第1話:元村人A、繰り返しの日々から抜け出します。
・話の本筋ではないので、本作では中世ヨーロッパに忠実に即した世界観はございません。
・メートルなどの単位は日本のものを使用し、言語は日本語で統一します。お金の単位のみ、1ギル=1円を採用します。
俺はアラン・アルベルト。満16歳。
身長は百七十五センチ。この村の男子の平均身長くらいで特に目立つことはなかった。
父親譲りの黒い髪を持って牧歌的なユミル村のごくごく普通の旅館の長男として生まれ、特に神から世界を救うように言われたりすることも無く、三才下の妹と共に平和に生活している。
そんなこの上なく普通である俺の本業はこの世界に蔓延るモンスターを退治し、魔王討伐を目標にする冒険者……なんて危険なことではなかった。……と。
「やあ少年、ここはなんという村だね?」
大きな剣を持った身長二メートルはある30代くらいの冒険者のおじさんにいつものように俺は笑って答える。
「ようこそ、ここはユミル村です」
「道具を揃えたいのだが、道具屋はどこにあるかね?」
「わかりました、ご案内しましょう」
そう、俺の本業は村の入口に立って案内をするいわゆる「村人A」であった。
「こちらが道具屋です」
「おお、助かった」
村の中へと歩いて数分、道具屋にたどり着いた俺は冒険者と別れ、所定の位置に戻る。このような生活を繰り返している。何故こんなことをするのかと言われれば俺自身もわからない。誰かの役に立ちたいのかもしれない。
この仕事は先代から受け継いだものだ。先代は老爺で、一年ほど前に他界したが、結局最期まで俺に名前を明かすことはなかった。
出会いは、確かこんな感じであった気がする。
「おじいさん、いつもそこで何をしてるんだ?」
「ああ、アラン君か。『村人A』じゃよ」
「なんだそれ」
村の看板前に立って、村を訪れた冒険者に村の名前を教えるんじゃよ」
「なんでそんなことしてるんだよ」
「わしも分からんが、気づいたらここに立つようになってたんじゃ」
「いや、意味わからないだろ。なんで自分のやってることがわからないんだよ」
「お前やたら追及が厳しいな……。天命なのかもしれんのう」
その時は老人が言っている言葉の意味はわからなかった。が、現に俺は何故自分がこんな訳の分からないことをやっているのかわからない。
先代は看板の前に立っていると腹も減らないし眠くもならないと言っていた。事実、彼は24時間不眠不休で立ちっぱなしだったのに全く目立っていなかった。
理由は彼が「村人A」でありいわゆるこの世界の「モブキャラ」だからだろう。幸いなことに俺はまだその境地には至っていない。
さて、回想は終わりだ。冒険者を道具屋に送り出したので、村の看板の所に歩いて戻ると、何やらひとりの少女が立っていた。案内をしなければ。
「ようこそ、ここはユミル村です」
俺はいつものようにその少女に村の名前を伝えた。
その時だった、俺は前方から吹き飛ばされるような一陣の風を感じた。本当は風なんか全く吹いていなかったと思う。ただ自分の中で何かが目覚めるような強い衝撃をその瞬間に感じたのだ。
「私は勇者のリリアーヌ・オーリエン。疲れたから泊まっていきたいのだけれど。この村に宿屋はあるの?」
リリアーヌと名乗る少女は俺と同い年くらいに見えた。
身長は俺より少し小さい百六十センチくらい。長くてサラサラとした金髪は春風に乗せられてふわっと浮かんだ。
目の色は透き通るような水色、メイド服を基調とした鉄で出来た鎧を着ていて、頭にはカチューシャ。剣を腰に携えていることから冒険者であることは間違いないと思われる。
「あなた聞いてるの?」
どうやら先ほどの風に衝撃を受けたからか自分自身でもその少女に見入ってぼうっとしていたことに気づかなかった。少女は訝しげな表情でこちらを見ている。
「あぁ旅館なら……って、オーリエンってあの王族の!?」
「そうよ。当たり前じゃない」
俺は全てを合点した。この少女は俺が住んでいるこの国、クレイア王国の王朝、オーリエン朝の現在の国王の孫娘のリリアーヌ・オーリエンである。要するに国王の孫娘であった。
「なんだってそんなやんごとなき身分の人間がこんな辺鄙な土地に!?」
「フフフ、私はね、勇者として魔王を討伐する旅に向かっているのよ」
「嘘つくなよ」
「なんでよ!」
あまりの突飛な話に俺は彼女が冗談を言っているのだと思いスルーしたが、このツッコミ方からしてどうやら本当の事のようだ。
「…とにかく疲れたから案内して頂戴。綺麗な所がいいわ」
「ああ。旅館は俺の実家だからそこは保証する」
「何? あなたの家が旅館なの?」
「そういうことだ。飯も村では評判良いから、安心してくれ。リリアーヌ」
「リリーでいいわよ」
「じゃあ、リリー」
実家の旅館に人を案内することはよくあったので、一時は取り乱してしまったがその後は何の問題もなく旅館に連れていくことができた。
一体あの感覚は何だったのだろうか。未だに強い風の感覚がある。俺はリリーを後ろに連れて考えながら歩いた。
*
「へえ……ここが部屋ね。なかなかいいじゃない」
部屋に入るなり、リリーはキョロキョロと物珍しそうに内装を見ていた。
「うちの旅館はクレイア国には珍しい、和ノ国の和風スタイルを採用してるからな」
「へー。どうりで見たことがないわけね」
「この床が畳、布団をしまう所が押入れ、これが掛け軸」
「聞いたことが無いものばかりね」
「そしてこれが木彫りのマーダーベア」
「なんでそんな禍々しいものが置いてあるのよ」
確かにモンスターであるマーダーベアの形をしたそれは置物にするには少し恐ろしく、子供の頃は畏怖の対象であったのを思い出した。
「ねえ、この旅館にはお風呂はあるの? 汗を流したいのだけれど」
「あるぞ。部屋を出て右に曲がったらすぐだ」
俺は露天風呂のある所を指さす。
「ありがと。下がっていいわよ」
「湯船に浸かる前に体洗うんだぞ」
「何で? そういうルール?」
「汚いからだ」
「失礼ね! 毎日お風呂入ってるわよ!」
リリーはジト目でプクーっと頬を膨らませて怒った。
「いや、そういう意味じゃなくて。皆そうするってことだよ」
これ以上怒らせると面倒なので宥めることにする。
「あら、そういう文化ってことね。わかったわ」
「お前が汚いのは否定しないけどな」
「うるさい!」
しまった、つい余計なことを口走った。
リリーは怒って廊下に出ていってしまった。
「夕食の時になったら配膳に来るからなー!」
廊下をズンズンと歩くリリーの後ろ姿に俺は声をかけた。
勇者だの魔王だの気になることは沢山あったが、客のプライバシーについて他人がいちいち聞くのも野暮な気がして俺は部屋を去って、夕食の準備をしに台所に向かった。
*
「お兄ちゃん。手伝ってくれてありがとね」
「メアリがいつも頑張りすぎなんだよ。忙しい時は言ってくれればいいのに」
「だってお兄ちゃんも案内係大変でしょ?」
「あれはボランティアだからなぁ……」
兄妹の他愛もない雑談をしながらも、彼女は鍋をかき混ぜる手を休めない。
丁寧に手入れされている水色の短い髪を使い古したバンダナで覆い、壁にかけられたエプロンを手に取り着て、吸い込まれるような蒼い瞳で鍋の中のスープを見つめる幼い少女。彼女こそ妹のメアリである。
俺達の父母が他界してからこの寂れた旅館を切り盛りする上で、料理などを任せている。俺がやっているのは雑用で、妹に仕事をほとんど任せているから頭が上がらない。「村人A」にも理解を示してくれる理想的な妹である。
「あ、アプリルの実が足りないみたい。お兄ちゃんお願いできる?」
「おう、任せとけ」
アプリルの実とは赤くて丸い、木に実る果物である。旅館の庭では野菜や果物を栽培しており、これが多少なりとも我が家の財政を助けている。
見慣れた廊下を歩き、庭に移動してアプリルの実を収穫していると大きな影が俺を覆った。
「なんだ? 雲?」
見上げた先には、体長一メートルはある大きなトンビのようなモンスターが空を飛んでいた。そしてあろう事か露天風呂の方へ飛んでいったのだった。
「しまった! リリーが危ない!」
俺は咄嗟に足元にあった石を投げつけた。
石は頭に命中したが、たかだか一般人が投げた石が当たった程度でモンスターが倒れるはずもなかった。
怒り狂った鳥は方向を反し、勢いよく俺に飛びかかり、爪で俺の服をしっかりと鷲掴みにし、空へと連れ去った。
「助け……」
クソッ、トンビに鷲掴みにされるなんてトンチンカンすぎるだろ。
天と地が逆さになり、少しずつ地面との距離が離れていく。このままだとこの鳥に餌にされてしまう。まだ「村人A」でありたい。「鳥の餌A」にはなりたくない。
その時手元にあったアプリルの実を思い出した。
「こいつをクチバシにでも突っ込めば……!」
トンビのクチバシにアプリルの実を思い切り押し付けると、異物感からか俺を離した。
そして数秒後には俺は高所から真っ逆さまに地面に叩き落とされたのだった。
「いててて……」
目を開くと、眼前には地面が見えた。鳥から落とされて地面に寝そべっているらしい。とりあえず脱出成功だ。
何やら硬い岩に頭をぶつけたような気がする。幸い少しコブが出来ただけのようだが、危うく一大事だ。
「覚悟は出来てるわけ?」
「え?」
後ろを振り返ると鬼神の如き恐ろしい顔をした一糸まとわぬリリーが拳をポキポキと鳴らしていた。
そう、そこは露天風呂の女湯だったのだ。
「ち……違う! 俺じゃない!」
「じゃあそこにいるのは誰!」
俺は顔面への今まで食らったこともないような強烈なパンチで気を失った。