対峙 ②
橘の心の中は暗闇だった。
橘はすべてを支配しようとしていた。
家族・友人・クラスの人・教師、やつは心の中で眼に障るものを捕まえて蹂躙していた。泣き叫ぶ声、怒号が聞こえる。その中でやつは一人、毅然と立っていた。
自分を中心として近づくものは片っ端から汚していた。
触れたものは暗闇の中へ吸い込まれていく。
足元には無数の手が伸びていたが、やつはすべてを薙ぎ払うがごとく痛めつけている。
見ているだけで苦しくなった。
その中に桃香の姿もあった。
桃香も暗闇にまみれてもがいていた。
そして自分の苦しむ姿も見て取れた。
この中で奴の何を見ようというのか?
心を覗いてどうしようと思っていたのか
内面から浄化する?いや?そんな気は全く無い。
というよりこの光景を見れば無理だと一瞬で悟る。
俺は再び考えていた。
この暗闇の中にいる人たちを救いにきたのか?
いや、俺はあいつを暗闇の中に落として俺があそこに立とうとしていたのだ。
気づくと手にはナイフを持っていた。
あいつは笑ってこっちを見ている。
近づき橘に話しかけた。
「お前はここで終わりだ」
「本当にそう思うか?」
「何故お前はここに来た」
「お前をこの暗闇に引き摺り下ろすためだよ!」
そういって俺はやつの肩を掴んで横に投げ飛ばす。
橘は立ち上がり叫んだ。
そして暗闇の中から無数の鈍器を取り出しこちらに投げつけてきた。俺はそれを交わしながら奴に向かって体当たりをする。
橘は一瞬嗚咽するが、それでもまた叫びこちらに鈍器を投げつけてきた。
よく見るとその鈍器は骨で暗闇に落ちた人々の亡骸ではないかと感じた。
背筋に悪寒が走ったがそれくらいで足を止めるわけにはいかなかった。
俺も雄叫びを上げて橘に再び向かっていく。
今度は手にナイフがしっかりと握られていた。
橘はそれを交わし手からナイフを奪う、そしてそれを俺の背中に突き刺した。
背中に激痛が走り、顔は苦痛に歪んだ。
だがそれでも歩みを止める事はなかった。
よろけた先にあった鈍器を手にして奴の顔を思いきり殴った。
橘がよろめき鋭い視線がこちらに突き刺さってくる。
そんな事は関係ない。
もう一度殴るために大きく振りかぶった。
橘はその瞬間を待っていたかのように体をかがめてこちらにタックルしてきた。
俺はタックルの勢いに飛ばされ手から鈍器が零れ落ちる。
奴の顔は鬼の形相のごとく口は大きく横に避け、眼が血走っていた。
俺も負けないぐらいの気合を入れて奴をにらみつける。
足元には暗闇の中で苦しみもがく人たちがいた。
橘も俺ももがく人たちの手に足がしがみつかれていたが、そんな事は気にしなかった。
「お前の苦しむ顔が見える、そのまま闇に落ちてすべてを失い嘆き苦しむ。だがもう遅い、気づいた時にはすべて失った後だ。」
橘は俺の顔を見ながら笑っていた。
「うるさい、お前に他人の何がわかる。苦しむ人の上で笑っているだけだろう」
「どうして一緒に笑おうとしない」
「どうして人を苦しめる」
「何故奪う」
「だからお前のすべてを俺が奪ってやる。お前を暗闇に落として、俺が上から眺めてやる」
そう言って足元の腕を踏みつけながら奴に向かって突進していった。
「来るがいい、お前のすべてを否定してやる」
橘は俺の突進を受け止め横に打ち払う。
俺は再び立ち上がり、床にあった鈍器を投げつける。
何故か手にはまたナイフがあり、それを持って橘に向かっていた。
「やめるんだ!」
突然大きい声が聞こえた。
だが勢いに任せていた体は止まらなかった。
体が宙に浮く。
橘が遠ざかる。
橘はこちらを向いて、何かを叫んでいた。
俺はもがいて奴とまだ闘おうとしたが、体はどんどん離れていった。
橘が見えなくなるまで離れても興奮は冷はめなかった。
決着をつけられなかった事に怒りを覚えつつ、自分をあの場から連れ去った者が誰なのか、顔を上げて確かめようとした。
目の前には己雪さんがいた。
己雪さんの顔を見て目が覚めた。
怒りに燃えていた心は一瞬にして冷め、自分のしたことに呆然とした。
己雪さんは俺の事を抱きしめ、そして両肩に手を載せて、「大丈夫?」と一言言った。
俺は何も言えず、眼から涙が出てきた。
そんな俺を見てもう一度彼女は俺のことを抱きしめてくれた。
気持ちも落ち着かせてもう一度己雪さんの顔をみる。
己雪さんの目は充血して真っ赤になっていた。
「君は何故あんな事をしたの?」
「それは・・・・・・」
俺にもわからなかった。
エフの世界だからなのか刺された背中の傷はふさがりつつあった。
ただ、奴の部屋に入ってから怒りに我を忘れて暗闇に飲み込まれていた。
「エフは相手の感情に大きく左右されやすいの。あなたは彼の心に飲み込まれていたのよ」
俺はただただ情けなくて、また目から涙がこぼれた。
己雪さんはもう一度俺の顔を見てピシャリと平手打ちをした。
何故だが、そうして叩かれる事が彼女の優しさに感じた。
「すいませんでした。」
俺はただ謝ることしか出来なかった。
「どうしてここが分かったのですか?」
「ハルくんが教えてくれたのよ」
「ハルが?」
「えぇ。」
「ハルくんが私にメールしてきたの」
「馨さんを助けてください」
「そう言ってきたわ」
俺はハルがそんな事までするとは思っていなかった。
後でハルにお礼を言わないといけないな。そう思った。
己雪さんに抱きしめられてからもう大分落ち着きを取り戻していた。
後ろに気配がして後ろを振り返ると、エフの住人の自分が立っていた。
「大丈夫か?」
彼はなんだか申し訳無さそうにこっちを見ていた。
「すまない」
俺は彼が止めてくれたのに橘の部屋に乗り込んでいった事を悔いていた。
「いや、俺も謝らねばならない」
「何故?俺はお前の制止を振り切ってあいつの部屋にいったんだ」
「そうだが、奴の闇に落ちたのは俺が先立った。そのせいでお前も一緒に落ちてしまったのだろう。手にナイフを持っていたのは俺のイメージだ」
「そうだったのか、もういいよ」
「悪かったな」
「いや、俺も悪かった」
お互いに眼を見て何か感じるものがあった。
そう、俺が橘に怒りを持ったように彼もまた橘への怒りを増幅し続けていたのだろう。俺と彼は同じなのだから。同じことを考えていても不思議は無い。
「そろそろ戻ります。」
「そう、でも戻ったら大変な事になっているから気をつけてね」
「えっ?どういうことですか?」
「戻れば分かるわ。」
「それじゃあ、またね」
「ありがとうございました。」
彼女は高く飛びあっという間に去っていった。




