76 ユビサス・ユビキタス
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
生徒会長選挙、ついに開始────!
ちょっとだけ前。
俺は自分の起点レベルを上げるため、朝の教室で挨拶をするというコミュ障ボッチには自殺行為のようなことをやって、みごと自爆した。
50人足らずの人間に注目され、死にたくなったあの思い出。──それが現在、60倍3000人の前に立っている。
いま一つ自分でも数字に実感がわかないので、50円と3000円に置き換えてみれば、文字通りケタ違いを思い知らされた。これをテルモピュライの戦いにおけるレオニダス王率いるスパルタ軍に例えると……。
いや!!!
冷静なフリはここまで!
それっどころじゃねーよ!!!
生徒会長選挙、第1日目の朝礼において。
サッカーコートを取っても十分に余るぐらい広いグラウンドに、びっちり人! 人! 人!
朝礼台の上からなので、頭がずらっと列と行をなして並んでいて、6000の目がこっちをじっと見ているさまは、どストレートに怖い! 集合体恐怖症なら、恐慌状態になるだろう。
膝が震え、汗ばんだ手はやり場がなく、ふらふらと首が座らない。
身体が寒気と火照りに交互に襲われ、冷たいのか熱いのかさえ分からない。いま体温は何度なんだ?
「まあまあ。取って喰われるわけじゃないんですから。どーんと行きましょう! どーん! どーん! あはははっ!」
固まる俺の横で、陽気にエレクトラが励ますが、
「……あ、うん」
テンパリすぎて小声が精いっぱい。
耳から入った言葉が脳に届かない。粘土でも詰まってそうだ。
「ェ、エレクトラさん。こいつらに拡張とかできない? できれば見えなくなる系か、ちっさいアリに変えるようなやつ」
青ざめて冷や汗を流しながら、なんとか乾いた口を動かす。
「えっ? そうですね……この方々が全員私の氏子で、お供えパワーが3億円あれば、10分ぐらいは」
「……じゃあ前借りで」
「落ち着いてください、柴田さん。生涯収入を全額突っ込むおつもりですか?」
エレクトラの諭すように落ち着いた声。
いつものように激しい突っ込みを入れると、導火線に火が付いて俺がパニックになると思っているらしい。……ここまで一緒にやってきたことはある。当たり。
「なら……目、潰すか」
「もっと落ち着いてください。いいですか、目は潰してしまうともう生えてきませんよ」
「そ、そうだったね」
自分で何を言ってるかも分からない。
ふわふわと頭が浮いているようなのに、身体が重い。
「安心してください。私が柴田さんの目の前にカンペを広げますから、その通りに言えばいいんです。私の身体とカンペで前は見えなくなりますから、大丈夫です! イチコロですよ!」
「わ、わかる」
過去形すら忘れてしまっている。
「では、最後に柴田獅子虎くん」
鳴子榊の呼ぶ声にハッとする。
「エン!……エー、オハヨウゴザイマス……」
「柴田くん、マイク」
「えっ?」
3000人の観衆からクスクス笑い声が聞こえる。
俺がポカンと横を見ると、眉村が仏頂面でマイクを手渡してきた。
「あ……」
俺はマイクを受け取ると、口に当てた。
「おはようございます。柴田獅子虎です」
エレクトラのカンペを読むと、そのあとに「ここで、すがすがしい朝の高原のような、さわやかで清潔感のある、少年時代の夏に見た星空を思い起こさせるスマイル!」と書いてある。
俺こんなこと書いてねえぞ! こいつ勝手に足したな!!!
あと要求ふわっとしすぎ! 芸術家肌の映画監督か!
俺はギギギと音がしそうなくらい無理やりに首を傾けて、目を閉じ、口を横に伸ばした。たぶん顔認識システムなら笑顔と判定するだろうが、人に通じるのか自信はない。少なくとも、少年時代の夏の夜空は思い出さないだろう。
俺が大げさな笑顔を振りまくと、観衆の中から、
「柴田ぁー!!!」
「柴田センパーイ!」
「ガンバレー!」
「柴田獅子虎!」
「獅子虎ー!!!」
「ボッチー!」
といくつも声が上がった。
山崎の空手部と水川苺花たち1年女子、そして吹奏楽部の大石先輩を初めとする文系部会のみんなだ。
……まって、いまボッチって言ったやつ誰!?
声の出所からして、2-Aあたりだな……男衾の野郎。
よくよく考えれば、観衆は遠くから見ているんだから大げさでよかったのだ。本当に目や口が笑っているかなんて、見えないわけだから。
どや顔のエレクトラが絶妙にむかつくが、ともかく今日は顔見せで一言挨拶するだけ。その程度でも、俺にとっては眠れないほどのプレッシャーなのだが。
「僕は! ……皆さんに、この学校でのかけがいのない3年間を、今一度考えてもらいたくて、立候補しました」
よし、言えた。言えた!
次の一文で閉めて終わりだ!
生き残ったぞ!
エレクトラがバカでかい文字で書かれたカンペをスライドする。
……は?
はあ!?
そんなこと書いた覚えないが!
こいつぅ~~~~、また足しやがった! 足しやがったなっ!!!
俺は焦りながらもとの言葉を思い出そうとしたが、カンペ棒読みだったせいで頭が動いていなかった。
狙いすましたようにエレクトラが身体を透過させた。ニヤニヤ笑いのまま。
憎たらしい顔を睨もうとしたものの、その向こうが鮮やかに浮かび上がる。
観衆の視線による飽和攻撃に、俺の身体はいきなり晒された。
みんな、俺を見ている。
胃がせり上がり、背筋にヒヤッとしたものが走る。
脳と心臓を神経伝達のシグナルが激しく往復する。しかし、まったく何も命令がない空騒ぎだ。
え? え? え?
どうしよう?
何か言わなきゃ。
このあと、本当はどうするんだっけ?
俺が固まったのは数秒のことだが、意識はめまぐるしく慌てふためいていた。まるで影の世界のように。時間が止まったように。
……じつは、「ぜひ、清き一票をよろしくお願いします」と言って頭を下げれば終わりだったのだ。あとで思い出して頭を抱えることになるのだが、そんなことはきれいに吹っ飛んでいた。
「こ……」
何か言わないとマズイ。
完全に笑いもの。
間違いなく事故。
一生思い出すやらかし。
すう~っとエレクトラが鮮明さを増して、カンペを突き付けてくる。
ああ、くそ!
もう思い出せないし、アドリブで言えないなら、カンペ読むしかねえ!
「こ……」
俺は朝礼台で横に並ぶ院華子と眉村尊に向かってまっすぐ指をさし、
「この柴田獅子虎が! お前らの好きにはさせねえっ!!!」
大声で見えを切った。
☆★☆★
俺の宣戦布告は、ウケたらしい。
拍手も起こったとか。
俺は放心状態だったので、何も覚えていないが。
ともあれ、昼休みに選挙活動を再開した。
「よろしくお願いします! よろしく!」
いまは1年校舎を上から順に練り歩き、手を振って挨拶して回っている。笑顔もいくぶんマシになった。
肩から名前入りのたすきをかけ、後ろにチラシを配るスタッフを引き連れている。スタッフといっても、男衾と後援の生徒たちが交代で担当していくれることになっている。
「あ、シバトラだ!」
「シシシだって!」
「いや、トラバタでしょ!」
「ST2とか、どう?」
見えないところから、そんな声がする。
まず1年生、お前ら先輩を呼び捨てるな。
それから、あだ名を付けるなら統一しろ!
「俺が柴田だが!」
俺は居直って、そんな会話のするほうへ叫ぶ。
どっと笑いが起きた。
なにが面白いのかわからん。シュールだな~、とか言っとけばいいのか?
そこでひと温めしたせいか、皆の口が軽くなり、おのおの言いたいことを言い出す。
「朝礼のアレやってください!」
「アレやって!」
「やれ!」
おい1年、命令形。
「んん!……この柴田獅子虎が! お前らの好きにはさせねえっ!!!」
俺がビシっとポーズを決めると、歓声だか冷やかしだかわからない声が上がり、拍手される。
なにが面白いのか、さっぱりわからん。俺は恥ずかしくて顔から火が出そうなんだが。
「えへん! 私の作戦通り、うまくいきました。お笑いは、ツカミが大事ですからね!」
エレクトラが鼻高々に言う。
俺、お笑いだったの?
内容が本当に効果的だったかはさておき。
こいつの無茶ぶりカンペで吹っ切れて、肩の力が抜けたのは確かだ。次の試練は討論会だが、少しはやれる気がしてきた。
「はっ! もしや、私は名プロデューサー!? 女神として忙しいのに、オファーが来てしまいます!」
「うるせえぞ、改竄女神」
俺は苦笑いした。
廊下の壁に貼られたドでかい選挙ポスターの中の俺が、不敵な笑みでこちらを見ていた。




