10 ボリューム・メモリー
前回までのあらすじ
ボッチコミュ障の高校生・柴田は、電脳の女神エレクトラにだまされて契約を結ばれてしまう。
彼女の目的は、自分の神格を上げること。
そのためには有名人になり、お供えを捧げ、魔鬼を倒せというハードモード!
眉村和を怪我させたことで、兄である眉村尊に責められる柴田。
柴田は生徒たちが見るなか、眉村家へ謝罪しに行くことを約束する。
『兄が失礼なことをしてしまって、本当にごめんなさい。怪我とかありませんか?』
午後の授業が始まってすぐ、眉村和からメッセージが来た。
俺はぼんやりとそのスマホ画面を見ていた。
「そうですよ、あっちだってぼーとしてたんですから。あれは事故ですよ」
エレクトラが横槍を入れてくる。それがちょっと嬉しかった。調子に乗りそうなので本人には言わないけどな。
『大丈夫です。お兄さんの言っていることは、もっともだと思います。今日の放課後、眉村さんの家に謝りに行くつもりです』
『これ以上謝罪なんて必要ありません。私の不注意が原因です。兄には私から言っておくので、気にしないでください』
『お兄さんはそれじゃ納得しないと思う』
『でも、こんな大袈裟にするようなことじゃないです』
『とりあえず放課後、話しませんか?』
『……わかりました』
俺の斜め前の宮原さんは背中からも分かるぐらい、ションボリとしていた。
なぜ弁当が机の中にあるのか、理由は明らかだ。眉村が俺を探し出すため、食堂に来なかったせいだ。
彼女もすでにそのことを知っているに違いない。今朝、宮原さんと話していた女子生徒二人が、昼休みのあと教室に帰ったとき、俺にきつい視線を向けてきたからだ。
「エレクトラ、俺の起点レベルいくつになった?」
「……15、です」
「ははは、眉村すげえな」
たったあれだけのやりとりで5も増えた。
俺はセリフもないモブから、主人公とヒロインに嫌がらせをするわき役ぐらいになったのか。
ため息が漏れた。
教室の隅に、またあの袋を被った猿がいる。
なんであいつは俺の前に出てくるくせに、いつも袋を被ってるんだろうか。ああいうのって、なにか訴えたいものがあるんじゃないのか。何がしたいのかわからん。ツンデレなのか?
まあ、エレクトラいわく害があるほどのものでないらしいので、放っておけばいいんだろう。ていうか、慣れてきた。そういや昨日の電車で見たやつ、今朝もいたな。
『用事があって今日インできんかもしれん。伝言頼むわ』
男衾にメッセージを送ると、
『りょ』
と短い返事が来た。
憂鬱な午後だった。あの一瞬の不注意を未練がましく振り返っては、後悔した。現実ってのは、ほんとどうにもならないな。リセットもできないし。ゲームの世界に帰りてえ……。
「柴田さん、悩んでも仕方ないですよ」
「そうだな。現実はクソゲーだしな!」
「いや、そうではなくてですね」
「……お前、こうなること分かってたの?」
「えっ!? いえ、起点レベルの増え方がおかしかったので、推測といいますか」
「ふーん」
「私、そこまで意地悪じゃないですよ! もう!」
エレクトラは俺についてはかなり監視できるようだが、学校程度の人数の電子的やりとりを把握するのは無理ってことか?
「お前、俺のスマホとかパソコン覗いてるみたいだけど、他のやつのも見れるんだよな?」
「お供えと神格次第ですが、できないことはないですよ。それはもう検索した単語からログインIDとパスワード、フォルダの中身からカメラのライブハックまで……」
「うん、やめとこうか」
まんまウイルスなんだが。
もしこいつが下手にハックとかして俺の端末にデータ送ったりしたら、これ俺が疑われるんじゃないか?
「もう少し早めに私がこの事態を想定していれば、よかったかもですね」
「いや、たぶん教えられてもどうしようもない」
「どっちにしろ、私は柴田さんの味方ですよ?」
「俺、弱ってるときに声かけてくるヤツには用心することにしてるんだ」
「柴田さんの将来が心配です!」
気を遣ってくれてるのか。
はたまた別の理由があるのか。
どっちにせよ、それを考えるのはまた今度。正直、俺のちっさい心の器は眉村兄妹のことでいっぱいいっぱいだ。
☆★☆★
放課後、俺は図書室で眉村和を待った。
ここが人の少ない場所として、なんとなくそうなっただけだ。
遅れてやってきた眉村和は、昨日よりも硬い表情をしていた。手首の白い包帯が目に入って、胸が痛む。
「……なんか悪い」
「いえ……。でも、本当にいいんです。兄には私が言いますから」
「それで収まるような雰囲気とは思えないんだけどな。眉村が怒るのももっともだし」
「そんなこと……」
眉村和はこうなることがわかっていた。
だから、ぶつかった当初、あれほど頑なに保健室に行くことを拒んだ。それはもちろん俺を庇うためなんかじゃなくて、この兄妹の間にある何かのせいなんだろう。
「俺は一人っ子だから分からないけど、妹が怪我させられたら怒るのは当たり前だと思う」
「……」
「だから眉村を止めないでほしい。火に油を注ぐだけだし」
眉村和はうつむいて何も言わなかった。
メガネごしに見える、まつげが長い。
「ただ、ちょっとだけフォローしてほしいっていうか、うちの親──」
俺はそういいかけて、思わず息を呑みこんだ。
図書室の本棚の影。夕日の入らないその領域に、なにかがいた。
それは塊だった。
巧妙に陰のふりをしているが、ゆっくりと脈打っている。見間違いじゃなくて、たしかに暗がりに紛れ込んで青黒いものがいる。あれも袋の猿と同種の鬼なのか……? いや、なにかもっとヤバいような。
ポケットのスマホが震えた。
嫌な汗をかきながらそっと画面を見る。
『ニゲロ』
やっぱヤバいやつじゃねえか!
もちろん、眉村和には見えていないのだろう。
「あ、あっと、そういうことなんで、またあとで」
「……」
俺はそそくさと図書室を出ようとしたが、一人きり眉村和を残していくことに気が引けた。見えないと言っても、あの不気味なやつと一緒にほっておくのはダメだろ。
「で、出よう」
「えっ」
俺は眉村和の手を引いて、図書室を出た。
「わ、悪い。他意はない」
「……はあ」
ちょっと驚いたようだが、眉村和は相変わらずうつむきがちで言葉少なだ。
「なんて言ったらいいのか!」
やべ、声のボリューム上げすぎた。
眉村和がびっくりして顔を上げた。
普段あまり喋ってないぼっちは、こういうときほんと上手くできない。しかも相手が落ち込んでる女子だから余計コントロールが利かない。俺のオーディオを設定したやつがいたら、文句言ってやりたい。
「……あの、なんていうか。眉村さんは気にしなくていいと思うんだ」
「……」
「無責任なこと言うけど、もうこれ眉村さんと関係ない話だから。俺と眉村の話だから。つまり他人事だから俺に謝らなくていいし、眉村にも何も言わなくていい。今日のことなんて放っておいて、遊びに行ったらどうかと思う。カラオケとか? 映画とか? わからんけど。──明日には俺の顔なんて忘れて、アドレスも消せば何もなかったことになってるはず。あ、もちろんケガのほうは責任持つよ?」
なんだか言葉が止まらなかった。支離滅裂。やたら早口だし、裏返ってるし、必死すぎる。自分で言いながら、キモさに鳥肌が立った。
見ろよ、眉村和の顔!
ドン引きだよ!
「……カラオケって一人でも行けるんですか?」
「あっ……え?」
「カラオケ、あまり行ったことがなくて」
「ぼっちなんで……俺はよく一人で……アニソンとか」
アニソンは余計だろ!
なんで俺、女子の前でセルフ公開処刑になってんの。
さっきの暴走早口もあって顔が熱い。
「そうですか。一人で行ってもいいんですね」
「イイヨ」
「じゃあ、今度行ってみようかな……」
ほのかに眉村和は笑みを浮かべた。