30 血の室(むろ)
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。
そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
魔鬼と対峙することを決心した柴田だったが、和はイジメグループに捕まってしまう。少しでも魔鬼の暴走を食い止めようする柴田は、タイマンを申し込むが──。
俺の言葉に、間を置いて笑いが起きた。
胸ぐらをつかんでいる野郎のほうは真顔だが。
「タイマンつうことは、合意のうえだよな?」
「そうです」
「分かった」
野郎は俺を離すと、いきなり腹を殴った。
「……!」
あれ痛くない?
いや……いや、痛い! 内臓が、身体の内側が裏返るような。下っ腹が痙攣して息ができない。まるで自分のものじゃないような。腹筋まで痛む。足が。立てない……。
俺は膝をついた。胃液が口の中に戻ってきた。
たった一発で。
もう動けないんだけど。
野郎が俺の髪をつかんで、引っ張り上げる。
「……っ!」
そのまま揺さぶられて胸を蹴られた。
俺は仰向けに吹っ飛ぶ。
俺の肩を踏みつけて、野郎は体重をかけた。
「ぐっ……う」
足を掴んで這い出ようとすると、顔を蹴られた。
殴り合いのケンカなんてしたことないからなあ……。
そもそもどこをどう攻撃すりゃいいのか。ゲームなら設定された弱点でいいんだけど。頭つっても、頭にも色々部位があるし。
このまま、一方的にボコられるのか。
タイマンて言っときながら反撃できなけりゃ意味ないだろ……。なにか一発入れられないか。
俺は倒れたまま、必死に野郎の足をつかもうと試みる。
はたから見れば、じゃれついてるネコみたいだろう。蹴られてるってのが違うが。
もがきながら手と首と肩を使って、なんとか足をキャッチした。するっと野郎の上履きが脱げる。
相手が掴まれるのを嫌がって及び腰になっているすきに、俺は上履きを窓の外に向けて思い切り投げた。
「こいつ……!」
ギャラリーと化した連中が爆笑。
ははは! ざまみろ。
お前、しばらく片方だけな!
「ぐっ!」
野郎の重い回し蹴りが脇腹に入った。
息できない。苦しい。痛い。
俺が脇腹を押さえると、逆側にまた蹴りが入る。
そこをかばうと頭を蹴られ、頭をかばうと腹を蹴られた。
「やめて……!」
震える声がした。
教室が、影に落ちるように急に暗くなる。
和の足元から、黒い油のようなものがじわりと染みだした。
「和……ダメだ」
染みは膨れ上がってミミズのようにのたうつ。そこからまた枝分かれして膨らみ、破けては増え、また癒着しては広がっていく……。
「え、なに?」
「なんだ?」
……こいつらにも分かるのか?
黒い肉のだまはカーテンを呑み込み、机を呑み込み、椅子を呑み込む。教室全体が侵食され始めていた。
「なに……」
「気分わるい……」
見えていないのだろうが、なにかがおかしいのは感じたらしい。
肉塊から次々と唇の上と下が生まれ、いっせいに口を開いて溺れるようなガラガラ声を上げる。
……い……て…さもさていりぬぐわいおもいるくいなきなみなぎしみゆをきてちくいむとていはおわすえにといねいくほろぼしたてくるまほかみを……
赤ん坊のような、老人のような、いろいろな声が入り混じった濁る音。
声と声が重なり響き、鼓膜を圧迫する。
「……?」
俺を蹴っていた野郎がふと顔を触った。
つ、と血が鼻から伝い落ちた。それがつ、つ、つと太い筋になる。
「あ……」
開いた野郎の口から血がだらだらっと流れ落ちた。
女生徒たちはそれを見て悲鳴を上げることもできず、青い顔でしゃがみこんでいる。口を押さえる指の間から、血が漏れ出していた。
「ド、ドア……」
「あれ……あれ……」
後ろの男子生徒がドアを開けようとするが開かない。
その鼻と口から血がたらたらと溢れだす。
「……どうして。放っておいてくれないの」
泣いている和の後ろに、大きいキャベツのような肉の塊できていた。その表面には小さな口がびっしりと生えている。
それがみり、みり、と割れて繋がり、虚ろな黒い穴が開いた。それは一つの大きな口だった。その口の奥で眼球が一つ、こちらを見ていた。
あたらもしりぬこしりてふみくいなしなけしいくるえみほどたてまつりきみをんりへとちへとはけちあははけたえききおぼへけれまほかみを
くそ、こんなはずじゃなかった。
もっと上手くやれるつもりだったんだが。
俺はスマホに向かって呟いた。
「エレクトラ、やるわ」
「いけますかっ!?」
「おう」
「わかりました、いきますよおー! ──拡張!!!」
スマホが光を放つ。
その光に当たると、俺の身体がすっと不自然な動きで立ち上がる。
俺の手の中に収縮した光が、真っ白で無機質な棒切れになった。最低ポリゴン数の武器だ。
身体の痛みが消えていた。
いや、残してきたのか?
「で、これどこが弱点だ?」
「そう呼べる部位があるのかも不明です!」
「はぁ……」
俺は時間が止まったように動かない生徒たちの間を抜けて、肉の塊を棒で殴りつけた。
いいいいいいいいいいいいいいぃぃぃいいいいいいいいい
肉塊が金切り声を上げ、俺を追って噛み付いてくる。
「うわあ!」
倒れ込んで避けると、肉塊の歯が空を噛んで音を立てた。
「柴田さんのVRMMORPGでの動きを参考にアプリでサポートしてますから、現実世界より動けるはずですよ!」
「おー、悪質アプリじゃなかったのか!」
「だから言ったじゃないですか!」
俺は跳ね起きると、肉塊の横を抜けて殴りつける。
肉がびゅるっ黒い液を散らした。
「ダメージ入ってる?」
「効いてますよー! ちょっとですが」
「やっぱ手数稼ぐしかねえな」
とにかく死角に入って殴る。噛み付いてくるだけなんで動きは単純だ。
が、背面は肉が厚くて手ごたえが薄い。
やっぱりダメージを増やすなら、口と中の目玉か? ならカウンター狙いをするしかなさそうだ。
俺は動きを止め、間合いを測る。
といってもこんな短い棒きれじゃうまくいくかどうか。
にえとみにいひいしものをきくのみのかぐみちみちおりにていしもちもてきはしおしかねのみをちてすがらのしにいにたえうせこそのたもう
肉塊が口をあんぐり開けて飛びついてくる。
「────っ!」
俺はバックステップでぎりぎり距離を空けて棒を叩き込む。
いいひひしいいいぃぃれほどまされどぉおおおおぉおおぉぉお
ヒット!
悲鳴なのか怒りなのか、肉塊はどす黒い唾を吐き散らしながら暴れる。俺を吹き飛ばそうと壁にぶつかり、天井を跳ねる。
俺はそれをすんでのことでかわしながら、一撃、二撃、三撃と打突を入れる。
「柴田さん、そろそろ活動時間が終わります!」
「はええよっ! あれだけお供えしてこんなもんなのかよ!」
「スマホハックしちゃいましたから! それよりご自覚されていないようですが、こちらもかなりダメージ入ってますよ! その軽減分です!」
「マジかよ!」
それ先言えよ!
いや聞いてもこれ以上攻撃を躱すのは無理だろう。守勢に入ると手数減るし。
手負いの獣のごとく暴れる肉塊。
ラスト一発、何とか入れたい。
俺が距離を詰めたところで、肉塊は押し潰そうと体当りしてくる。
それを左手で突っぱねながら、全力で口の中に棒を叩き込む。
むつむきこねとしえくいむううぅぅそれそのはねみなるうぅっっっぅううううほどえそぬがしれどいやよしうつめきいぃいいいぃぃいい
「日本語でおk-!!!」
棒に肉塊が噛みつく。少しだけ残った棒の先をかかとで踏みつけ、全体重を乗せて蹴った。棒がずぶりと奥まで刺さる手ごたえが足に伝わる。
いいぃいあいいいいいいいいいぃぃいいいいいいい
さすが現実世界じゃない俺。
そのままバク転して着地。
黒い体液を吹き出すと、肉塊がざっと煙になって消えた。
同時に俺の身体がぶっ倒れる。
教室が晴れた。
俺の身体は拡張する前のように倒れていて、頭や腹や身体のあちこちが痛んだ。
ただし前と違うのは、頭が床の上ではなく和の膝の上にあったこと。
「なにが……起きてるんですか」
「俺にもわかんね……いてえ……」
俺とタイマンをやった野郎は、四つん這いになって吐き続けている。その下に血と唾液の溜まりができていた。
5人の女子生徒や呼ばれてきた他の男子生徒も、あちこちで倒れてうめいていた。血が制服や床、あちこちを染めている。その光景はまるでなにか獣に襲われたあとのような……。
これが魔鬼のせいなのか。
俺が拡張できずにあのままだったとしたら、どうなっていたのか。
「ケガとか、ないか?」
「先輩、私のことなんかじゃないでしょう……」
和が苦しそうに顔をゆがめて言った。
外から教室を覗きにやってきた生徒の悲鳴が聞こえた。