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新鋭と骨董のヘッドオン



 ―――空を飛ぶ、夢をみた。

 それは悲願だった。翼を持たない人類はあらゆる時代で空を見上げていた。

 神話に登場する空飛ぶ宮殿ヴィマナ。モンゴルフィア兄弟の熱気球。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチに残された原始的なヘリコプター。

 稚拙な空への憧憬はやがて航空力学として昇華され、多くの人命と予算を食い潰しながら正解へと近付いていった。

 まさに死闘であった。マジノ線に正面から挑むが如き、あまりに困難な挑戦であった。

 『人が空を飛べるはずがない』

 『空気より重い人工物が飛べるわけがない』

 『神への背徳行為である』

 『そも、彼らは狂人である』

 多くの誹りを受け、それでも空を諦められない愚者達の戦い。

 数多の学者達に否定された、揚力による人の飛行。鉄製のエンジンと粗末な翼を纏った人造の鳥は、しかし力強くキティホークの空を舞ったのだ。

 ただただ純粋なまでの、空への憧憬。そこに他意も打算もなく、技術者達はひたすらに空だけを見上げていた。

 あの青空を自由に飛びたい。鳥のようにどこまでも飛んでいきたい。

 ―――その真摯な願いが踏みにじられるまでに、僅か10年の歳月しか要さなかった。

 第一次世界大戦勃発。それまで空飛ぶ玩具だと笑われてきた飛行機の軍事的意義を確立し、初めて人が空で殺し合った戦争。

 そして更に27年後、1945年。日本国にとってのターニングポイントとなった太平洋戦争が終結。

 広大な太平洋という戦場を舞台とした、人類至上最も広範囲に渡って繰り広げられた戦争。

 幼子の夢のように淡い空を穢した血と硝煙と銃弾の驟雨はその日、ようやく降り止んだのだ。




 ―――それから100年。

 2045年2月14日。人類初の動力飛行から142年後の日本。

 九州の南に浮かぶ新南部十諸島の一つ、間助人(ますけと)島片隅の民家にて少年はまどろみから目を醒ました。


「お兄ちゃん、朝だよ」


 聞き親しんだ少女の声。


「もう、お兄ちゃん。遅刻しちゃうよー」


 身体を揺すられ、少年―――大和武蔵(やまと むさし)の意識は、ゆっくりと覚醒していく。


「もう少しいいだろ、遅れそうならゼロで飛ぶから……」


 しかし武蔵の睡眠欲は、少女の誘ぎを超過した。


「違反行為は駄目だよお兄ちゃん……起きないとイタズラしちゃうぞ?」


 耳元で囁く妹の声。だが武蔵は屈しない。

 寝ている兄に妹がイタズラ。ちょっと期待すらしていた。


「よいしょ、よいしょ」


 妹は可愛らしい声と共に、兄のズボンを脱がせていく。


「ちょ、おま、俺達は兄妹だぞ、よっしゃ来いや来いや!」


「えいっ!」


「ぎゃー!?」


 妹は兄の陰毛を引っこ抜いた。




「俺をパイパンにする気か……」


 白米、焼き魚、目玉焼き、味噌汁。これ以上とないお手本のような朝食を前に、武蔵は暗い表情で項垂れた。

 武蔵の妹である大和信濃(やまと しなの)は、文句の付けようのない美少女である。家事万能、学業優秀、才色兼備と非の打ち所のない女性だ。


「見て見てお兄ちゃん! この目玉焼き、双子だったんだよ! 精子がたっぷり注がれたんだね!」


「市販の卵は無精卵だっての」


 カタログスペックだけを見れば。


「でもお兄ちゃん、海外では下の毛をしっかりと処理するのが普通だって聞いたよ」


「ここは日本だ西洋カブレめ。……マジでみんなツルツルなのか」


 そう訊ね返す武蔵だが、彼にも覚えがあった。


「お兄ちゃんの持ってるエッチなビデオでも、海外ものはみんなツルツルだったしね」


「俺のコレクションをどーしてお前が観たのか、そこが問題だ」


「ほら、早く食べないと遅刻しちゃうよ。私はもう行くからねっ」


「いてらー」


 時間が迫ってものんびりと食事を続ける兄を見捨てて、信濃はさっさと家を飛び出していく。

 遠ざかる甲高い笛のような音を尻目に、武蔵は食事を続けるのであった。







 2045年。21世紀も半ばに差し掛かろうかという昨今だが、人々は数十年前とさして代わり映えしない生活を送っていた。

 無論、技術の進歩は多く果たされた。しかし自動車の基本形体が150年前から変化しないように、ナイフとフォークが形を変えず数世紀に渡って使用され続けてきたように、完成された技術というのはその形体を大きく変化させることはないのだ。

 人は今も昔も携帯電話を弄り、紙媒体の漫画で笑い、ベッドで眠る。

 一時は端末など脳に埋め込むようになると、漫画はすべて電子書籍となると、人は睡眠を取る必要などなくなると言われていたものの、結局変化など簡単には訪れないのだ。

 多くの難病の治療法が発見されたものの不老不死の技術などまだまだ確立されそうになく、有人宇宙船は依然として太陽系から脱出出来ていない。

 若者の生活も変わらない。将来に漠然とした不安を抱え、役に立つか判らない勉学に励み、これこそが学生の本分だといわんばかりに友人達との時間を浪費していく。

 武蔵も、そして彼を取り巻く者達もそんな少年少女であった。







「やあやあ、後輩くん! おはようっ」


「ん、ああ足柄先輩? おはようございます」


 校庭に着地して昇降口へと向かう最中、背後より肩を叩かれ武蔵は足を止めた。

 武蔵に話しかけたのは1年歳上の先輩、足柄妙子(あしがら たえこ)であった。同じ同好会の先輩であり、モデルのようなスタイルと容姿から男子生徒達の熱い視線を集める女性である。

 きっちりと妙子に向き直し、頭を下げる武蔵。図々しい彼といえど、彼女にはどうにも頭が上がらない。

 二人は一頻り挨拶して、共に昇降口へと向かって歩き出す。


「ねえ聞いた、転校生の噂?」


「この時期に転校生? 珍しいですね」


「なんでも本来来年度からの転校だったところ、家の都合で2ヶ月早まったんですって! これは裏がありそうね……」


「裏も表も、家の都合で2ヶ月早まったんでしょう……そういえば先輩、今日はバレンタインですよ」


「ええっ、それ自分から催促しちゃうの……?」


 呆れつつも、妙子は鞄から包みを取り出した。


「はい、市販品だけどチョコレート。ホワイトデーは期待しているわね」


「げへへっ、いつもすいませんねぇ、ありがたく頂戴しやす!」


「なんだか来年からあげる気になれなくなってきたわ」


 市販品と称したものの、妙子の用意したチョコはそれなりに小奇麗なものであった。

 友チョコよりランクが上であることは間違いなく、部活仲間故の優遇であるといえよう。


「つまり、先輩は俺を愛している……!?」


「フフ、どうかしら?」


 人差し指を唇に当て、ウインクを飛ばして誤魔化してしまう妙子。

 武蔵はゾクゾクした。俺、翻弄されてる。


「それじゃあ私は行くわね。ばぁい」


「あ、はい。また放課後に」







 この学校、雷間高校には食堂がある。

 近年は増加傾向にあるものの、多いとはいえない生徒数の割に規模の大きい立派な食堂。両親が単身赴任で不在のい大和兄妹は、ここで昼食をとるのが常であった。


「マリア、いつものとシーフードカレーを」


 そう告げたところ、食堂内部で仕事に勤しんでいたメイド姿の女性は驚くべきことに小さく頷き、日替わり定食とカレーを準備した。

 その様子に、目を丸くして驚く武蔵。


「『いつもの』が通じたぞ、人工知能の進化もバカに出来ないな」


 マリアと呼ばれた少女―――アンドロイドのメイドは、しかし武蔵の雑談には応じず次の客へと対応する。元より、彼女には会話機能がないのだ。

 業務用アンドロイドは今や珍しいものではない。この学校の食堂で勤務する彼女もまた、無機質の身体を持つ人造の人である。

 つまり、この食堂は無人の自動販売機なのだ。


「飯も全部どこかの工場で作ってるんだよな、手作りの有り難みがどんどん無くなっていくぜ」


 マリアの働く背中を見ながら、武蔵はぼんやりと調理を待つ。

 眼前のアンドロイドに特徴があるとすれば、彼女は世にも珍しい完全人間型の個体であった。

 倫理的問題から、アンドロイドは明確に人ならざるデザインで販売されている。異形の化け物のようなものではなく、愛嬌のあるアニメチックなロボット顔だ。

 勿論購入後に改造し、いかがわしい作業をさせる者もいる。そういった改造キットやアプリケーションすら存在している。

 しかしながらマリアは購入後に改造されたアンドロイドではない。設計から製造までをたった一人の手で行われた、フルオリジナルの機体なのである。


「ホント、ハカセパネー」


 大企業の製品以上のスペックを誇るマリア、その生みの親たる『ハカセ』に武蔵は畏敬の念を禁じ得なかった。完全人間型美少女アンドロイドを作ってしまったことではなく、純粋にその技術力に。


「お兄ちゃん、こっちこっち」


「おー」


 席を確保していた信濃の元へ向かい、定食とカレーを置く。

 信濃は呆れたように兄に言った。


「また日替わり定食? 毎日同じものでよく飽きないね」


「いや、毎日の変化を望んでいるからこそ日替わりを選んでいるんだろ」


「このブラートヴルスト・シュネッケンちょうだい」


「いやいや、これの名前はソーセージマルメターノだろ? ネットで見た」


「あはは、ネットを鵜呑みにするとかお兄ちゃん童貞ー」


「いやいやいや、童貞じゃないから」


「この前お兄ちゃんの部屋に、『童貞を卒業する為の108の言葉』って本があったよ」


「いやいやいやいや、あれはカバーだけだし。中身をカモフラージュするのが目的だし」


「うん、無修正のSMビデオだよね。私お兄ちゃんのことは大好きだけど、痛いのはちょっとやだなぁ」


「…………。」


「でもお兄ちゃんが望むなら、私頑張るよ。お兄ちゃんのこと縛ったり鞭で打ったり、なんでもしてみせるから」


「飯食え」


 公共の場に相応しい健全な雑談を交えつつ兄弟でテーブルを独占していると、やがてマリアが側にやってきた。


「ん? どうしたマリア?」


 無言で差し出される手紙。

 開くと、そこには今週のバイトのシフト表が封入されていた。


「ああ、持ってきてくれたのか? ありがとな」


 一礼し、マリアは踵を返す。

 武蔵は彼女を呼び止めた。


「ちょっと待ってくれ。マリア、お前は人間の指示には基本従うように出来ているんだよな」


 首肯するマリア。その動きに淀みはない。

 武蔵は確信した。これはイケる。


「パンツ見せて」


 武蔵はロケットパンチにて、3メートル20センチ飛翔した。







 武蔵は同好会に所属していた。

 この雷間高校においては同好会でもちゃんと予算が降りる。微々たるものだが、0ではない。


「先輩、今日は反射神経を鍛える特訓をしましょう」


「ま。うふふ、いいわよ! 負けた方が何か奢るっていうのは?」


「いいでしょう、ゴチになりやす!」


「でも私、今日持ち合わせがないのよねー」


「なぜ金のかかる罰ゲームにしたし」


 武蔵と妙子はなけなしの部費を手に、大苫地区のゲームセンターを訪れていた。

 時代が進もうと変化することのない、ゲームセンター特有の喧騒。二人と同じく学校帰りの学生に溢れた店内を慣れた様子で進んでいき、いつものゲームに取り掛かる。

 かつて流行したアメリカの戦闘機映画をモチーフとした、F−14XXを操るゲーム。しかも初代である。


「あら? なんだか騒がしいわね」


「喧嘩……ですかねぇ?」


 プレイを開始しようとした矢先、店内に人だかりがあることに気が付く。


「ちょっと見に行きましょ!」


「荒事だったら巻き込まれたくないので嫌です」


「武蔵君はほんとチキンね」


 しかしながら武蔵の推測は的外れではない。集まっているのは柄の悪い顔ぶれであり、周囲の人間はそれを避けていく。


「喧嘩というか、一方的に誰かを囲ってるわね」


「世の中は弱肉強食なのだ……弱いのはそれだけで罪なのだ」


「いけない、中にいるのは女の子だわ! それも可愛い娘よ!」


「ぶっ殺してやる!」


 武蔵は少女と男達の前に割って入った。


「ちょっとー! この娘は俺の獲物なんですけどー!」


「ひっ」


 少女はちょっと泣いた。


「な、なんだよお前?」


「黙れ愚連隊ども! 女の子を寄ってたかって虐めるなんて、恥ずかしいとは思わないのか! でもちょっと興奮する気持ちも解る!」


「なんか勘違いしてないか!? この子がサイフ落としたっていうから、俺達も探すの手伝おうとサイフの特徴聞いてたんだぞ!?」


 武蔵は土下座した。




 妙子も合流し、サイフ探しはほどなくして終わった。


「もう落とすんじゃねーぞ」


「気をつけて帰れよ、あんまこんな場所に寄り道すんじゃねえ」


「は、はい……」


 紳士的に見返りも求めず、背を向け立ち去る不良達。


「よく考えてみてくれ、俺がいなければサイフは見つからなかった! そうだろ? なあお礼といってはなんだが、連絡先を教えてくれたら俺超嬉しい!」


「あう、あう」


 がっつり見返りを求める武蔵。

 妙子は武蔵の首をマフラーで締めた。


「駄目よ、武蔵君! そんな可愛くない口説き方じゃ女の子は振り向かないわ!」


「むむむ、むごむごむご、むむむー!」


 首が締まり声を出せず、武蔵はモールス信号にて妙子にメッセージを送る。


「ねえ貴女! お名前、教えてほしいなぁ?」


 妙子は聞いちゃいなかった。


「むむごむごむごむ、むむごむごむむご、むむごむむごむご、むむ、むむごむごむむご」


「メーデーを符号で伝える人って初めて見たわ」


「気付いてるんじゃねーか!」


 すぽんと自力でマフラーから首を抜く武蔵。

 妙子は少女を抱き寄せ、武蔵に示す。


「あう、その、あのっ」


「かーあいいっ! ねえ武蔵君、この子連れて帰っちゃいましょう!」


「いいっスねぇ! げへへ、おじさん達と楽しいことしようぜぇ」


「そういう目でこの子を見ちゃダメよ! この子は私の妹にするの!」


「し、姉妹丼っ……! うお、鼻血が」


 少女は恐怖した。人見知りなのに調子にのってゲームセンターに繰り出したらこれである。


「ねえ貴女、お名前は?」


五十鈴、由良(いすず ゆら)、です」


 つい勢いに押され名乗ってしまい、由良は「しまった」と思った。個人情報は簡単に提示してはいけません。


「由良ちゃんか、君にぴったりの愛らしい名前だ! その制服は俺達と同じ雷間高校の生徒だな、出来れば学年とクラスと彼氏の有無を―――」


「あ、あの、その、サイフを探してくれてありがとうございます。私もう行きますから……!」


 そそくさと逃げ出す由良。本気で怖がっているのを感じ取り、流石の武蔵も追撃しかねる。


「あー、行っちゃった」


「もう! 武蔵君が紳士的じゃないからじゃない!」


「何を仰いますか、超紳士的だったでしょう! あの娘確実に俺に惚れましたよ」


「……武蔵君、犯罪するなら部を辞めてからにしてね」


 妙子は彼らが所属する同好会の存続の危機を感じた。







「では今日の部活を終了しまーす」


「おつかれしゃあーっしたぁー!」


 学校に戻った二人は別れ、それぞれの帰路につき自宅のある島へと向かう。

 しかし途中、唐突に歌が聞こえてきたことで武蔵は帰宅の足を止めた。


「なにこれ怖い」


 武蔵は新南部十諸島に含まれる、小さな島に降り立った。

 それなりの大きさだが、代表的な十島の一つではない。おそらくはどこかの企業が建設した島だろうと武蔵は考える。

 興味本位から耳を澄まし、歌声の主を探す。

 伴奏のない、アカペラの歌。不思議とそれが録音ではなく肉声であると、武蔵には直感的に理解出来た。

 綺麗な声であった。音楽に興味のない武蔵すら魅了するほどの、聖歌に相応しい声色であった。

 興味本位など既にどこかへ霧散した。歌声の主を見たいが為に、武蔵は声を辿って道なき道を進む。


「なんだこの島、やたらとセンサーが多いな?」


 今時防犯カメラやセンサーなど珍しくはないが、武蔵が侵入した島は木々や何気ない岩にカモフラージュされ過剰なまでに警備が厳重であった。

 その意味を深く考えることもなく、武蔵はセンサーを欺きつつ森を進む。幾度となく女子更衣室へ挑んだ彼だからこそ成せる、見事な業であった。

 ―――そして島端の崖に出た時、彼女を発見した。

 空へ向かい、聞き手のいない曲を歌う少女。

 生憎背中しか見えないが、武蔵は直感した。あれは美少女だと。


「―――っ、誰ですか!?」


「ひえーっ! ごめんなさいごめんなさい!」


 色々と後ろめたい部分の多い武蔵は、まず謝った。

 突然謝られた方も驚いた。


「あ、あの、本当に誰でしょうか?」


「ごめんなさいごめんなさい! 海風でスカート捲れないかと期待してごめんなさい!」


「ええっ……」


 少女は愕然とした。背後は崖、前には変態。文字通りの背水の陣である。


「すまない、君の歌が聞こえて―――つい、盗み聞きをしてしまった」


「そうですか、いえ、お気になさらず」


 取り乱しこそしたものの、すぐに柔和な笑みを浮かべ赦す少女。

 武蔵は確信した。天使だ。


「音楽には疎い俺がいうのもなんだが、凄く綺麗な歌声だった。惚れた」


「あ、あはは、ご冗談を」


 背水の陣である。


「あの、大和武蔵さんですよね?」


「何故俺の名前を―――はっ」


 武蔵の脳裏に閃くものがあった。


「も、もしかして君は俺のことをす―――」


「はい、私も雷間高校の生徒なので」


 閃きは的外れであった。


「……ってあれ、よく見たら生徒会長?」


「はい、生徒会長の朝雲花純(あさぐも かすみ)と申します」


 花純は恭しく頭を下げて名乗った。

 適任が不在だった等の理由から、1年生であるにも関わらず生徒会長を務める少女。全校集会など見かける機会は多々有り、武蔵も彼女の顔を見知っていた。

 しかしすぐに気が付く。生徒会長であることは、武蔵の顔を彼女が知っていた理由にはならない。


「もしかして、漫画でよくある『全校生徒の顔と名前を覚えている』ってやつ?」


「いえ、そうあるべきだとは思いますがさすがに……ですが一部の優秀な成績を残した方々の名前は存じております」


 武蔵が僅かに眉を顰めたことに気付かず、花純は指摘する。


「中学生の頃、部活動で見事な成績を残されたのですよね? 将来的には世界レベルの選手になると噂されていたのに、何故あの競技が盛んではない雷間高校に進学されたのですか?」


「あー、ほら、0からのスタートこそやり甲斐があるというか? 強い選手が揃った学校が優秀な成績を残すのは当然のことだし、あえて競技人口の少ない学校で結果を残してこそホンモノというか」


「なるほど、あえて自分を厳しい環境に晒していたのですね。ですが……」


 花純が言い淀む。

 武蔵が所属する同好会は部員が増えることもなく、入学から大会に出たことは一度もない。


「あはは、いやー見積もりが甘かった。部員が集まらなくってさ」


「きっと大丈夫ですよ。あと2ヶ月もすれば新入生も入ってきます、有望な選手も揃うでしょう」


「だといいですね、うんうん」


 あまりこの話題を続けたいとも思えない武蔵は、無理に話題を転換させる。


「ところで生徒会長さんは、ここによく来るのか?」


「よく来るといいますか……ここは実家なので」


「ああ、近所に住んでるんだ?」


「いえ、この島そのものが我が家の私有地です」


 武蔵、不法侵入者であった。


「え、あ、すまん! 位置情報見ないで適当に来たから、気付かなかったんだ」


「いえ、お気になさらないで下さい」


 この近海には数百の小さな島が存在するが、丸ごと個人の私有地となるとそう多くはない。

 外周1キロにも満たない本当に小さな別荘クラスの島となればともかく、それなりの規模となるこの島は相応の値段がするはずだった。


「もしかして、朝雲さんってお金持ち?」


「ええと、はあ」


 困ったように笑う花純。


「その、父は朝雲重工の取締役をしております」


「……また凄い名前が出てきたな」


 朝雲重工。国防事業にも大きく関わり合いを持つ、日本国屈指の重産業企業である。

 自動車から宇宙コロニーまで。幅広く日本の重工業を支え、メイドインジャパンの名を轟かせ続ける巨大資本。

 その令嬢ともなれば、この島丸ごとを実家としても不思議ではない。


「でもどうしてこんな日本の端っこに住んでいるんだ? 東京じゃないのか?」


 新南部十諸島は九州の南、沖縄との間に存在する。

 国際的な事業を展開する者の住処としては、あまり適切ではないだろう。


「いえ、むしろここの方が色々な場所に移動しやすいそうです。種子島宇宙港もありますし」


「ああなるほど? 最近じゃ弾道飛行で地球の裏側でも数時間って時代だしな」


「はい。それに重要ではない会議は通信で済ませることも多いですから、皆さんが思うより父はこの島にいることが多いんですよ」


「まったく、とんでもない時代になったもんだなぁ」


 思わず空を仰ぎ見ると、光の帯を残して宇宙船が空へと昇っていくところであった。


「スペースシップナイト、史上初の民間開発宇宙旅客機……マゼランは地球一周に3年かかったっていうのに、今じゃ欧州まで2時間だぜ? とんでもないな、技術の進歩は」


 マゼラン艦隊の移動速度を1,5年で半周とすれば、6570倍のスピードである。比較すること自体が馬鹿げているが、それでも尚感嘆を覚えずにはいられない差であった。


「マゼランさんは地球一周していませんよ」


「マジか」


「はい。途中でお亡くなりになっています。あ、そういえば」


 何かを思い出したのか、花純は手の平に拳をぽんと落とす。


「もうすぐ来られる転校生のことはご存知ですか?」


「ああ、噂程度なら」


「あの方も、欧州から地球を半周してくるそうです。大航海時代では命がけだった旅先の方とお友達になれるなんて、そう考えるととても不思議ですね」


「へえ」


 妙子曰く『訳有転校生』なる人物。まさか本当に事情があるなどとは思ってはいないが、それでも一応訊ねてみる。


「資料とかは届いてるんだろ? どんな人なんだ?」


「ふふっ、可愛らしい女の子でしたよ」


「マジか!」


「はい、まじです」


 武蔵は人目も憚らず露骨にガッツポーズをした。


「欧州のカワイコちゃんか……胸が高鳴るぜ」


「あの? 日本に不慣れな転校生さんに、あまり迷惑をかけてはいけませんよ?」


「わかってるって! ちゃーんと色々案内とかするぜ!」


「はい。きっと喜んで下さるでしょう」


「大苫地区の案内は必須だよな。遊べるところも俺は色々詳しいぜ」


 サムズアップしてみせる武蔵。


「人気の子供向け玩具屋から、評判の大人向け玩具屋まで熟知してるからな!」


「大人の玩具……?」


 ラジコンや船舶模型といった、年齢層の高い玩具だろうか、と首を傾げつつも納得する花純。

 そこに、怒声が届いた。


「こらーっ! ここは私有地だぞ!」


 警備員である。

 花純の知り合いであることを主張すれば誤魔化せるかもしれないが、色々とアレな主人公は真正面から弁明するという選択肢を早々に放棄し離脱することを決定した。


「しまった! それじゃあ会長さん、また学校で!」


「あ、はい。それと私のことは花純でいいですよ」


「わかったぜ花純! 愛してる!」


「へっ!?」


 武蔵は崖から飛び降りて、華麗に窮地から逃走したのであった。







 武蔵はアルバイトをしている。

 単身赴任の両親からは充分な生活費の振込があるものの、学生とは意外に入り用が嵩む。武蔵は浪費家ではないが、金はあって困るものではないのだ。

 よって、彼は自分の技能を活かせる場所にて働いていた。


「ハカセ、この過給器純正じゃないんですけどー」


「あー? 機械なんて口金さえ合えば動くんだよ、世の中お高い純正だけで動いていると思うな」


「合わないんですが」


「削れ。削って合わせろ」


 無茶な注文に、武蔵は旋盤へととぼとぼ向かう。

 武蔵の働く工場はあまり真っ当な場所ではなかった。雑多な依頼が舞い込み、それを節操なしに受けるちょっとアウトローな現場であった。

 それでも技術の高さから評価は高く、武蔵としても技術を磨けて給料もいいことから不満はない。


「これじゃあ大昔の日本軍だ、そのうち五角形のナットとか出てくるんじゃねぇの?」


 不満言いまくりであった。

 工業製品とは好き勝手組み替えていいものではない。例え一時的に稼働したとしても、なんならの不備や負担が必ずあるものだ。

 そういう意味では、この工場はかなり劣悪である。部品はスクラップの山から外して使うし、足りないものは自作上等。むしろ外注したら負けとまで言わんばかりだ。

 尚も仕事の完成度の高さを維持出来ているのは、やはり店長たる『ハカセ』の才気あってことであろう。飄々とした年齢不詳の彼のことを武蔵ですらよく知らないのだが、時々舞い込んでくる大手航空業者の困難な依頼でさえサラリとこなしてしまうあたり超一流のメカニックであることは疑いようがなかった。

 そも、『ハカセ』である。

 この人物が何故ハカセなのか、武蔵はよく知らない。というか博士号を持っているのかすら怪しい。

 それでも時に得体の知れないコネクションでとんでもない物を仕入れ、小規模な工場には不釣り合いな仕事を完遂してみせることから只者ではないと確信していた。


「マリア、ちょっと来てくれ」


 学校の食堂にいたアンドロイド、マリアを呼びつける。彼女はパートタイムで雷間高校に貸し出されているだけであり、本来はこの工場の所有品なのだ。


「電源くれくれ」


 端的に要求を伝えると、マリアはロングスカートの中からケーブルを引っ張り出す。

 この少女サイズのどこから高電力が供給されているのかかなり疑問であったが、今更ハカセの非常識さに驚きはしない武蔵は無言でケーブルを受け取った。


「あー、てがすべっちゃったー」


 そしてケーブルを上に引き上げ、スカートを捲くろうと試みた。

 ずるりとケーブルが伸びるだけで、スカートが捲れることはなかった。


「…………。」


 無言で武蔵を見つめるマリア。

 いたたまれなくなった武蔵は、とりあえず土下座した。

 マリアは武蔵の頭を踏んだ。




「おーい武蔵、外の露天駐機しているやつ全部屋内に入れてくれ」


「え、全部ですか?」


「全部だ」


 さらりと残業を要求してきたハカセに、武蔵は露骨に嫌そうな顔となる。


「しゃあないだろ、明日は爆弾低気圧で嵐だ。それもかなりどデカい奴だそうだ」


「普段から倉庫で展示しましょうよ、一々仕舞うとか面倒くさい」


「ここの倉庫はそんな広くない、スミソニアンみたいに混沌とした状況になるぞ」


 倉庫を広げる予算くらいあるくせに、と武蔵は内心愚痴る。


「ハカセは手伝ってくれないんですか?」


「俺はこいつの世話で忙しい」


 そういってハカセが叩くのは、駄々を捏ねてしまった旅客機用のリニアエンジンであった。

 専門業者しか手を出せないような精密機器を扱うあたり、やはりハカセの技術力は底が知れない。

 武蔵もリニアエンジンの修理などを行える自信はなく、泣く泣く展示品の収容に移る。

 車両を無免許運転し、商品をせっせと倉庫に仕舞っていく武蔵。側ではマリアが生身(?)で商品を牽引していく。


「んげ、もう降ってきた」


 ぱらぱらと雨粒が落ちてきて、武蔵は慌てた。

 商品は元より屋外での使用を前提としている、多少の雨風でやられるようなものではない。

 だが同時に脆弱な構造はデリケートさを孕み、女性のように丁重な扱いを無言で要求してくるのだ。


「ハカセー! この調子じゃ俺もう島に帰れませんよー!」


 工場のハカセに叫ぶと、彼はあっけからんと答える。


「どうせ明日は嵐で臨時休校だろー? 今晩は泊まってけ」


「んがぁ」


 これが初めてではないものの、男の家にお泊りなど武蔵の趣味ではない。


「マリアを抱きまくらとして提供して下さい」


「だめ」


 要望は却下された。







 翌朝は大雪であった。


「ぶはーっ、雪だぜ雪!」


「雪かき日和だな」


 工場で一晩を明かした武蔵とハカセは、外の惨劇に絶句した。なんとも見事な銀世界だ。

 九州より緯度の低い種子島でも、雪は降る。しかしそれは数年に一度降るか降らないか、それも薄っすらとが普通であり。

 こうもがっつりと降るなど滅多になく、二人とも初めての光景であった。


「うおおっ、足が埋まるっ」


 空が暗くなるほどの豪雪。否、本当の豪雪地帯出身者からすれば片腹痛い話であろうが、それでも種子島としては異例の積雪である。


「交通機関も軒並み麻痺してるだろうな。どします、ハカセ?」


「車両でガーッと片付けちまおう。車の改造は俺が作るから、武蔵はタイヤにチェーン巻いとけ」


「うっすうっす」


 小さな町工場とはいえ、こういう時はやはり対応が早い。彼らは短時間で除雪車を拵え、あっという間に敷地の雪を片付けてしまう。

 とはいえ雪は止む気配などなく、簡易除雪車と降雪のいたちごっこは続く。

 最終的に面倒になった二人は、マリアに車両の運転を任せて工場内に引き籠ることにした。


「お前ん家は大丈夫か?」


「そう思うんなら帰して下さい。妹が拗ねて面倒なんすよ」


 スマホには信濃から送られてきた大量のさびしんぼメール。『自撮りエロ画像付き』の文字にひっかかり、武蔵は一つ一つを丁寧に開いていかざるをえない。

 当然ながらそんな画像は一枚たりとも添付されていなかった。


「そんなことより、みかん食えみかん」


「親戚のおばさんかアンタ」


 工場併設のハカセ宅にて、野郎二人でコタツに入る。


「なんかテレビ付けて下さい」


「雇用主をリモコンにすんじゃねえ」


 言いつつも、素直にテレビを付けるハカセ。

 しかしテレビには信号を受信出来ない旨が表示されるばかりで、映像も音声も再現されることはなかった。


「あれー、雪でアンテナ逝ったかな?」


 ハカセがテレビをばしばし叩く。最新機器を修理可能な技術者の行動ではなかった。

 武蔵は身体をコタツから精一杯伸ばし、オーディオのような据え置き無線機のスイッチを入れる。


SPACE SHIP(スペースシップナイト) KNIGHT 243(243Bへ。) bravo, TANEGASHIMA Ground.(第三滑走路まで)runway 3(移動して下さい。)


「航空無線? テレビのアンテナと一緒ですよね?」


「塔ごとへし折れてるわけじゃなさそうだ。まあ直すのは雪降りやんでからだな」


 やってられるかとハカセはコタツに戻り、適当な棚を漁る。


「なんか見たいのあるか?」


「つーか今時ビデオテープって」


「うるせ。ローテク舐めんな」


 無線機からはひたすらに片言な英語が続いている。この雪だというのに種子島宇宙港は休まず稼働しているのだ。


「まあ宇宙まで雪の影響があるわけじゃないしな」


「そりゃそうです」


 答えつつ、無線機に再び手を伸ばす。


【―――こちら種子島タワー。スペースシップナイト155Aとの通信が途絶した】


 不穏な言葉に、武蔵は切ろうとした無線機のスイッチから手を離した。


【当機のビーコンネガティブ】


【155Aと思われる機影を確認。大気圏に再突入後、九州上空の低気圧内を旋回中。位置情報を喪失している模様】


エマーンジェシー(緊急事態発生。)(繰り返す、)エマーンジェシー(緊急事態発生)


 顔を見合わせる武蔵とハカセ。


「こいつもアンテナがイカれたんですかね?」


「外部と通信出来ないとなると不味いぞ、この嵐の中を機体センサーの情報だけで着地なんて不可能だ」


 内蔵バッテリーの電力が失われば、最新鋭の宇宙往還機であっても当然墜落する。

 平時ならば滑空の後に着水くらい出来る堅牢な設計の同機だが、この荒れた空ではそんな危険は犯せない。


【航空自衛隊に救援要請を求めます】


「まあ、そうなるか。無線が通じなくても直接エスコートして誘導すればいい」


 自分がどうこうする話でもない。武蔵は今度こそ無線機を切る。


「ん、これか?」


 携帯を弄り、なんとなく155Aの飛行経路を検索する。

 彼の飛行機は欧州から地球を半周し、種子島に降り立たんとしている機体であるらしかった。


「――――――。」


 欧州。

 美少女。


「行かなきゃ」


 武蔵は即座に行動に移った。


「行かなきゃ!」


「ちょ、おい!?」




 ハカセの工場地下、本命たる重要な品が並ぶ地下格納庫。

 格納庫に飛び込むと、複数鎮座する機体から武蔵は迷わず白い翼を選ぶ。

 すらりと伸びた銀翼。曲線から構成された胴体に、黒く塗られた機首のエンジンカウル。

 ゼロ戦。かつてそう呼ばれた戦闘機が、そこにはあった。


「マリア、コンプレッサー! 暖気してくれ!」


 指示し、武蔵は機体の各部をチェックしていく。


「動翼よし、ランプよし、燃料オイルよし!」


 武蔵がゼロ戦の周りを歩き回り、安全を確認していく。

 機体だけではなく、周囲の物まで目を凝らしてチェックする。もし異物がエンジンに入れば一発でオシャカとなる可能性とてあるのだ。

 マリアがメイド服のスカートから伸びたホースを、エンジンカウル側面のハッチに繋げた。

 圧縮空気がゼロ戦の機首に送り込まれ、内蔵されたニューマチックスターターを介してゼネラル・エレクトリック社製T700ターボシャフトエンジンが回転を始める。

 甲高いタービンの回転音。レシプロエンジンからターボシャフトエンジンに換装された機体は、プロペラ機であるにも関わらずジェットエンジンの音を轟かせる。

 点検を終了した武蔵がコックピットに潜り込み、充分に圧縮したコンプレッサーに点火する。

 連続的に燃える軽油、プロペラが回転を始め役割を終えたマリアがそそくさと退避した。


「あーマジで飛ぶ気なのか!? この嵐の中でかよ!?」


「飛びます! 美少女がピンチなんです!」


「空自に任せとけ! 素人が行ったって邪魔になるだけだ!」


「それじゃあフラグが空自パイロットに立つでしょう! 俺は女の子と仲良くなるきっかけが欲しい!」


「びっくりするほど煩悩しかない理由だな!?」


「そんなことよりチョーク払って下さい!」


 コックピットから横に飛び出させた両手をブンブン振り、武蔵はゼロ戦を固定する車止めを外すように要求する。

 これはもう止められない、そう判断したハカセは呆れつつもチョークを回収した。

 ゆっくりと前進するゼロ戦。余りあるエンジン出力に機体が転びそうになりつつも、それを押さえ込みエレベーターに載る。

 航空機用の巨大なエレベーターが上昇。天井が左右に開き、荒れ狂った雪風が地下倉庫に吹き込む。

 ただでさえ軽いゼロ戦、嵐の暴風だけで機体は翻弄されロデオのように暴れる。


【風向2−8−0、風速25メートル! 重い旅客機ならともかく、ゼロじゃ飛びたいお天気ではないな!】


「うおおっ、飛ぶ、ひっくり返る!」


 地上に出たゼロ戦は、エンジントルクと風に翻弄されいきなり傾いた。

 地面で安定させることは不可能、咄嗟にそう判断した武蔵はこのまま飛ぶことを決断する。


「こなくそっ!」


 即座に操縦桿を倒し、風上に機首を向ける。向かい風となったことで主翼は存分に嵐を揚力へと変換するに至った。

 ほぼ0距離で離陸するゼロ戦。オリジナルより僅かに軽量な機体と、2000馬力のターボシャフトエンジンは固定翼機たるゼロ戦を以てして垂直上昇すら可能とし、さながら第一世代宇宙船たるロケットのように駆け昇っていった。


「ぷはーっ、上昇力じゃやっぱ半端ねぇな」


 それを見送ったハカセは、ぶるりと震えさっさと室内に戻るべく踵を返す。

 だが足を止め、ゼロの消えた空へ向かって軽く敬礼をする。


May (汝に女神の加護)goddess be(があらんことを。) with you. ―――Good(帰って来いよ、) luck,ZERO(武蔵)







 嵐の中を飛行するのは、目を閉じて全力疾走するのに等しい。

 一切の視覚情報は役に立たず、計器を信じて飛ぶしかない。ゼロ戦にレーダーなどといった気の利いたものは搭載されていないが、それでも最新のアビオニクスは管制塔とデータリンクし彼我の現在位置を正しくモニターへと表示していた。


「もう自衛隊機は来ているのか、だが本当にどうしたんだ?」


 モニターに表示された155Aは、自衛隊機と合流しても尚旋回を続けている。

 ゼロ戦は並走するスペースシップナイトと自衛隊機に、背後からそっと近付いた。


【こちら801、そこの所属不明機あまり接近するな! ニアミスだぞ!】


「どうしたんですか? さっきからくるくる回ってばっかりですが」


 自衛隊パイロットに怒鳴られてもどこ吹く風。訊ねつつ、武蔵は旋回を繰り返すスペースシップナイトの姿を見て納得する。

 スペースシップナイト。およそ100人の客を乗せるナローボディ機とはいえ、その50メートルを超える巨体はゼロ戦が玩具に見えるほどに巨大で圧迫感を感じる。

 その巨大機が抱える問題、それは一目瞭然であった。


「ありゃ、皮被りしてやがる」


【おそらくスペースデブリだろう、どこかで引っ掛かったんだ】


 スペースシップナイトの機首には、巨大な布状のものが被さっていた。

 コックピットは当然として、機首横のアンテナ類まで完全に塞がれている。これでは外部との通信が行えないのも当然だ。


【ってそうじゃない、すぐに退避しろ!】


 そう命令する自衛隊機。スペースシップナイトと共に飛行するのは、新田原基地から発進したF4JSファントム戦闘機だ。

 老戦士を駆るパイロットの言葉を無視し、武蔵はスペースシップナイトの前に出る。


「これはサーマルブラケットですね、人工衛星とかを覆ってる銀紙みたいな奴」


【そんなもので通信が不可能になるのか?】


「太陽風などから機器を守る為のものです。薄っぺらく見えても、遮断能力は高いですよ」


 スペースシップナイト側も、自機に付き添って飛ぶファントムとゼロ戦には気が付いていた。

 客席の窓からの発光信号。それを読み取れない者はこの場にはいない。


【種子島宇宙港への誘導求む、だと?】


「この大荒れな空で、モールス信号による誘導だけで着地? そんな無茶な」


 これが音声通信ならば、まだ可能性はあった。しかしコックピット〜客席〜発光信号〜自衛隊パイロットという複雑な経緯で交わされる通信の時間差は、悪天候下での着陸という危険な作業をこなすには明らかに長すぎる。


【天候のマシな別の空港へ誘導する】


 ファントムのパイロットは翼端灯を明滅させ、スペースシップナイトへとそう提案する。

 しかしその返答は無情なまでの現実であった。


「電圧の低下が始まっている―――あまり猶予は残さていないってことか」


 バッテリー駆動のスペースシップナイトは、シンプルでトラブルが少ないことと引き換えに航続距離に不安がある機体だ。

 不安があるといっても、推進剤の完全無補給、一切の機体分離を行わずに2度の大気圏離脱・周回軌道突入が可能な第一世代宇宙船(化学式ロケット機)とは別格の航続距離を有している。しかしながらリニアエンジンはあくまで宇宙用のエンジンであって、大気中での飛行に適したエンジンではない。

 長時間の空中待機はかなり燃費が悪く、スクランブル機が上がってきた時点でほぼ電力を使い果たしていたのだ。


【くっ、一か八かで種子島に降りるしかないのか?】


「空港の除雪を中断して雪の上に降りるとしても、横風はどうしようもないのですがそれは」


 こうして飛行しているだけでも、武蔵は常にカウンターを当てる必要があった。風は方向や強さを頻繁に変え、決して飛行機を真っ直ぐ飛ばすまいと妨害し続ける。


【宇宙旅客機はデブリ対策にかなり頑丈な装甲を有しているはずだ、ガン(機銃)であの布を吹き飛ばせませば―――】


「20ミリバルカンの貫通力はスペースデブリの比ではありません。まして単発撃ちなんて機能はない、一度撃てば1秒で100発近いの弾頭が撃ち抜きます。頑丈な宇宙機といえど耐えられません」


【くっ、本当に誘導着陸するしかないのか】


 悔しげに唸るファントムのパイロット。

 一度事故がおきれば、着陸速度の早いスペースシップナイトは地面に打ち付けられあっという間に粉砕するであろう。乗員乗客の生還は絶望的だ。

 幸いというべきか、種子島宇宙港は埋立地に建設された海上空港。オーバーランしようと炎上しようと、被害が民間に及ぶ可能性は低い。


【―――これより貴機を誘導する、着いて来られよ】


 困難な着地(アプローチ)を決意するファントムのパイロット。

 しかし武蔵は、諦めてなどいなかった。


「実はこいつ、エアレーサーなんすよ」


【なに?】


 一旦離れ、仕切り直しを図る武蔵。


「搭載機銃は7,7ミリ、それも競技用の模擬弾。こいつなら、まず機体そのものにダメージが通ることはない」


 大きく旋回し、スペースシップナイトの正面から相対するように向かい合う。

 武蔵の意図に気が付いた自衛隊パイロットは慌てた。


【ま、待て! 民間人が模擬弾とはいえ旅客機に攻撃など―――】


「うるせぇ! 俺にとって大切な女性(ひと)が、あの機体に乗ってるんだ!」


 ほぼ視界はゼロ。雪雲の中、正面から現れるスペースシップナイト。

 真っ向からの一騎打ち。視界の著しく制限される嵐の中において、旅客機は海獣のように唐突に現れる。

 一歩間違えれば、正面から衝突しかねない危険な飛行。まして回避はブラケットにありったけの機銃弾を撃ち込んでからでなくては意味がない。

 相対速度は1000キロ以上。並の反射神経ならば、彼我が接触したことすら気付きはせず終わっていたであろう。

 タイミングは刹那。しかし、それを逃す武蔵ではなかった。

 ゼロ戦の機首機銃が火を吹き、スペースシップナイトを滅多打ちにする。

 弾ける塗料。人体に直撃しても安全な模擬弾とはいえ、着弾すれば衝撃は発生する。

 接触を回避する自信はあれど、上手くいく保証などなかった。されど、スペースシップナイトに被さったサーマルブラケットは破れ、風の中へと吹き飛んでいったのであった。







 視界と通信を回復させたスペースシップナイトは、リニアエンジンが停止し滑空状態となりつつも、速やかに種子島宇宙港へと着地した。

 続いて武蔵のゼロ戦も着地する。何故か九州本土から来たはずのファントムもそれに続き、種子島の滑走路へと降り立った。

 地上管制の指示に従ってゼロ戦を一旦退避させ、武蔵は意気揚々と到着ロビーへと向かう。


「さーて、俺の欧州カワイコちゃんはどこかなー!?」


 吹雪などどうでも良かった。頭に積もった雪を犬のように振って払い、入国審査を終えたばかりの乗客達に突き進む武蔵。

 しかし、その肩を掴み制止する男がいた。


「君、ちょっと向こうで話をしようか」


「げっ、空自のパイロット」


 重装備のパイロットスーツから、武蔵は男性の職業をすぐ看破した。

 先程の、F4JSの搭乗者。がっちりとした体格の、屈強な男性である。


「手を離して下さい! 俺はこれからフラグを立てなきゃいけないんです!」


「何を訳のわからないことを、君は重大な危険行為を―――」


 空自パイロットは武蔵と向き合い、言葉を失った。


「―――君、可愛い顔をしているな」


 男の頬は紅潮していた。


「はい?」


「こっちに来なさい。お説教だ」


 引きずられていく武蔵。行き先は男子トイレである。


「えっ、あの、ちょ、アーッ!?」







 武蔵が純潔を散らしている頃、一人の少女が空港の窓に張り付いて外を見つめていた。

 荒れる空は白く染め抜かれ、離着陸する飛行機など見えはしない。

 彼女は思い出していた。旅客機の窓から、純白のプロペラ機が飛んでいたことを。


「あれは……ゼロ戦?」


 欧州から引っ越してきた少女、アリア・K・若葉。

 彼女が武蔵と知り合うのは、これからややしばらく後のことである。




書いてみて痛感しましたが、航空英語って難しいです。思った以上にわけがわからない。

最初は頑張ってみようと考えたのですが、すぐに挫折して日本語表記にしました。




登場機体


F4JS

航空自衛隊のファントム。なんと初飛行から87年である。

とある新技術により旧式機の需要が増し、またアジア方面の情勢が安定したことから、多くの機体が延命処置をうけることに。ファントムもその一機であった。

アビオニクスも更新されており、単座化されている。


スペースシップナイト

初の民間宇宙飛行を成功させた企業が設計した、超距離弾道旅客機。

リニアエンジンによって宇宙まで飛び出し、地球の裏側であっても2時間で到達する。

設計開発はアメリカの小さな会社だが、生産は同国内の大手航空企業が受け持っている。

宇宙往還機としては最初期のモデルだが、シンプルな設計からトラブルも少なく評価は高い。

主に地球上(軌道含む)の移動に使用される。あまり近いと弾道飛行が出来ないので、かえって効率が悪い。


ゼロ戦

主人公の乗る艦上零式戦闘機21型。詳細はひみつ。

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