第二話 教会の目と耳
古びた柱時計の秒針が規則正しく時を刻む度に機械仕掛けの歯車の嚙み合う音が聞こえてくる。寒々しい雰囲気の部屋の中で二人の男が退屈を紛らわそうと互いに肩の凝るようなぶ厚い本を読んでいた。
整然と並ぶ本棚には辞典の如き厚さを思わせる本ばかりが詰め込まれており、人を誘うような興味深い題目は何一つ記されていない。それでもカビ臭さが彷彿とさせたのは歴史的価値や伝統の味といった偉そうな印象であったのだ。
「グレン、貴方は先程から何を読んでいるのですか?」
「呪文使いの物語、謂わば伝承ですかね。ファーガス司教こそ、何をお読みで?」
「錬金の秘奥という題目ですが、中身は単なる不老不死の馬鹿馬鹿しい製法といったところですね。」
グレンとファーガスは時折こうして言葉を交えてはいるが、互いに本の活字に夢中で顔を合わせるという瞬間は読み始めて以来訪れた事はない。そんな埃と沈黙が漂った空間を引き裂くように備え付けられた電話の音が騒々しく鳴り響いた。
そんな目が覚めるような呼び出し音を両者は意に介す事なく無言で本を読み続ける。その言葉を為さない駆け引きに敗れたグレンは抑揚のない声で向かいに座るファーガスを煽った。
「ファーガス司教、鳴っていますよ?」
「グレンの方が近いので、貴方が取って下さい。」
「教会専用の電話を私が取ったら随分な目に合いますよ?」
グレンの挑発的な発言に後々の叱責を受ける未来を想像したファーガスは渋々読んでいた本を机に置き、面倒臭そうに受話器を手に取った。
「もしもし。」
「こちらはファーガスですが……どちら様でしょうか?」
「私の声を忘れましたか、ファーガス司教?」
自己紹介のない単なる辞令的な応対をした相手から突然の語気を鋭くした若干の怒りが飛び掛かってくる。普通の応対をしたはずのファーガスにいきなり声だけで人物を当てろという難題が向けられ、彼は酷く困惑した。
鈴を震わすような女性の声しか分からないファーガスではあったが、礼儀知らずな作法や失礼な態度から自分よりも目上の人物である事はすぐに理解できた。救いがあるとすれば、彼の司教という立場はそれなりの地位であるためにかなり人物を絞られた事であった。
「いえいえ、ブリジット様のお声を忘れた事などございません。ここ数日は方々からのご連絡が多々ありましたので、失礼のないように伺った次第です。」
「そうでしたか。戴冠祭もいよいよ明日に迫っている中で忙しいのは重々承知ですが、そちらに特命で使いを向かわせました。詳細はその者が伝えると思いますが、協力の程を宜しくお願いします。」
「分かりました、差し支えなければ何時頃のご到着か教えて頂けますか?」
「恐らくは明日の朝から昼にかけての時間帯かと。十字列車の特急に乗せたので遅くとも夕方には挨拶に行くはずです。では、頼みましたよ?」
相手からの電話が切れる音を確認したファーガスは溜息を吐きながら暫くその場で考え込む。結論が出た事を示す物憂げな表情の彼を横目で見たグレンは電話の相手を知りたいという衝動に駆られた。
座っていた定位置に戻り途中まで読んでいた本を取るファーガスに対して、本を置いたグレンは雑念のない顔で興味深そうに尋ねた。
「誰からだったんですか?」
「教会の総本山にいる預言者からでした……特命と言っていましたが、まず柩の件で間違いないでしょう。」
「嗅ぎつけるのが本当に早い、教会の目と耳は何処にでもあるという噂は強ち見当外れという訳でもないですね。」
「教会の目と耳、ですか。なるほど、確かにそうかもしれません。大方、預言者による星詠みの未来予知が噂の出どころですし……。」
柩に関する新しい情報を意図的に教会本部に遮断していたファーガスは預言者の話題で懸念していた事を思い出した。事が済んでから顛末を報告しつつ温めていた言い訳を述べよう画策していた彼は、預言者に全てが筒抜けであるという可能性に至ったのだ。
多少の情報漏れがある事は予想の範疇ではあったが、勘付かれる早さの異常さに彼は不安を隠さずにはいられなかった。電話越しの応対が預言者からの警告であるとすれば、尚更今後の展開が見込み違いになるかもしれないのだ。
ファーガスは本を閉じるや否や真剣な硬い表情でグレンの若草色の瞳を見つめる。そこには黒い短髪のグレンとは対照的な、色素の抜けきった長髪のファーガスの姿が映り込んでいた。
「グレン、聖人には気を付けて下さい。預言者の使いは必ずその類でしょうから。」
「聖人と言うと、魔術の起源は輪廻あたりですか?」
「当たらずとも遠からずと言ったところですね。私とグレンとの仲とはいえ、流石に魔術師の種明かしはできませんから。」
ファーガスは教会で出会った知人の顔を頭に浮かべながらグレンに軽く笑みを向ける。すると、グレンはそれに合わせて大袈裟に肩を落としてみせた。
「それからもう一つ重要な話です。古の失われた魔術を知る者は我々教会が殆どでしょうが、どうやら遺跡から集めた情報を基に神秘を創造しようとしている輩がいるらしいです。」
「なんとも興味深い話ですね。私のように魔術や魔法が使えない呪われた存在については?」
「さぁ、詳しくは知りませんが最奥への到達までは当分先の話でしょう。それにグレンは魔術や魔法よりも遥かに悪趣味な代わりの力を持ってますから問題ないかと。」
「そうですか……なら当分は聖人でもあるファーガス司教に十分気を付けると致しましょう。」
グレンに意表を突かれたファーガスは驚きのあまりに目を白黒とさせた。その姿に格別の充実感を得たグレンは笑いをかみ殺しながら再び本を取る。仲の良い友人でもある二人の間には和やかに時が流れ、団欒の雰囲気が部屋の冷たさを覆い隠していた。
そんなグレンの読んでいる呪文使いの物語には始まりと終わりの付近の頁が不自然に抜け落ちていた。正確に言うのであれば破り去られているといった具合である。そしてグレンの罠に掛ったファーガスもまた、錬金の秘奥のある項目が黒く塗り潰されていたのだ。
両者は互いになんら疑問を呈する事無く各々の本を読み進めていく。それはあたかも両者が隠された内容を知っているかのようであり、互いに気にする素振りすら見せなかった。似た者同士の二人が色濃く風景に溶け込み、刻々と時間が過ぎていったのであった。




