第2話:元村人A、女勇者と打ち解けます。
どれくらい時が経っただろうか。ここはどこだろう。俺はどうやら布団の中にいるようだ。
「可愛い〜♡」
何やら周りで高い声が聞こえる。俺は体を起こした。
眼前には、リリーがこれでもかと言うほどのニヤケ顔でメアリを抱きしめ、頭を撫で撫でしているというなんとも恐ろしい世界が広がっていた。
目のやり場に困り、自分がどこにいるか確認すると、木彫りのマーダーベアと目が合う。そこから察するに、ここはリリーの部屋で、俺はあの後ここで寝かされていたらしい。
「……起きたみたいね」
ニコニコとメアリを撫でていたリリーは俺が起きていることに気づき、表情を一変し強ばらせ、コホン、と咳をした。
「……あのー、大変申し訳ございませんでした」
俺は誠心誠意で土下座をした。多分生涯で一番綺麗な土下座だったであろう。不可抗力とは言え、今回は俺が完全に悪い。
「……私こそ悪かったわよ。まさか鳥モンスターがいたなんて」
「え? なんでそれを?」
ふたりから話を聞くに、どうやらメアリはついでで野菜も頼もうと俺を追いかけて来たらしい。廊下から俺を呼ぼうとしたら、トンビに攫われて空中にいるのを目撃していたらしい。
「メアリ〜! 本当にありがとう〜、俺は、俺は〜!」
涙ながらに妹に感謝を述べる兄。情けないような気もするが、本当に危うく犯罪者だったのだ。
「トンビに油揚げじゃなくて兄を攫われるなんてね……」
メアリはハアとため息を付いた。
「ちょっと! メアリちゃんに近づかないでくれる!」
リリーは完全にメアリが気に入ってしまったようで、俺がメアリに近づこうとするととおせんぼし、またさっきと同じくぬいぐるみのようにメアリを抱きしめ、ほっぺをすりすりとしている。
「もう〜」
メアリは困った顔をして返事をしているが、本当は満更でもなさそうだ。
「お風呂に入ってたらアランが飛んできたからてっきり棒高跳びで覗きに入ってきたのかと思ったら……」
「俺にどんな可能性を見てたの?」
村人Aにそんなアスリートみたいな力があるわけないだろ。と言おうと思ったが、またややこしくなりそうなので、リリーなりに焦ってたってことで結論づけてしまおう。
「そうだ、ふたりとも夕食取っちゃってください。ちょうど出来たところですから」
メアリは撫でられていて夢うつつな表情をしていたが、ハッと我に帰りいつもの調子を取り戻した。そそくさと部屋を出るとしばらくして食事を運んできた。
「あら! おいしそうじゃない!? メアリちゃんが作ったの!?」
「はい、まだまだ下手ですけど」
口ではそう言っているがメアリはドヤ顔で右の腕を曲げて、ない筋肉を強調するポーズをする。
「えー! すごーい! 初めて見た!」
「お前、こういうの実家で食べたことないのか?」
「ないない。うちはシェフが作ってるから」
高級料理に慣れているリリーにとっては旅館の庶民的な料理は珍しいのだろう。まあ喜んでくれたならよかった。
「あと、こちらがお釣りになります」
メアリは大量の貨幣をポケットから出した。
「うわ!? どうしたんだそれ!?」
あまりの金額に俺は大声をあげてしまった。金貨が九枚、銀貨が五枚。つまり九万五千ギルである。
「私が宿泊費を払ったお釣りなんだけど……。意外と多いのね」
「お前白金貨で支払ったのか?」
白金貨は十万ギルに値する貨幣だ。
「手持ちがそれ一枚しかなかったのよ。重くなりそうだからお釣りは要らないわ」
「そしたらお前スッカラカンになるやんけ」
冷静に考えて……というか普通に考えてそうなるのは当たり前だ。
「あ、確かに。……宿泊費は誤差ということにはならないかしら?」
「お前その誤差で生活してる奴の気持ち考えたことある?」
リリーが一瞬しまった、という顔をするが誤魔化すためにアハハと笑い始めた。
結果的にリリーはお釣りを受け取り、その後配膳が済まされ、俺とリリーは食事を始めた。
*
「なあ、気になってたんだけどさ」
「なによ? 今いいところなのに」
リリーは和ノ国渡来の箸を初めてながら上手に使い、文字通り着々と箸を進めていた。
「お前が勇者っていうのは何なんだ?」
リリーと村で出会ってから、ずっと気になっていたことだ。
「何なんだって……。そのままの意味よ。私は勇者として選ばれたの」
「選ばれた?」
「私の背中には子供の頃から小さなドラゴンの爪の痕に似た痣があるの。私の一族の『勇者』としての使命を持つ者は同じ痣を持っていたそうなの」
リリーは人差し指と親指で五センチくらいの幅を作る。痣のサイズがそれくらいということだろう。
「子供の頃って……今も充分ガキだろ」
「うるさいっ!」
どうやら子供扱いされるのが嫌らしい。かなり怒りっぽい性格のようだが、いい反応をしてくれるから、からかわずにはいられない。
「……勇者っていうのは特別な力を持ってたりするのか?」
「今はまだ何も。先代の勇者達の記録も何だか曖昧で具体的にどういう力があるかわからないのよ。そもそもそんなものあるかどうかさえもね」
「そうか……」
「何なの? 浮かない顔をして。やけに私の力について詳しく聞いてくるけど」
「……いや、なんでもない」
「何でもないように見えない。早く言わないとメアリちゃんに聞いちゃうわよ」
リリーは立ち上がっておもむろに部屋を出ようとする。
「わかった! わかったから!」
俺は全力で食い止めた。
「簡潔に述べなさいよ」
「……それを説明するにはこの村の風習について話さないといけない」
ユミル村。基本的に平和で、大きな事件も起こらない至って普通の小さな村だが、ひとつだけ奇妙な風習がある。
それは年に一度、村の娘ひとりをモンスターに生贄として捧げることであった。
去年は今のメアリと同じ年である13歳の少女が樽に入れられ、生贄として連れていかれているのを見た。
その子の両親は慟哭し、子供の方も泣きながら親と別れる。その痛々しい現場を目の当たりにした。
いつごろそれが始まったのかはわからない。ただ、ユミル村は何年も、もしかしたら何十年間かもしれない。少女という小さな犠牲の上に村人達の平穏を成り立たせていたのだ。
「なるほどねぇ……。それで私にそのモンスター退治を頼もうとしてたってわけね」
リリーは腕組みをして、真剣な眼差しで俺の話を聞いていた。皿の上の魚は綺麗に骨だけ残してすっかり食べられていた。
「でも、それは毎年起きていたんでしょ? どうしてあなたは今年だけそんなに慌てているの?」
「……どうやら全部お見通しのようだな」
「だっておかしいもの」
「例年通りいけば、今年生贄に選ばれるのはメアリなんだ」
「なるほどね」
リリーは全て納得したように腕組みしたままうんうんと頷き、それから少し何かを考え始めた。
「……残念だけど。私は旅に出たばかりで力はあなたより少し強いくらいだと思う。もちろんそれくらいじゃそのモンスターには到底敵わないと思う」
「……そうか」
俺は静かに落胆した。いや、傲慢にも一縷の希望をリリーに託した身勝手な自分に失望したのかもしれない。
いくら勇者のリリーだと言ってもモンスターを倒せるという訳では無い。初対面の彼女に勝手に期待して、勝手に失望する自分自身のエゴに嫌気がさしたのだ。
「いや、悪い。気にする事はないんだ」
俺はなんとか笑って返事をしようとした。しかし顔は彼女から俯き、明らかに食事をする手は止まっていただろう。
「何言ってるのよ。誰も諦めるなんて言ってないじゃない」
「え?」
一瞬、耳を疑った。
「なによそのアホ面。私たちでモンスターに勝たなくてどうするのよ?」
「俺たちで……?」
無理だ。俺では明らかに戦力にならない。
「そうよ。だって私たちが戦わなかったらメアリちゃんが死んじゃうじゃない」
その言葉に俺はハッとした。そうだ。今俺は戦わないことに言い訳をしようとしていた。自分の力が弱いとか、村の風習だからとか、リリーでも倒せないかだとか。
そうやって理屈を付けて逃げ道をつくることは、この世で最も簡単で、卑怯な行為だ。
その行為を、しかも自分の妹の生死に関わっている場面でしてしまったことを俺は素直に恥じた。
そして、彼女の一言で目が覚めた。「出来ないかもしれない」ではなく、「やらなければいけない」のだ。大事な妹のために。
『今』戦うことに『今まで』どうして来たかなんて関係あるか?
「…ああ。目が覚めたよ」
「そ。生贄を選ぶのはいつ?」
「……今晩だ。明後日の夜にモンスターに生贄が捧げられる」
「なんだ。まだ二日も時間があるじゃない。それじゃあ明日の朝から、修行するわよ!」
もう二日しかないと思うか、まだ二日もあると思うか。リリーは後者のタイプらしい。
「ああ! よろしく頼む! リリー……。いや、勇者リリー」
「こちらこそ。アラン。よろしくね」
俺達は握手を交わし、モンスター討伐を志した。
「……あなたは今日から私の部下アランね」
「なんで身分差があるんだよ!」
*
その晩、村の会合では生贄について話されていた。
真っ暗な部屋の中、部屋の中心に灯された炎を囲うように村の偉い人間が座る。
重苦しい空気の中、村長が口を開く。
「可哀想じゃが……今年の生贄は……予定通りメアリになるが異論はあるか」
他の人間は固まったかのように押し黙っていた。無言がこの空間を支配していた。
「……」
「……じゃあ決まりじゃな」