第三話 十字列車の休息
まるで呼吸をするかのように頭上から蒸気を発する巨体は汽笛の唸り声とともに加速していく。滑るように線路を走るその列車の前頭部は十字の紋様で彩られているが、一方側部は黒煙で覆われたみたいに地味であった。
定まった間隔で縦に揺れる列車の中から代わり映えのしない景色をリズは眺めており、窓に頭をつけながら車両全体の振動を身体に感じていた。窓から伝わる微弱な揺れは不思議と心地よく、彼女にとってその行為は退屈しのぎの一環でもあったのだ。
「マリー、着いたらまずはファーガス司教に挨拶に行く手筈よね?」
「確かそのはずよ。ブリジット様が直接連絡して下さるそうだから教会に泊まる事になるわ。」
「前みたいに無計画なマリーの所為で野宿せずに済むのね。」
「あれは仕方のない不幸な事故でしょ!」
わざとらしい口調でリズが煽るとマリアンヌは赤面しながら声を荒げた。リズは暇になる度に慣わしの如く、恥ずかしがるマリアンヌの可憐で少女のような心を弄ぶ。
いつも任務のために渡される十字列車の普通切符とは違う少し華やかな特急切符をリズは手に取り、今回の急ぎの任務の内容を思い出す。差し迫った状況が近づいているという事実がリズの悩みの種となっていたのだ。
そんなリズとマリアンヌの乗る車両の扉が開くと、車内販売をする乗務員の姿が見受けられた。清潔さを表す白い制服を着た乗務員は切符の確認と共に車内販売を穏やかに進めていく。
「二等客室はそうよね、食事車両の使える一等客室が良かったわ。少しぐらい贅沢させてくれてもいいのに。」
「贅沢以前にマリーの宝石の使用頻度が多すぎる事が原因よ。他の皆は一等客室と聞いたわ、宝石もただではないという訳かしら。」
「え?リズ、その話は本当なの?」
「ここで嘘を言ってどうするのよ……。第一、ブリジット様の使いの中で野宿した経験のある者は私たちぐらいしかいないわ。」
非難がましい視線を送るリズに対して、マリアンヌは初めて知った衝撃の事実に開いた口が塞がらなかった。固まったマリアンヌを他所に、リズは巡ってきた乗務員に特急切符を渡して軽いお菓子と飲み物を二人分注文する。
ようやく現実に戻ったマリアンヌは自身の無知さを恥じて、おずおずとリズの機嫌を伺う。美味しそうにお菓子を味わう彼女を見たマリアンヌは目を背けていた真実に迫る必要性を無性に感じた。
「もしかして、既にアンティエーゼ王国について調べ終わっているのかしら?」
「え?今頃何を言っているのよ、当然でしょ。」
「そ、そうよね。」
怪訝そうに反応したリズに合わせてマリアンヌは咄嗟に自身の顔に愛想笑いを貼り付ける。与えられた任務内容しか覚えていないマリアンヌは焦るように噂程度の情報を頭から捻り出した。
せめて前回の二の舞にならないようにリズから情報を引き出そうと、外の天気を漫然と眺める彼女にマリアンヌは会話を広げる支度を整えたのだった。
「ねぇ、リズ。アンティエーゼ王国と言えば、今は一人のお姫様が国の舵を取っているらしいけど……とても珍しい状態じゃないかしら?」
自分が馬鹿な発言をしていないとマリアンヌは信じながらリズが話に食いつく事を心から祈っていた。一方でリズはそんなマリアンヌの心中を察する事ができず、知識の擦り合わせがしたいのだろうと勝手に誤解していたのだ。
「仕方ないわよ、母親が暗殺されて父親が病気ではね。今の国が安定していると言う事は、きっとお姫様が懸命に努力した結果よ。」
「国王陛下でもない母親が暗殺されるなんて……。」
「庶民からは愛されていたけど貴族からは不満が続出していたらしいわ。どうやら貴族の特権階級に異を唱えていたそうよ。」
「庶民と貴族は考え方が根本から違うものね。判断の良し悪しは結局のところ……都合の良し悪しかしら?」
「平たく言うとそうなってしまうわ。正義の在り処なんて人それぞれよ、それを本来外野が口を出すべき話ではないのだけれど。」
自分たちにも降りかかるその言葉に口を噤んだリズは、ふとマリアンヌの膝の上に置いてある本に目を落とす。随分と読み込んだ形跡のあるその本はかねてからのマリアンヌのお気に入りの本であった。
リズは重い雰囲気を払拭しようとマリアンヌの好きな本の話題に思考を切り替える。話の腰を折らないようにリズは本を指しながら関連付けて会話を続けた。
「マリーの好きな英雄物語に鷲の王国って出てくるでしょ?実はね、その舞台はアンティエーゼ王国らしいのよ。」
「え!じゃあ、今も空を統べる契約が続いているのかしら?」
「流石にその話は作り話よ、大空を手にするなんてある訳ないでしょ。それに鳥の王者たる鷲が人間の言葉を介したなんて、架空にも程があるわ。」
マリアンヌは大好きな昔話の小説の舞台を知って大喜びであったが、リズに現実的な問題を指摘されて若干気持ちを沈ませてしまう。未だに少女のような心を持つマリアンヌの夢を壊す発言をしたリズは引け目を感じ、逃げるようにして現在乗っている特急列車の話題にすり替えた。
「それにしても、特急という事はかなり早く着くのかしら?」
「乗る前に時刻表を見たけど着くのは明日の朝か昼ね。当分着かないしリズは先に寝ていていいわよ、荷物は私が見ておくから。」
「そ、そう?では、先に休ませてもらうわ。」
あまり感情の籠っていない無気力なマリアンヌの言葉を聞いて、リズは胸の奥に小さな痛みを覚えた。傷心中のマリアンヌから視線を外したリズは変化した空模様にようやく気が付く。
「あれって……もうすぐ雨が降りそうね。」
「そうなの?もしかしたら向こうでも似たような天気なのかもしれないわね。」
「きっと……そう…前にも…見た……から。」
リズにつられて空を見るマリアンヌの目には空の様子が唯の曇天にしか映らなかった。しかし、暫くするとリズの予想通りに天から大粒の雫がこぼれ始めたのだ。
マリアンヌはその驚きをリズに伝えようと思って向き直ると彼女は知らぬ間に眠りに落ちていた。起こさないように気をつけながら、マリアンヌは荷物から毛布を取り出しそれを優しく彼女にかけて微笑んだ。




