第五話 黒い雨に濡れる屍
土砂降りの雨の中で凹凸の険しい道を勢いよく馬車が走っていた。人や馬車が通る事で徐々に作られていた唯の通り道が雨の所為で余計に道がぬかるみ、馬車が通る度に泥が飛び散り道を歪ませる。
そんな悪路を御者は荷台の事を気にせず早く王都に着きたいという一心で馬に鞭を打った。馬は一際大きく嘶くと、馬車全体が激しく揺れる程に速度を上げた。しかし、荷台が大きく揺れ動いても誰も御者を責める者はいなかった。
荷台に積み込まれていたのはギルドから頼まれた冒険者たちの死体であり、全て簡素な麻布に被せられていた。つまるところ、御者にとって荷台の死体たちは唯の重い置物でしかなかったのである。
そんな嫌な運び仕事に加え、この悪天候が御者の気分を憂鬱のものに変えていく。ようやく長く暗い森を抜けた先に現れたのは円状の王都を包む高い外壁だった。馬車の速度を緩めた御者は遠くに見えた門に安心感を抱き、忍び寄る死臭から解き放たれたのであった。
「それでは、通行許可証を拝見します。」
門番は何度も同じ台詞を言って疲れたのか、それとも勤務時間の終わりを示す夜の時間帯からなのか、御者から受け取った許可証を面倒臭そうに確認する。
「許可証に問題はありません。荷台の中身は何ですか?」
「私の口からは言いたくありませんね、ご自分で確かめたらどうです?」
先程の門番の雑な対応に嫌気がさした御者は、後方の荷台の点検を門番に勝手にやるよう促した。勤務終わり間近に反抗的な態度を見せられた門番は腹立たしい気分になり、何としてでも荷台の粗を探して通行を拒否しようと考えた。
しかし、荷台に積まれている死体の山を一瞥した門番はすぐに考えを改めた。意気消沈した門番は詳しく調べるのを止めて御者に同情したのだった。
「あの……申し訳ありませんでした。この雨のもとで死体運びとは大変ですね、通っていいですよ。」
疲れ切った御者は頷くのが精一杯で返答する事すらできなかった。目的地である冒険者ギルドを目指して御者は再び馬に鞭を打つと、馬は嘶きながら舗装が乱れた石畳を進みだした。
それからすぐ後の事、夜の暗さと雨に視界を奪われていた御者は大きな石がある事に気が付かないでそのまま馬車を走らせた。案の定荷台は石に躓くと一際大きく揺れ、あろうことか一体の死体が荷台から転げ落ちてしまったのだ。
残念ながら御者は大きな揺れを感じても何か障害物に当たったのだろうと推測しただけで、気力のなさ故に後ろを振り返る事さえしなかった。馬の足の裏についた泥が転げ落ちた死体の顔にこびり付き、生色のない目を開けたままの死体は黒い雨に打たれ続けた。
夜に染められた雨に打たれ続ける一体の死体に天は情けをかけたのか、雨雲の中で唸っていた雷をその死体に落としたのだった。しかし、その死体は消し炭になる事はなく、雷が死体の首に掛けられていた木彫りのペンダントに吸収されてしまった。
すると暗闇の景色に一瞬の輝きをペンダントが見せ、それに伴い薄汚れた死体が咳込みながら息をぶり返したのだった。その死体は雨に濡れるばかりで立ち上がる事もできず、ぼんやりとした視界の中で助けを願う時が幾ばくばかり。
「誰……か……。た…す……け………。」
呼吸する事さえ満足にできない生者はそれでも可能な限りの声で救いを求め続けた。少しでも誰かの目に留まろうと往路の真ん中を目指して生者は懸命に手を伸ばす。
整備の雑な石畳を掴み、生者は身体を這うようにして引きずった。それによる擦り傷からは血が徐々に流れ出し、降りしきる雨と合わせて濁った血だまりを作る。
その様は生命に対する執着そのものであり、まるで人間としての本能を垣間見ているようであった。
誰も通らない事態に失望しそうになった時、夜中の嵐にも関わらず外套を羽織った二人組が奇跡的にもその道を通りがかったのだ。一人の男はそのまま道を通り過ぎたが、もう一人の女は生者の存在に気が付き雷雨の中を立ち止まった。
女は生者に冷徹な視線を向けながら一歩ずつ近づいていく。しかし、そこには一切の同情はなく、救う素振りすら見せなかった。
往路を一瞬の風が通り抜け、目深にかぶったはずの外套の頭部が大きく靡く。そこに見えたのは女の頬を雨が濡らす姿と、雷の明るさをもって描き出された侮蔑の瞳であった。
「貴方は……どうしたいのかしら?この世界には善良な人間などはいないわ。いるのは人間の皮をかぶった悪魔か魔物か、それか人間を演じたいだけの道化師だけよ。」
苦しみのあまり、どんな言葉も生者の耳に届くことはなかった。生者は死ぬ事から逃れたい一心で目の前の僅かな希望に縋り付く。
全ての可能性を賭けて、生者はなんとか女の足首を掴むに至った。汚れた手で自身の体の一部を触られても女は動じる事なく質問の答えを待ち続ける。
女は一向に待っても返答が来ない事を悲観し、生者を見捨てる決意を固めた。神でも何でもない女にとって救える存在には限りがあり、今の彼女には余剰がなかったのだ。
この生者は運が悪かった、唯それだけの事。残酷ではあるが、女はそう結論付けざるを得なかった。
遠方からやっとその様子に気が付いた男は急いで女にまとわりついた生者を蹴り飛ばす。容赦のない一撃を男は生者に食らわし、そこに一切の憐憫の情すら窺い得なかった。
「離れろ、死に損ない!」
壁にぶつけられた生者から微かな金属音が女の耳に届いた。彼女の視線は生者の手首に巻かれた金属製の腕輪に釘付けとなり、追い討ちをかけようとする男の腕を掴んで静止させる。
「レオナルド、そいつを宿まで持ち帰るわよ。」
「情でも移りましたか、クレア様?」
「馬鹿言わないで、あの腕輪は冒険者ギルドの認識票よ。最近配布されたのは一度限り、となると探索者の生き残りという事になるわ。」
「はっ?でも生存者はいないはずでは。」
「そのはずだけど、情報を鵜呑みにはできないわ。少しでも疑わしい可能性があるのなら調べてみる価値があるわよ。」
それを聞いた男は嫌そうに汚れきった生者を肩に担ぎ、女とともに往路を駆け抜ける。斜めに降りかかる激しい雷雨が生者の髪に付着した血や泥水をすすぎ落とし、その髪本来の色合いを浮き彫りにしていった。それはまるで満天の星空にすら存在感を放ち続ける月のような、淡い白さを含んだ銀髪であった。




