第五話
「リンリン、向かいビルの二階に悪霊がいる」
詩雲も声に反応した輪は、銃口を向ける。だが視覚からでは判断できない位置にいるらしく、悪霊の姿が見当たらなかった。
「悪霊を探知できるのは有り難いけど、狙う手段がないからどうしようもないんですけど」
「そう、なら私が狩るね」
詩雲の声を伝達する蜂に受け答えながら、輪はその場から少し離れた。突如悪霊がいた思われるビルが燐光ように輝き出し、断末魔が響き渡ると同時に光が消沈する。
詩雲の狙撃能力の高さに改めて惚れ惚れしてしまうが、もうちょっと周囲のことを考えてほしかった。辺りから輪へと群がるように、悪霊が集まり始める。
腐敗者。群がるように顔を出した悪霊は、雑霊に指定される下級の憑依霊であった。特に知性のある動物の死体に取り付き、質の良い死体を求めづつける存在である。
視界に映るのは、大型犬3~4匹で、あとは数十匹ぐらいの子鼠だ。だが強いて言うほど強くはない。腐敗者は、取り付いた死体の身体能力を数段階引き上げるくらいの強化しか持ち合わせていないので、吸蛾の比べると大した相手ではない。
「恨むなら、詩雲先輩にしてくれ」
輪を起点にして、円状に術式が浮かび上がる。現在使用している術式は、水系統の結界術だ。悪霊に取っては無害に等しく、多少動き怯んだくらいであるが、輪にとってはなくてはならない術式である。
「たまや~」
涼やかな詩雲の声音を蜂から轟くと、冷や冷やする輪の気持ちなど、置いてけぼりにして光の弾丸が真上から降り注ぐ。辺りの満遍なく照らた光は、雨のように降る注ぎ、腐敗者たちを一匹残らず浄化する。断末魔すら上げられない勢いで、浄化した弾丸は役目を終えると光の粒子へと消えて、そこに輪だけがぽっんと直立不動で立っていた。
「分かってはいたけど、こうも容赦なく攻撃されると人間不信になりそうで怖い」
「お疲れさん、リンリンいると狩りがぐーと上がて、いつもより数倍楽しいよ。一家に一体ほしいくらいかな」
この作戦を考えたのは七海だ。輪に見たいに礼装が使えず、潜在する霊力が多い者を効率よく使うために編み出された方法である。輪としては不遇であるが、少しでも悪霊から一般人を避けるため、しぶしぶ納得して手伝っているのだ。
「礼装使えないのに霊力だけが七海と同等の量を持っているなんてリンリンってやっぱ可笑しい」
「そんなこと言われても、知りません。そもそも俺が教えてほしいくらいですよ」
輪ですらも自分の霊力量に目を引いている。まだ霊力が人並み以下ですよ、と言われたほうが納得ができてしまうくらいに自分の力を自覚していないのだ。
霊力とは、生命が宿る者に備わった魂の欠片のことである。個々によって質、量が異なり、両方とも最高位に達した者が霊媒師としての才能が在るものだ。質に関しては生まれた時に、良し悪しがある程度判明してしまうため、どう足掻いても変わることはない。だが努力次第で霊力量を増やすことは可能である。人間の成長に合わせて、第一成長期と第二成長期の間に最も増え、それ以降は年を取るごとに増えにくくなっていると実証されている。
個々によって上昇具合が変わってくるため、はっきり言えたことではないが、第一成長期に悪霊と関わった者の方が優れた霊媒師になるケースが多い。実際、七海がそれに該当するが、まだ赤子であったため、当時のことをほとんど覚えていないとぼやいていた。
輪は悪霊が居なくなったことを確認し終えると、その場を離れる。ここの区域は、避難が完了しているらしく、人っ子一人見渡らない。まぁ、数日間もあればゴーストタウンにさせるのも可能だろうな、と抱いていると蜂の動きが急に停止する。
「詩雲先輩、蜂が動きません」
「マジ」
「はい」
通信は無事に機能しているらしく、詩雲と会話することができる。だけど、詩雲の方は意外と動揺しているようで、原因を探るために一旦通信を切った。
数分後、口調が変わらないまま元気な下げな声が響く。
「リンリンごめん、調べても原因が分からなかった。通信機能と探知機能は無事だから、サポートする分には支障ない。だけど、原因が不確定だから続行するかはリンリンが決めていいよ」
そういっても、輪も心配であった。この蜂は、礼装媒体を変質させた詩雲の礼装である。術式で操る人形とは訳が違い、雑霊クラスの攻撃にも耐えられる防御性を有し、魂の断片を形土った生きる生物なのだ。
よって、理由もなしに行動不能になることは珍しく、大抵は礼装媒体の手入れを怠ったことが原因であるが、数時間単位で手入れする詩雲がそんなミスをする訳がない。
ねぇ、お兄さん。
なんでここにいるの。
気付くと輪の視界には、雪化粧のように真っ白に染めた白髪と、底が見えない青々とした瞳の少女が立っていた。突然のことで思考が追い付かないまま、輪はその場に立ちすくむ。
「リンリン、どうしたの」
さすがに、詩雲も異変に気付いたようで、声を掛ける。だが、少女はそんなのお構い無しに、ニッコリと微笑みながら指を鳴らす。
早くしないとあの子が死んじゃうよ。
何かの合図であったらしく、白髪の少女と輪を覆う規模の光が構築して、辺りを白く染める。
輪はただ眺めることしかできなかった。
# # #
暴食者は、邪霊に属する地縛霊と怨霊の混合集合体だ。固有能力と呼ばれる人を喰らって会得した力を持ち、理性を持つ悪霊である。個体差によって使う能力が異なり、食した魂の数だけ能力が変化するとされている。
ざっと数十の生首。
綺麗に吊るされたそれは見せびらかせるように陳列して、輪の瞳に映される。何が起きているのか分からず戸惑うが、肉体を襲うふらつきには見覚えがあった。規模は縮小されてどのくらいの距離まで移動したのか、検討しかねるが転移術式の類いであるのはわかった。
久しぶりに見る光景。
血液が沸騰するかのように押し寄せてくる動悸。
胃が握り潰されるように逆流する吐き気。
ああはなりたくという拒絶。
自分の無力さ。
慣れた手付きでその場に、異物を吐き捨てる。
「リンリンは本当に面白いね。一瞬で敵の本拠地に転移するなんて、どんな裏技を使ったの」
運よく蜂も転移に巻き込まれたらしく、詩雲の声が響く。一先ず輪は通信圏内にいることが分かり、安心した。
詩雲の口調で大まかな位置を察した。たぶん暴食者の作り出した領域内であることを。来る前に、七海から今回の襲撃と、暴食者について聞かされている。主犯各である暴食者は数日間食べ散らかすと、お気に召したらしく区域丸ごと自分の領域にしたらしい。
そして救助に向かった多くの霊媒師が殺し、もう領域内の者は助からないと判断した司令官は、時間稼ぎの捨て駒として切り捨てた。
悪化したこの状況ではどうしようもないは理解できる、だが輪は納得できなかった。暴食者が領内に引きこもっている間に、まだ避難できてない箇所に力を入れるのは全うな判断だろう。
「人の反応ありますか」
「ある、けどもう無理。その子が最後の生き残りだと思う、だけどもうじき死ぬ」
詩雲は淡々と落ち着いて告げる。無関心に振る舞うのは、詩雲の気遣いだと察しても見過ごす訳に行かなかった。
「場所とサポートお願い」
「正気、死にたいの」
詩雲はまだ気付いていないようだけど、輪は8割程度の霊力を失っていた。白髪の少女が何者かわからないままであるが、一つだけ言えることはこの転移は輪の霊力を用いて発動したことである。
そして、逃げ切れる可能性が低い。まだ全ての霊力を肉体強化に充てれば、可能性は合っただろうが、今の輪ではそれすら実行できないので手段が限られてくる。
残る霊力を惜しみなく使っても、追い付かれるのも目に見えているし、もうとっくに暴食者に探知されているので、自ら死を選ぶのと変わらない。
始めから輪の選択肢など無かった。
戦うしか。
「七分かな、こっちで後はどうにかするから、それまでに生存者救っておさらばするよ」
「さすが詩雲先輩、ノリノリですね」
「こんな体験早々にないから、楽しまないと損でしょ」
詩雲は興奮していた。手の震えが先ほどから止まらなく、少しでもヘマをしたら輪の命がないのに、全身のウズウズが共鳴するかのように増幅していく。
そして無邪気な子ども見たい、笑う。
詩雲の指示に、輪は大地を踏みしめて駆ける。滴った真っ赤な液体が、飛沫を上げて衣服に付着するも輪は動じない。そして黙々と、加速と肉体強化の術式を完成させ、全力疾走する。
術式の同時使用により、重度の疲労が肉体に負い、輪の身体は限界に達していた。無茶するのは百毛承知でも、全身を襲う痛みには耐えられなかったらしく、瞳を潤している。
「後、どのくらい」
「3分程度だけど、このままだと無理。だからちょっと命の保証ができないけど、あれ使うから結界の準備よろ」
「あれって・・・・・・なぁああ」
突如、蜂が熱されたように赤く染まる。すぐに爆発類の術式だと判断できるも、いつの間にそんな機能が追加されているんだよ、と思いながら、泣けなしに結界を張る。
爆風の勢いに任せながら、飛ばされると輪の瞳に彼女が映る。距離があるため、まだこちらには気付いていないが、わかったことがある。
死を望む者。
彼女は、暴食者を見据えながら、待ち遠しそうに座り込んでいた。血を思わす深紅の髪と、灰色に染まった瞳を宿す少女が、屍の荒野に。
何もかも失い、生きる希望すら捨てた悲しき姿で。
「見せてやる、たった一握りの希望って言うやつを」
輪は歯を食い縛る。
そして悪し者を浄化するために、銃口を向けた。