第十八話 駆け引きの一文
深い憂愁を秘めた夕映えが外の景色を彩る中、数多の馬車が城に詰めかけていた。そこから下車してくるのは貴族や諸国の王族ばかりであり、今宵の戴冠式に招待されていたのだった。
大軍が攻め込んでも崩れることのない分厚い薄墨色の石壁で覆われた城内の空間は歴史を感じさせる。そんな壁に設置された松明の炎によって暖められた空気は賓客の呼吸を重苦しくさせた。
城の存在の圧倒感に似つかわしい雰囲気の中に、何人もの侍女たちが燭台を持ちながら引っ切り無しに訪れる賓客の対応に追われていた。彼女たちは手際よく入城の手続きをこなし、賓客別の用意された部屋ないしは座席に案内していく。
「招待状はお持ちですか?」
そんな城内の慌ただしい様子を漫然と眺めていたクレアに声をかける侍女が現れた。彼女は清潔で身なりの行き届いた侍女らしい仕事着を着用しており、柔和な印象を与えていた。
招待状という言葉に少し逡巡したクレアは思い出すように今朝方届けられた封筒を取り出し、その中に仕舞われていた一枚の紙を手渡した。そこにはアレクシア=ウェルズリーと直筆の署名がされており、戴冠式の時間と場所が詳細に記載されていたのだ。
「問題ないわよね。」
「はい、確かに承りました。護衛は一名様までとなりますが、後ろの方でよろしいでしょうか?」
王族宛の招待状に手に汗を握る気持ちでいた侍従は、失礼の無いようにクレアの三歩程後ろにいるレオナルドを一瞥して確認を取る。しかし、その僅かな視線は彼のある一点を注視しており、クレアは侍女の意図を即座に察した。
「ええ、そうよ。レオナルド、腰のものを預けなさい。」
クレアの一言を聞いて、侍女は自身の賓客に対する不躾な態度と気を使わせてしまった事への恥ずかしさのあまり頬に朱を入れた。レオナルドはクレアの指示に逆らうことなく、護衛の命ともいえる腰に提げていた剣を侍従に突き出す。
「申し訳ありません、剣等は城内への持ち込みは固く禁じられておりますので……。」
深く彼女は腰を折りながら謝辞をクレアらに述べた後、手渡された剣を丁寧に預かり付近の別の侍女に言付けとともに持って行かせる。その後、燭台を片手に彼女は手で合図しながらクレアらを案内し、迷路のような城内の廊下や階段を上っていった。
クレアらは侍女に導かれるままに付いて行き、薄暗い廊下に敷かれた古びた色合いの絨毯の上を歩きながら、あちこちに飾られた見事な色彩が施された絵画や今にも動き出しそうな石像に珍しげな顔で目を向ける。
「こちらになります。何かあれば、この魔道具でなんなりとお申し付けください。」
ある一室の扉を開いた侍女はクレアらを中に通した後、呼び出し用の魔道具を渡して去っていった。厚手の皮で覆われた豪華な椅子に二人は腰掛け、式典が行われる劇場に集められた貴族を俯瞰する。クレアらはそんな大掛かりな舞台劇場の二階席の個室に通されたのだった。
「へ~、二階席とは豪勢ね。上からこの国の貴族を見下ろすなんて、まさに絶景よ。」
「それは何といってもクレア様は王族ですからね、揉め事は極力避けたいでしょうから。」
「今はまだよ、レオナルド。王族でいられるか、はたまた死人に成り果てるか、それはアレクシア姫の胸先三寸かしら。」
「そんな弱気な事をおっしゃらないで下さい。きっと上手くいきますよ。」
「……そうだといいわね。」
下に集まるアンティエーゼ王国の貴族たちは式典の始まりまで親交を厚くしていた。このように上級から下級までの貴族たちが集まるのは稀であり、この機に有力者と通じ合って生き残ろうとする姿が浅ましい程に映し出されていたのだ。
貴族の習性ともいえる行動を面白そうに見渡しているクレアの横で、物憂げな表情をしているレオナルドは宿を出た時から悩んでいた事を彼女に遂に打ち明けた。
「クレア様、護衛は本当に僕でよろしかったんでしょうか?帯剣を許されていないのなら、ベアトリスの方が適任かと思うのですが……。」
「さっきからそんな事を気にしていたの?ベアトリスは籍がうちの国にはないから、他国の式典で何かあった時に厄介事を招くわよ。別に帯剣していなくても貴方には魔法なり体術なりあるでしょ、私の護衛役に選ばれる程に腕は確かなのだから。」
「あっ、そうでした!剣ばかり使っていたのでうっかり。」
「貴方はその抜けたところがなければ完璧なんだけどね。まぁ、護衛役としては一流である事に自信を持ちなさい。」
「はい!」
どうやらレオナルドの耳には褒め言葉しか入っておらず、小言を聞き流している彼にクレアは呆れた風に肩をすぼめた。護衛の性格としては問題なのだが、彼女にとってはその能天気さに何度か救われた場面もあるからこそ彼の事を気に入ってはいたのだ。
レオナルドの心配事を払拭した彼女は暇な待ち時間の中で宿でのベアトリスの話を思い起こす。ベアトリスが知る限りの呪文使いについての知識はとても断片的であり、聞けば聞くほど謎が深まるばかりであったのだ。
「ねえ、レオナルド。貴方は禁呪使いの継承について未だに信じられるかしら?」
「あのベアトリスが言っていた真実ですか……そうですね、存在の捕食というのはクレア様と同じですから信憑性は高いかと。ですが、禁呪の一種である魂の交換というのはどうも怪しくて。」
「そうよね。それに限らず生死の境界を操ることのできる禁呪が幾つかあるなんて、この世の理から外れすぎているわ。」
「僕は禁呪それ自体よりも、禁呪使いに宿る者の寵愛という点が気がかりですけど。ベアトリスがアルメアをそう断定した決め手だったので……。」
「寵愛、ね。生贄の血筋という別称と関係があるのかしら?どれも整合が取れていないから、何がどこと繋がっているのかさっぱりよ。」
欠片の情報だけが独り歩きしている状態では全体像が見えるはずもないとクレアはようやく考え込むのを止めて、戴冠式の後の段取りを練ることにした。事前に調べ上げてきたアレクシアの柩に対する執着から、彼女に手を貸すことで相互扶助の関係を築くための算段を立てる。
彼女にとってアルメアとの出会いは当初の目的にそぐわぬ偶然の産物であり、アレクシアから協力を取り付ける最優先事項の成就に専念することにクレアは頭を切り替えた。そんなクレアにレオナルドが天啓のようにふと思い出した今朝の出来事について問いただす。
「ところでクレア様、あの一文は解読できましたか?」
「え?ああ、それについてはまだ何も。戴冠式の後は暫く城の貴賓室にいろって本当にどういう事かしらね。」
今朝方クレアらの下に届けられた封筒には招待状の他に一枚の手紙が同封されていた。何かしら秘めるべき内容であるのは疑いようもないが、そこに書かれた一文を氷解するには至らなかったのだ。
そこでは些かの議論の末にクレアの懸念する交渉ではないという結論に達したものの、依然として妙な胸騒ぎが拭い切れなかった。可能性に一筋の光明があるとすれば、アレクシアが画策している柩に付随する一件であるとクレアらは考えた。
そんな煮え切らない気持ちを抱いたまま、戴冠式の開始を告げる管楽器の音色が舞台劇場の四壁に反響する。それに伴い全身の感覚が冴えわたり、張られた弦のような緊迫感が会場を呑み込みだしたのだった。




