冷たい視線を感じ、一番左端の後ろから三番目の席に座った。学習道具が全く入っていない鞄から筆箱だけを取りだし、おそらく十分前に配られた朝学習のプリントを手にかけた。するとすぐに何かの異変を感じた。なんと形容すればいいのか分からない、そんな異変。いや、一種の不安の様なもの。

 そうこう考えていると教室の引き戸が開く音がした。一瞬顔を上げる。担任がクラスに入り、

 「号令お願いします。」

 とだけ呟いた。学級長が、起立、と言って全員を立たせた。その時には、もう異変を感じなくなっていた。

本来、高校生、及び学生の昼休みとは、友達と廊下等で大騒ぎをし、教師に何かしらの注意を受けた後、その友達とクラスに戻る途中にその教師のまねをして笑いあう。そんなものであるはずなのに高校生の僕が手にした昼休みは、誰にも見られないようにこっそりと5階の自教室から二階にある男子更衣室のカギを開けて入り、鍵を閉め、一人で自分の携帯から動画サイトを開き、好きな漫才師やコント師、即ち芸人のネタをたった一人で見て、クスリと笑い母が作った弁当を食べるというものだった。

 確か夏休み前だったと思う。担任の星野進先生がクラスの一人一人と一対一で面談を行った。僕は名簿番号が早いので確かすぐ呼ばれた。そしてその時、友達と呼ばれる人が一人もおらず、昼食も一人で食べているという節の話をしたら、とても心配して下さった結果、何故か解決策としてこの場で食べていいという意味不明な結論に至ったこと思い出した。別に僕は、友達がいなくて寂しい、なんて一言も言っていない。単に学校生活は楽しいか、という質問に答えただけであった。しかし、教師としての性なのだろうか。単に先生の性格なのだろうか。どっちでも良いが。とても心配して下さり、

 「何かあったらいつでも言いに来ていいぞ。もし朝野が一人で飯を食いたいのなら、俺が管理担当になってる二階の職員室奥の更衣室の鍵を渡しといてやる。しかし、条件が二つ。ほかの先生にはばれないようにすること。鍵を使ったら返すこと。」 

 急に饒舌になり、身振り手振りが激しくなり、演説家の様な星野先生はどことなく面白かった。僕は、学校で久々に笑った。先生も笑っていた。

 そんなこんなで昼休みの間だけ仮管理担当となった僕は毎日ここで至福の時間を過ごしていた。

何かの異変を感じたその日も僕は昼休みが始まるチャイム。つまり三限目の終了のチャイムが鳴るのと同時に、僕は弁当とスマートフォンを持ち、一番左端の後ろから三番目の席からそそくさと立ち上がり二階の職員室へと向かった。

二階の職員室に行く間に、様々な人とすれ違った。いつもは気にしていないのに何故か今日はどうにも気になる。三年生であろう高身長の熊の描かれたTシャツを着た彼は、何やら忙しそうに筆箱と参考書らしきものを持ち、僕とすれ違った。一方、下品な笑い声を廊下に響かせて前から歩いてくる二人組の女子の一人が、微かに僕の顔をちらりと見た。すれ違った後、また下品な笑い声をあげていた。僕の顔に何かついていたのだろうか。そんなことを考えながらも僕は、歩みを止めず、職員室に辿り着いた。

職員室の入り口のドアは、中央から上にかけておそらく五十センチ四方くらいのガラスが貼ってあり、そこから教師たちが作業していたり、昼食をしたり、隣とおしゃべりをしたりしているのが見える。いつもだと僕がそこからひょこっと、顔を覗かせると星野先生が前に述べたようなことをしているが、この日は、何もしていなかった。まるで待ち伏せていたかのように、僕がガラス窓から顔を覗かせると、ガラスの向こう側からやわらかい眼差しでこちらを見てきた。

星野先生は入り口を開け、僕に近づき入り口のドアを閉めるや否や、

 「いや~、良かったなあ!朝野にも友達ができて!昼飯食う約束までしたって、お前も大人になったなあ!鍵、渡しといたから。」

会話の内容が何も分からず、歩いていたら急に落とし穴に落ちた感覚になった。

 「えっ、どういうことですか?」

 「えっ、あれお前の友達じゃないのか?急に、星野先生に用があってきました、って職員室に入ってきて、二階の男子更衣室の鍵貸してください。って言われたから俺、てっきり朝野と友達になったのかな、と思って鍵、渡しちゃったよ。」

 いくら担任の先生と言う目上の立場の人だといえど、お前といわれるのには少々気が滅入る。しかし、今はそんなことを気にしている暇はない。

「その人の名前ってなんですか?」

「え~っとなあ。何だったけなぁ。思い出せるかなぁ」 

 自分の担当している体育の授業すら時々忘れてすっぽかすような人だ。少々大袈裟だったのが気になったが、このままじゃ埒が明かない。

 「分かりました。別に大丈夫ですよ。言っときますけど、おそらく、いや絶対、俺の友達じゃないです。」

 場を後にした後、ありがとうございました、失礼しました、その両方をいうのを忘れて職員室を出たことに気付いた。少し心残りはあるけれどそんなことはどうでもよいのだ。僕は急いで更衣室に向かった。

 更衣室についた途端に今日の異変の正体はこれではないか。という疑問がわいた。ドアを開けた瞬間にもしかしたら虚構の世界に行ってしまうのではないか。誰かが僕を陥れるためにわざわざ誰かが、用意周到に準備をしたのかもしれない。そんな偏向した考えしか浮かばない。そもそもまず、何故この僕の管理区域に勝手に許可なしで入っているんだ。僕は、この更衣室をそこそこ長い間使ってきた。愛着がある。などとは言えないが、それでもこの学校にいる生徒の中でなら僕が一番知っているそんな自信がある。ロッカーが何個あるかも知っている。棚の服等を入れるスペースが何個あるかどうかさえも知っている。

 けれど、中に入っている人、仮にAとしよう。Aは何の目的があるのだろうか。立て籠もりでもしてみたいのだろうか。もしやAが中心である学年の不良グループが誰も立ち入っていないからという理由でよからぬことをするための場所になっているのではないか。そう考え僕は怖くなった。そのあとにそんなグループなんかないよなとすかさず突っ込みを入れた。Aが同級生ではなく先輩だった場合、間違いなく痛い目を見るだろう。どうすればいいのだろうか。

 解決策が顔を出すことはなく、このままいくと昼休みが終わってしまいそうだったため僕は逃げようとした。その時、星野先生が言った言葉が思い出された。Aが僕の友達に見えた。と言うことはそれほど怖い人では無いのかもしれない。ここは一つ、勇気を雑巾のように振り絞り、開けてみるべきか。そう思い、深呼吸をした。空気は見えないが少し震えていた。そこで何を思ったのか、僕は、職員室に入るかのように間違えてノックをしてしまい、廊下を通った女子生徒に笑われた。ノックするだけならまだしも、失礼します、とも言ってしまった。ドアを開けていないのに。職員室で言わなかった余りをここで使うとは思ってもいなかった。

 ガチャッ、とドアノブを捻り、中へ入ると、一人の男がおそらく、購買出買ったであろうチョココロネを片手に、もう一方の手には牛乳を持って更衣室の中央にある長椅子に伏臥していた。その体勢で食事をするのはあまりよくない、と僕は思う。 

 あまりにも異様なその有様をどこから切り取ればよいのか分からない。そんなことを考えているとAがむくっと起き上がり、僕の目を見た。さっきはしっかりと顔が見れなかったが、いざ目を合わしてみるとAの顔は端正であり僕とは比べ物にならい程だった。

 「俺の顔になんかついてる?」

 あまりにも凝視しすぎていたのだろうか。Aに急に言われて少し驚いた。僕は慌てながらもそれに答えた。

 「・・・・・っや、いやついてないよ。」

 長時間口を開いていなかった所為なのか口が乾燥して第一声が詰まってしまった。しかも同級生と面と向かって話すこと自体がとても久々だった。

 「朝野君…だよね?」

 僕の名前を赤の他人から聞くことも久しぶりであった。

 「なんで俺の名前しってんの?」

 元々、気弱な性格な性格であるのに人と会話するとついこのように上からものを言ってしまうのが昔からのコンプレックスだった。

 「んー。まぁ色々とね。それよりさ、なんで俺がここにいるか知りたい?」

 人の質問には答えず、自分の質問をする随分がめつい男だなと感じる一方でこの男に対する興味と少しの恐怖を感じた。

 「まぁ、確かに知りたいけど、さっさと終わらせてよ。」

 僕は自分の心をありのままに呟いた。

 「さっさとねぇ。分かった。単刀直入に言うね。」

 ハハッと笑いながらAが言って、少し時間何故かが空いた。

 「俺の相方になってくれない?」

 



 今思い返すとお互いに相手を探っていた。出方を探るように、ボクサーのジャブのように会話していた。その日僕は後の相方になる月山夕が僕の管理区域である男子更衣室に勝手に入ってきたので警戒心の強いウサギのような状態で会話していた。夕も夕で断られるか不安で、断れても別に大丈夫なように無理に変な男を演じていたらしい。僕に相方になってくれと頼んだ理由もしっかりとは教えてくれなかった。おもしろそうだった。なんていう夕方のニュースの一覧で少年犯罪の主犯格が言いそうな理由しか夕は教えてくれなかった。そしてお笑いに関して詳しいとうわさで聞いたらしい。どこでそんな噂を聞いたのかと僕は思った。僕はSNSの類を一つもしていないし高校で友達と呼べる人はいなかったのでそれはもう不思議でしょうがなかった。しかし月山夕は何一つ説明してくれなかったのでとてももどかしかった。

 僕は、最初断った。彼が僕のことを仮によく知っていたとて、僕は彼のことを何一つ知らなかったからだ。高校に入って結構な月日が流れたが、知る機会がなかった。そもそも僕は一組で彼は七組と離れているし隣の市に住んでいたので彼を認識する場面が全くと言っていいほどなかった。

 月山夕は僕と似ても似つかなった。彼はまず、顔がよかった。もし仮に僕と一緒にコンビを組んだとして、二人がステージに立ったところで、お客さんの九割弱の人が僕よりも身長が低い夕を見るだろう。彼は有名人の誰。と形容しがたかった。細身で花車。顔はほっそりとしていて二重。涙袋が大きく並大抵の男性は彼に歯が立たないだろう。もちろん僕もそのうちの一人だ。そんな印象を彼の顔を見て覚えた。

 僕は小学生のころ、光ると話していると首が痛くなる、とよく言われていた。身長だけが大きい人間なのでそこだけは彼よりも優位に立っていてうれしかった。

  

  その日は昼飯も碌に食べれなかったので、午後の授業に身が入らなかった。学校が勉強する場でしかない僕にとってそれは酷だったが全部受け身の授業なのが救いだった。今思い出してもやはりあの授業スタイルは変だと思うし良くないと思うがその何倍もよくない思いをした。

 確か倫理の授業だった。だらしがなく、毛玉だらけの恰好をした五十近くの教師が、黒板に「蘇格蘭」と書き、生徒が座っている方を向き言った。

 「この・・・ブフォッッ、この読み方わかる人、次やる哲学者の生まれた国です。」

 煙草を吸っているらしく、よく授業中に咳き込み、異臭をまき散らすことから、生徒たちに陰で公害と言うあだ名で呼ばれていた。公害教師は机の上にあるクラス全員の座席と名前が書いてある表を見て、日付と一緒の名簿番号の女子を探していた。

 「じゃあ、田崎さん」

 「えっ、分からないです。」

 「んーっ、考えてね。じゃあ、前の方に行こうか、蒲原君。」

 「分かんないです。」

 「当てずっぽうでもいいから言ってみようか。金田君。」

 「えーっ、ソクラカン!!」

 そうクラスの中の剽軽者、金田快がいうとクラス中に笑い声が響いた。

 「いやっ、大体こういうのって音読みで行けるじゃん!」

 いくら彼が言い訳しようとクラスにはまだ笑いと言う雰囲気が感じ取られた。

 「いやー、でもね。いいよ。そういうの。社会に出たら大事だからね。」

 笑い声は聞こえなくなったが教師の一言に少し笑みを浮かべている何人かが視界に入った。相変わらず僕の席は色々とよく見える。そう思った瞬間だった。

 「じゃあ、後ろの方に行って朝野君。」

 そういわれた時に答えではなく、答えるかどうかを。けれどここは言う以外に他なかった。

 「えーっ、スコット・・・ランド?」

 わざと初めに考えるふりと語尾を上げることで当てることを狙わず、たまたま当たったかのように演じた。

 しかし、それは無駄だった。

 「おぉ!!よく知ってたねぇ!こりゃ、プラス十点だなあ。」

 教師が笑いを誘う為に言った言葉は、クラスの僕を除いた三十九名の耳には、届かずに

ただの塊となって床に落ちた。

 相変わらず僕の席は、様々なものが見える。何人かの笑った表情が消え、いつしか授業に集中する真顔になっていたのも。

 

さんざっぱらな一日が終了し、唯一の心のオアシスである自宅へと帰った。

「ただいまー」

玄関に声が響く。

「おかえりー」

毎日聞いている声がリビングから聞こえた。このサイクル化されたコールアンドレスポンスは今まで何回したのだろうか。そんなことを思いつつ靴を脱ぎ、リビングへと向かった。少しチョコのにおいが香った。

リビングに入ると、焼いたチョコのいい匂いがした。 

「お帰り、お兄ちゃん。また作ったんだ!今回めっちゃ上手に作れたの!自画自賛!」

「すごいじゃん!前のもおいしかったけど前よりも上手くできたの?」

「うん!もうちょっと食べるまで待っててもらっていい?」

「はいよー」

 妹とこういうたわいもない、語彙が欠落しかけている会話をするのが昔から本当に好きだった。

 僕は世間一般に言うとシスコンであった。以前、自分の家でシスターコンプレックスを辞書で調べたのだが、掲載されておらず、「静々」と「システマチック」の間にある「シスター」を見つめてその意味を自分なりに考えていたこともあった。

 僕は、妹にほんの少しの学力程度以外すべてのスペックを奪われた。端的に言うと妹はかわいかった。ハリのある緑の黒髪。透き通った鼻筋。肌は初雪のように白く、化粧はおそらくしたことがないのにもかかわらず目はとても大きかった。一回妹が中学校の体育祭の写真を見せてくれた時があったのだが、隣の友達はおそらく教師にばれないように薄くしたい、けれど自分を可愛く見せるためもう少しという板挟みの感情が籠っていそうな化粧(中学生がする化粧など底が知れているのだが)をしていたが隣に写る人を間違えたかな、という印象を受けた。別にその子が可愛くないということでは決してない。けれど僕はそんな妹を持って嬉しい反面比べられることが多かった。自分でこんなことを言うのは少々憚られるが、妹は僕のこと好きだ。それ故に様々なことがこれまで似合った。例を挙げると、妹のクラスで妹に兄がいると何故かクラスの一部の女子の中で噂になったらしい。あの手この手を使い頑張ってくれたのだろう。僕がいつも通学のために乗る電車を特定したのだ。そして僕の行く駅のホームにいた全く関わりのない容姿が優れた人の写真を盗撮したらしい。(今の中高生はこんないとも簡単に罪を犯すのかと震えた。)そして後日、妹に答え合わせをしたら、たまたまその写真の奥の方に見栄えの悪い僕が写っており、妹が答えを教えると、妹曰く、初めて人が心から落胆するのを見た、という表情をしたらしい。そんな妹と僕だが、妹も自分の顔が一時期コンプレックスだったらしい。

 妹は今中学三年生で僕と年子だ。今から約二年前に人生で初めて告白を経験したらしい。昼休み、同じクラスのサッカー部の美少年に、放課後クラスにいて、と言われその通りにしていると、そんな状況だったらしい。(そのあとは、顔を赤らめて説明してくれなかった。)けれどその場で断ったらしい。するとその男の子を好きだった女子とその女子の所属する女子グループから執拗に付きまとわられたらしい。そこから悪質ないじめへと発展した。

 典型的ないじめだった。まず文房具などの物がなくなっていった。そこからクラス内の一部の女子から無視されるようになった。妹は両親をはじめとする様々な人たちから小さいころからしっかりと育てられてきたので分け隔てなく話す。けれど女子のいざこざの分からないまだ垢抜けない童貞感百パーセントの男子は、困っている自分のクラスの姫を助けたい一心で彼女を守ったらしい。そしたら、主犯格の女子とそのグループに対して純粋無垢な兵隊たちが暴言を浴びせそのグループが担任に報告したのはいいが最終的に悪かったのはそいつらと言うことが分かり、事の解決に至ったらしい。その主犯格だった女子が今一番仲の良い子と言うのが妹らしいなと話しを聞いたとき思った。

「お兄ちゃんできたよー」

 妹の声でふと我に返った。妹はキッチンにある棚から白い小皿とフォークを取り出し、机に並べていた。僕は冷蔵庫の中から牛乳を取だして棚から二つ、コップを取り出した。

「いただきまーすっ」

 僕より早く椅子に座った妹が手を合わせて言った。

 「はーーいっ」

 と声を掛けるのが癖だった。僕も椅子に座り二つのコップを牛乳に注いだ。

 「ありがとっ」 

 妹は呟いて左手でチョコケーキをフォークで刺して口に運び、僕が入れた牛乳を飲んだ。

 「あー。美味しいっ。最高。チョコってなんでこんな美味しいんだろう。チョココロネもあんぱんも。」

 チョココロネと言うフレーズが少しだけ耳に引っかかった。そういえば今日来ていたあいつ。名前は確か月山だった。下の名前は忘れたが少し女子っぽい名前だな、と言う印象だった。牛乳の入ったコップを左手で流し込む。昼休みの出来事は牛乳では飲み込めずまだ少し頭に残っている。


 「俺の相方になってくれない?」

 更衣室の空気の振動が止まった。

 「は?」

 小学生振りくらいに思ったことをすぐ口にしてしまった。

 「もう一回いうよ。相方になってくれない?」

 Aが言った。Aが言っている相方と僕が考えている相方は違うかもしれない。そう感じた。もしかしたら生徒会等の役員かもしれない。相方と言う

言葉はいろんな場所で使われている。けれど僕が一番知っている相方は、やはり芸人であった。僕は言った。

 「何の相方になればいいの?」と

 「何ってお笑いコンビだよ」

 Aが間髪いれずに言った。僕は反論する。

 「名前も知らない人とはやりたくないよ」

 「あっごめん。言ってなかったね。俺は、月山夕。元サッカー部。よろしく。」

 少しの間、時は流れなかった。

 「君の名は?」 

 月山が二ヤついて言った何時の時代だと思っているんだ。と思いながら言った。

 「朝野光。後、俺お笑い好きだけど、コンビとかそういうのじゃないから。」

 本心だった。昔は剽軽者だった。七夕の短冊の願い事にはいつも、○○みたいな芸人みたいになる。と書いていたらしい。親が見ていたテレビの影響を受けていつの間にかテレビに出ている芸人がかっこよく見えた。芸人は時に体を張り、時に話術で、あの手この手で僕らを笑いのツボに入れようとする。そのことは、何か物事が上手くいかない時や小学校の先生に怒られどうしようもなくなった時に僕を助けてくれた。画面の向こう側の人たちは一見すれば子供でもしないようなことを大真面目に全力でしていた。それを見て僕は笑いと言う感情と同時に本気でバカをしている彼らがかっこよく思えた。そしていつからか、彼らは、ぼくの憧れとなっていった。

 少しの間、更衣室内に音と呼べるものが現れなかった。すると、月山が口を開き音を登場させた。

 「そっかー。いろいろあるもんねー」

 そういった後、空の牛乳パックを右手でくしゃりと潰し、左手でチョココロネの入っていたビニール袋の中に器用に空気を入れ、パンッと鳴らした。その音はこの室内でまだ僕も出していない大きさの音だった。まるで授業中にうとうとしていたら教師が名前を呼んだ時のように僕は吃驚した。その姿を見て彼は初めて僕に少し笑っていった。

 「へへっ、驚いた?いい顔すんじゃん。また明日ね。」

 バタンッとドアを閉める音で我に返った。またボーっとしていた。どこぞの五歳児の女の子に叱られそうではあるが、同級生等と話す能力がさび付いた脳を休憩させるためであるから仕方ない。不思議な男だったが悪い男でもなさそうだった。まあコンビを組む気は毛頭ないが。


 「・・・っちゃん!お兄ちゃん!コップ!牛乳!」

 「えっ?」

 視線を下の方にやるとコップからあふれ出た牛乳が僕が食べているスペースを覆っていた。

 「うわっ。やっべ。」

急いでキッチンペーパーでふき取ろうとした。

 「も~お兄ちゃんのー。ずっとボーっとしてたんだから。怖くなったじゃ

ん。

いつの間にか妹の皿は空となっていた。また五歳児に叱られるなと思いつつテーブルを拭き終えた。短針はもう六時を指そうとしていた。

 


とても雨が降っていた。最近は晴れが続いていたのでたまには雲が活躍する日もないと鈍ってしまうよなと思いながら傘を差して登校した。駅のすぐ目の前にあるので交通の便は花丸をあげられる。

 学校と言う虚構と現実の狭間の社会を生きるには何かを演じなければならない。小学校の時にそれを悟った。悟ったというより知らされた。と言った方が分かりやすいだろう。保育園の時の記憶は全くと言っていいほどないので小学生の時に人間社会のマナーを知った。

 けれど僕は小学校にとんでもない恨みを持っているとかそういうわけでもない。小学校は楽しかった。全校で二百三十人弱と少ない学校だったのでクラスは一クラスだけだった。そのおかげか男子も女子もとても仲良く、先生にも恵まれていた。

 そんな中で僕は性格を形成されていった。家族も仲良かったのでクラス内や家庭内で僕はテレビのCMや芸人のギャグを昔からよく言っていた。そして人が笑ってくれる嬉しさをそこら辺の時に知った。自分が人を笑わせている。それが何よりも幸せだった。

 そして中学校に進学した。特に僕と仲良かった人たちはほぼほぼ全員そこの中学校に進学した。他の中学校に進学したのは確か四人だけだったと思う。中学校は打って変わって全校で七百人人近くいる、県内でも屈指のマンモス公だった。初めはとても怖かった。でもその何倍も楽しかった。仲のいい友達も結構できた。僕の進学した中学校は部活動強制参加だったために部活はどこに入ろうかと悩んでいた。小学校の幼馴染達はほぼほぼ体育会系で、その大体が運動部に入ると聞いた。僕にとってスポーツとは、する物ではなく見るもの、であったので僕は文化部の中で唯一友達が複数いる吹奏楽部に入ることにした。保育園からピアノを習わされていたし、家族全員音楽に関心があるのでそれほど躊躇せずに入れた。まぁ男子は僕を含めても片手で数えられるほど(しかも全員が新入部員という)であったが先輩もやさしく同級生にも恵まれていたので幸せだった。

 そこでも僕は剽軽者を通し、人を笑わせていた。けれど中学生の思春期と子供から大人になりたいという欲望の入り混じっている狭間の時期は、「笑う」という行為が少し躊躇われる時期である。今思うと皆子供だったな、と笑える。大人に憧れるのが子供、子供に憧れるのが大人だ。偉人の格言のようだな、とこの言葉を思いついたとき思った。その日、大人になりたかった一人の子供のせいで僕は大変なことになった。

 中学二年生の時の初めに席が隣になった子がいた。とても子供の様な綺麗で真っ直ぐな目をしていた。僕のクラスは全然席替えをしなかったのでその子とは二学期の途中まで一緒だった。その子は僕の笑い話やギャグで何一つ笑わなかった。前の席の男子と馬鹿騒ぎしても、その男子の隣の女子は笑っているのに、僕の隣の子の口は真一文字を保っていた。その子は顔はとても綺麗だったが笑顔を女子と話してる時くらいしか見せないので男子から高嶺の花のような扱いを受けていた。

 いつしか僕は彼女を笑わせようと必死だった。一回授業中に家にあるだけの消しゴムと友達から借りた消しゴム、計三十個くらいの消しゴムを机に並べてドミノ倒しをするというよく分からないことをした時もあった。その時、さぞかし笑っているだろうと思いチラッと頬杖を彼女の方につき左手の指で左目を隠しカンニングをするときの常套手段のような姿勢で彼女の方を一回見たら教科書の資料集に蛍光ペンで年号にマークしていたのを思い出した。 

 ただ只管に彼女を笑わせるために努力した。けれどその努力は空しかった。何にも笑わなかったのだから。

 普通に話すとニコニコしてくれるが僕のギャグには何一つ反応してくれなかった。普通の話の中で笑顔になってふふっと笑うことは分かったが、僕が意識して笑わせようとするとダメだった。意識してなくてもその子は藁はなかったが、

 同じクラスで何か月も隣にいたのでその子とは仲良くなったが笑わなかった。席が変わってもその子を笑わせようとした。無謀だったが自分には負けたくなかった。

 二年生の三月の中旬に京都、大阪の修学旅行があった。僕のクラスは仲良かったので総合学習の時間にくじで活動版を決めることになり、その子と僕は同じグループになった。活動班で活動するのは二泊三日あるうちの二日目と三日目だった。その二日間は、学校が借りたジャンボタクシーで運転手さんが京都と大阪を有名スポットからディープなところまで案内してくれるというものだった。二日目に僕らは金閣寺や北野天満宮、伏見稲荷大社に行ったのはうっすらと覚えているが、記憶ももう曖昧なので余りはっきりとは覚えていない。だが、唯一まだ今日食べた朝食のように僕の大脳皮質に刻まれている記憶がある。

三日目に僕らの班は午前十二時に北野天満宮からアメリカ村に行った。何ともまあ無計画の旅だった。僕らの修学旅行はジャンボタクシーを使い、様々なところに行けたが中学生がずっとお寺を見ていればそれはまあ飽きてくる。そこで一人が計画を前倒しすればいいんじゃないか、と言い、北野天満宮で少し開花した梅の花をカメラに収めたり、甘酒を飲んだりした後、僕らは大阪のアメリカ村に行った。運転手は三十代半ばくらいの小太りではあるが清潔感のある人だった。関西弁を巧みに操り、お笑い好きなその人は確か名前を松本さんと言った。二日目の朝にホテルの朝食を取ったあと、クラス別に分かれ運転手紹介となった。そこで松本さんは軽く自己紹介をして、週に一回都合が合えば、大阪の難波にある劇場に通っていると言い、同級生には、早口漫才で人気を集めている若手コンビ、「コロッセオ」の二人がいると聞き僕は、とてもテンションが上がった。そして各班に運転手が割り振られ、僕らの班が松本さん担当と知った時、僕はとても嬉しかった。

朝の校長の話や学年主任の話がいつもよりも早く終わり出発まで三十分と時間が空いた。どれだけ話すつもりだったんだと皆で言い合った。その空いた時間で僕は松本さんに話しかけた。今はもうどんな内容だったかは具に覚えてはいないが、とても話が盛り上がり、僕がとてもお笑い好きだと会話しているときに気付いてくれたのか「コロッセオ」のサインを僕は、貰うことになった。

そして北野天満宮からアメリカ村に行ってください、と松本さんに話したら少し笑いながら、

「京都よりも大阪の方が飽きへんからなぁ。」

とだけ言い一時間弱くらいかけて向かった。十分後、その車内で急に松本さんが

「弘樹松本の~すべらな~い話」 

と車内に響き渡る声でどこか聞いたことあるフレーズを言い、すべらない、つまり笑い話をした。話は四本あり、そのどれもが僕にとって衝撃だった。芸人でもない人の話でこんなに笑ってしまうのか、どうしてこんなに上手なのか、聞いた瞬間、瞼の裏に情景が浮かぶ。説明上手だろうな、と僕は感じた。なぜあんなに面白いのか不思議でしょうが無かった。そして何よりも彼女が笑っていたのが不思議だった。僕の知らない解答を松本さんは知っていた。僕と彼の間には何があるのだろうか。彼が高い高い壁の上で僕を達観している錯覚に陥った。そう思った。

そしてアメリカ村に着き、僕らの班は活動班の中でばらばらに活動するという本来禁止されている行動をした。男子三人、女子三人の計六人。男女別に行きたいところに分かれた。松本さんはこれも一つの経験やからと言って予定時刻になるか、もしくは何かあったら電話してな。と言って近くのたこ焼き屋さんの行列に並んだ。予定時刻は三時半だった。けれど予定時刻二なっても帰ってこなかった。僕らはとても心配になり、僕は松本さんに連絡を取り、男子のうちの一人がこっそり持ってきた携帯で確認を取るとその女子曰はく、○○ちゃん(僕の隣の女子)とはぐれたから探している、と言う話を聞き僕ら男子と合流した松本さんで探すこととなった。視界に入る人何百人もの知らない人で賑わうアメリカ村近辺をたこ焼きを無理に口に運んだのか分からないが少し涙ぐんでいる松本さんと僕ら三人は歩き二人の女子と合流した。彼女たちは夏に長距離を何本も走らされたかのように疲弊しきってげっそりしていた。松本さんを含めた僕ら六人でさっき女子たちがいた商店街を色々と見回した。すると僕は何を思ったのか一軒の古着屋が目に留まった。そして誰にも言わずその中に入っていった。なぜ入ったのだろうか。木を隠すなら森の中。無口な女子を隠すなら、そんなこと知る由もない。そして古着屋に入った。あの店だけなのか、古着屋だからなのか、それは分からないが妙に人間臭かった。目に悪そうな柄や色合いのシャツやらアウターが並んでおり目に入ってきたが僕はレジの方を見た。するといつも見ている横顔に似た顔が見えた。

「○○さん!」

 僕は彼女の名前を呼んだ。すると吃驚したのか、肩がピクッと動き僕の方を振り向いた。

「朝野くん・・・なんで居るの?」

「探したんだよー。良かったあ。見つかって。皆待ってるから。」

「えっ・・・私○○ちゃんにここにいるって連絡したんだけど・・・」

彼女は迷子になったことを気付かない子供のような表情で言いながら買った商品を右手に持ちレジカウンターの並ぶ列から出てきた。そこから店の出口まで十メートルくらいだったと思う。彼女と二人きりで歩くのは僕の中では初めてだったので慣れていない何故か少し緊張した。そして一歩一歩踏みしめるように歩き残り四歩、五歩になった時彼女は急に止まった。それにつられ僕も止まった。

「どうしたの?」

僕は聞いた。

「あのさ・・・朝野くんにずっと言いたかったことがあるんだけどさ。」

彼女は周りを確認するかの様に後ろを見ていった。急にそんなこと言われたので僕はこの状況が分からなくなった。そこで自分を落ち着かせ、あわよくば彼女がクスリと笑ってくれればいいなと思いこんなことを口にした。

「えっ、何?告白だったらここでしないでね。」

笑わせるつもりで言った。仲のいい女子に何回か言ったときは全員が笑ってくれた。こんなことを本心で言う訳がないし彼女はどんな反応をするのだろうと思った。すると、彼女が口を開いた。

「あっ・・・そっか・・・。何でもないっ。ごめんね、急に。」

そういわれた時この子は絶対に僕の話で笑わないんだなと思った。それから修学旅行中も学校生活でも彼女と話すことはなかった。

何故か彼女が一回だけ夢に出てきたことがある。よく分からない場所だった。空でも陸でも海でもない。空虚な場所に僕と彼女の二人だけだった。一対一で向かい合っている。距離は二、三歩くらい。意識ははっきりとしていたが体は動かなった。明晰夢かなと自分の中で解決させた。そしたら急に彼女の後ろから巨大な抹香鯨の様なものが現れた。ような、と言ったのは本来抹香鯨は下顎に二十~二十六対の円錐形の歯を持つが、それは鮫の様な歯、いや牙を持ち彼女に噛み付こうとしていた。そしたら彼女は急に笑顔になりこう僕に言った。

「無理して自分を作らないで」 

噛み付かれる前彼女の頬には笑っているのに小川が流れていた。

その夢が何を暗示しているのかは分からない。今でもだ。けれどその夢は僕にとって非常に重要なものになった。

 昔は気付かなかったのに今になって沁みる言葉や教訓は沢山ある。たとえば付き合っている当時分からないのに別れてから大切さが分かる。そんなものの様な感じだろう。あの言葉は今も僕の体の中で咀嚼も消化もできずにそのままの形を保って残っている。

 

 その日の昼休み僕は急いだ。自分の昼食をとる場所が二日連続で奪われるようなことはしたくないと思ったからだ。普段、走らないのですぐに息が切れた。すれ違う人にも気が向かなかった。

 職員室について顔を覗かせると星野先生がいた。職員室に入り星野先生に鍵をいつものように借りようとしたら、こう聞かれた。

 「お前、昨日のあいつ友達だったか?」

 「一つも知らない人でした。」

 「なんだよ、つまらないなあ。鍵今日もまたおれ月山に渡したぞ。」

 「何してんですか!?友達じゃないんですよ!?」

 「友達だとか友達じゃないとか関係ないんだよ。一種の社会経験だと思えよ」

 僕は言葉に詰まった。やるというルートとやらないというルートの選択を迫れた時、僕は無意識に後者の方へと進んでいる。漠然とではあるが胸の奥を掴まれた様な気がした。しかし、今回は気付けただけで終わってしまった。

「嫌ですよ・・別のとこで食います。」

 今度は失礼します、ありがとうございましたをしっかりと言えた僕は職員室を後にした。少し頭に引っ掛かっている物があったが考えている暇はなかった。

 更衣室のほかに昼食をとれる場所は無いかと探したが僕は帰宅部なので部室はない。教室で今更食べる勇気もない。空いていそうな特別教室を一通り回ったが何処も空いていなかった。案外もう居なくなっているかもしれない、そんな考えが頭の中に浮かんだ。僕は急いで三階から二階の更衣室に戻ってきた。ドアを開けようとしたが鍵がかかっていたので、これはいいタイミングだ、と思い職員室に向かい、鍵を星野先生に借りようとした。職員室に入ろうとガラス窓から星野先生を見ると一人の男子生徒と星野先生が話していた。そうすると星野先生と急に目があった。するとその男子生徒が振り向いた。ニタッと笑ったその生徒は月山だった。あー逃げればよかった、と思った時には時すでに遅し。二人が僕が顔を覗かせているドアに近づいてきた。今更逃げることは出来ない。お手上げだ。

「で、なんで二人が一緒にいるんですか?」

本当の管理担当者と仮管理担当者と不法侵入者の三人と言う異色の面子が男子更衣室の長椅子で三者面談のように座った。無論僕が教師側の席だが。そして教師の僕が聞いた。すると星野先生が言った。

「こいつは元々、俺が顧問しているサッカー部だったんだけど、最近やめたんだよ。色々と事情があってな。結構話とかも二人でしててその中で将来の夢を聞いたんだよ。そしたらお笑い芸人だって言ってよ。俺まぁ吃驚したね。この学校でこんな面白いこと言うやついるんだって思ってそれで相方探しに協力していって俺のクラスでお笑い好きなのって朝野か金子とかだろ。だけど金子進路とかまだ早いのにもう具体的な物持っているから、朝野とかと関わらせたら面白いんじゃないかなって思ったんだよ。だから朝野には悪いけど一回関わらせてみようかなと思ってな。」

 僕の頭の中で引っ掛かっている物を星野先生は取ってくれた。今日星野先生のところに行ったときに呼び捨てしていたのもそういうことか、と納得がいった。けれどなんでこの顔が整っていてサッカー部という運動部でも花形に所属していた月山はお笑い芸人になりたいのだろうか。それが気になってしょうがなかった。その時はもう昼食のことは頭にはなかった。

「つきや・・・月山君は・・・」

「夕でいいよ。」

「夕はさ・・何で芸人になりたいの?」

少しずつだが夕のフォローもありつつ会話と言うものが建設されていった。

「長くなるけどいい?」

僕は頷いた。

「ありがとう。六年前・・・いや違うな。何年前かな。皆さんのおかげでした。でさバナナマンの日村さんがポルシェ買ったの覚えてる?」

 皆さんのおかげでした。とは大物お笑い芸人とんねるずがやっていた番組だ。僕の親世代にとても人気があって保育園のころから僕も親の影響で見てた番組の一つだった。けれど視聴率や法令順守など糞みたいな理由でたしか数年前に終わった。僕はそれが悔しかった。

 「覚えてる。めっちゃ腹抱えてみてた。」

 そのことについてずっと話していたいが今はまだ夕の話を聞かなければいけない。

 「その時さ。家族で見てて、みんな笑ってたけど俺日村さんかっこ良すぎてさ。生き方とか、風貌とか。だからそれ見た瞬間俺芸人になるって親に言ったんだよね。そしたらめっちゃ反対されたけど俺やるって決めたんだよ。」

 人は夢を持つとここまで輝けるのかと思った。僕は初めて人でも光源になれるんだと思った。それほどまでに彼は輝き、煌びやかに光っていた。

でも芸人になって生活が保障されるなんていうものは存在しない。先月だって僕の好きだったコンビが解散した。十年やってだ。彼らのネタは面白く、芸人の中でもとても評価されていた。しかもツッコミの人は結婚し子供もいる。直向に頑張っていた。一回だけ生で見たときがあるが彼らの笑いに対する熱量は凄まじかった。だが、だが、そんな人達でも報われない世界なんだ。確かに夕は真っ直ぐな目をしていた。まるであの女子の様な無垢で穢れを知らない目。だからこそ僕はこんな男の目が汚れていくのを見たくないと思った。堕落した生活を送り、バイトで稼ぐ。そんな生活は送りたくないし送らせたくもなかった。僕はこのまま中途半端な大学に行き、中途半端な企業に勤め、中途半端な生活を送り、中途半端に死を遂げる。そう思ってた。

「報われない人もいる。だからごめん。他の人を当たってみてよ。」

久々に目を見て真剣に発した言葉だった。彼は少しうつむいてから僕の目を見て言った。

「そっか・・・。ごめんね。急に。またね。」

そういって彼は更衣室を後にした。そんな彼と名前も思い出せなくなったあの女子が偶然にもフラッシュバックしてまたあの言葉が脳に響いた。

「無理して自分を作らないで」


居心地悪そうな表情で星野先生が座りながらナイキのジャージのファスナーを上げたり下げたりしていた。まるで母と妹が服を見ている時早く帰りたいとずっと思っている昔の僕のようだった。

「先生、なんすか。その顔。」

この日の星野先生は少し愛くるしかった。

「いや、なんか青春だなって思ってさ。俺も昔芸人目指してたんだよ。」

カミングアウトが突然過ぎてどういうことか少しわからなくなった。

「えっ、先生芸人目指してたんですか。」

「そうだよ。コンビも組んでた。俺大学の時、落研でさ。同じ体育科だったんだけど、初めてそこで知り合ったんだよ。あっちが一個先輩でさ。」

「先輩と、かー。結構いますよね。そういう芸人さん。」

もう口調は高校で形成された僕とは違っていた。おしゃべりが好きな普通の高校生の様になれてる自分を少し褒めてやりたい。

星野先生はボケだったらしい。僕の見当通りだった。授業中(体育)は基本男女別で行うことが多いので先生は高校一年生男子を狙ったボケなどちょこちょこ入れてた。先輩の名は小杉さんと言って今はテレビ関係の仕事に就いているらしい。大学の体育科からテレビ関係に就職とはずいぶん変わった人だなと思ったが自分の夢を捨てきれず、面接試験を通って今はそこそこいい位置に就けているらしい。担当しているテレビ番組を教えて貰うと結構知っている番組があり驚いた。才能もあったのだろう。なぜそんな人が体育科にいたのかは分からない。

そして結構様々なネタを講義やサークルの合間を見つけてネタ作りに励んでたらしい。先生が言っていた大学は東京の大学だったので浅草の寄席や劇場の漫才を見て学べることが多かったらしい。僕は落語についてそこまで詳しくないが先生曰はく、一度でいいから生で見た方がいいと言っていた。

そんな話をしているとチャイムが鳴った。昼食を食べていないことに気付き慌てておにぎりを一個頬張る。鮭だったのでうれしかった。

「じゃあ、この話はまた明日だな。授業遅れんなよ。」

そう言って先生は僕が道具を持って更衣室のドアノブを掴んで開けててくれた。ありがとうございました、と言い一礼した後僕は急いで自教室に戻った。

 その日の夜僕は寝れなかった。自分と月山夕は似ても似つかないなと思った。彼は将来どこに行っても成功するだろう。顔のアドバンテージもあるがそれ以前に彼は人として大人だった。逆に僕が彼の立場だったら・・・、そう考えなくても答えが自ずと出て来た。そうであるから考えれば考えるほど自分が嫌いになっていった。何も取り柄もなくのほほんと生きている僕と夢を持ち努力している彼は絵に描いたように対照的だった。周りの目が気になり、右から左、左から右そのようにベルトコンベアーに毎日と僕は流され、流行に乗っかれば助かると思えばその降り方すら分からなくなったり。今日見た夢は明日になれば忘れる。授業中強い信念を持ったとしても家に帰れば学校に忘れる。中学校の友達のLINEの一言コメントの「明日やろうは馬鹿野郎」のスローガンがまた僕の心と脳にダメージを与えてきた。その痛みも寝れば忘れる。皮肉なものだな、と僕は僕自身を嘲た。動画サイトで落語を聞いていたら記憶がそこで止まっていた。

 

その次の日僕は、直感的に職員室には行かず更衣室に行った。ドアノブに手を掛けると星野先生と月山がご飯を食べていたのでそっと見て見ぬ振りをして閉めた。するとドアが急に開き星野先生が僕に

「昨日の話の続き。」

とだけ言い右手で入るようにジェスチャーした。

 夕とは目が合わなかった。僕が合わせないようにしたのか向こうが合わせてくれなかったのかは分からない。僕は長椅子に座り腿の上に母の弁当を置いた。夕は僕の右側の床に座ってあんぱんを食べていた。

星野先生も何故か地べたにどこから持ってきたのか分からない座布団を敷いて座り僕だけが椅子で座ることとなった。夕はどこまで聞いたのだろうか。横顔を見ると男でもこりゃ惚れるな、と思った。

すると星野先生は僕ら二人を見て言った。

 「えーっと、じゃあ浅草の寄席見てる辺りからだよな?」

先生は昨日の授業がどこまで進んでいるか確認する数学教師のように僕らに確認を取った。僕は頷いた。夕もその動きとシンクロしていた。

 じゃあそこからか、と先生は独り言の様に呟き座布団を敷いて正座になり、両手を腿につっかえ棒のように立てて少し姿勢を前に倒し話し始めた。その時初めて、星野進という三十くらいの男性の教師では無い姿を見れた気がする。


 「えーっ、俺の相方の小杉健人と知り合ったのが、俺が大学に入った年、つまり今から十二年前。今と違ってそこまで花粉は飛んでいなかった。そして知り合って、コンビを組んでからおよそ二か月が経った。そしたら小杉さんはこう俺に言って来た。」

 「なあ、しーちゃん。今年の夏にUMCの予選があるだろう?それに出てみないか?」

 星野先生は右手で腿をたたいた。パンっと音が鳴る。

「そう!UMCとはご存知の通り、Ultimate Manzai Championships

漫才日本一を決める由緒正しき大会。その年は第三回目だった。その大会はプロアマ問わない。サッカーで言う天皇杯の様なもの。しかし実力も何もない若造二人が出ることなどほぼ不可能。一回戦、二回戦、三回戦、ましてや準々決勝、準決勝とはまず不可能。そこで僕ら二人は、一回戦突破を目標とし尽力した。近所の公園で講義やサークル、アルバイトがない日はずっとネタ合わせ。僕ら二人は関西人ではない為最初は関西弁でネタを書き、そしてネタの大枠が大体完成したら標準語に直していた。そして二本これだっというネタが二か月を過ぎた後完成した。その時はもう梅雨真っ盛り。梅雨前線の絶対王政。予選は二か月後の八月上旬。大学の講義もサークルの活動も休みだったのが良かった。そしてそこから大学もどんどん忙しくなり合わない日が続いた。そして来たるべき一回戦。八月九日。僕らは東京にある劇場に行った。エントリーフィーの千八百円を払い、出番を待った。番号は七十八番。そして呼ばれた。」 

 先生は喋るのを少し止めた。そして笑いながら言った。

「二人とも飯。」

「「あっ、すみません。」」

二人同時に言ったことに対して夕はどう思っているのだろう。僕はハムチーズを大葉で巻いた物を口に入れた。先生が話すとき身振り手振りが大きくなるのは落語の影響を受けているのだなと思った。先生の話し方はニュースキャスターのマニュアルに書かれている真逆を進んでいる。抑揚の付け方も斬新で一種のお経の様な物。しかし意味の分かるお経。言霊が耳介から外耳道、鼓膜、槌骨、鼓室に各駅停車し蝸牛、神経を通過していった。

「結果は・・・・」

場が一気に静まった。心臓の鼓動がとても五月蝿い。

「二回戦を突破した。」

それを聞いた瞬間二つ目の大葉のチーズ巻を落としかけた。芸歴と呼べるものがほぼほぼ存在していないアマチュアコンビが突破することは珍しい。自分たちでネタも書いてだ。

「まあ、その時は審査も結構緩かったしな。審査員もその時は結構年いってる人多かったからな。」

UMCの一回戦と二回戦は二分と短いどれだけ印象を残せるかが重要だと星野先生はいった。準決勝まで進んだコンビは一、二回戦免除されるのでほぼ若手しかいない。その当時は今と違いツッコミではなくボケが重要視されていたが当時の小杉さんと星野先生は落語の主軸である「短い話を膨らませる」それを小杉さんが的確に少し目新しいボキャブラリー満載のフレーズで突っ込み笑わせるというスタイル。今の突っ込み全盛のコント漫才が光ったという。他のコンビの大体が喋り漫才だったためにそこはアマチュアでよかったと言っていた。

「まあそれで満足したっていうのもあるけど、三回戦はグダグダで終わったけどな。」

先生は恥ずかしそうに俯きながら言いナイキのジャージのファスナーを上げたり下げたりしていた。いつの間にか話し方も元に戻り、足も崩していた。

「それで次の年には参加したんですか?」

夕が言った。あんぱんはまだアンパンマンが一話で消費するくらいしか欠けていない。

「参加はしてない。その時はもう講義やら実技やらで忙しかったのと、あっちの祖父が膵臓癌で危篤状態だったらしくてな。お祖父さんがやってた農家の手伝いとかで夏は全然会ってなかったからな。」

そしてそのまま月日は流れた。先生曰く大学一年から二十歳に入ると一瞬らしい。

「十代はいつか終わる。生きていればな。」

そう言った先生は少し悲しそうだった。少し未練があるのかなと感じさせた表情だった。その言葉を僕はよく噛み満腹中枢を何度も何度も刺激した。

そして小杉さんは東京のテレビ局に就職し先生は教員採用試験を受けて今に至る。小杉さんとは今でも少し連絡を取っているらしい。住んでいる町も県も違えど一緒に戦った戦友みたいなものだと言っていた。今は二人とも家庭を築き、一家の大黒柱として日々を送っている。

「話は以上。何か質問ある人?」

授業のように僕らを見て右手を挙げながら星野先生は言った。そして左手に付けているディジタル時計で時間を確認して言った。

「所要時間十二分か。小噺だな。二人とも、早く飯食えよ。じゃあ、鍵置いとくから、どっちか持ってて空き時間に渡してくれ。」

そういって先生は更衣室から出て行った。

その話を聞いて僕の中で燻っていた、溜まっていた、膿が潰れて綺麗に出て来た。


五分くらい食べ物を噛んだり飲み込む音しか聞こえなかった。すると夕が言った。

「鍵どっち持ってく?」

僕はご飯を飲み込んで言った。

「俺行くよ。」

「ありがとう、じゃあ宜しく頼んだ。」

また時間が空いた。

そして夕がまた口を開いた。

「好きな食べ物何?」

僕は母が作った黒豆茶を飲んでいった。

「お寿司。特に近所の。」

「へ~。いいな、近所にお寿司屋さん。そこの店推すしかないね。」

少しイラッとしたがこのような会話が久々で嬉しかったので乗ってみるか、と思い次のように言った。

「そうなのよ。初めてその店知ったとき興奮してきてさ。」

夕は察したのだろう。笑い半分。乗ってやるよと言う意思半分の顔で僕の次の台詞を待った。

「やっぱり星野先生の話も非常に興奮するけど、一番興奮するのは、やっぱあの~、お寿司屋さん行った時だな。」

僕が弁当を長椅子に置き、少し首を鳴らした。台詞を言いながら立ち上がった。すると夕もほぼ一緒のタイミングで立ち上がり僕の左側に移動してきて僕の台詞が終わるほぼ同時のタイミングで言った。

「間違いないね。」


久々にあの話をしたな。と自分で思った。

大学時代のあの野心を持った小杉さんの目と全く一緒の目をしている。月山がサッカー部に入部した時思った。部員数は四十六名と学校内では一番多い部活動であった。県ベスト8に毎年入れるか入れないかと言うレベル。県内の中でも五本の指に入る進学校。交通の便がいい。と言う理由でこの学校を第一志望にする中学生も多かった。そういった理由でサッカー部は人気だった。女子マネージャーも豊富であった。一回女子マネージャーが多すぎるという理由で基礎知識テストで点数が高かった人三名をマネージャーにする。という策が練られたほどだった。

そんな人気のサッカー部で彼は、身長はそれほど高くないがボールコントロールがずば抜けて上手かったし、礼儀正しく、育ちがいいという印象を受けた。一年ながらにして二年、三年を差し置いて試合にも出ていた。こいつは将来化けるんじゃないか。大学時代に仲良くサッカーの名門大学に行った友人にその旨を伝えプレー動画を送ると、プロにも成れるんじゃないか。とお墨付きをもらった。

そんな矢先に彼が部活動のことで話があると部活が休みの日の放課後、体育教官室に来た。その日はほかの先生方もおらず、来賓用のソファに座ってもらった。来週には県大会の予選が始まる。そして明後日にはベンチに入れる二十三名のメンバーを部活内で発表することとなっていた。もちろん彼をメンバーに入れようとCBでチームキャプテンの鈴木武安とサッカー部の監督就任六年目である斉藤和成先生と一緒に昨日ここで話していた。斉藤先生は今日は出張で出て行っているので俺のとこに来たのだろうと思った。月山は俺が少し道具をまとめているときも座らず俺が座ってからソファに座った。

「どうした?話って。」

俺は聞いた。

「あの、サッカー部に入って三か月が経ったんですけど、自分やめようと思います・・。サッカー部を。」

急すぎて驚いた。しかし彼の目は真っ直ぐこちらを見ている。

「実は、父親が二日前に交通事故に遭って、今入院してて、命には別状はないらしいんですけど。その所為かもしれないんですけど母も今体調を崩していて、家が今大変なことになっていて・・・」

月山は言葉が装填されないのか口を止めた。

「そうか・・・。でも休部という形をとることもできるぞ?なんで急に辞めるなんて言い出したんだ?」

自分でも焦っているのが分かった。

「俺サッカーやるのあんまり好きじゃないんですよね。」

少し笑いながら彼は言った。すぐに言葉を付け足した。

「でも負けるのはもっと嫌いなんです。応援してくれる人も一杯いるし、支えてくれた人に恩を返したいからやってたんですけど。今はなんか冷めちゃって・・・。」

本当に嫌いだったらあんなプレーはできるはずがないと思った。こんな磨く前から輝いている原石を目の前で捨てる様な真似はしたくなかった。

「ほんと申し訳ないんですけど・・・。自分のためと言うより親のためにずっとやってて、高校に入ったら自分の夢に向かって頑張ってサッカー辞めようとずっと考えていたんですけど、関口さんに誘われて。」

関口は二年ながらにしてスタメンだった。確か月山とは一緒のクラブチームだったと思う。

「でも関口さんにもこの話したら、俺はお前を応援し続ける。って言われてそれがとても嬉しくて。だから俺決めたんです。」

月山は少し間を開けて言った。

「先生!俺、芸人になりたいんです!」


過去、この学校で芸人になりたいといった人が何人いるかを進路指導部を五年間担当している秋山志穂先生に聞いてみた。いきなりすごい質問ですね、と彼女は笑っていた。彼女は僕の妻と中学、高校、大学と一緒で結婚式のスピーチも務めてくれた。とても信頼できる女性だった。彼女はパソコンを目睫にして言った。

「ここに過去十七年分の生徒のポートフォリオがあるんで調べてみるね。」

彼女はブルーライトカットの眼鏡を着用し、パソコンと睨めっこしていた。

僕は進路指導室に入るのは初めてだったので色々と眺めていた。三分くらいで彼女の溜息が聞こえた。

「進君―。終わったよ。」

俺が棚の上に置いてある木彫りの熊の像を見ていると声が聞こえた。

「どうだった?」

彼女席の近く行き、聞いた。

「どうだと思う?」

彼女はメガネをはずし目頭を押さえて言った。

「零とか?」

そういうと彼女は黙って頷いた。

「まあそうだよなー。ごめんなあ。急に。変なこと聞いて。ありがとうね。」

そう言うと彼女がこの事について色々聞いてきたので逐一説明した。それと同時に若さっていいな。そう思えた。大人になりたくなんかないと思ってたら、こんな大人に気付いたらなっていた。人生の先輩だと思って見ていた高校球児がいつしか同年代になり、気付けば彼らを教える立場になっている。

「十代はいつか終わる。生きていればな。」

彼らに言った言葉は好きなバンドの曲の歌詞だった。彼らの歌に何度助けられたことか。俺もギターなんか始めてみようかな、と思った。

そんなことを考えて、職員室に入りコーヒーを飲んでいると座布団を更衣室に忘れて来たのに気付いた。仕方ない。取りに行くか、と思い職員室から出て行った。

職員室から更衣室に向かいドアの前に立つと中から声が聞こえてきた。あの状況で何を話しているのか気になるので周りに人がいないことを確認してそっとドアに耳を付けた。


ネタは終盤に差し掛かる。ここからはボケとツッコミの怒涛の掛け合いが始まる。まさかここまで着いて来られるとは思ってもいなかった。余程好きなのだろう。だが僕も負けていられない。前から見て左側の僕が眼鏡を直す振りをして言う。

「全部お前雲丹の軍艦みたいになっちゃうじゃねーか。」

夕の方を見て言う

「雲丹の軍艦でっ。」

そして慌てて夕が寿司を握る振りをする。

「頼まねーわ。お前、汚ねーな。何だお前。もお帰るわ!」

僕は左手で帰る方向を指し示し声を荒げる。

「お会計でよろしっ」

夕が言った台詞を食い気味で妨害する。

「お会計だ。馬鹿野郎。」

まるで言葉のキャッチボールと言うよりも言葉のドッヂボールだった。投げてはキャッチして夕が躱したり掴んだりする。

「お会計、六万円になります。」

「高すぎるわ。」

「間違っちゃった!」

夕が額を右手でパンとたたく。

「やめろこれ田舎くせえから。」

僕もそれを真似する。

「六千円ですっ」

へらへらしながら夕は言った。

「六千円でも高ぇわ。お前烏賊しか食ってねぇじゃねえか。揉めんの嫌だから払うわ。」

「ありがとうございますぅ。」

「はい丁度。」

六千円をポケットの中から財布を取り出し、しっかりと六千円を払うジェスチャーをして彼に渡す。

「はい、お預かりしますぅ。はい七千円のお返しです。」

受け取った彼は数えて僕に渡す。

「儲かちゃってんじゃん。」

少しここで僕は笑ってしまった。けれど続行する。

「間違っちゃった!」

また彼が右手で額を叩く。

「千円儲かっちゃたじゃねーか。」

「それ返してもらっていいですかね」

僕は夕に言われて、彼から受け取った七千円を指差す。

「どれ返せばいいん?」

食い気味で夕が言う。

「その鮃返してもらっていいですかね。」

彼にとってこの漫才の最後の台詞だった。この楽しい時間もフィナーレだ。最後の台詞を僕が言う。

「鮃だったのかよ。もういいぜっ」

右手で僕は彼の胸を叩くふりをして誰もいない更衣室で二人で出入り口のドアに向かって一礼した。

そのあとすぐに疲労感に襲われた。堰を切ったかのように疲労という波が襲ってきた。

「いや~疲れた。」

夕が地べたに長座して両手を棒にして上半身を支えていた。

「ここまで覚えてる人初めて。」

三歳児の様な笑顔で僕に話しかけてきた。本当に楽しかったのだろう。僕も楽しかった。

「俺もだよ。楽しかった。ありがとう。」

僕は傍から見たら下手糞である笑顔を彼に向けた。

「ははっ。何その顔。」

案の定笑われた。だけれどそんな言葉が何故か嬉しかった。

「うるせーよ。」

笑みを押し殺して僕は言った。そして彼の目を見て僕はこう言った。


「夕。俺の相方になってくれない?」


三   叫べ     



 秋天を突き抜ける野球部の声がグラウンドに響く。夏の果てに置いてある忘れ物を取り戻すために白球を追っている三年生がいなくなった彼らの練習着は茶色に染まっていた。窓からその様子を見てる僕の何一つ汚れていない学生服を彼らが見たらどう思うのだろう。だけどその分心が汚れている、そんな事ない。と自分で乗りツッコミを入れ僕は部室に戻る。雲一つない晴天を見ることが出来ない僕たちの部室(男子更衣室)で僕は夕を待っていた。

夕とコンビを組んで一か月が経った。そのことを壁に雑に貼ってあるカレンダーが教えてくれた。当面の目標は二か月後にある文化祭に向けて僕らは色々と模索していた。今はスマートフォンのメモ機能でネタ等を考えられる時代なのでコンビのやり取りも全てスマートフォンでしていた。

僕ら二人と星野先生を入れた三人で話し合った結果、基本的に僕がツッコミ、夕がボケ担当となった。ネタによって色々と変わるが。そしてネタ作りは僕が担当することになった。星野先生がお題を出して僕らがそのことについてネタをするという物だったが余りにも夕の出来が悪くて僕が任されることになった。

けれど人よりお笑い好きなただの高校生二人と芸人を夢見ていた三十代前半の男性が考えあぐねたって一から急に観衆を沸かせるネタなんて考えられる訳がない。この三人が集まったところでマンジュシュリーどころか八童子にすらなれない。僕らはこの一か月。(テストがあったので正式には二週間と四日)ずっとテレビに出ているお笑い芸人の漫才を真似た。

運動神経が良い人は自分の目で見た動きを頭で考えて体を動かせる。サッカー及びスポーツに於いて上手くなる一番の近道は真似ることだと星野先生が断言していたので僕らは漫才と言うスポーツを上手くなるために日々練習していた。

練習メニューはいつも三分から四分半のネタの台詞を兎に角記憶し、そしてここで二人でネタを合わせる体に一ネタ一ネタ染み込ませるという物だった。この日は比較的覚えやすかったので三本台詞を覚えた。

やってみるとやはり難しいものだった。何で一番最初の寿司屋のネタがあんなに上手くいったのかが分からない。台詞を覚えたりするのは比較的楽だった。そんなに数をこなしていないので僕らが知っているネタばかりだからではあるが。問題はその後だった。僕らが見る彼らがするネタといざ実際にやってみるネタは雲泥の差だった。その差が何か分からなかった。何をどうやれば良いのかが分からない。答えがある問題しか今までしてこなかった付けがようやく回ってきた。

部室ではネタ合わせ以外特にすることが無いのでずっと夕と話していた。高校に入って今まで同級生と話していない分、輪状甲状筋、甲状破裂筋、表情筋を夕のためにふんだんに使った。話すことは至って普通の高校生がする話や少し高尚な話もした。例えば夕の家族構成などだ。僕と一緒の四人家族で僕の妹と同い年の中学三年生で共通点が色々とある妹さんもいるらしい。仲もそこそこいいらしい。夕は動物に詳しい、等。綺麗な飲み水が出ず飲めないアフリカ辺りの人々が初めて井戸を作り安全に飲める水を飲んだ時はこんな感じなのだろう。こういった普通が僕にとっては幸せだった。アフリカの人々の気持ちが分かる日本の高校生はそうそういないと思う。やはり僕ら二人がするのはお笑いの話が多かった。あのネタ番組また復活しないかな、あの番組に出てた芸人結果残したね、昨日のあれ見た、など今の高校生が忘れている会話をしていた。夕は識者だった。自分が女性だったらこんな人と結婚したいと思う。


「木耳って夏の季語らしいよ。」

何の金属で出来ているのか分からないが金属で出来ている冷たい長椅子で仰向けに寝る僕の顔を現代文の教科書が百三十六ページと百三十七ページを開き目、鼻、口を綺麗に隠している。急に夕が言って来たので頭でもいかれたかと心配するが一瞬してこういう奴だったと自分の中で一言入れる。夕がどこにいるか大体声の一で把握し、僕は教科書が落ちないように口をあまり動かさないで言った。

「へー、そうなんだ。海月も夏の季語だっけ?」

教科書に声がぶつかるので籠る。

「わが恋は海の月をぞ持ちわたるくらげの骨にあふ夜ありやと。いい句ですね~」

人の質問に答えずおそらくネットで調べた句をさも自分の句の様に呼んでいるのが声だけで分かった。体温で少し温まったであろう長椅子から僕は起き上がり手を空に伸ばした。

「暇だな。」

僕は言う。

「そうだね。」

キャッチボールが成功した。

「何する?ネタ合わせる?」

僕はキャッチして投げ返す。

「今はいいかな、ふり幅しよう。」

暴投したがあったボールを投げてくれた。

「またすんの!?俺苦手なんだけど」

ふり幅とはふり幅しりとりのことだ。普通矛盾している様なものを組み合わせた造語を一瞬で考え、それでしりとりをするといういたってシンプルなものだ。例えば「甘いハバネロ」から「ロン毛坊主」の様な感じだ。傍から見たら小もない遊びだが小もないことを大きくできるのが友達のいいところではないだろうか。

「じゃあ月山行きます。月山の《ご》から行きます」

狙ったシュートはゴールではなく観客席に吸い込まれた。狙いすぎだ。僕の壺に絣もしていない。

「五十キロの力士。」

いるかもしれない、そんなこと言いそうになったが言ってる間に時間は過ぎていく。僕は慌てて言う。

「歯垢だらけの歯医者。」

僕は言った後失笑した。余りにも実力が無さすぎる。夕が僕の気持ちを代弁してくれた。

「止めるか。」


コンビを組んでから夕と一緒にいることが多いので夕の周りの人にも顔を知られるようになった。サッカー部は芸人になるために辞めたと言っていたのを思い出し、相当反感を食らっているだろうと想像していたがそんなことは無くむしろその逆だった。彼らはフレンドリーで話しやすくすぐに打ち解けた。中学校の時のようだなと思った。

あるひどく蒸し暑く夏が舞い戻ってきた日、部室で夕と同じクラスでサッカー部の小林元也と話していたとき彼にこう言われた。

「なんで光ってクラスに友達居ないの?。」

余りに突然過ぎて舌を噛んだ。痛っ、と僕は口にした。

「なんでだろうねー。俺もよく分からない。でも雰囲気が好きじゃなかった。馬鹿みたいに騒ぎたかったんだけど、ほら一組って真面目君、真面目ちゃんの巣窟って揶揄されてるじゃん。」

舌が痛くてうまく話せない。星野先生も始めやりにくそうだった、と僕は付け足す。

「でもさ、一組で人気な子いるじゃん。何だっけあの身長が少し低くて少し猿顔の・・・」

 僕は金田くんのことかな、と思い口にする。どうやら当たっていたようだ。

「そうそう、金田くん、あの子面白いんじゃないの?」

確かに彼は面白いが彼と同じ中学出身の人がクラスには多いので、内輪ネタばかりだしワードセンスやタイミングとかが小学生レベルだなと思っている。後、人をいじって笑いを取ろうとするくせに自分がいじられると真に受けている彼を見て僕は関わるのをやめようと思った。別に彼のことが嫌いだとかそういうわけではない。

「んー。俺は面白くないと思う。そんな仲良くないから分かんないけど。」

僕が初めてクラスに入ってきた時に感じた印象と今の感じる印象は全く違う。それは当たり前のことである。だがなんだろう。あの時感じた違和感の様な空気を口に出来ない。僕の脳内にある辞書には載っていないのかそれともその言葉自体がまず存在していないのか分からない。僕はその違和感を感じたときに何故か中学一年生の時に転校してきた佐々木君のことを思い出した。

彼が転校してきたのは長く短い祭りの様な夏休みが終わった二学期の始業式の時だった。彼は特徴が無いことが一つの特徴の様なそんな子だった。今となれば名前もパッと出てこない当時の担任が仲良くしましょう、とだけ言ったのを覚えている。けれど彼は馴染めていなかった。僕らのクラスでは当時、僕らが小学生の時に流行ったゲームが流行っていた。その話題で休憩時間も放課後も持ちきりだった。

確かそんな時だった。僕らがそのゲームの話をしていた時に彼が

「そのゲームしてるの。」と聞いてきた。

僕らはそのゲームについて色々話した。おそらく彼はその時そのゲームをしたことがなかっただろう。僕の個人的な予想だが。けれど彼はさも何十時間もそのゲームで遊んできたかのように話した。だがその内容はインターネットで二、三分調べたら出てくる内容だった。その時に僕は彼に気を遣わせてしまった。と後悔した。

転校生が一番心配するのは移動する土地でも、転校するクラスの担任でもなくクラスの中の空気はどうかだと思う。如何せん僕は転校したことが無いので妄想に過ぎないが。そのクラスを仕切っているのは誰か、どの授業をふざけていいのか、何が流行っていて何をしたらいいのか、自分の立場を瞬時に察せなければそのクラス内の生活はおじゃんだ。

僕の中で高校一年生は死んだ。唯一夕に会えたので無駄死にではなかったが。

結局その日も僕らのオリジナルのネタが出来ず、僕は家に帰り自室で静謐を作り家のパソコンを借りてwardに只管考えた文字を打っては消してを繰り返していた。僕はネタ作りイップスなのではないかと考える。以前動画サイトで暇を持て遊んでいた時、急にイップスで硬式球を投げれないピッチャーのキャッチボールを思い出した。僕は憔悴しきっていた。家族からは顔色が悪いだのといろいろ言われていた。どこかに笑いの種はないかと部屋中を探し、普段掃除するときさえ開かない引出しを開けたり、本棚の奥を見たりしていた。すると小中の卒業アルバムが出て来た。小学校のアルバムの表紙に写る母校は今見るよりも少し綺麗だなと感じた。中学校のアルバムの表紙は全員で撮った写真だった。体育祭の時に全校で人文字を書き、それをドローンで撮影したのだ。落ちてこないかなと心配する隣の友人を見て杞憂もこんな様子で空が落ちてくるのを心配していたのだろうかと想像したこと思い出した。僕のクラス内でそれが話題になり、それからという物杞憂の表現を使う時、彼女の名前を取り、「美優」と呼んでいた。「杞憂」と「美優」で韻も踏んでるからばっちりだね。と何故か彼女は満更でもなかった。

クラス欄を見ると動かない若い僕らが笑顔で今の僕を見てきた。パらパラと捲ると一人の女子が目に映った。笑わないあの子だった。どこの高校に行ったのだろうそう思いながら苗字が橋本だったことを思い出した。もう一度僕らのクラスを見ると先程と同様に目に映った子がいた。男子だった。けれどその子の行った高校は僕は知らない。いや知りえない。

彼の名前は長下俊太郎と言った。柔道部で確か六十キロ級だった。一、二年生だった時は話すことは話すがそこまでの関係には至らなかった。三年生になって初めて同じクラスになった。そこで本格的に話すことになり志望校どうするの、俺はここかな、などの会話はまだ脳で視聴できた。

彼の志望校は県内でトップの高校の普通科だった。理数科にしろよ、と僕の友達が囃し立てると彼は笑い八重歯を出しながら言った。

「駄目だよ。落ちたら洒落にならない。」

後で聞いた話だが彼はお母さんとの二人暮らしでお父さんがいなかったらしい。離婚したのか死別したのか僕は人として聞けなかった。彼は僕の住んでいる地区の中でも厳しい塾に通っていた。その分の実績もあるが費用もかかる。けれど彼は毎日その塾が閉まるまで一人で黙々と勉強してた、とその塾で同じクラスの女子が言っていた。お母さんは彼にしっかりとした教育を受けさせ、彼に華々しい未来を送ってほしかったのだろう。

高校生になった今、大学受験と高校受験の差が月とすっぽん並であることを改めて実感した。よくその二つの受験は全国大会と地区大会として例えられる。けれど中学生はその地区大会に全精力をかけて尽力する。少なからず僕らもそうだった。クラスの半分以上は塾に通い、休憩時間や放課後も残って勉強している人が何人もいた。僕らのクラスはほかのクラスに比べ、私立に行く人やサッカー等のスポーツ推薦などでもう進路が確定している人が多かった。彼は何かに憑りつかれた様に、いや何かに憑りつかれていた。僕のクラスだった三年三組の全員に聞いてもそう答えるだろう。担任も含めてだ。

そんな矢先だった。僕は日記を昔から付けているので日にちもまだ鮮明に残っている。僕はその日記を読みたい衝動に駆られた。もう忘れようとしていた出来事を僕はまた掘り返そうとしている。日記を本棚から探す。その年の八月十二日から翌年の二月一日の日記を見つけた。学習机の椅子に座り日記が書かれた少し草臥れている大学ノートを開く。あの時の記憶に徐々に色が付けられていく。 



また雪が積もった。カーテンを開けて思う。今年の雪は酷い。雲が故障したか。各地区で歴史的な大雪と謳われるほどだ。朝食時、ニュースキャスターはポストに積もった雪を大袈裟に手で掬った。こんなに積もりました、感嘆符が五個も付きそうな音量で報道している。毎年、冬になると雪国生まれの雪国育ちの僕らは朝から少々イラッとくる。僕らはポストに雪が積もるのではなく、ポストが雪で埋まる。そんなことを台所にいる母に言うと包丁がまな板に当たるリズミカルである音と一緒に母の声が聞こえた。

「確かこの人、雪国出身よ」

この人もメディアに犯されたのか、それなら仕方ない。食っていくために自分を演じるのは人間の性だ。そう思い、ごちそう様でした、を僕の胃の中の食材に言った。

中学校は自転車通学だったために冬になると徒歩もしくは車で送ってもらうの二択だった。その他の選択があるのならば持ってきて見せて欲しい。僕は前者だった。

歩くこと二十五分。新しく買ったコンバースにはまだ慣れない。そして野球部が玄関周りを除雪していたので仲のいい男子にめがけて雪玉を軽く投げた。そして僕は素知らぬ振りをし、生徒玄関に入る。冷たっ。と声が聞こえたので僕はそいつの顔を生徒玄関の窓から見てピースサインをしてやった。そいつは僕に向かって手袋をしているため少し太った中指を立ててきた。

生徒玄関で緑色の紐の白の靴に履きかえる。僕らの学年の色は緑だった。名札の名前の下に入っている線も緑だ。僕はそこから左に曲がり自教室に向かった。三組は四組を通り、三組と四組の間のフリースペースを抜けたところにある。ダッフルコートを脱いで本来は通学用のヘルメットを掛けるところにコートとマフラーを掛ける。そして三組に僕は入っていった。人は五人くらいいたのでおはようだけを言い席に着く。今日は俊太郎遅いなと思った。

彼は誰よりも早く学校に来て新研究と言う教材をしていた。送りの都合だろうと僕は考えて僕も教科書や教材が詰まった通学カバンから数学の問題集を取り出し、そろそろ本格的に私立の試験勉強もしなきゃだなと思った。

 八時を過ぎてクラス内にもいつもの活気が溢れてきた。勉強をしている人たちは大体この辺りで一区切りをつける。僕は同じクラスの奴と流行っているアイドルの話で盛り上がっていた。大のアイドル好きである佐々木が

「次のセンターは絶対マリーだって。」

と声を大にして言う。

「お前の推しの基準全然分からないんだけど。そんな可愛いか?」

土田が僕らに問いかけた。そんな時だった。全校放送が入った。僕らはまた何かの苦情かよ、いやでも何かの表彰だったりして、などと他人事のように話す。

「全校生徒に連絡です。八時十五分までに体育館に整列して下さい。寒いので防寒具を着用して下さい。繰り返します・・・」

面倒だなー、と皆で話し、コートを羽織り体育館に向かう時も佐々木はまださっきのことについて熱弁していた。

体育館に整列するときは男女クラス別の背の順で横整列なので僕は必然的に右側寄りになる。僕の右隣には身体測定の記録上僕より大きいが今はもう僕が超した白尾が座っていた。最初の並びの方がしっくりくるので僕たちは変わらなかった。何話すのかね、と前の二組に前ならえしながら話した。

 するとステージ上に校長先生が移動してきた。風格がありthe校長のような人であった。生徒、教師だけでなく、保護者からも人望が厚かった。そして恰好が良かった。その校長が全校全体が座ったのを確認して言った。僕と白尾はおはようございますを言う準備をしていた。校長はいつも挨拶から始める。だが僕は初めて挨拶から始めない校長を見た。全校生尾もそれに気付いたのだろう。少し並々ならぬ雰囲気になった。そして気温も低い所為なのか、それとも違う何かが作用したのかは分からないが体育館全体が凍った風な気がした。そんな凍った場に向けて校長が静かに諭すように語りかけた。

「皆さんにご報告しなければいけない悲しいお知らせがあります。昨日の夜八時三十二分。三年三組の長下俊太郎さんが急性心不全で息を引き取りました。」

 機械の音声アナウンスの様に淡々と話す校長を見て何が何だか分からなくなった。体育館は一時騒然となった。同じクラスのみんなが不意打ちを食らったかのようにぽかんとしていた。いつ?どこで?なんで?何で?何で?何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で。


「おいっ、おいっ!光!ひ!か!る!」

はっと我に返った。白尾の声が引きずり出してくれた。

「ごめん、何どうした?」

「集会終わった。クラスに行けだって。」

その日の自教室に戻るいつもなら時間がかかる廊下も今日は皆静かに歩いていた。笑い声がやたら響く渡り廊下も悲しそうにしていた。

 クラスに帰ると担任と長下と特に仲のいい男子は知っていたのだろう。泣き喚いていた。笑い声か叱り声しか聞こえない教室にその日だけは嗚咽やすすり泣く声だけが木霊していた。男子も泣いていた。女子も泣いていた。

 僕は悲しかった。身近な人の死を経験してこなかった僕にとっては余りにも悲しい出来事だった。だけど泣けなかった。僕は泣けなかった。それが怖かった。周りは皆泣いてる。佐々木も白尾も土田もそこまで話した時もなさそうな女子も全員が泣いていた。なのに泣けなかった。友達の死と言う極めて起こりえない出来事が起きた。それなのに悲しいだけで自分の体、脳が終わらせようとしていることに僕は腹が立った。机に伏して鳴きまねをする僕は人間ではないんだ。と思った。泣いていないことに果たして何人気づいたろうか。気付いた人が僕の涙腺を切ってくれることを願った。結局その日は予定されていた授業は無くなった。帰り道あんなに友達と話さなかったのは後にも先にもあの日だけだった。

 次の日になっても、またその次の日になっても僕は怖さで潰れそうになった。自分が人間なのか、人の皮をかぶった化け物なのか。まだその謎は解けていない。長下は知っているのだろうか。その答えを。一向に更新されず僕が送ったメッセージが既読に何時までもならないLINEが彼がいなくなったことと言う現実の刃物を突き付けてきた。いっそ僕もその刃物で殺してくれればよかったのに。そうすればまた会う時も僕が年を取って死んで俊太郎だけが若く、気まずくなるという現象は避けられる。こんなことを思いついたところで彼の八重歯はもう見られないのだが。

僕らの学校はと言うか僕らの地区の学校はいや、おそらく全国の学校が毎日、帰りの会の最後に担任の先生が「さようなら」と言う。そして僕らも「おはよう」と言ったら、「おはよう」返す様に、「ありがとう」と言われたら「どういたしまして」と言う様に「さようなら」と言う。そこで昨日彼が僕らに言った最後に発した言葉が「さようなら」だったのが悔しかった。悲しい言葉ではないと別れの曲などは肩を叩いてくれるが、その後の面倒は見てくれなかった。僕はそれから「さようなら」が嫌いになった。


 日記を読んだ後すぐに寝てしまったらしい。気付いたらベッドの上だった。雪は積もっていない。夢であればよかったのに。その言葉は口まで来たが僕はもう一度飲み込んだ。朝の粘着質な唾は大嫌いだ。洗面台に行き吐き出す。鏡を見ると化け物みたいな顔が広がっていた。不細工だなと鏡の前の化け物に呟く。少しほんの少しだけ表情が変わったような気がした。疲れているんだな。僕は歯を磨きながら思った。


 

 赤と青のライトは柵で仕切られた簡易的なステージにいる四人組バンドのヴォーカルを照らしている。彼はまさしく炯眼と言った眼でありながらその奥には力強さが滲み出ている。そんな彼を見ている僕らは今にも前から後ろから潰されそうな勢いだった。サウナに入ったかの様に、汗腺が壊れたかのように僕は汗ばむ。席の順番もなくマナーの悪い髪色を派手に染めた男女四人組の客は柵の前線で開演一時間以上前から並んで前に行ったであろうかよわい女子高生三人の前に体を滑らせ下品な笑い声をあげていた。赤の他人にここまで殺意が湧いたのは久しぶりだった。親の教育が悪いのか、自惚れているのかのどっちかだろう。僕が殺さなくてもどうせ社会が殺してくれる。反面教師の模範解答の様な男たちはそのバンドが全曲歌いきるまで醜態をさらしていた。そんな割り込み自由で距離感ゼロのおしくらまんじゅうなこのライブハウスで僕は意識朦朧としながら隣の夕と一緒に右手を挙げて歌詞を口ずさんでいた。

 事の発端は夕が友達がライブに出るから一緒に行こう、と誘ってきたことだった。僕は最初、ネタ作りの方が大事だ。と言って断ったが頑なに夕が言ってきたので聞くしかないかと思い渋々返事をした。話しているとき夕の顔は初めは曇天だったが僕が行くことを告げるとたちまち雲一つない晴天となった。相変わらず顔は整っている。

そのライブハウスは学校の最寄駅から一駅分の駅から五分くらい歩くとあった。少し錆びた階段を上り、ステッカーやら一昔前のプリクラが貼られていたドアを開けて入場した。ワンドリンク付きでチケット八百円。値段の相場がよく分からない為に夕とそのことについて話した。

「新喜劇は大体四千円だ。」

裸電球に似た光を天井から吊るされているライトが放っていた。その光が夕によって翳っていた。

「でも、これはアマチュアだよ。どうこう言ったって仕方がない。」夕が僕を諭すように言った。

そんな話をしているとステージ下手側から髪を少しだけワックスで遊ばせた、典型的な男子高校生が現れた。夕の友達だった。夕は手を振り、その子の名前を呼んだ。僕の好きな九十年代のバンドのドラムの人と名前が一緒だった。もしかしたら親御さんが好きなのかもしれない。そんなどうでもいいことを考えられる程に楽器がまだ音を発していないライブハウスは話し下手な今の校長と一緒くらいつまらなかった。そういえば「へた」も「しもて」も同じ感じだ。対義語の方がよみ方は多いかなと根拠のない考えを机上に上げてみた。すると彼が口を開いた。

夕の友達はトップバッターだった。そのために少し僕等と重なった。その子はアコースティックギター一本で引き語りをした。一つだけの武器で観衆を魅了していた。彼は初めに若者に絶大な支持を集める今最有力な女性シンガーソングライターの代表曲を歌い場を盛り上げた。その次はフェスなどで盛り上げ担当でもあり、冴えない男の恋愛模様をねちっこくだが叙情的に歌った歌詞が魅力的なバンドの歌を歌った。よくあんなファルセットでるな、と僕は感心した。つまらないという感情は僕を置いてライブハウスを出て寒い秋の夜を満喫しているだろう。

 その次はバンドだった。名をNOUTHと言った。何故北なのかと考えたがヴォーカルが話し始めたので考えは中途半端なところでストップした。彼らは高校二年生で僕らと同じ学校らしいが僕は初めて見る顔だった。ヴォーカルの顔はそこそこ整っていて女性には苦労しないだろうと感じる。まあ僕の右隣にいる相方には劣るな、と付け足す。彼が歌った曲は十年以上前の曲だったが少しアレンジを加えており初めて聞く曲の様な感覚で聞けた。曲名を言ってあの曲だな、と察したが前奏部分が変化していて少しテンポもゆっくりだったのでオリジナルの曲なのかと疑った。自分たちにしか出せない味をしっかりと出していた。

その次からは酸素も薄くなり、汗もかき着てきたシャツがびしょびしょになったので次のバンドを聞くのに少し集中できなかった。一番の要因は目の前に僕より身長が高く少し小太りでマッシュルームカットの髪を緑色に染めている男が割り込んできたことであるが。彼はその巨躯をリズムに合わせて飛び跳ね、バンドが歌って居る時に奇声を発していた。自分勝手すぎる。まるで相手のことを考えず自分だけ快楽を得るセックスのようではないかと思った。それじゃただの自慰行為だ。お前の満足のためにバンドが歌っているわけではないんだよと優しく怒鳴りながら諭したくなった。その姿は滑稽で無様だった。夕と顔を見合わせて笑った。

「ここは治安が悪い。」

僕は夕の耳元で言った。何の臭いかわからないがいい匂いがする。

「仕方ない。あの人は多分隣町の高校生だ」

「あんな男が高校生だとは思えないよ。義務教育に、教師に中指を立てること美学として過ごしてきたんだ。滑稽キノコだよ」

「その考えは笑える。あれはそのうち社会に取り残されて死ぬ。」

「ははっ。俺と一緒の考えじゃん。」

「えっ何?聞こえない。もう一回いって。」

スピーカーから近いのか僕の声は届いていない。

「いいよ。何でもないから。」

その後、天井が少しはがれウレタンの様な物が出てたのが趣き深いね、と夕と笑いあった。

そんなこんなしているうちにゲストバンドが登場した。彼らは高校生だったのが十年以上前と言っていた。なので二十八ぐらいだろう。ゴリゴリのハードロックを弾きヴォーカルはそれに合わせてラップをしていた。僕がHIPHOP好きなのを知ってて夕が言って来た。

「最高にHIPHOPだね。」と。

どうした急にと思いツッコミを入れようと思ったが、バンドをしっかりと目に焼き付けたかったので今回はそうだね、と受け流した。

二曲演奏が終わりMCの時間となった。バンドの無精髭を生やしている帽子を深くかぶっている男が言った。会場のボルテージはこの日で最高潮だったろう。

「僕らは、何年間もこのメンバーでやってきました。最初は色々なバンドの歌を歌う、さっきのNORTHのようにね。コピーバンドをしていました。今はオリジナルを何曲も作って今この会場で皆さんに聞いてもらってます。けど・・けど、僕が思うにオリジナルだから偉い、かっこいいなんてそんな概念はこの世に、この世界にはありません。今奏でたい、弾きたい、歌いたい、そんな歌。曲をこいつと俺は一番歌いたい。そう思えたらコピーだとしてもそれはもうそいつらの音楽です。年齢なんか関係ないです。今日来てるバンドは大体がコピーって聞きました。さっき僕は彼らの歌を聞きました。僕は、僕は、コピーなんかじゃない。全部彼らの曲の様に聞こえました。自分が今一番やりたいことを今一番やりたい人とする。音楽はそういうもんだと思います。それでは聞いてください・・・」

何故かこの滅茶苦茶な言葉がバンドマンでもない一人の芸人志望の高校生にこんなにも響いたのだろう。この言葉が響いたのは僕だけでは無かった。隣にいる僕の肩くらいの身長の女子高生らしき人は涙目になっていた。その姿が僕の目に印象強く残った。僕のために言っているんじゃないかとも思えてきた。彼らが言う音楽は僕らにとっての笑いだった。僕は何故かこの世界に無いといわれるオリジナルがかっこいいという概念をずっと持っていた人間なんだと思う。いつも自分たちの実力=自分たちのネタだと思っていた。この固定観念が僕をスランプに突き落としていた犯人だった。今すぐとっ捕まえて罰.を執行したかったが少し思いとどまった。無駄だ、と僕の脳が言っている。僕は人のネタを誰かが見ているステージ上でやることが御法度だとずっと思っていた。けれど今日聞いたバンドやの演奏は真似なんかでは全然なかった。それは僕のイップスを治す処方箋だったかもしれない。そのことを夕に伝え、保険証を持ってきてないと夕に言った。彼は受け流した。僕は何の宗教にも入っていないのに神様とこの無精髭の男にありがとうと言った。

トリのバンドは高校三年生のバンドだった。彼らのバンド名は日本語に直すと非正規労働者だった。人気があるのだろう。女子高校生の黄色い声援とそのバンドの同級生らしい人たちが歓声を上げていた。彼らが歌いだすと会場が揺れた。名前も知らない人たちと肩を寄せ合い、皮膚を重ねた。腕まくりをしている夕の汗ばんだ左手が僕の腕まくりした汗ばむ右手とぶつかる。左隣りの女子になるべく当たらないように尽力したが当たってしまう。ごめんなさいと心の中で何度もつぶやく。彼女は半袖だったので必然的に肌と肌が触れ合った。僕が女性のましてや同年代くらいの女子と触れ合う機会なんて今までの高校生活で神様はくれなかった。僕の目の前にはもう滑稽キノコがいなかったのにも関わらず僕はまたバンドに集中しなかった。でもこれは自分の意志で集中しなかったと言える。僕は左手に全神経を注ぎ集中する。もし僕がこの状況で胸に槍で思い切り刺されたとしても気付かないだろう。それほどまでにこの状況がずっと続いてほしかった。彼女も右手をずっとくっ付けていたので満更でもないんじゃないかという妄想が湧き出てくる。二、三週間この状況が続かないかなと思っていたら急に左手の大福の様なやわらかい感触がなくなった。そこでハッと気づいたがもう二曲も歌い終わっていた。すこしMCの時間があった。墓に時間だった。そう思い僕はまだ微かに氷も解けない余熱程度の感触をずっと噛み締めていた。すると左から声がした。透き通った声だった。

「ごめんなさい、私ずっと右手付けてましたよね。」

僕の方を見ながら言う女子は綺麗な髪を後ろで束ねておりとても清潔感のある可愛らしい人だった。男には苦労しないだろうなと顔の第一印象で思ったが話し方や仕草の第二人称で男の臭い一つしない清純で潔白だなと思った。僕が見すぎた所為か少し何か顔についてますかと言うように首を傾げた。慌てて僕は言う

「ありっ・・全然大丈夫です。此方こそごめんなさい。」

焦りすぎたのか初めにありがとうございますと言う所だった。彼女は新雪の様に白い八重歯を見せ微笑んだ。彼の顔が僕の脳の片隅に思い浮かんだ。僕はそれを見た瞬間妹よりかわいいと素直に思った。それは妹に対する好きと言う感情ではなく、父が母を愛す様に、アダムがイブを愛したかのような感情であった。

中学生の時彼女と呼べる人がいたときが一回だけあった。けれどそんな感情は抱かなかった。仲が良かった女子が付き合ってくれない、と帰り際に言って来た。僕は彼女と一緒の委員会であった為に何かの集まりかなと思い込み、いいよと答えてしまった。すると彼女が一緒に帰ろう言って来て僕は全てを察した。けれど恋にクーリングオフ制度は無い。契約をしてしまって取り消しなんて事をしたら僕はその彼女の友達からありもしないことを言われる等のことを恐れた僕は仕方なく付き合うことにした。けれども彼女は僕と付き合ってから文字通り人が変わった。束縛が酷かった。あれは束縛と言うより呪縛と言った方がいいかもしれない。僕の私生活にも支障が出るレベルであった。後で吹奏楽部で話して分かったが相当な重い子だったらしい。確か何回目かのデートの時、カフェで一回彼女の何かの言動だか行動だか忘れたが、それが僕の堪忍袋の緒を切ってきたことがあった。確か妹のことだった。僕は彼女に対して彼女の琴線に触れ無い様に仏や僕が敬愛するガンジーの如く諭す様に語りかけた。けれどそれは徒爾に終わった。彼女は僕の話の半分以下あたりから徐々に下を向き始め、話の内容がようやく半分に達した時には完全に俯き泣いていた。これはもしかしたらハリウッドからスカウトが来て何年後かにはオスカー像を手に取りマイクと大観衆を前にして泣いているかもしれないと話しながら思った。もし早泣き甲子園的な物があったら一年時からスタメンだろう。ドラフトも一位指名で各球団は取り合うだろう。僕は機械的に話したいことをAIスピーカーの様にベラベラ話していた。もうどうだっていいやと思っていた。最初から僕は彼女と不当な契約を結んでいたのだ。そんな風に思っていると彼女のすすり泣く声が聞こえた。初めて女子を泣かしてしまった。と自分を自嘲した。

問題はそこからだった。すすり泣いていたがどんどん嗚咽の音が大きくなり最終的に哭慟した。僕はカフェでどうしたらいいのか分からずに周りを確認した。でも周りも僕の気まずさを慮ってくれたのか、何も知りませんよ、何も聞いてないし見ても無いですよ。と言った風に最後まで客と店員を演じてくれた。オスカー像は彼女ではなく彼らにあげたい。そして彼女は堰を切ったかのように僕に彼女の持っている全ての語彙という語彙を使い僕に罵詈雑言をシャワーみたく浴びせてきた。すごい水圧だった。僕は地獄に行ったことが無いがあれはまさしく地獄だった。阿鼻地獄だ。彼女は何とかフラペチーノを半分以上残して店を出て行った。星新一のショートショートの様に流れる展開に僕は込み上げてきた笑いを必死に抑えた。後ろの席の大学生らしきカップルの背の高い茶髪の男性が散々だったねと憐憫だった僕を憐れんででくれて僕らの勘定を済ませようとしてくれたが流石にそれでは僕の面目丸つぶれなので何とか説得して彼女の何とかフラペチーノのお代だけ払ってくれた。あの人は今も元気だろうか。せめてお名前だけでも、と僕は人生で初めて言った。向こうもおそらく名乗る名も無い者なので、と人生で初めて言ったであろう。そしてその彼女としばらくして別れた。

僕が今、目の前にしているトリのバンドはラストの曲を歌っていた。観客たちはメトロノームの様に一定のリズムで跳んでいる。僕は夕と女子の二人に挟まれ彼らと同じ様にジャンプしていた。女の子はきつくなったのか跳ぶのをやめてつま先で頑張って彼の演奏を見ようとしていたが身長百八十有るか無いかの僕でギリギリ見える為、どう頑張ったって彼女は見えるはずなかった。

「抱っこしましょうか?」

「おんぶしましょうか?」

「肩車しましょうか?」

「僕が台になりましょうか?」

妄想の中の自分がこれらの言葉をパターン別に彼女に言う。妄想の中の彼女は僕の発した言葉に全てイエスと答える。

なんて童貞臭いことをしているんだとツッコミを入れるが本当にそうなので自分で自分に言った言葉にグーの音も出なくなり悲しくなった。

そして演奏が終わり今日はありがとうございましたとバンドメンバーが言った。初めてのライブハウスに行き、見て聴くライブで僕は様々な収穫があった。大漁だ。

秋の夜長をすり抜けていく冷たい風が僕ら二人を殴る。かいた汗が冷え、体感温度は冬のそれだ。僕はライブハウスを出る前にゲストバンドのヴォーカルの人と写真を撮って貰い、彼女がいるか目で探したがいなくなっていた。そしてライブハウスを後にした僕は夕と最寄駅まで歩いた。電車が来るまで後三十分近くあったのでコンビニで温かいコーヒーとアメリカンドッグ、夕のほうじ茶も買いゆっくりと一歩ずつ噛み締めながら駅まで歩いた。気付けば夕はかけがえのない変えのきかない友達となっていた。友達とは知らないうちに気付いたらなっている。改めて僕は実感した。僕の辞書に追加で書き足しておこうと思う。まだスピーカーの音が耳に張りつき耳鳴りがする。

「耳痛い。」

夕は息を吹き白くなるのを確認しようとしたが息は期待に応えなかったので少し落ち込んでいたのが見て分かった。

「寒いからねー。」

僕も言った後に夕の真似をした。白くならずに透明なまま闇に消えた。

「違うって。耳鳴りがする。久々にあんなでかい音聞いた。」

「俺も。耳鳴り酷い。」

「なんて言うんだっけ。こういう大きい音聴いてなるやつ。音響・・?音響何とかだっけ?」

「音響外傷?」

「そう!それだ!やっぱあれだよね。夕に聞くと痒いとこに手が届くわ」

「俺は孫の手かよ」

「孫の手の擬人化?」

「擬人化したくないものベストテンの中に入るだろうね」

夕が真顔になった。でも何時か僕の席から見た真顔ではなかった。何故なら夕は笑いを噛み殺していたからだ。ほんとにこいつはゲラだなと思う。

「いっ、一位は?い、いっ、一位は何ですか、朝野さん。」

笑い声、百グラム。質問の内容、二グラム。を足した様な話し方であくまでも真顔を貫いた顔を夕は演じていると思っているが、夕が思っているよりも彼の顔には笑みが溢れていた。

「えー。フェ、フェルールです」

そう言った瞬間二人で今のTPOを忘れて腹がよじれるくらいに笑いあった。夕に関しては歩道に四つん這いの様になってアスファルトを叩き、声にもならない笑いをあげている。見られたら変な薬をしている高校生だと思われるが笑いが間欠泉の様に出てくる。

一昨日だったかに夕が僕のボキャブラリーの抜き打ちテストをするとか言って出した問題があった。全部で結構な数だったと思う。

僕は昔からクイズ番組や人が知らなさそうな単語を知るのが好きだった。小学生の時英語のSVの仕組みもAPPIEの綴りも何も分からないのに日本語で「先天性胆道閉鎖症」を意味する「Congenital biliary atresia」を知っていた。小学生二年生の時にかぎかっこの下の呼び方は「こっか」と言うことを本で読み知って、当時のクラスで言ったら信じてもらえず皆から光くんは嘘つき、と言われ、とても落ち込んでその時の担任である山口笑先生の所に泣きに行ったらしい。僕はこのことについて何一つも覚えていない。母親がこの話を誇張しているのかどうかも分からない。

夕に部室の長椅子に座ってくれと言われ僕は座った。そして夕は夕のスマートフォンと星野先生が使っていいと言って持ってきてくれた四年前くらいのモデルのパソコンをなんかのアダプタに繋いだ。僕は機械系にめっぽう弱いのでそれを出されたら終わりだな。と思いつつ夕が準備できるまで小説を読んでいた。主人公の弟が自分の本当の父を殺すシーンだった。大抵こういう大事な時に限ってマーフィーの法則は働く。

 「OKです。いきますよ。朝野さん。ここに問題文や難読漢字、何かを意味する英単語。名前がよく分からない絵など古今東西の問題が出ます。準備はいいですか?」

にやにやしながら夕は言う。僕がネタ作りで死にそうだって言うのに彼は暇をもてあそんでこんなことをしているのがイラついた。どうせだったらぎゃふんと言わせてやる。そう思った。

 「そして分かったら挙手でお願いします。一問の制限時間は十五秒です。問題文は一気に出ます。全部で五十問・・・」

僕は食い気味に言う

「五十問!?」

「はい。ご、五十問です。」

笑いを噛み殺していう。そして続ける。

「光が正解したら一ポイント。間違ったら俺に二ポイント。総合計の多い方が勝ちね。」

こいつはどれだけ俺に勝ちたいんだ。と僕は思うが僕は飄々とする。

「あれっ、いいんすか?チャレンジャー朝野さん?」

また笑みを噛み殺せていない夕が言う。

「ハンデですよ。ハンデ。早く始めて下さい」

そして夕が用意スタートと響く声で言った。

一問目の問題文はこうだった。

「傘を持っていくと雨が降らない。トーストにバターが塗ってある方が落ちる等、このような法則を何という?」

さっき思ったばっかじゃないかとにやける。この程度の問題だったら余裕だ。

「はい。」

右手を上げる。

「どうぞ。」

夕が笑いながら言う。それに気にせず僕は言った。

「マーフィーの法則。後さ、挙手無しにして。」

「正解!いいよ」

この時はまだ夕は小学一年生の様に生き生きと答える。僕は問題文や絵に描いてあるものをほぼ脊髄反射で答える。問題のジャンルはばらばらだった。

僕はフラッシュ暗算のように見たら脳に答えが浮かび上がり口から答えを出した。

「テトラポッド」「正解」

「接吻恐怖症」「正解」

「シュシュ」「正解」

「イーゼル」「正解」

「スピン」「はぁ?正解」

「バイアスロン」「せいかい」

「サントメプリンシペ」「せーかい」

「おいCを通り越しておいDやな」「せかい」

「生フィルム」「正解ィ」

「キュロット」「擬宝珠」「エポーレッ、あっ、日本語か。肩章。」「セパ穴」「ピエ」「えっ・・・と、今のプレミアの一位は、リヴァプールかな。」

「Tomorrow never knows」「TSUNAMI」「松下電器」「ティルデ」

「ワイルドだろ~」「中川家」

正解すら言わなくなった夕はつまらなそうにパソコンと僕を卓球の試合を観戦するかのように首を動かし交互に見てきた。睨んでいる。いい気味だ。

結局僕は、全部答えることが出来た。そして最終問題となった。その問題は消しゴム着き鉛筆の消しゴムと鉛筆部分をつなげている部品は何ですか、と言う問題だった。流石に大人げないかなと思ったが最初に出したルールの方が大人げないなと思い僕は答える。

「フェルーラ?」

夕の肩がぴくっと動く。そして夕が振り向いた瞬間に言った。

「フェルール。五十対零で俺の勝ち。」

その日夕は口を聞いてくれなかった。


そんなやり取りがあってかフェルールと言ったら、夕は壺に入ってしまった。ここまでくれば何をしても笑う。誰が何を言っても笑う。僕がベルギーワッフルと言っても。君が代を歌っても、僕の好きなラップのパンチラインを言っても吹き出しながら笑っていた。夕が落ち着いたところでライブハウスで僕の左隣にいた女子について僕は話した。彼女をどう形容しようか迷ったので本居宣長の手弱女振をそのまま擬人化した大和撫子と言っておいた。すると夕は

「ぎっ、ぎじっっ、擬人化っ」と言ってまた壺に入った。懲りない奴だ。そう思いながら僕もつられて笑う。

「あの子うちのクラスよ。」

少し時間をおいて急に夕が言って来て吃驚した。ケロッとしている。いつ壺から脱出したのだろうか。

「えっ、その大和撫子さん!?」

「うん」

「名前は?」

「えっとね~。なんだっけな。苗字は和田の和に、笠地蔵の笠で和笠で・・下がね。何だっけな。」

和笠、若さ、違う。和笠。何度も繰り返し脳の中で反芻する。古典単語や英単語を覚えるかのように。インプットしたらアウトプットだ。小声で和笠と唱える。

「あっ、そうそう。ななみ。光の元推しメンと漢字一緒。」

夕が元を付けたのはもうその人は何年も前に芸能界を引退したからだ。小学生の時にテレビで見て一目惚れだった。俺この人と結婚する、とか言ってた。

僕は和笠奈々未とまた頭に刷り込む。

和笠奈々未、和笠奈々未、わかさななみ、和笠奈々未、和笠奈々未、、

和笠奈々未、和笠奈々未、わかさななみ、和笠奈々未、和笠奈々未、

あからさまに、頭固い、また空回り、韻を初めて知った単語で踏むのは昔からの癖だ。

「最高やん。奈々未さんとか。」

「えっ、何。好きなの?」

一目ぼれした、と言いたかったが止めとこう。墓場までいじられる。いやこいつのことだから天国だろうが黄泉の国だろうが泉下だろうが極楽浄土だろうが地獄だろうが追ってくる。

「いや、普通に可愛い人だなってさ。」

「うわっ。気色悪っ。童貞感丸出しじゃないですか先輩。」

「誕生日早いのお前の方だろ後輩。そういうお前はどうなんだよ」

「僕は全然興味ないっすね。さーせん。」

同性愛者なのか?と聞こうとしたが止めとく。本当にそうだったときに今の僕じゃ対応しきれない。

「そんな彼女とか必要?」

 夕が闇の静寂を退治した。

「いや必要じゃない」

卓球のラリーの様に言葉を返す。キャッチボール以上のことでも僕は出来るようになった、自分を褒め称える。すると夕が訝しそうに此方を見る。

「さっきの発言は?」

僕は一秒でも早くこの会話を終わらせたかったので終止符を打つためにチキータの様な変化球の言葉を放った。

「妹がいること忘れてた。」

「やべーよ。妹を性的な目で見てるこの人。近親相姦でもするおつもりですか。」

僕は下ネタは言うが同年代の猿程好きではないので軽く受け流した。そして猿と近親相姦を聞き、これほどまでにくだらなくて馬鹿げて卑俗な言葉で連想ゲームが脳内で勝手に行われ、ある話や雑学が芋蔓式に出て来た。そしてそれを夕に話す。

「ボノボって知ってる?」

「知ってるよ。流石に得意分野だもん。ピグミーチンパンジーだろ。でコンゴ共和国の中部に分布しててチンパンジーに比べると体系は細い。」

ドヤ顔を決めていて恥ずかしくないのか、と聞きたくなったがドヤ顔をするには申し分ない発言だった。流石小学校の時にWikipediaで動物のページを丸暗記しただけのことはある。

「ボノボにとってSEXは挨拶だ。家族間でも群れの中でも同性同士でもする。」

夕とこういった話をすることは思春期なので少なくはないがおそらく同年代とは違った側面、価値観、見方で話をする。男子高校生なら普通SEXと言うワードにやたら反応するが僕は僕の隣にいる寒さで身震いする男を信頼して発言した。この話題は今僕が読んでいる小説にも書かれていた。主人公が弟に話しかけるシーンを思い出す。僕は夕が弟だったら妹の友達をがっかりさせずに済んだだろうにと思った。

「知ってるよ。あいつらは人間に似てる。でも平和だ。同族同士で殺しあわない。」

夕に何で動物が好きかをコンビ組み立ての時に聞いたことがあった。僕の友達で動物好きな人たちは大体が「可愛いから」や「癒されるから」などの言葉を言う。しかし彼は違った。さっきとほぼ変わらないトーンでほぼ同じセリフを言った。その彼の言葉を聞いたときに僕はなんて人間臭くて興味深いんだと思った。そしてコンビを組んだのは間違いじゃないと確信した。彼となら不幸せな時でも一緒にいられる。と感じた。

「人間って何なんだろうな。」

僕の言葉は深海の底の様な深い深い闇に吸われた。

「それを知ったら、神様になれるかもね。」

「トイレの?」

毎日続ければいいことが起きる。大事なのは日々の積み重ねなんだと初めて聞いたときに子どもながらに歌に感動して泣きながら思った。

「初めて聞いたとき十分近い歌であんなに早く感じたのはその曲とミスチルのI’ll beだけだよ」

「あれって大文字表記と小文字表記どっちなんだろうな。」

「確かアルバム表記が小文字、シングル表記が大文字。」

その曲を夕と口ずさむ。嗄れた喉で歌うには少々難があった。でも嗄れた声が闇に溶けたとき闇は嫌がるんではないだろうか。街灯の光だけが頼りの道が僕らのこれからにも思えるだとしたらラッキーかもしれない。綺麗な月が僕らを微かながら照らしている。

「誰もお前を照らしてなんかいねーよ」

はっきりと声が聞こえた。夕の方を見るがきょとんとしている。何か言った?と聞く。何も言ってねーよ。その口調が似ていたので訝しむが本当に言っていないらしい。福音にしては乱暴すぎるなと思った。ある刑事ドラマで犯人が特定の人にしか聞こえないようにする特殊な周波数を出して橋から飛び降りさせるというトリックを思い出した。僕は震えたがこんなの「美優」だな。と思い心の中で笑った。彼女は元気にしているだろうか。

 最寄駅までは五分で着くのを僕らは二十分近くかけて歩いた。ここまで伸びたのはフェルールの所為だ。と夕と笑った。最寄駅に着きアメリカンドッグとほうじ茶、コーヒーの空き缶、そして夕が拾った道端に落ちていた清涼飲料水の空ペットボトルをビニール袋から取出しホームのごみ箱に捨てた。律儀にペットボトルのラベルを手際良く剥いだ夕を見て僕はこういう若者がもっと増えれば日本をいや、世界を絶対変えられると確信した。塵も積もれば山となる。頭の中でさっき夕と話した歌が頭に流れる。歌詞が分からなくなったのでハミングで凌ぐ。

 電車が定刻通り到着して僕と夕は乗り込んだ。僕は乗り継ぎがあるので次の駅で夕とお別れだ。つり革を掴み電車に揺られながら僕は右から左に動き、光の線となっている夜の景色を見ていた。変なことを考えていた。目にシャッターが付いていたら僕は何時シャッターを切るだろう。カメラ等も機械の類なので僕は何も分からない。カメラについての抜き打ちテストが何時されてもいい様にカメラについて同じクラスの写真部の笑顔が素敵な女子に聞いてみようと思ったが話したこともないし少し気味悪がられるのでやめようと思った。

 乗り換える駅で僕らは降りた。夕はここから歩いて二、三分すると家に着くと言っていた。行って見たい。僕はそんな気持ちを中学生ぶりに掘り起こした。けれど今はネタ作りに集中したかった。遊びに行けるのは何時になるだろう。僕は乗り換えのために左に行く。夕は改札口がある右に行く。僕はあそこの改札を超えたことが無かった。

「さよならー」と夕は言った。

僕はその言葉に過剰に反応してしまう。心の奥底にある僕の何かが虫のように蠢く。けれど大丈夫だ。俺らは最強のコンビだ。夕がことあるごとに言っていた。その言葉を信じて命を懸けてみる。一縷の様なか細い糸だ。でもこれから紡げばいい。結果も出していない。オリジナルでも何でもない。誰かの真似事だ。けれどいいじゃないか。僕らはやりたい様にやりたいことをする。

「また明日ね。」と言った。

「明日は土曜日だ。休みだ。安息日だ。」

「何時の間にクリスチャンになったんだ。」

「じゃ、また。」

「またね」

彼は改札の向こう側に行った。僕が知らない世界に。

乗り換えて三駅乗って僕の家の最寄駅に着いた。自転車置き場から僕の自転車を探す。確かここに置いたよな。と思った三つ右隣にあった。鍵を差して、乗る。自転車置き場を出ると冷たい風が僕の前髪を踊らせた。不格好なダンスだ。前髪を見る為に目を上にあげた。すると綺麗な月が僕を照らしている。兎は今日も餅をついている。月兎と小さいころから呼んでいた。

「誰もお前を照らしてなんかいねーよ」

その言葉が空耳で聞こえる。自転車を漕ぐと夜風は僕の顔を叩いた。

お前。その言葉が引っ掛かった。良かった。照らされるなんて僕には荷が重い。夕を照らして下さい。そう僕は月兎に向かって発した。その言葉が月に向かって行くように白い息が闇に浮かびシャボン玉の様に消えた。

  



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