37 邪眼のエンプレス
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
生徒会長選挙に立候補することを決める柴田。
院華子の魔鬼が、襲いかかる!
食堂の天井に、それはいた。
人間の形をしているが、大きさは軽自動車ぐらい。手足を伸ばして逆さまにベタッと張り付いている。
顔はのっぺらぼうで目も鼻も口もない。
全身が真っ白でヌメっと光っている。
「あれが華子の魔鬼だってのか!?」
「そうです! 柴田さんだけを狙っているので、他の生徒に被害は行かないようですけど!」
「俺だけぇっ?」
魔鬼が身悶えする。
べり……べりべり……べり……
手足を震わせ、身体を揺さぶるたびになにかが破れる音がする。
俺は思わず手の中にある白い棒きれを確認した。
最低ポリゴン数の無機質なそれは、あまりにも心細い。
「あ、あ、あれ、なにしてんだよっ!」
「あの魔鬼は砉です!」
「名前なんてどうでもいいわ! どうすりゃいいんだよ!」
「慎重に行動してください! お供えパワーが少ないですから、無駄遣い注意ですよ!」
「アドバイスになってねえし!!!」
べりべりべりべり!
それは天井に張り付いた自分の皮を引き剥がす音だった。半透明の皮膚を天井から離すたび粘液が流れ出す。痛いのか魔鬼が頭をぐねぐねと回した。
他の生徒に影響がないってなら、こりゃ戦略的撤退の一択だろ!
「サヨ! オナラー!!!」
俺はスライディングして魔鬼の下を抜けると、食堂から飛び出す。
「このまま時間圧縮が終わると、柴田さんの身体は魔鬼にパックリいかれちゃいますよっ!」
「くそ! やっぱそうなるのかよ!」
「魔鬼を暴れさせて消耗させれば、なんとかなるかもしれません!」
「手ぇーの鳴ーるほうへー……とか、俺もう高校生だが!」
後ろでドサっという音がした。
振り返ると、グニャグニャの手足がおかしな方向に曲がったまま、魔鬼が俺の方に頭を上げる。
コヲコヲコヲコヲコヲ……
胸のあたりをベコベコさせてヤツが鳴いた。
「なんなんなんだよ、あれぇ!」
ヘビのごとく身体をにじらせて、こちらに突進してくる!
「ふうわぁ!」
間髪でかわす。
デカいのに速い!
魔鬼は頭から壁にぶつかってぐしゃっと潰れる。
また壁にくっついたのか、手を踏ん張って引き剥がそうとする。
べり、べりべり!
皮膚が壁にくっついて残っている。
ぬるりと身体を曲げて頭をこちらに向けた。
俺は慌てて走り出す。
「たしかに俺だけ見てるぅ~!」
魔鬼がまた突進してくる。
俺は前転ダイブして逃げる。
「……エレクトラ、もう武器いらね。時間圧縮と防御に全振り!」
「アイサー!」
棒きれが光の飛沫になって消える。
こうなりゃ消耗戦、持久戦だ。
現実世界で考えるならあっちのほうがデカいわけだから、スタミナ消費は多いはず。
俺は跳躍して食堂の屋根へと着地する。
拡張したこの世界じゃ、空さえ黒かった。
ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ
魔鬼は食堂の外壁に貼り付いて、またバリバリ言わせながら登ってくる。
「飛び道具でもありゃ、一方的に殴れるんだがなー」
「とにかく時間を稼いでください」
俺はお供えパワーを消耗しないよう、屋根を歩きながらできるだけ離れる。
そのまま反対側の端で待ち構えた。
魔鬼は登りきると、一度ぐっと踏ん張って猛進してくる。
「こいやー!」
俺は目前までひきつけると、屋根から飛び降りた。
そのまま身体を反転して屋根の縁に掴まる。
魔鬼の身体が上空を舞い、放物線を描いて落ちていった。
「ざまあぁぁ!!!」
また登ってきたら落とす。
たぶん、これを繰り返すのが一番効率良さそうだ。
こちとら伊達にクソAI相手してMMORPGやってきたわけじゃねえぜ!
「はら?」
俺の身体は屋根から引き剥がされた。
腰に魔鬼から伸びた白い手が巻き付いている。
「隠しモーションとかあぁぁぁ……!」
魔鬼もろとも落ちる。
なんとか手を振りほどいて、隣のテニスコートに着地する。
いや、足が地につく前に魔鬼の追撃が来た。
テニスコートに張り付いた皮を無理やり剥がしながらの無差別攻撃!
「ぐっは」
回避不可能。
そのままボールみたいに転がる。
「くそ……!」
「柴田さんっ!」
え?
魔鬼が塊にして物を集めるゲームみたいに、テニスネットやら審判台をくっつけながらこちらに向かってくる!
俺は横に転がってかわそうとしたが、腰から下を巻き込まれた。
そのまま魔鬼もろともテニスコートのフェンスに激突。
「……ぐっ」
力が違いすぎる。
いまの俺は起点レベル300がせいぜい。
こいつが華子の魔鬼なら、レベルは2000以上……。
コヲ、コヲ、コヲ、コヲ、ヲ、ヲ、ヲ、ヲ、ヲ、ヲ
嬉しげに魔鬼は胸を凹凸させながら俺の身体をくっつけて、押しつぶしてくる。
「ぐぞおおおおおお!」
なんでいきなり華子の魔鬼が俺に見えた。
そして襲ってきた!?
だめだ、こんな半端で終わるわけには……。
「……我が主、罷り参った」
そんな渋い声がした。
魔鬼の皮がバリバリと音をたて、俺の身体がふわりと浮いた。
「あ? えっ?」
ヒョウみたいな黒い獣が俺の首根っこを咥えていた。
「臣従のことお赦しいただき、恐悦至極」
「ふっふふー。くるしゅうない、よきにはからえ、です」
エレクトラの偉そうな声が聞こえる。
「……ん? あれ、もしかしてあのときの爺さん!?」
「柴田殿、助太刀いたす」
再びやってきた魔鬼の突撃をかわし、黒い獣が着地する。
「爺さん──」
「ギビョウと」
「──ギビョウさん、あれ倒せる?」
「無理だな」
「そうか……じゃあ、できるだけ障害物を通りながら、あの階段を登ってくれ」
「分かった」
ギビョウは俺を背中に乗せて奔りだす。
その後ろからフェンスや外灯をなぎ倒し押し倒しして、それを巻き込みながら華子の魔鬼が追っかけてくる。
心なしか速度が落ちている。
やはりこの世界でも「重さ」は働いている。
ギビョウは階段を駆け上がっていく。
脇道には、和とお昼を食べているあの池があるが、今日はそっちじゃない。
「よーし、上まで!」
この先は第2グランドだ。
そこにたどり着くまでも魔鬼は樹木やら岩やらを貼りつかせて、二回りも三回りもでかくなっている。まるでヤドカリ。
「このまま、まっすぐ!」
ギビョウは返答代わりに一声吠えると速度を上げた。
開けたグランドを好機到来とばかり、土煙を巻きながら魔鬼の勢いも増す。
俺たちがグランド端のでかい防球ネットをかるがる飛び越えて着地すると、魔鬼もまたそのままの勢いでコンクリートポールをへし折り、ネットを巻き込んで突き進む。
「ジーャンプッッッ!!!」
ギビョウが宙を駆ける。
眼下には町並みが広がっていた。
第2グランドはこの学校の立つ丘で一番高い場所、さらにその裏は崖。下まで高さ4,50メートルはあるだろう。
ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ………
魔鬼が空に突っ込む。
またしても手を伸ばしてきたが、ギビョウはそれを後ろ足キックではねつけた。
「さよならバイバイまたあしたぁー!」
くるりと回転してギビョウが着地。
魔鬼はそのまま落下。
なんとも表現しがたい音を立てて、車道に叩きつけられた。
べったりと潰れた餠みたいにアスファルトに貼り付けにされ、しばらく魔鬼は震えていたが、力尽きたように煙になって消えた。
「ふう……助かったよ、ギビョウさん」
黒豹の背中から飛び降りる。
俺が遠目から崖の下を眺めていると、横のギビョウが爺さんの姿に戻って俺に平伏する。
「主上エレクトラ、遅まきながら申し奉る。このギビョウ、畏まりて忠を尽くさんと」
するとエレクトラが俺の頭上にポップアップする。
「あな愛おし、我が同胞」
「御媛神、弥栄」
そう言うとギビョウは消えた。
「さーて! お供えもったいないので、現実世界に戻りますね!」
「おい、頭踏んでるぞ!」
世界が明滅。
瞬きした間に世界がもとに戻り、俺は食堂にいた。
「……」
俺は院華子と睨み合ったままだった。
食堂はざわついている。
ひと睨みで人を殺すとか、邪眼使いかよ。
俺は意地悪い顔で笑って見せた。
華子はそれを切るような視線で見つめ、取り巻きを従えて奥へと行った。
「ふー……」
俺は深い溜め息をついて肩の力を抜くと、少しのびたそばをすすった。