第39話:アリシアさん、狙われます。
その夜は、なかなか寝付けなかった。
リリアーヌ・オーリエン。エールの勇者。あの時は口が悪くなってしまったが、思ったことに嘘はなかった。
彼女の目を見た時、迷いを感じた。足元を何かに掬われている。それも、足を何かに引っ張られているようだった。
しかし、同時にそれは瑣末なことであると感じた。
私は今までに大きく悩みを持ったことはない。生まれ持っての自分の役割を知っているからだ。それは『英雄の剣』にできる限りのスキルポイントを継ぎ込み、次世代に継承し、魔王を討伐することだ。
それを全てこなし、死ぬ。それだけなのだからその他のことなど一切どうでもよかった。戦うのも全てが自分のためだ。
それだけの人生だが、悔いたことは一度も無い。
だからこそ、彼女を見て心底苛立った。どうしてそんなにも愚かなのだろうと思い、口に出した。魔王と戦う人間が自分に勝てないなんておかしな話だ。
「気に食わんな」
ベッドの中で、自然と声が出た。彼女のことについて自分がそこまで関心を持っていたことに対して私は客観的に驚いた。
ダメだ。どうしても寝付けない。こういう時は窓の外の星を眺めるに限る。明日も鍛錬があるのだから心を落ち着かせて、体をしっかりと休ませなくては。
その時、体をベッドから起こそうと思った時、あることに気がついた。
体が動かない。
「な、何故だ……」
声も先程とは違い、出づらくなっている。掠れるような小さな声で、今にも消えそうになっている。
体は動かず、目眩がする。声も出ない。これはかなりまずい。
「普段は元気なお嬢様も毒を浴びればあっけないものね」
「な、にも、のだ……」
ピントが合わず、ぼやけている視界で声を振り絞る。目の前には水色の髪、黄色い目のメイド服の少女が立っていた。
「はじめましてお嬢様。と言ってももうお別れなんだけどね」
少女は笑顔で話し始める。メイド服を着ているということは、メイドに紛れて城に潜伏していたというわけか。確かに今日は客人が多いため、メイドやシェフを増員していた。
しかし城の警備は完璧。紛れこめるはずがない。
「なんで城に入れたのか、って顔してるわね。教えてあげるわ」
メイド服の彼女は得意そうな表情で続けた。
「職業暗殺者のスキル、『アンノウン』を使ったのよ」
『アンノウン』。聞いたことがある。自分自身を「そこにいるのは分かるが、誰なのかわからない」人間にすることができるスキルだ。
存在を知ってはいたが、国の要人たちが集まる日に仕掛けて成功させるというのは、かなりの手練れであることは確かだ。
「気づいてないみたいだから言うけど。私は城の前であなたに話しかけたのよ。時間だってね」
「アリシア様、そろそろお時間です」
その言葉が脳裏によぎった。確かにアランやレイウスと城の前で別れた時に言われた。が、言った本人の顔が思い出せない。名前さえも。それが彼女だったということか。
「さてと。長話はこの辺にしましょう。楽しかったわ」
不敵な笑みを浮かべながら彼女はスカートの中から短刀を取り出した。もう殺そうというわけか。
体をなんとか動かそうとするが、もはや指先しか動かない。
「無駄よ。でも、この魔力と結合する毒がそんなに効くとはね。かなりの魔力量。誇ってもいいと思うわよ」
彼女は、その幼い少女らしい体とは似つかわしくない、妖艶な、恍惚とした表情を浮かべナイフを手の上で遊ばせている。
「さてと。最期に名前を言うのがお決まりなの。冥土の土産にしてちょうだい」
彼女は興奮からか大きく息を吸った。
「私は毒蛾のメイジー。さよなら」
彼女は最期に名前を名乗って大きく短刀を振り上げる。
「『エクスチェンジ』!!」
その瞬間、私の目の前に振り下ろされたナイフは少女の姿をした人形に変わる。突然のことに何が起こっているのかわからない。
「あぶねー。まじあぶねーわ」
ドアの方から聞き覚えのある少年の声がする。
ぜえぜえと息を切らしているような音が聞こえる。視界はボヤけているので顔まではよくわからない。
「あら? なんなのあなたは。ノックもなしにレディーの部屋に」
メイジーは振り返り、会話を始める。いけない。時間を稼いで毒魔法にかけるつもりだ。
「それは失敬。うちのパーティにはノックして入っても着替え中のレディーがいるもんでね」
「フフッ、何よそれ。言い訳になってないじゃない。この罪は重いわよ?」
メイジーはそう言うと声のトーンを落として続けた。
「この罪だと地獄行きね」
一瞬、彼女の目が光った気がした。しまった! 毒の時間を稼がれてしまった。助けに来てくれた少年もあの蛾の鱗粉に毒されてしまう。
「うちは土着の神を信仰してるから地獄とかないの。皆なんだかんだあって自然に還るんだよ」
「……あなた何者? そろそろ倒れてもいいころだと思うんだけど」
メイジーは焦ったような声になる。毒が少年には聞いていないということか。
「うーん、嫌だけど名乗るか」
「元村人Aの手品師。アラン・アルベルトだ」