第48話:リリーさん、決別します。
私がエールの城に戻ってから一週間が経とうとしていた。
あれから毎日のように私は味のない、砂のような食事をとり、ただベッドの上で怠惰に、何をすることもなく過ごしていた。
こんな人生に何の意味がある?
この問いはひどく無意味だ。人間は生まれて、最後には必ず死ぬ。誰だって。どんな英雄や知識人だって最後は命のろうそくの火が消える。
だったら、どう生きても最後は皆平等ではないだろうか?
私のように毎日味のしないパンをかじり生きた人間も、何か成果を残して死んでいった人間も、どのみち最後は惨めに死ぬのだ。
『後世に残る』? そんなことはどうだっていい。
私の中で、私が死ぬ。それだけが事実じゃないか。私以外の誰かがどうとか、そんなことはどうだっていい。
……私はここに来てから時々思う。あの夢の中の、シンシアがいた、あの瓦礫だらけの箱の世界。あっちが本物なんじゃないか? と。
誰もそれを証明できる人間などいない。事実、私は寝ている間は必ずあの世界にいるのだ。シンシアに何度も腹部を刺され、快楽にも似た痛みと、モザイクに飲み込まれる感覚で目が醒める。
あの美しい世界が本物なんじゃないだろうか?
この城に来てから一日の、夢の中の世界にいる割合は徐々に増えていった。あの世界では痛みだって感じる。この世界とすり替わったとしても何ら不思議ではない。
こんな話を誰かが聞けば、厭世的だとかペシミストだとか、私のことを呼ぶだろう。
きっと皆気づいていないのだ。こんなに美しい世界があることを。
……ここまで考えていると、私の部屋がノックされる音を聞いた。
使用人だ。寝たふりをしよう。
「リリアーヌお嬢様。眠ってらっしゃるのですか?」
ドアを開けてメイドが話しかけてくる。いつもならすぐ帰るのだが。
「ご報告です。王都ラクシュがゴーレムたちの侵攻を受けています」
……ゴーレムたちの侵攻?
その時、シンシアの顔がチラついた。
ゴーレムたちがまたラクシュに攻めてきている? 何故?
「30メートルほどのゴーレムによってラクシュはほぼ壊滅状態です。エールに侵攻してくる可能性もあるので、厳戒態勢で守りを固めています。リリアーヌ様はこちらで待機していてください」
メイドはそれだけ言うと廊下に出て、ドアを閉めた。
ゴーレム達によってラクシュが壊滅状態?
皆はどうしているだろう?
アランは? セシアは? ニーナは? ポーラは? アリシアは?
今まで出会ってきた人たちの顔が浮かんだ。
……やめろ!
ラクシュを抜け出す前に、ホールで聞いた自分の声が頭の中で響く。痛い。思わず私は頭を抱えた。
ラクシュが壊滅して、人が全滅したら、もう皆に会うことは出来ない。
……やめろ!
あの楽しい日々を。分かち合った困難を。目のレンズで切り取って、脳に焼きついた皆の笑顔を。思い出を。全部を。
……やめろ!
……私はそれを抱えて生きることはできるだろうか?
私は気を失った。
気がつくと、私はあの空間に立っていた。簡素な箱の中のような空間。一面に靄がかかっていて、辺りを見渡すことができない。
目の前には、私が立っていた。
「あなたは無力よ」
目の前のもうひとりの私はそう言った。思わずハッとする。
「あなたは誰も守れないし、足手まといになるだけ」
「このまま生きていったほうが圧倒的に楽」
「そうやって生きてきたのよあなたは」
口々にもうひとりの私は言う。……どれも否定できない。事実なんだから。私は拳を握りしめた。
「でもそれでいいの。あなたは逃げ続けるのよ」
「逃げて逃げて逃げて、自分を守ってもいいのよ。あなたを否定できる人間なんて誰もいないんだから」
もうひとりの私はそう言うと私の手を握手するように取った。両手で強く握り締める。
「……私は弱い」
気がつくと言葉が出ていた。
「そう。あなたは弱いのよ」
「……私は今まで逃げてきた」
「そうよ。でもそれでいいの」
「……私は、私のままでいい」
「そう。あなたのままでいなさい」
したり顔によく似た、笑顔でもうひとりの私は私の手を握り続ける。
それを私は力強く払った。
「……どうして」
もうひとりの私は驚いた顔で言う。
「私は弱くて、使えなくて、努力もしないで自堕落に生きてきた。罪だってたくさん犯したし迷惑だってかけた」
「でも、向き合っていかないといけないの!」
私は心の中の思いを叫び声に出した。
「誰にも必要とされていないかもしれないし、受け入れられないかもしれない。でも自分のしてきたことは自分で終わらせなければいけないの!」
「誰かのためじゃなくて、私のために!」
私がそう言うと、もうひとりの私はモザイクがかりはじめてきた。
私はすかさず腰にあった剣を引き抜き、斬る。
血は吹き出ず、真っ二つになって私が倒れ始める。
「……あなたは必ずまたここに帰ってくる」
重力で倒れながらもうひとりの私は口を開いてそう言った。
「かもしれないわね」
「あなたは必ずまた私を必要とする」
「でしょうね。今の私がいるのはあなたのおかげよ」
私がそう言うともうひとりの私は完全に地面に倒れた。
「……でもね。私は前に進まなきゃいけないの」
そこまで言うと、私は自分の部屋にいた。
急いで支度を済ませ、部屋から出る。
今から私が行ったところで足手まといかもしれない。間に合わないかもしれない。
でも、行かなくちゃ。
ラクシュには、シンシアがいる。そう直感した。
「スキル習得!『風刃』!」
スキルポイントを使い、スキルを習得した。これを選んだ理由も直感に近かった。
今は考えている時間はない。走って城下町へと向かった。




