60 想いを知らず、竜に届かず
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
西野ミリアを責める柴田。
さらに眉村を呼び出して──。
眉村尊は戸惑いを隠せないようだった。
西野ミリアもまた同様。
「柴田、これはなんのつもりだ」
眉村は俺に問いかけることで西野ミリアから逃げ、西野ミリアは足元を見つめることで逃げた。
「なんのつもりもクソもねえよ。見れば分かるだろ」
「……ミリア、こいつになにをされた」
眉村がそう言っただけで、西野ミリアはボロボロと涙をこぼして泣き出した。
「先輩……ごめんなさい」
「何があったか話せ」
「あたしのせいで……あたしが……」
「……」
眉村が俺を見て、息をついた。
「そういうことか」
「先輩……」
「ミリア、もういい。俺のほうこそ、いままで悪かった」
「あたし……あれからも、いまでも先輩のことが好きです。べつに答えてほしいとかじゃなくて……」
眉村が泣きじゃくる西野ミリアの肩に手を置く。
「もう終わりにしよう。お互いに前を見よう」
そう言われて西野ミリアがこくりとうなずく。
ドラマならここでテーマ曲が流れてくるだろうが、現実はそうじゃねえぞ。
「おい。なに自分らの世界に入ってんだよ」
俺は舌打ちをした。
刃傷沙汰にでもなるかと思ってスタンガンを取り上げたのに、こいつら、あっさり和解しやがった。
そんな簡単に済むことかよ。
「ほんとクソ気持ち悪い。反吐が出る。──おい、西野。お前が和を立候補させた張本人だよな? これまでもずっと糸引いてたよな?」
「……」
「眉村、お前は俺がやらせたと思って便所まで殴り込んできたよな? 元カノが真犯人だったわけだが、さぞかし妹のために怒ってくれるよな? これまで知らなかったとは言わせねえぞ」
「……柴田、悪かった」
「誰が俺に謝れなんて頼んでるよ。そこのバカ女をぶん殴れつってんだよ」
「先輩、ごめんなさい。あたし……」
「いいんだ、ミリア」
こいつらまた見つめ合っておかしな空気を出しやがる。
つける薬がないとはこのことだ。
「おい、ナルシストども」
俺はスタンガンを二人の足元に投げつけた。
「どっちかがそれでもう一方を撃て」
二人が俺を怯えた目で見る。
「なんだよ、スクールカーストの上級生徒様方。クソザコの俺が怖いの?」
西野ミリアを庇うようにして俺の前に立つと、眉村がスタンガンを拾った。
「柴田、お前は狂ってる」
「……」
「なにが目的なんだ? なぜお前は学校を掻き回す?」
「……ふう」
俺はため息を吐くと、ベンチから立った。
「死ねよ、クズども。──エレクトラ、拡張しろっ!」
「何をするつもりですか、柴田さん」
「いいからしろ!」
「なんの力もない人間相手に拡張は許しません! 柴田さんは人ではなくなってしまいますよ!」
「うるせえ! はやくしろ!」
「しません!」
俺とエレクトラが言い合いしているのを、眉村と西野ミリアが戸惑いの表情で見つめる。二人からすれば、俺が一人で叫んでいるように見えるだろう。
エレクトラが頑として応じないので、俺は眉村に掴みかかるとスタンガンを奪おうとする。
「やめろ、柴田!」
あっけなく俺は突き飛ばされた。
俺はグラウンドの土を掴むと、二人に向かって投げつける。
顔を背けた眉村の腹にタックルした。
「放してよ!」
西野ミリアがもみあっている俺の制服を引っ張る。
俺はバックキックで西野ミリアを蹴りつけた。
「きゃあ」
西野ミリアが声を上げて転がる。
「柴田ぁ!」
眉村が俺の肩を押さえつけ、膝蹴りを打った。
ちょうどいいタイミングと位置だったらしい。
膝は俺のどてっ腹に突き刺さり、背中に抜けるような鈍い痛みが走った。
「……っ」
俺はひざまずいて吐いた。
なにも食っていないので胃液とツバの混じった泡しか出ない。
「……いい加減にしてくれ。もうたくさんだ」
眉村は西野ミリアを連れて去っていった。
俺はしばらく四つん這いになったまま、空嘔をくりかえした。
くそ、もっときっちり罠を張っておけばよかった。
二人をぶつければモメだすだろうと、タカをくくったのが間違いだ。
あそこまでバカ恋愛脳だとは。
お目出度いやつらだ。
つぎは山崎を脅してけしかけるか。
「柴田さん──」
「うるさい。黙ってろ」
片目の視界がぼやけた。
こすると血が付いた。
朝方、西野ミリアのカバンで付けられた傷が、今のもみ合いでまた開いたのか。
「柴田さん、このところまともに食事を摂っていませんよね。水分も足りないですよ」
「……」
俺は立ち上がると、のろのろと階段を降りた。
☆★☆★
バイトの後、俺は新たに引き出した50万円を燃やす。
それから市街地をうろついた。
エレクトラがいると魔鬼が寄ってこないので、スマホの電源も切った。
なんとなく大きな公園を目指す。
公園というか、大きさからして緑地というべきか。
川を挟んで両側に大きな敷地があって、池や森のあいだをサイクリングロードが走っている。
夜も遅いし、車道もないので人はいない。
街灯も少なく、ほとんどが闇だ。
夏の気配を乗せた風に、高い木々の枝がざあっと音と立てて揺れた。
落ち着く。
誰もいない。
学校でも人の居ない場所ばかり探していたな。
放課後の図書室。
特別教室棟の非常階段。
睡蓮の池。
いまはその場所を思い起こすたび、辛くなる。
「……」
木々のざわめきが止んでいた。
不自然な静寂だ
魔鬼の出る前兆。
俺はスマホの電源を入れた。
「エレクトラ、出番だぞ!」
「もっとはやく電源を入れて下さい! ──拡張!」
暗がりが焼けるように色あせ、影の世界に落ちる。
エレクトラが飛び出してくると、すぐさま俺の腰に刀が現れる。
魔鬼はどこだ?
「後ろです!」
振り返ると巨大な物体が突っ込んでくるところだった。
俺は前転で避ける。
そのまま巨大な影が向こうまでするすると走っていった。
いや、泳いでいった。
それは鯉のぼりほどの大きさがあるデカい魚だった。が、腐りかけだ。
あちこちが腐り落ちていて、骨が見えている。
「ウヌキです。そこの川のヌシでしょう」
エレクトラがつぶやく。
「その名前にも意味があるのか?」
「川の神──竜になりきれなかったので、最後の一文字が足りない。『う抜き』というわけです」
「なるほど」
単調な突進をウヌキが繰り返す。
俺は避けつつ刀を振り回したが、速くて当たらない。
真正面から受けるしかなさそうだ。
「こいや!」
刀を上段に構える。
まんまるとした両目が俺をとらえると、ウヌキが突っ込んでくる。
ぶつかる直前に刀を振り下ろした。
刀の刃先がウヌキの頭にある硬い鱗を断ち切り、ずぶっと沈む。
俺は突き飛ばされながら、ウヌキのヒゲを掴んだ。
このまま押し切ろうと力を込めた刹那、ウヌキが口を開けた。
魚の口は見た目以上に大きく開く。
俺は丸呑みされた。
その拍子に、刀が弾け飛んだ。
呑み込まれたと言っても身体じゅうが腐っている魚なので、体内に入るというより腐肉と骨でできた檻に突っ込まれたような状態になった。
ジワジワと鋭い肋骨が俺の身体に食い込んでいく。
「このヤロウ!」
身体を動かそうとしたが、狭すぎる。
なにかをしようにも、ウヌキは暴れて俺のいる腹を地面に何度も打ち付ける。
「柴田さん!」
エレクトラがウヌキと並走していた。
走るというか、宙を飛んでいる。
「小刀で!」
エレクトラがウヌキの腹に手を突っ込む。力任せに骨と肉を引っ剥がした。
そのおかげで隙間ができる。
俺は腕を回して腰の小刀を抜くと、ところかまわずざくざくと刃を立てた。
小さな切り口をさらに大きく、途切れたものをひとつに。
ウヌキの胸びれが落ち、尾が落ちる。
飛び出た内臓を引きずりながらウヌキは宙を泳ぎ続けた。
悪趣味な活造りだ。
勢いが弱まったところで、内側から頭に一撃を打ち込んだ。
始めの斬撃の傷とつながったのか、するりと刃が通った。
ウヌキの魚体が停止して、そのまま墜落する。
俺は魚の内臓にまみれながら転がった。
ウヌキの身体から這い出て吐く。
魚臭いなんてものじゃない。内臓が腐った強烈な悪臭だ。
俺は吐きながらウヌキの死骸から離れ、エレクトラに解除を合図する。
影の世界が晴れると、俺は咳き込んだ。
道に倒れたまま、鼻に残っていた腐臭を追い出そうと何度も呼吸をする。
昼の熱気を残したアスファルトの臭いがした。