第四話
「ふぁぁああ」
片手で目をゴシゴシと擦ると、輪は筋肉痛で痛む肉体に鞭を打って、立ち上がる。野間市から自宅に戻った後、さすがに二日連続で悪霊の依頼をこなすのは無茶だったようで、玄関を開けると同時にベットに直行して意識が途絶えてしまったらしい。
「ねぇ、輪くん。いつもこんなみすぼらしい生活しているの」
いつもの日課で冷蔵庫に直行すると背後から聞き慣れた声が響く。振り向かなくて正体は声で察したが、なぜ一人部屋である輪の部屋に彼女のいるのか疑問に思い、寝起きで不機嫌混じりの声で問う。
「よぉ、七海。何でも俺の部屋にいるんだ」
「可愛そうな眠り姫を起こしに来たからよ。その調子だとまだ寝坊していることに気付いていなそうだから、はっきり言わせて貰うわ。今12時よ」
「へぇえー」
輪は昨日の帰りに買った食パンの耳を口に加えながら、聞き流すように七海の話を聞く。自分の部屋に異性と二人きりという小説とかで見掛けるシチュエーションを体験しているが然程驚くことはなかった。一ヶ月に数回も訪れられていると嫌で慣れてしまい、驚くのも面倒になってしまったからだろう。
今なんとおしゃった。12時だと。
「おいおい七海、確認するけど現在午後12時で間違いない」
「ええ、その通りよ」
手探りでその場に合ったスマホに電源を入れて、時刻を確認するとお昼時の12時1分になったところだった。もう寝坊を通り過ぎてサボりの領域だな、と一瞬間抜けなことを考えて、現実逃避仕掛ける。
だが失ってしまった時間はもう帰ってこないので、どの単位を落としたかを確認するためにスマホに送られてくる今週の授業日程を眺めていると、ふと午後に授業があることに気付く。
「おい、七海。午後の授業って何だったけ」
「呪術よ。だけど輪くんは行かなくてもいいわ。これから私に付き合うという名目で休ませたから」
「・・・」
「と言っても行くのは戦場だから、さっさと身支度を済ませなさい」
軽いジョークのようなノリで戦場に行くと言われても、返答に困る。だけど七海が戦場に行くと言ったら、本当に行くのだろうと思い、嘘か真か確認せず、輪は気持ちを切り替え黙々と準備していく。
さすがに異性のいる前でパンツ一丁になるの世間体的に危ないので、もう一度七海のいる方へ振り向く。だが心配は不要だったらしく、七海の姿は消えていた。
水系統の気配遮断で姿を眩ませと思われるが、ここまで精度の高い術式を速攻で発動させられるのは七海だからだろう。
輪でさえも発動させるのに5分かかる上に、精度を上げるとなると後2分必要であるため、意図も簡単に使う七海につい嫉妬してしまうが、真似してできるようなものでもないので早々に身支度を整える。
「お待たせ」
「意外と早かったわね。手持ち装備の調整で結構時間掛かると思っていたけど」
玄関に出ると七海が腕組みしながら、壁にもたれ掛かっていた。表情には一切出していないが、苛立ちを押さえるように冷気を波乱だ雰囲気から、緊急を要する案件であると察する。
七海の長所は相手のことを気遣って表情を繕うことが出来る所であるが、隠すのは表情だけで無意識に発する殺気から現状の良し悪しが判断出来てしまう。
「さっさと話せ、七海。態度から悪い方向に進んでいるの分かったから」
「察しがよくて助かるわ。時間短縮したいから歩きながら、話しましょう」
歩くと言っても七海からして見れば走ることを指すらしく、輪ことなど置いてきぼりにしてぐんぐんと前進していく。輪も見す見すと眺めている訳には行かないので、脳にふらつきを覚えるも全力で七海の後を追う。
溜め息混じりに空気を吐き、輪は筋肉痛で痛む体に術式を書き込む。回復術式は肉体を癒すことができるため、便利だと誤解されがちだが、強いて言うほど効率が良くない。一時的に肉体を癒すだけ、その分の負担は後日になって戻ってくるため、万能とは言いがたい。
だが多少の無茶をしないと、輪の場合都会を歩く蟻が一瞬で潰されてしまうような感じで死んでしまう。自分を低評価し過ぎだと思われるがこれが常識である。
並走になった輪の瞳を見据えながら、七海は突き放したように壮絶な結末を話す。仕事だと割り切ったように淡々と話す七海に怖さを感じも、今はどうでもよかった。
「死者約904名、悪霊固有名 暴食者よ」
「・・・」
# # #
七海から大まかな状況を聞いた後、輪たちは学校に登校していた。だが勉強するために訪れたのでなく、敷地内にある転移陣に用があるからだ。
「七海、後どのくらい」
「数十分程度よ。その間にあの子呼んで来ておいて、多分訓練場にいるから」
設置させれている陣を器用に操作しながら、七海は輪に指示する。七海もさすがに転移術式までは短縮できないようで、いたすら座標の計算に明け暮れている。
別に輪も転移術式の基礎は学んでいるので補佐ぐらいなら可能であるが、上位術式になると使用制限が掛けられ、まだ【輝位】にすら至っていない輪では手伝うことも禁止されている。なので、自分の気持ちで動向できる訳ではないので、不本意ながら指示に従う。
ちなみに輪の階級は、新米に位置する【準位】である。中等部の3年間で悪霊祓いの基礎を身に付けた者に与えられる位で、【準位】から依頼を受け持つが許可されている。輪もいちょう輝位習得を目指しているが、ここから先は経験者の領域であるため、簡単にはいかないのである。
そうこうするうちに、訓練場に着いた輪は作法に乗っ取り静かに戸を開ける。視界に映るのは壮絶の技と技の掛け合い勝負だった。
見てるだけで圧巻してしまう光景は、輪など始めから居なかったように続いていく。だが時間は限られているので、存在をアーピルするためになるべく大きな声で呼ぶ。
やっと輪の存在に気付いた二人は、模擬試合を止めると、床に置かれていたタオルで汗を拭いながら近寄ってくる。
一人は印象的な物を愛用しているので、一目でわかった。
詩雲蜜は、輪より一つ上の学生で【輝位】を持つ女性の霊媒師である。体格の方は順調に成長しなかったようで幼児体型であるが、何故かいつもグラサンを掛けている。
理由を聞いても秘密と言うだけ、教えてくないが別に似合ってなくもないので、意外と評判がよかったりもする。
「リンリンじゃん、どうしたの。もしかしてお金がなく、ついに授業すら受けられなくなって路頭に迷っている感じ」
「詩雲先輩、金不足までは真実ですが授業料は毎月払っていますよ」
「相変わらず、リンリンはお金ないだ。ななみんから臨時パーティーに加わるのは聞いているから説明は省いていいよ」
そう言うと、詩雲は拭き終えたタオルをしまいながら、左手でトランクケースを持ち上げる。体格的に無理なんじゃないかと思われるが、トランクケース事態に術式が込められているため、見た目よりも重たくないらしい。
「そんじゃ、狩りに行きますか」
サングラスで詩雲の表情は読み取れないが、トランクケースを背負ってうきうきしている姿から、戦場に行くことを楽しんでいるかのように感じた。
# # #
「準備はいいわね」
七海は総勢約100名の前で、高らかにそう告げる。緊急で霊媒師らをかき集めた割に少ないと思われるが、数日前に転移陣を使って優秀な者を送っているそうだ。
だぶん、そのせいで吸蛾みたいな悪霊の大発生に対処が遅れたと思われるが、誰も同時期に悪霊に襲われるとは考えていなかったのだろう。
「転移発動」
七海を含めた位の高い霊媒師らによって発動したそれは、陣を青く光らせながら、次々に人を消していく。輪も数回ほど転移させて貰った経験があるが、一瞬で視界が変わるので心臓に悪く、毎度驚愕してしまう。
転移した輪はゆっくりと瞼を開くと、人が住んでいた街とは思えない光景が広がっていた。
崩壊した建物。
無惨に並べられたの人の死体。
今さら躊躇することなど許されるはずもなく、転移した霊媒師たちが黙々とやるべきことをこなしていく。輪も七海から大雑把であるが到着時の行動を聞いているので、銃を抜き戦闘準備をする。
「リンリン、顔色悪そうだけど、まさか漏らした訳じゃないよね。パンツの代え女性のやつのしかないから、貸してやれないよ」
「・・・」
詩雲が居ることに輪は安心をした。もし一人でこの光景を間のわたりにしていたら、悪夢に囚われて立ち直れなくなっていただろう。
心配にしてくる詩雲には有りがたいけど、もうちょっと言い方を考えてほしかった。ここまま沈黙が続いていると、輪が本当に漏らしてしまったと誤解されてしまうので、早々に否定する。
「漏らしてませんよ。時間はないのでさっさと行きますよ」
「そこは漏らしました。パンツ貸してくださいって言う所だよ。もう」
そうこうするうちに、七海が訪れて臨時パーティーが全員揃う。といっても七海みたいな上位の霊媒師は単独で動いて貰った方が効率がいいので、情報を教えると一言添えて立ち去る。
「自分のことを最優先に考えなさい、それが生き残るコツよ」
いつも戦場に来るたびに同じことを言うので、輪は聞きなれてしまった。だが七海の言うことは正しいけど、微かに救える希望があるのなら、助けたいと思うのが輪の心情だ。
「いつもの感じでサクサク浄化していくよ」
「はい」
詩雲の声は場違いなくらい辺りに響き、輪の精神を落ち着かせる。
それが霊媒師の在り方である限り。浄化という死を与え続ける宿命、消えることのない因果は誰もがもつ呪詛へと変えていくのだろう。
今さら後悔など許されない、この道で生きると誓ったのだから。