第87話:カインさん、今際の際に立ちます。
「皆、無事か!?」
地べたにうつぶせに倒れていたヴィットリオは立ち上がり、声をあげる。
「ああ……なんとか……」
「こちらも」
その声に応じてデルグレッソ、シンゲンも同じように立ち上がる。状況を把握しようと三人は周りを見渡そうとする。
その時、三人は自分の体に痛みが走っていることに気がつく。
「な、なんだこれは……?」
デルグレッソはあまりの痛みに思わず地べたに足をつける。
「あのエンシェントドラゴンの攻撃と考えるのが自然だろう」
ヴィットリオは肩を抑えながらエンシェントドラゴンを見る。
空を浮遊するエンシェントドラゴンは先ほどまでと違う点があった。ビビのスキルによって体に剣が刺さっていたはずだが、それらが完全に無くなっている。当然魔法陣もだ。そして体の傷も完全に癒えている。
「ビビ殿が気を失ったことでスキルが途絶えたというわけですかな?」
ビビも地べたに倒れており、完全に気を失っている。しばらく目覚めそうにない。
「いいや、ビビのスキルは文字通り『牢』だ。発動したら本人が解除するまでスキルが切れることはない」
「となると……あやつの力でしょうな」
シンゲンはそう言って後ろを振り向く。そして絶句した。自分たちが乗っている騎空艦以外はほとんど地面に近づいているか、完全に墜落してしまっている。
討伐に駆り出された兵士たちは何人か起きており、既に戦意を喪失したもの、倒れている周りの仲間を起こそうとしているもの、傷を治そうとしているもの、パニックになるものなど多種多様だ。連携が組めているとはお世辞にも癒えない。
「……どうする。ヴィットリオよ」
「ああ。なんとなく何が起きているのかは憶測できている。あれは奴の『咆哮』だ」
ヴィットリオは伝承で読んだ情報を語る。言わば、ドラゴンの口から出る魔力を多く含んだ息や炎というようなもので、恐らくそれによってこんな衝撃を受けたのだろう。
「あんなのをもう一度やられたら今度こそ終わりだぞ……」
「伝承では、一度発動するとしばらくブランクが必要なはずだ。……と言っても、十分程度でひあるが」
つまり、十分後にはまた『咆哮』が発動するというわけである。
三人は沈黙した。あまりの現実に何も言うことができなくなった。
「カインは……カインはどこだ?」
「そうだ。奴の姿が見えないぞ!」
三人は辺りを見渡すが、その姿はどこにもなかった。
「となると下に……」
最前線に立ってスキルを発動していた彼は一番もろにダメージを受けているはずだ。カインの攻撃により咆哮の威力を緩和しているため三人の足場は他の場所と比べて抉られていない。
だからこそダメージも軽減されているはずだ。だというのに三人の体にはそれでもかなりの痛みが走る。況や、カインのダメージは相当なものだろう。
ましてやここは上空二千メートルには到達している。落下の衝撃は想像に容易い。
十分後に来る『咆哮』、行方をくらましたカイン。三人はあまりの絶望的な状況にただ、沈黙することしかできなかった。
*
一方、カインはひとり、地面に倒れていた。
「ここは……」
気を取り戻し、起き上がろうとして全身に激しい痛みが走る。
「痛っ……」
間違いなく体の骨は何本か折れている。体を起こすのも容易ではない。
どうすることもできず倒れたまま横目を使って辺りを見渡す。倒れた状態で上を見ると、一番最初に目に入ったのは木だ。恐らくここは森で、あの木に衝撃を殺されて落下による即死を免れたのだろう。
動かない体で別の方向を見てみる。そこでカインは自分の目を疑った。
そこはまるで地獄絵図である。百は浮いていた騎空艦の半分以上が墜落し、力なく地面で炎を上げている。残った少しも、高度が先ほどまでと比べてはるかに低くなっている。
「さっきの一撃であんな被害が……」
翼を失った人々は慌てふためき、地べたに足をつき逃げ惑う。数分前までの仲間を置いて我先にと亡者のように走る。
「俺が……なんとかできたなら」
間違いなく奴の攻撃には全力をぶつけた。しかし相殺できるどころか人々はこれだけの被害を受け、カインはというと情けなく倒れているだけだ。
「……ハハ。何の意味もなかったってわけか……」
カインは自分が自分で恥ずかしくなった。もう自分の命が長くないことは理解していた。少しずつ小さくなっていくロウソクの炎と、薄れていく自分の意識を感じていた。
俺は、強い気でいたんだ。周りの人から尊敬され、慕われ、強いと言われて。調子に乗っていた。それでこんなじゃザマねえよな。カインはそう思いひとつ、ため息をついた。
俺がもっと強かったなら。こんなことにはならなかった。俺が本当の意味で強くなれたなら。
セーナが死ぬことはなかった。
カインは死を間近にして不思議と自分のことよりも幼少の頃に死んだセーナのことを思い出していた。
あいつは今頃俺をあの世で恨んでるんだろうな。強い奴ぶって結局非力で何も助けられなかった俺を。
向こうに行ったらなんて言われるだろうな。きっと今までの恨みを言われることだろう。
「喉渇いたら水筒の水飲みなさいよ?」
セーナと最後に別れた時の彼女の声が脳内で木霊する。
俺の心はあの日から渇ききってしまった。あの夏の日に俺は未だに取り残されて、日差しに照らされてるままなのかもな。
そう思いカインは首から上だけ横を向いた。するとその先にはかつてセーナから貰ったネックレスが落ちていた。
「それは魔道具でね、それを握ってキーワードを言うと私からのメッセージが出現するのよ!」
セーナの声を思い出す。結局キーワードはなんなのかわからないままだった。
カインは痛む体に鞭を打って芋虫のように動き、泥だらけになって進む。
少しずつ近づき、震える手を伸ばしてやっとのことで、届く。
地面に打ち付けた衝撃でやったのか、血だらけになった両手でネックレスを包んだ。
キーワードって、なんだ? 「ハッピーバースデー」とかか?
あれこそ考えて、カインはそれを辞めた。無意味で、空虚だ。セーナは死んだんだ。この世界から。
俺はいつまでたってもひとりだ。この世界で孤独な存在なんだ。
「なあ……」
「なあ……セーナ」
「疲れた」
「俺すげぇ疲れたよ。苦しい。きつい。しんどい」
「今までだってそうだ。俺は強くもなんともなかったんだ」
「でも皆の期待を背負って、強くいなければいけないと思ったんだよ」
「無理して笑うようにしてたけど、それも嫌だった。俺だって泣きたかったし弱音も言いたかったよ」
「お前が死んでから、次は大事な人を守れるようにって思ってたんだ」
「でも……できなかった」
「最後の最後まで俺は……弱いまんまだったよ」
カインはそこまで言って、自分が泣いていることに気がついた。村が襲撃された夜以来の涙だった。止めようとしたがそれは意思に反してボロボロと溢れ、頬を伝う。
「セーナ……辛いよ……」
呟いた瞬間、手のひらが熱くなる感覚を覚える。
慌てて何が起きたか確認すると、ネックレスが白い光を放っていた。
その光景にカインは思わず目を疑う。すると、その光の中から手のひらに小さくなったセーナがホログラムで現れた。
「セーナ、どうして……?」
手のひらサイズになったセーナはカインの手のひらに座り、ニッコリと笑った。実体がないため質量はなく、感触はないが、カインにとってそんなことはどうでもよかった。
「キーワードを正解したってことは、カインが弱音を吐いたってことだよね! ひどい顔じゃない!」
目の前のセーナに自我はない。そのためこれは予め録画されていたものだ。セーナは少女の姿であるし、服装もかつてのものだ。
「そうか……キーワードは『辛い』だったのか……」
今まで何度もキーワードを当てようとしてみた。しかし、この言葉はあの日以来……いや、それ以前も人前では使ったことがなかった。
「カインは強いけど本当はすごく弱いの、知ってるよ。いつも私たちの前では強がって、お兄ちゃんぶってるんだろうけど。私にはわかるよ」
セーナは気づいていたのか……誰にも悟られるまいとしていた強がりも少女である彼女に見透かされていたのだ。
「カインがこのネックレスのキーワードを当てるのはいつか、私にはわからない。誕生日の次の日か、一年後か、はたまた十年後か……」
「でも、あなたの辛いって気持ちは誰かに言ってもいいんだよ。大変なことは半分こした方がいいでしょ?」
「カインの半分こする相手が誰だかはわからないけど……それがいつまでも私だったら嬉しいな」
セーナの言葉にカインはハッとする。
「カイン。大好きよ。ずっと」
その言葉を最後に、ホログラムは消え、ネックレスは光を失った。
「セーナ……」
先ほどまでは恨んでいるのではないかと思った相手、セーナだが。不思議と今、カインの心にそんなものは存在しなかった。
あの夏の日に取り残されたカインに、一陣の風が吹いた。
「ありがとう……」
カインはあの日のモンスターを狩りにきた草むらに立っていた。足元には背の高い草原が風に揺られている。目まぐるしいほどの暑さを放っ太陽の光に照らされて、目の前には、色褪せないセーナが青空の下にいた。
ふたりは互いにニッコリと笑う。カインがセーナに近づこうとすると、セーナは振り返って歩いて行ってしまう。
「セーナ!」
声を上げるが、セーナの歩調は早まっていく。距離はどんどん離れる。最後に彼女はカインの方を振り返って、ニッコリと笑って言った。
「まだこっちに来ちゃダメだよ」
カインは夏の風に吹き飛ばされた。
*
「ニーナ、状況はどうだ?」
「はい、危ないところでしたがすぐに治りますよ!」
倒れたカインの治療を行うニーナ。その様子をリリー、アラン、セシアが見ていた。




